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第九話

 いつの間にか雨は止み、代わりに事もあろうか雪が降っていた。しかも積もり始めてる。

 こうなると自転車では逆に時間がかかってしまう。

 どうする、少し遅れると連絡をいれるか?

 いや、違う。そうじゃない。

 今日だけは、待ち合わせ時間に絶対に遅れてはいけないんだ。

 細心の注意を払いながら、駅に向かって走り出す。

 大丈夫、それでも何とか間に合う筈だ。

 逸る気持ちを抑えつつ、進む。

 ――だけど、予想外の事は起きる時には連続して起こるもので。

「おい、嘘だろ……」

 陸橋の下を通る、辛うじて自動車がすれ違える程の道幅しかない通路が通行止めになっていた。どうやら事故があったらしい。

「くっ!」

 急ぎ進行方向を九十度変えて再び駆ける。よりにもよってここが通れないとか。他の場所ならほんの少しの回り道で済むが、この陸橋の下だけは別だ。通れる箇所が限られていて、しかもその先に広大な敷地面積の建物があるものだから、大幅に遠回りするしか道がない。

 間に合うか。てか、間に合え。

 住宅街を抜けて大通りへ、言うなれば大きな長方形の一辺と残り三辺の長さ程の距離の違い。加えてこっちのルートは信号が多くて足止めを何度も食らう。危険を承知で無視できる交通量でもない。

 そうやって、ようやく駅前の広場一歩手前の横断歩道まで辿り着いた。赤信号。時刻は――十五時ジャスト。くそ、もう少しだったのに……だなんて、悔しがってる場合じゃない。

 雪の影響か、心なし減速気味な自動車の行き交う道路の先、駅前の広場へと目をやる。見えるスペースは限られているが、いつも通りの待ち合わせ地点なら何とか視界に入るはず――いない。

 雪も降っているし、近くの屋根のある場所にいるのかもしれない。

 生憎とここからはそこまで確認できない。諦めて携帯電話を取り出す。ここまで来ておいて、したくは無かったけれども止むを得ない。電話をかける事にする。

 だけど。

 ――出てくれない。

 呼び出し中のまま一向に変化なし。

 どうしてだ。もう見切りをつけられたのか。不安が頭をよぎる。そんな。でも。

 そうこうしているうちに歩行者用信号が青に変わった。スピーカーを耳に当てたまま再び走り出す。固まった雪が氷の用に滑り、体勢を崩しつつも、なんとか堪えて目的地点まで全速力で辿り着いた。

「はあ、はあ」

 息が荒い。整えながらも、辺りを見渡そうとした時。

『来てくれたんだ……』

 受話器から声が聴こえてきた。

『澪? ど、どこに……?』

『後ろ』

 慌てて振り返る。傘を差した澪の姿があった。

「ごめん、そこの屋根の下にちょっと避難してた。これ、濡れちゃうとまずいかなって」

 掲げた反対の手に持っていた紙袋。多分、僕へのプレゼント。

 胸がぎゅっとなった。

「遅れて……ごめん」

 謝る。

「謝られる程、遅れてないよ」

「だけど……」

「まあ、約束の時間ぴったりになっても姿が見えなくて、代わりに電話がかかってきた時には、かなり動揺したけど」

「ごめん……」

 重ねて謝ると、澪は黙って首を横に振り、そして距離を詰めてきた。

「あたしの方こそ電話とれなくてごめん。なんか『やっぱり行けなくなった』とかだったらと思うと怖くてなかなか出れなかった」

「本当に……ごめん」

 不安な思いをさせて。そして今の言葉で少し安堵してしまって。

「だから良いって。それより走ってきたの? 傘は?」

 汗と雪が混じって髪も服もぐしゃぐしゃになっていた。澪が傘を僕の方に向けてきた。

「風邪ひいちゃうよ。身体温めないと」

 確かに服もビショビショだ。これは……とてもじゃないけどデートできる装いじゃないな。つくづく申し訳ない。

「本当にごめん。遅れた上にこんな有様で」

「いや、別にそんなことは気にして無いんだけど……それよりも、本当に良かったの?」

「? 何が」

「遅れた理由って……その、色々とあったんでしょ? それなのに良かったのかなって」

 不安気な様相を見せる。色々とはつまり――。

「澪」

 彼女の名を呼ぶ。

「は、はい……」

 返事をしながらも目が泳いでいる。まだ……いや、こんなにも不安にさせていたのか僕は。この償いはこれから時間をかけて、たっぷりとしないといけない。

 だけど、それよりも今はまず。

 今日、本来なら僕が一番初めに彼女に言いたかった言葉を、告げないといけない。

「僕は君のことが好きだ」

 ことり、と傘が落ちた。

 澪がはっと息を呑み込む音が聞こえた気がした。口を手で覆っている。

「か、かなた……くん」

 僕の名を呼ぶ彼女の心の中はどうなっているのだろうか。わからないからもう一度伝える。言葉にして、音にして。気持ちが伝わる様に。

「今まで不安にさせて本当にごめん。今日はちゃんと伝える。何度でも言う。――僕が好きなのは澪だけ、君だけなんだ」

「……っ!」

「好きだ、澪」

 三度、その言葉を告げた瞬間。

「あたしも」

 澪は僕の胸に飛び込んできた。

 そのままぎゅっと背中に手を回して抱きしめ、顔を埋める。

「あたしも……君のことが、奏多くんが大好きっ!」




 十二月、一月と、冬に入ってからは雨や雪の日が多かった気がする。吹雪いたり、積もったり、夜間降った雨が朝には路肩を凍らしていたり。とにかく毎週の様に何らかの気象情報が飛び込んで来ていた。

 だけど二月に入ってからは、今までの雨雪嵐が嘘の様に晴れの日が続いている。まるで何かの帳尻を合わすかの様に、陽の光が街を照らす日々が続いている。寒いけれど、吐く息は白いけれど、穏やかな気候の日々。

 ――そんな、ある日の朝。

「行ってきます」

 今朝は珍しくまだ家にいた親に向け、声をかけて外に出る。暖房であったまっていた余熱など一瞬で吹き飛ぶ寒さに身震いしつつ、僕は自転車を庭先から取り出した。今月から僕は通学時の駅までの道のりに自転車を使う事にしていた。駅前の月極有料駐輪場の使用に至っては、毎月の小遣いを少しずつ減額する事で、何とか親に許可をもらった。収入が減るのは痛いけれど、ここは節約して何とかするしかない。

 だって、そのお陰で。

「あ」

 今みたいに斜め向かいに住む幼馴染みと、家を出る時間が重なっても、一緒に歩く事はなくなった。家が近いが故に発生しやすい偶然も、これで随分と減るはずだ。

 ――別にあたしは気にしないけど。

 澪はそう言っていたけど、やっぱり家が近い事で不安に思う事はこれからもあるだろうから、これで少しでも和らいでくれれば良いんだけど。

 僕はサドルにまたがり、少しだけ距離を進めて、一度止まる。

「おはよう、小牧さん」

 幼馴染の小牧夕子に向かって挨拶の言葉を投げかける。彼女は一瞬だけ戸惑う様な表情を見せたけれど、すぐにぎこちないけれど微かな笑みを見せて返してくれた。

「おはよう、染谷君」

 僕は軽くうなづき「それじゃ」と軽くを手を振る。彼女も小さな手振りで返してくる。そして、それだけ。僕は視界から彼女を外し、前を向く。自転車を駅に向けて漕ぎ始める。そうだ、これで良い。ご近所だからって、親同士が仲が良いからって、何も僕達までいつまでも仲良くしている必要は無い。そういう思考に今まで至らなかったのは、きっと無意識の内に僕が自分の都合の良い様に目を背けていたのだろう。

 だけど、もうそんな逃避はいらない。

 小牧さんとの距離はこれから少しずつ離れていくだろう。しまいには顔を合わせても軽く頭を下げて会釈する事すら無くなるのかもしれない。

 でも、それで良い。

 幼馴染みだからって、いつまでも仲良しでいる必要はないんだ。

 僕には僕の、彼女には彼女のこれからがある。

 ――さようなら。

 寒さは厳しいけれど、空はよく澄んでいて、とても綺麗な青色をしていた――。



 終

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