第3話 変化する日常
翌日、登校した私たちの様子を、クラスメートたちは遠目に窺っていた。
特に、聴こえていないだろうとタカを括って、普段から唄子の悪口を聴こえる様に吹聴していた庄司真紀は、自分の席で俯いたまま視線すら合わそうとしなかった。
「よーし、みんな席に着けー」
教室に入ってきた担任の柴田は挨拶の後、唄子が合唱で歌を歌った経緯の説明をした。
「鳴瀬が歌を歌った件だけどな、実はあのとき最新の補聴器をつけていたんで、聴こえていたらしい」
たったそれだけの説明だったけれど、生徒たちは案外簡単に納得した。
「なんだ。そういうことか」
「いきなり歌い出すからビビったー」
適当な着地点を作ったお陰で、不可思議だったものは別に珍しいものではなくなった。
ありふれた日常生活の中に唄子がいることを確認して、クラスの雰囲気は普段どおりに落ち着いた。
「あのー」
手を上げたのは学級委員の宮沢基子だった。
「なんだ? 宮沢」
「補聴器があるんなら、鳴瀬さんって、今は聴こえているんですか?」
素朴な質問に、柴田は唄子に顔を向けた。
「どうなんだ? 鳴瀬」
唄子は首を横に振って応える。
「なんだ? 今は聞こえてないのか?」
「それは私が説明します」
タイミングを見計らっていた私は、昨日唄子と打ち合わせていた台詞をここで披露した。
「あの補聴器、すごく性能がいいんですけど、あんまし電池も持たないし、それに、けっこう熱くなるらしいんです。だから大事な時だけ着けるようにするって鳴瀬さんが言ってました」
「ほう、そうか。わかった」
試作品のことは内密にと、唄子の母親からくぎを刺されていた柴田は、あっさりと納得してこの一件を終わりにした。
上手くしのぐことができたことに私は内心胸を撫で下ろす。
「まあそういう訳だ。これから時々鳴瀬が声を出すこともあるだろうが、いちいち驚かんように」
柴田はそう締め括って朝のホームルームを終えた。
あれから唄子を取り巻く環境はがらりと変わった。
鈍感な私ですら、そのあからさまな変化に驚かされた。
柴田の説明の後、唄子は後ろに括っていた髪を降ろし、周囲から耳が見えないようにした。
そうすることで、架空の高性能補聴器を着けているのか着けていないのかを判別できないようにしたのだ。
その作戦は目に見える形で成果をもたらした。
唄子が髪型を変えてすぐに、あの陰険女子の庄司真紀が、ピタリと唄子の陰口を言わなくなった。
補聴器が視認できない限り、何もかもを聞かれてしまう可能性があるということが彼女の身動きを取れなくしたのだろう。つまるところ、彼女はそこまで肝の座った人では無かったということだ。
今まで言いたい放題だった陰口は鳴りを潜め、同調する生徒も同じように大人しくなった。
こうして、唄子は髪型を弄っただけで日常的な平穏を手に入れた。その手際の鮮やかさに、私は心の中で盛大な拍手を送った。
それはさておき、勿論良いことばかりとはいかなかった。
クラスの中でひっそりと目立つことなく過ごしていた少女は、あの舞台で脚光を浴び、誰からも一目置かれるようになってしまった。
そのことは、存在しない高性能補聴器を着けているという噂と相まって、全く誰からも声を掛けられることの無かった少女は、あの日を境に、時々先生やクラスメートから話しかけられるようになった。
聴こえていないふりをしてスルーしてしまえば良いと思うだろうが、人間は呼ばれれば反射的に反応してしまう生き物なのだ。
思いがけないタイミングで後ろから声を掛けられ、思わず振り返ってしまった唄子を私は何度も目撃した。
もしそのタイミングで補聴器をしていないことを知られでもしたら、当然ややこしいことになる。
日々目立たず、細心の注意を持ってハンデを克服していた私たちは、二人の間にある秘密を知られてしまう可能性が高まったことを自覚させられ、今更ながら危機感を感じていた。
放課後になって、そのことを律子先生に相談すると……
「自業自得。反省して今後の肥やしになさい」
見事に一刀両断された私たちは、保健室を出て隣の部室に移動した。
「やっぱここが落ち着くわー」
唄子と二人、椅子に座って脚を伸ばすと、今日一日の気疲れがどっと出た。
「文化祭終わったけど、これからの予定ってどうなってたかな」
「んー、ちょっと待ってね」
文化祭の片づけを終えたあと、私たちは普段行っている清掃などの美化活動しかしておらず、取り立てて真新しい予定はない状態だった。
だが、昨日開かれた部長会議で、幾つかボランティア部に対する依頼があり、今日どうするか相談して決めようと思っていた。
私が鞄から依頼をまとめたノートを取り出すと、唄子は私にくっつくようにして確認し始めた。
「園芸部のアドプトロードを手伝うかどうか話し合う……何? アドプトロードって?」
園芸部の部長から詳細を聞かされていた私は、会議に出ていなかった唄子に説明しておいた。
「私も初めて聞いたんだけど、アドプトロードっていうのはね、市が進めている道路の緑化活動のことみたい」
「道に花を植えるってこと?」
「まあ、そうかな。えっと、こんな感じよ」
私は会議の時に渡された写真を、ファイルから取り出して唄子に見せた。
「ほー、成るほど。これは素晴らしい」
綺麗な花に彩られた歩道の写真を見て、唄子は感心したような声を上げた。
「まあ、これはもう何年も頑張ってるボランティアの人たちが植えたものなんだけどね。うちの学校の園芸部も人手が集まるならやってみたいって思ってたらしく、今回うちの部に助っ人を願い出て来たわけ」
「園芸部って確かうちと同じで三人だったよね。ロードっていうくらいだからけっこう広範囲に植えそうだし、大変そうだね」
「多分きついと思うよ。依頼を受けるんならコータに頑張ってもらわないと」
「じゃあ、山田君が来てから依頼を受けるか決めようよ」
唄子はそう言ったが、なんとなく、もうやる気になっているのが私には感じられた。
以心伝心と言うにはほど遠いのかも知れないが、唄子の心の向いている方向は結構簡単に感じ取ることができる。
それは律子先生の言うテレパシーとかでは無くて、きっとこの猪突猛進な相棒が、単純に分かり易いだけだからなのだろう。
「唄子はもうやるって決めてるんでしょ」
「へへへ、わかっちゃった?」
ペロリと舌を出した唄子が、さらに何かを話そうとした時、部室の戸がゆっくりと開いた。
「あのー」
隙間から目だけを覗かせて、おずおずと声を掛けて来た女の子。
顔の半分も見えていない彼女を、私と唄子は知っていた。




