第五話
手前に夕子。二、三メートルほど奥に澪。待ち合わせをしている澪の元へ行くには、確実に僕に用のある夕子の前を素通りしないといけない。それとも一度夕子に声をかけてから澪のところへ行くか。どうすればいいのか。
――って、そんなのは決まってるだろ。
「澪」
優先するのは自分のカノジョに決まってるじゃないか。
声を挙げて近寄る。二人共、こっちへ視線を向けたのがわかった。夕子がどんな表情をしているのか気にならないと言えば嘘になる。だけどそちらへは向けず、澪のもとへ。
「……奏多君」
彼女は唖然としていた。何故。夕子ならわからなくもないけど。
「澪、どうかした?」
訊ねると、ハッとした感じで。
「えーと……ごめん、いきなり遠くから名前呼ばれたからビックリして」
「あ、そっか。ごめん」
「ううん」
恥ずかしかったのかと思って謝ると、澪はかぶりを振ってから改めてみたいな感じで挨拶の言葉を口にした。
「おはよ、奏多君」
「おはよう、澪」
軽く笑みを浮かべ合う――と、いったところで。
「カナ君?」
夕子の僕を呼ぶ声がした。顔を向けると困惑した様な表情をしながら、こっちへ歩いてきていた。
「夕子……」
反射的に弱腰になりかける。だけど、そんな必要は全くない筈。
「おはよう、カナ君」
言いながらも、目線はあからさまに僕の隣へ。澪の様子が気になったけど、確認する勇気は残ってなかった。
やむおえず、夕子に返事する。
「おはよう。今日はまた、どうしたの」
「あ、うん……ちょっと」
答えつつ、見ている先は変わらない。どうやらソッチの方が気になるらしい。仕方ない。腹を括って切り出す。
「ああ、紹介するよ。彼女は杉岡澪。ほら以前に話した僕のカノジョ。――それでこっちが僕の……幼馴染みで小牧夕子」
途中で反応を見ると止まってしまいそうだったので、一気に言い切った。夕子がハッと息を呑む。対して澪の様子はというと。
「……」
何か考え込む様な感じで口を閉ざしたままだった。何だ。
「どうかしたの?」
訊ねると、そこでようやく予期していた反応が返ってきた。夕子と同じく「ああ、この子が」みたいな感じで。
そして、次に夕子へ向かって口を開いた。
「澪です……宜しく」
「あ、えーと……こちらこそ、小牧夕子と言います……カナ君と……その、幼馴染みで、えーと……家が斜め向かいで小学校入る前からの……」
どうやら夕子の方が狼狽は大きかったらしい。人見知りする方だもんな。だけど、どこまで言うつもりなのか。
「ちょっと、夕子」
「え? ……あ、ごめんなさい」
「いや、謝ることじゃないけど」
「でも――」
「ごめん、ちょっと良いかな――奏多君」
暴走気味な夕子を止めに入った僕。その間に澪が口を挟んだ。
「……澪?」
聞き返すと、無言のままで制服の袖を引っ張ってきた。目で「それで、これからどうするの?」と言っているみたいな気がする。
確かに、このまま立ち止まっているわけにはいかない。電車の時間もあるし、何より人目につく。心なしか通行人の視線が向けられている気がする。
僕はもう一度、自分に喝を入れて夕子へと顔を向けた。
「ごめん夕子。言ってなかったけど、先週から僕はここで澪と待ち合わせして、途中まで一緒に通学してるんだ。だからゴメン、その……今までみたいに登校中に相談とか、乗れなくなったんだ」
言うべき事を言い切る。夕子はまた「……っ」と息を呑むような動作をした後で。
「そう、なんだ……」
と、一言漏らした。瞬間、寂しげな表情がみえたのは気のせいか。何かを考える間もなく、夕子が続いて喋る。
「そう……だね。カナ君、カノジョができたって、この間の帰り道で話してくれたもんね……変わらないって言っても、カノジョの方を優先するのが普通だよね。カナ君、そういう人だもんね」
自分に言い聞かせでもするかのような言葉の羅列に、妙に罪悪感が湧く。でも、夕子が今言った様にこれが正解なんだ。
「ごめんね、カナ君」
「いや、こっちこそ悪い」
「ううん、じゃあこれ以上邪魔しちゃ悪いから先に行くね、わたし」
「ああ、わかった」
「それじゃ、また後でね」
夕子は最後にそう言うと、澪の方をチラッと見て軽く会釈し、急ぎ足で駅の中へと消えていった。
ふう、と一息つき。
「何か色々とゴメン――――て、澪?」
「……」
まずは謝らないといけないなと顔を向けると、澪は何故か夕子の背中があった方角を呆然とした様な表情で見ていた。
そして、ぽつりと独り言のように呟く。
「……何、今の」
「澪?」
再び問いかけると、彼女は今度はこっちを向いて、明確に僕に対して問いかけてきた。
「何なの、あの子……あんなの、全然脈有りじゃない」
「……え?」
「ねえ奏多君、君はどうして彼女を諦める気になったの?」
「どうしてってそれは――」
カレシが出来たから、と答えようとした僕を遮る。
「小牧さんだっけ……彼女、奏多君のことゼッタイ好きだよ」
澪が何とも言えない複雑そうな表情をしながら告げた。
どくん。
一度だけ、心臓が痛い程に跳ねる。だけどそれだけで、この一週間忘れていた感情が吹き出しそうになった。
「いきなり、何を言い出すんだ」
多分、とても動揺していたのだと思う。
「夕子と玲司――カレシの名前なんだけど、二人とも長い間、ずっと想いあってたんだ」
「だけど、それは……」
「僕はそれをずっと近くで見てたんだ。間違いないよ」
「奏多君……」
「そんな事より、そろそろ僕らも行こう」
「……うん、わかった」
思わず口調がキツくなってしまった。だからか、澪はまだ何か言いたそうだったけど、途中でそれを止めた。
「ごめんね、奏多君」
「――ううん、僕の方こそきつい言い方だったと思う、ゴメン」
並んで一緒に歩き出す。だけど、心なしか昨日までより距離が少しだけ開いている気がした。
「それじゃ、また明日ね」
「……うん」
なんとなく気まずい雰囲気のまま、電車の乗り換え駅、つまり僕と澪の通学路が分かれる地点まで来てしまった。
「ちょっと待って」
このまま次は明日というのは良くない気がして、歩き出そうとした澪を呼びとめた。立ち止まった澪が振り向く。
「何?」
「もし良かったら、今日学校が終わったらどこかで待ち合わせしない?」
「駄目だよ、奏多君」
「だけど」
「先週の金曜日に言ったよね? テストが終わるまで、会うのは朝の通学時間だけにしようって」
「それは……」
確かにうちの学校ではあと一週間で期末考査だ。そして多少、日程は違えど澪の方もそれは同じ。だけど彼女自身は別に試験前だからといって特に焦ることはしないそうだ。何でも「補習にならなければそれでいい」らしい。つまり、彼女がそんなことを言い出したのは僕に気を遣っての事みたいで。
「別に一日くらいで、そう変わりはしないよ」
「あたしはともかく、奏多君はテスト前はめちゃくちゃ勉強に集中するって聞いたよ?」
「聞いたって安条から? アイツが知ってるのは中学時代の、それも三年になってからの話だろ」
「あたし、奏多君の中間の成績知ってるんだけど」
「え?」
「イッチー君だっけ? 君と同じクラスのあの人から香澄が聞いたって」
市川と安条。そんな要らない話をするほどに連絡をとりあってるのか。余計なことを。
「……なら逆に分かるだろ? 一日やそこらでそんなに変わらないって」
「駄目。あたしのせいで奏多君の成績落ちるのとか嫌だし」
全く、変なところを気にするんだな。本人は赤点以外なら何でも良いって言ってくるくせに。
「――とりあえず、小牧さんのことなら、あたしは別に何も気にしてないし。こっちこそ、君が気にするようなこと言ってゴメンね」
「澪……」
「じゃ、そういうわけで……今日はバイバイ」
澪はそう言うと、今度はこっちの返事も聞かずに行ってしまった。
その有無を言わせない雰囲気に、僕もそれ以上は何も出来ずに、黙って彼女を見送った。だけど、だからと言って心の中は早々簡単に平静にはなってくれない。その日は一日中、モヤモヤした感情を引き摺りながら過ごす事になった。当然、授業の内容は半分程度しか頭に入らず、家に帰ってから自室で勉強机に向かっても、イマイチ気が乗らない。
大体、何だよ気にしてないからって。
あからさまに様子がいつもと違ってたじゃないか。
それに自分のカレシに仲良さげな女の子がいたら気にするのかむしろ当然……て、そうか。それは最初から知ってた上で付き合ったんだった。
ということは澪はひょっとして、だからなんでもない様に振る舞ってたのだろうか。
――いや。
それにしても話に聞いてたのと、実際に目の当たりにした時では、心境に変化があっても当然だろう。大体、その話は付き合う前の話だし。幼馴染みだから話は別って事もないだろうし。
……て、でもあれ。
それなら夕子のカレシである玲司って……僕と夕子が仲良くしてて……あれ。
椅子に座ったまま反り返り、天井の明かりを眺めつつ思い至る。笠原玲司。僕の昔からの友人で、今は夕子のカレシでもある。中学時代からずっと三人で仲良くしていたから気にしてなかったけど、むしろ二人がよく僕を巻き込む形になる事が多かったから考えもしなかったけど、だけど……玲司の奴はほんとうに今も尚、僕と夕子の間柄に何の感情も抱いてないないのだろうか。
――と、そんな脱線しかけた思考が疑問にぶち当たったところで携帯端末から音が鳴った。安条からだった。
「もしもし、今ちょっと良い?」
「いいけど……何」
多分、澪の事だろうなあと予想はつくけど。
「染谷、あんた澪と何かあった?」
やっぱり。
「いきなり、なんで?」
「いや、ちょっと今日のあの子、様子がおかしかったから、気になってさ」
安条曰く、なんとなく元気なさげで、時折、ボーっと考え事をしている感じだったらしい。
「……別に何もなかったなら、それで良いんだけどさ。ねえ染谷、今朝あんたと一緒の時ってどうだった?」
ここで「何もなかった」と答えれば、安条はそこで引き下がるのだろう。澪だって、明日にはいつも通りに戻っているかもしれない。ここで安条に話すのは早計かもしれない。
だけど、僕と澪の今後に何か濁りが残ってしまう可能性だってある。僕は澪の事どころか、自分の事だってよくわかってないのかもしれない。
「ねえ染谷、何か答えなさいよ」
電話の向こうで安条がせっつく。彼女の事だから、多分何かあった方に察しはついてるのだろう。
「いや、実は今朝――」
思い切って、今朝の事を説明する。
「あー、小牧さんと会っちゃったかあ」
澪の元気の無さの原因はそれだね、と安条は確信したようだった。
「やっぱり、それが原因かな」
「多分間違いないね。ていうか染谷、あんたもうちょっと何とか上手く立ち回れなかったの?」
「面目ない」
「いや、わたしに謝らなくてもいいけどさ」
「澪にちゃんと謝った方が良いかな」
「それも違うと思う。ただ話を蒸し返すだけじゃ逆効果でしょ」
「じゃあ、どうしろと」
「うーん……」
と唸った後で安条は「決めた!」みたいな感じの勢いで声を発した。
「仕方ない、ここはわたしが人肌脱いであげよう!」
安条、良い奴だな本当に。
「――と言っても、わたし今脱ぐもの一切無いんだけどね」
「は?」
「お風呂中なの、わたし」
「なっ!?」
思わず声を挙げてしまった。そういえば、やけに声が響くなとは思っていたけど。
「つまりはオールヌード、一糸まとわぬ姿」
「いうなっ」
「あはは」
笑い事じゃない。というか何故そんな場所から!?
ちゃぽん。
しかも、わざとらしく……ていうか、わざと水面に大きな音を立てやがった。
「……」
もわもわっと妄想が膨らみかけ、その寸前で慌ててそれを打ち消した。友達相手にそういう生々しいイメージは止めたい。
「――と、まあ冗談はこのくらいにして」
と安条。いや、そういうのはいいから。
「ここからは真面目な話、良い?」
「そっちが勝手にふざけたんだろう」
「良・い・よ・ね?」
「……ああ」
勝手に人をからかっておいて何だよと不満はくすぶっていたけれど、救いの手には違いない安条の急にマジっぽくなった声に、こっちも気持ちを切り替える。
「澪はたぶん、動揺しているだけだと思う」
「動揺?」
「染谷と小牧さんの関係って、わたしはそこまで詳しく話してなかったし、あんただってそうでしょ?」
「ああ、それはまあ」
「それで、実際に今の二人が話しているところを直に見て、それで色々と戸惑っちゃったんだと思うの」
「……そう、なのか?」
「やっぱり」というフレーズの飲み込んで聞き返すと「はあ」と溜息の様な音が聞こえた。
「そこ、中学の時から染谷はあまり自覚ないからねえ……ってその話は置いといて」
「いや、割と重要なところな気がするんだけど」
特に、個人的にはこの電話の直前まで考えていたことと関係がありそうで。だけど、それは。
「いーの、今は澪の話なんだから」
という安条の言葉の方が正しくて。
「……わかった。続きをどうぞ」
と僕も今のやりとりは頭の片隅に追いやることにした。
安条が改めて言う。
「染谷、いい? 前にも言ったけどもう一度念を押すね?」
「何を?」
「澪はとっても良い子なの。だからあの子を泣かせるような事は絶対にしないで」
「それは勿論」
今さら、言われるまでもない。紛れもなく僕には勿体ない女の子だ。だから、より大切にしたいと思っている。
だけど、安条はその答えだけでは満足しなかったようで、続けた。
「あの子はね、わたしみたいなのと違って本当に凄く真面目で真っ直ぐな女の子なの。だから、傷つかせるような真似はしないで」
「……何だかよく分からない言い方だな」
あと、安条だって『みたいなの』なんて言い方する必要の無い良い奴だと思うぞ。こっぱずかしいから言わないけど。
「まあ、だけど安条の言いたいことは何となく伝わってきたと思うよ」
「本当に?」
「とりあえず、夕子の事に関してはもっと注意する」
「…………はあ」
「? もちろん、他の女子達に関してもだぞ?」
何故か「こいつ、わかってんのか本当に?」みたいな、大きな溜息が返ってきたので、言うまでも無いことまで念を押すと、もう一回大きな溜息が返ってきた。いや、本当に何故?
「まあ、いいや。それでも他の男共に比べたら随分マシな方だし。本気で澪のこと考えてくれてるのは伝わったから、うん、それでいいや」
「なんか、妥協されたみたいな感じだな」
いまいち、納得がいかない。
だけど安条は。
「いいの。とにかく、あんたは明日の朝も今まで通りに駅前で澪と待ち合わせすること。いい?」
「いや、ちょっと待ってくれ」
押し切ろうとする安条に、僕は「まった」をかけた。
「澪とは僕が話すよ」
「……大丈夫?」
「大丈夫とかそういう問題じゃなくて。こういうのは自分でやらないと駄目な気がするんだ」
不安そうな安条に、僕は自分の考えを話した。何かある度に誰かを頼っていたら、どちらにしろ長く続かない気が…………あれ?
「染谷がそう言うんなら別に構わないけどさ……」
何かを思い出しそうになったところで、信用できないなあという感じの安条の声音が聞こえてきて、思考が話題の方へと戻る。
「何かあったら連絡して来なよ?」
「わかった、ありがとう」
尚も不安そうな安条に礼を言って電話を切る。
「さてと……」
一息入れて、自分を奮い立たせて澪へ電話をかける。先にメッセージを入れても良かったんだけど、返事を待っている内に気が弱くなってしまいそうな気がした。
「――もしもし」
数コールして澪から応答の声が聞こえてきた。少し戸惑っているかの様な、用心深い声音。
「ごめん、いきなり。今ちょっといい?」
「……うん、いいけど」
明らかに警戒している。何をかはわからないけれど、ここはさっさと用件を話して疑念を取り払わないと。だけど、はて。どう喋ればいいのだろうか。
「何?」
間が空いてしまったからか、次いででた澪の声の警戒度が増した気がする。
「いや、あの、特にこれと言った用事がある訳じゃないんだけど……ただ何となく声聞きたくなって?」
しまった。何を口走ってんだ僕は。玲司じゃないんだから。おまけに何故疑問系になった。
「……」
沈黙の間が怖い。呆れられたか?
「えーと、澪?」
「……ぷっ、何それ」
「へ?」
電話の向こうから、澪の吹き出すような笑い声が聞こえてきた。えーと、これはどういう捉え方をしたら良いのか。
戸惑っている内に答えが出た。
「あは、やっぱり奏多君は面白いね」
「ははは、そう?」
良かった。とりあえず減点ではなかったらしい。
「うん。面白くて真面目で良い人」
「何かそこまで言われるとこそばゆいんだけど」
「――そして、ちょっと天然」
「最後に落とすのやめてくれる?」
「あはは」
聞こえてくる声音がいつもの感じに戻ってる。何だか知らないけど上手くいったのかな。安堵する。だけどつぎの瞬間にはまた慌てる事になった。
「奏多君、香澄に何か言われたでしょ?」
「えっ」
「君はわかりやすいんだから、ほら早く白状しなさい」
「……参ったな」
と言いつつも、澪の声が明るいので実は困ってない。むしろ楽しい。
「うん、まあ……そんなとこ」
「何て言われたの」
「言われたというか聞かれた。澪が今日元気なかったから何かあったのかって」
「全く。それであたしに電話しろって?」
「いや、それは違う。安条から話を聞いて、僕が電話しようと思ったんだ」
「本当に?」
「うん」
少し恥ずかしいが、正直に告げる事にする。
「実は今日ずっと気になってたんだ。ほら、今朝の別れ際がああだったから」
「……そっか、ごめんね」
「何で澪が謝るの?」
「あたしの事で気を揉んでくれてたみたいだから」
「そんなの、カレシなんだから当たり前だろ」
「……そっか。ありがと」
何だ、このこそばゆいを通り越してボワっと身体から湯気でのぼせそうな感じは?
「礼を言われる事でも……」
「ううん、それくらいの事だよ。だって、あたし元気になったもん」
「……じゃあ、どういたしまして」
「……うん」
「……」
「……」
あー駄目だ。この雰囲気、もう耐えられない。そろそろ電話を切ろう。
「じゃあ、そろそろ――」
「あっ」
「……何? どうかした」
「奏多君、今って外の景色見える?」
「外?」
「いいから見てみて」
「わかった。ちょっと待って」
見事に切り損なったなと思いつつ、澪の声が余りに弾んでいたので、気になって部屋のカーテンを開いて窓の外を見る。
すると、ひら、ひら、ひら。
「……雪?」
「うん、そうだよ。雪だよ、初雪」
少しだけど、雪が降り出していた。いつの間に。どうりで寒いはずだ。
「まだ十二月始まったばかりなのに、今年は早いな……」
「ねえねえ、積もるかな?」
どうやら澪は雪が好きらしい。テンションがかなり上がっている。はしゃいでるのだろうか。今、どんな表情してるのだろう。見れないのが残念だ。
「この勢いだと、積もったりはしないんじゃないかな」
第一、朝積もってたりしたら通学が大変だ――なんて事は思っても口に出すのは野暮ってモノだろう。
「そっかあ」
「雪、好きなんだ?」
「うん。昔からね、雪の降る日には良い思い出がいっぱいあるんだ。だから好き」
「そうなんだ」
「今年はいっぱい降ると良いな……」
「ちなみに、今日も何か良いことあったの」
「あったよ」
「へえ、聞いてもいい?」
「えっとね……奏多君の方から初めて電話してきてくれた」
「っ!?」
ぼわっ。聞こえた途端に頭の中でなにかが弾け飛んだ気がする。駄目だこれ。もう限界。
「澪」
「ん、なーにー?」
「今すぐ、顔が見たい」
本当は会いに行きたい。だけど流石に午後十一時近くにそれは難しいだろう。
「えーと……それは、ちょっと……」
「駄目?」
「あの……もうお風呂入っちゃった後だから、パジャマだしお化粧もしてないし」
「いや、それむしろ見たいから」
やめとけ僕、と思うのに言葉が止まらなかった。何してんだか本当に。
「むう……何かめっちゃ恥ずかしいんだけど」
「――そっか」
やっぱり駄目か、と思ったらそうじゃなかった。
「でも、まあ良いよ」
「本当にっ!?」
「テンション高っ。なんか邪なモノを感じるよー」
「あ、ごめん……」
クスクスと笑い声が聞こえた。
「でも、まあ今は嬉しい気分でいっぱいだから良いんだからいいよ。――それじゃ、テレビ通話に切り替える? それでいいんだよね?」
「あ、うん。それでお願い」
――それから暫くの時間。
僕は画面越しのカノジョと共に、舞い落ちる雪を眺めながら楽しい時間を過ごした。
起立、礼。
終礼が終わり、放課後になった。
「ふわぁ……」
大きくあくびをしていると、クラスの友達に「何だ染谷、寝不足か?」と声をかけられた。
「まあ、そんなとこ」
「テスト前にしても珍しいな。授業中もかなりウトウトしてたろ」
「ああ、うん……まあ昨日寝たのが結構遅くって」
「気合い入ってんな」
そういうわけじゃないんだけど……まあ、そういう事にしておこう。はは、と曖昧に笑って誤魔化そうとしていたところに、市川がやってきて余計な一言をくれた。
「――カノジョと長電話でもしてたか?」
「「カノジョ?」」
あ、やべ。機会を見てと思いつつ、まだカノジョができた事を話してなかった。
「……別に、それが理由じゃないけど」
実際のところ、昨晩は澪との電話を終えてから気分が乗って遅れていた分を一気に取り戻しにかかり夜更かしをしてしまったからなので、それ自体は直接的な原因ではない。
「カノジョ……」
だけど僕がカノジョの存在自体を否定しなかった事で、結果的にソッチの件については肯定してしまったので……うう、何か視線が痛い。これは後で何かフォローしとかなきゃ。
と、それはさておき。
「市川、おまえ安条に色々と僕の個人情報を教えるの止めてくれないか」
「いいだろ別に。差し障りの無いことしか喋ってないし」
「その判断基準が僕より随分ゆるいみたいだからそう言っているんだが……というか、差し障りのある事って何だよ」
「ほう」
何だよ感じ悪いな。そんなの無いぞ。
「……というか市川、僕になんか用か?」
教室内での彼は基本的に、僕と一緒の場所にはいない事の方が多い。クラスの中心グループ系の属しているから、普通に過ごしていると喋る機会もあまりない。
「その『差し障りのある事』をおまえに伝えに来た」
市川が勝ち誇ったように言って、親指で後方を差す。その先には……夕子が居た。扉の隅から顔を覗かせて、こっちの様子を伺っていた。
「……」
差し障りのあること――に今となってはなってしまうんだよな、これ。いや、気づかなかっただけで以前からだったのかもしれない。
「どこか目立たない場所で会話しろよ」
「そんな事したら余計に怪しく見えるだろ。夕子が僕に用事のある時は大概、玲司がらみなんだから」
そう反論してから、僕は席を立つ。背後から感じる友人達の視線がキツい。あと「夕子、ねえ……」などと呟いている市川の声も気に障る。
だけど今はとりあえず、こっちが優先だ。彼女とは昨日の朝のアレっきりだったし。
帰り支度を急いで整えて自席を後にし、夕子と面する。余計なお世話だと思いつつも市川の忠告に従って少しだけ移動して人目の少ない場所で用件を尋ねた。
「それで……えっと、どうしたの?」
「あ、うん。何だかタイミングが悪くて一日経っちゃったけど、昨日の朝の事を謝ろうと思って」
「ええと、別に夕子が謝る事は無いと思うんだけど」
「でも、カノジョさん驚いていたみたいだったし」
「ああ、それはまあ。でも、もう解決したから」
「そうなの?」
「うん。だから夕子も気にする必要は無いから」
「そうなんだ……」
「それより、そっちは大丈夫なの?」
「え? ……あ、うん。別に相談事があったわけじゃなくて、ただ最近はカナ君と会ってなかったから、どうしてるかなと思って」
……また、そんな他人が聞いたら誤解を招きそうな言い方を。恐らく他意は無いのだろうけど、それがわかってる僕ですら、一瞬ドキッと――したらダメじゃないか。こら、しっかりしろ僕。夕子は幼馴染みとして、僕を気にかけてくれてるだけなんだから。
「僕の事なら全然大丈夫。さっきも言った通りに、今は全部順調だよ」
「――そっか」
「あ、あと……僕と彼女の待ち合わせ場所なんだけど、いつもの場所から変更したから」
「そうなの?」
「うん。昨日の夜に僕から言い出したんだけと、澪――カノジョの家って東口側でさ。毎朝改札の前を横切って、西口の前まで来てくれてたんだ」
澪が最初にそこで僕を待っていたから、成り行きで待ち合わせ場所がそのままソコになっていたんだけど、よくよく考えてみると、わざわざコッチまで来てもらう必要はない。駅構内の改札前で待ち合わせれば良い。昨夜、テレビ電話に移行した後で、ちらほら降る雪を見ながら、ようやくその事に思い当たり、僕は彼女にそう提案していた。
「そう、なんだ……」
聞いた夕子は少し肩を落としたように見え、僕の中に罪悪感が芽生える。僕は昔から――彼女に恋愛感情を抱くずっと前から――夕子のガッカリした様子や落ち込んだ表情を見ると、いつもそうだったから、今回のもきっと同じなのだろう。
「だからゴメン夕子。昨日も言ったけど……」
「ううん、カナ君が謝る必要はどこにも無いよ。むしろワザワザ知らせてくれて、ありがとう」
一転してニッコリしてみせる夕子。その表情に少しだけ寂しげな一面を見つけてしまうのは、それもやはり付き合いが長いからで。そこが何年も前から報われぬ片想いだとわかりつつ、吹っ切れなかった要因の一つでもある。
ジワジワと思い出してくる感情に蓋をして、僕は口を開いた。
「夕子の話ってそれだけかな」
それなら用事があるからこれで――と言いかけたところで、夕子から『待った』がかかった。
「ごめんカナ君、もう一つだけ話があるの」
「……何かな」
「あの、よかったら図書室で一緒にテスト勉強しないかなぁって」
「僕と?」
「うん」
こくんと頷き、身長差の分だけ上目遣いがちに見てくる。
「今回のテスト範囲、難しいところが多くて。それで以前みたいに教えてもらえたら嬉しいんだけど」
「……そういえば、玲司は?」
確かに以前はよく試験前になると一緒に勉強してた。だけど、それは二人じゃなく殆どの場合が三人で、だった。玲司と夕子が付き合い始めてからは一度も無い。
だから今は試験の一週間前で部活がない筈のアイツの事を聞いたんだけど、その途端に夕子の表情が曇った。
「何か友達と遊ぶ約束してるから、って先に帰っちゃった」
「……余裕あんな、玲司の奴」
普段からコツコツ勉強するタイプでも無いのに。
「やっぱり元々持ってる奴は持ってるんだな」
部活も勉強も。中学時代に僕が玲司に勝てた事は殆ど無い。身長とか他の事も然りだ。
「……うーん、それはどうだろ?」
だけど、僕と同じく、いや今となっては僕よりも玲司の事を知ってる筈の夕子の反応は微妙だった。自分のカレシの事なのに。いや、ここは僕に気を遣ってるのか。
「とにかく、だから今日は久しぶりに二人で勉強どうかな?」
久しぶりに、か。確かに何年も昔にはそんな事もあったし、各自の部屋でとかはともかく、学校の図書室でくらいは良いのかもしらない。というか通常なら断る文句が思い浮かばないところだ。
だけど、生憎というかなんというか。今日も先約があった。
「ごめん夕子、僕もちょっとこの後予定があって」
途端、表情が曇った。
「ひょっとして、カノジョになったっていう昨日の人?」
「うん、途中で待ち合わせしてる」
待ってるから一緒に帰ろ、と澪が言い出したのは今朝の通学時の事だ。
「……そっか、カナ君もそんな感じなんだ」
どんな感じなのか。気にはなったけれど、これ以上、遅れてしまっては澪に悪い。
「そういう訳だから、ゴメン夕子。僕はもう行くね」
告げると、夕子は少し寂しげな笑みを浮かべながら、小さく手を振った。
「うん、それじゃあわたしは図書室に行くね。引き止めちゃってごめんなさい」
その姿が、妙に頭に焼き付いた。
澪との待ち合わせ場所である乗り換え駅の構内。
何だかいつもより人が多い気がする。首を傾げながらも、その場所へと辿り着くと、澪の他にもう一人立っていた。
「こら、遅いぞ染谷」
真っ先に文句を言ってきた安条を無視して、澪に話しかける。
「遅くなってごめん」
「ううん、元々奏多君の方が遠いから待つのはわかってた事だし」
「それはそうなんだけど……」
夕子に呼び止められた分、乗る予定だった時間の電車に間に合わなかったので、申し訳なさが自分の中で倍増していた。
「とにかく悪かった」
再度謝ると、別の方角から言葉が飛んできた。
「こら、わたしにも謝れっ」
「……澪、何で安条がここに?」
「あ、香澄はここまで一緒に来て、奏多君が来るまであたしが暇だろうからって付き合ってくれてたんだよ」
「そういうこと」
と何故か胸を張る安条。確かにその点については感謝するけれど、そんな自慢気な表情を見せる事でも無いと思うんだが。
ま、いいや。礼は言っておこう。そして大人しく先に帰って貰おう。
「それは済まなかった、ありがとう」
「うんうん、わかれば宜しい」
「じゃあ、そういう事でまたな」
「扱い雑っ??」
「あはは」
澪が笑う。何か楽しそうだな。それなら。
「今日は三人で帰ろうか」
と二人に提案してみた。同じ路線なのにここから安条だけ一人でというのも何だし。
「うん。奏多君がそう言ってくれるなら……ね、香澄?」
澪も僕に同意。だけど安条はあまり乗り気でない様子だった。
「うーん、そういうつもりじゃなかったんだけどなあ」
「でも電車動き出すまで一人で時間潰すの退屈じゃない?」
「それはそうだけど……」
ん? ちょっと待て。
「あの、電車が動き出すまでってどういう事?」
会話に割って入って尋ねると。二人は互いに顔を見合わせ、それから揃って僕の方を向いた。
「奏多君、ひょっとしてまだ知らない?」
「わたしたちが乗って帰る沿線の電車、いま停まってるんだけど」
――え?
「マジ?」
「うん、何かの故障らしいよ」
「まだ運転再開の時間わからないってさ。じゃなければ、染谷の姿が見えた時点であたしだって姿を消してるわ」
まあ安条の性格考えたらそうだよな。しかし、困った。復旧の時間がわからないって事は多分まだだいぶかかるって事だよな。
「一回、駅の外に出よう」
どこか他の場所で時間を潰しながら、電車の運行状況を見ていれば良いんだ。このまま人の多い駅構内で待っているのは少し辛い。
そう提案すると、二人とも頷いた。
駅前のファーストフードで澪と安条と一緒に駄弁りながら時間を潰し、電車の運行再開の報を待って駅前まで戻ってきた。地域最大の繁華街に位置するこの駅の手前の広場には相変わらず多くの人がたむろっている。僕自身はあまりここに長時間居座り続けるのは好きでは無いけれど、高校生くらいの集団も普段からよく見られる。今、パッと目にしただけでも男数人グループ、女数人グループ、男女混合グループなどが視界に入って……て、ん?
「? どうかしたの」
突然、立ち止まった僕に澪が声をかけてきた。だけど僕は視線を彼女に向ける事も、返事をすることも出来なかった。目にしたものに対する意識が彼女への反応を上回っていた。
数メートル先のベンチ付近で会話をしている高校生男女のペア。一見すると仲のいいカップルに見える二人組。その男の方が知っている顔だった
いや、知っているなんてもんじゃない。
笠原玲司。僕の親友で夕子のカレシ。
――何か友達と遊ぶ約束してるんだって。
夕子の言葉が思い出される。
「何やってんだアイツ」
「奏多君?」
戸惑った様な澪の声。どうやら僕は無意識の内に進行方向を変えていたらしい。
「ごめん、ちょっと待ってて」
顔を向けずにそれだけ言って、玲司に近づこうとする。だけどそこへ安条が回り込んできて立ち塞がった。
「駄目だよ、染谷」
表情と声音から彼女も気づいたらしい。それでいて、僕の行動を察知したようだ。
「染谷の思っている通りなのかもしれない。だけど違うかもしれないじゃない」
「違うって、どういう――」
「他にも何人か待ち合わせしていて、まだ来てない可能性だってあるでしょ」
確かにその可能性もある。それなら単なる男女混合の友達グループだ。だけど、それでも夕子はきっと嫌がる。
「安条の言う通りかもしれない。だから、それを確かめにいってくる」
「別に今すぐ確認しなくても良いじゃん。後で聞いたら」
安条がもっともなことを言う。確かに今すぐに本当はどっちなのかを知りたいのは僕の自己満足かもしれない。
だけど。
「良いじゃん別に、行って来なよ」
意外なところから後押しが入った。様子を伺っていた澪だった。
「澪?」
安条が驚きの声を挙げた。澪は構わず僕に向かって続ける。
「あの男子、奏多君の幼馴染みのカレシでしょ? 浮気してんのかどうか気になるんだったら確かめてきなよ」
「ちょっと澪、あんたそれで良いの?」
「良いも何も奏多君が気になるんだったら仕方ないじゃん。あたしとしては彼が悶々としたまま一緒に帰る方が嫌」
「でも……」
安条が言い淀む。どうしよう、これ……というか僕が決断しないと駄目だよな。
仕方ない、ここは――。
「奏多?」
言いかけたところで玲司の僕を呼ぶ声が聞こえた。ガチャガチャやってる間にどうやら向こうも気がついたらしい。
「玲司……」
顔を再び玲司の方へ向ける。すると玲司はニカッと笑みを浮かべて近づいてきた。その表情に鎮まりかけていた感情がまた息を吹き返してくる。
「女子を二人も引き連れて、テスト前だってのに余裕だな」
「……帰る途中で電車が停まったんだよ」
「何だ、奏多達もか」
「『も』って何だよ。玲司は『友達』と遊びに行くんじゃなかったのか?」
わざと『友達』の部分を強調して言うと、玲司はキョトンとした表情を一瞬だけ見せてから、
「ああ、夕子から聞いたのか」
と一人で納得がいった様子を見せた。
カッときて、グッと拳に力が入る。いくら先約とはいえ夕子の誘いを袖にして、他の女子と二人きりで遊ぶとかないだろ――そう口から出かかった瞬間、悪ガキが笑みを浮かべたみたいな顔で玲司が先に口を開いた。
「まあな。だけど嘘はついてないぞ。電車の事故で足止め食ってるってところは奏多と一緒だって言ったんだよ」
「……どういうことだ?」
「あと四人、ここで待ち合わせしてんだけど電車が遅れてて来てないんだわ」
「……え?」
「だから総勢六人で集まる予定なんだよ。お前が考えてる様な事は何もない。皆、アイツと一緒でお前も知ってる奴ばかりだ」
玲司が名前を挙げていく。確かに僕にも心当たりのある名前ばかり。男子四名、女子二人。玲司が中学時代に仲の良かった奴等だ。
「俺とアイツだけ先に着いてたんだよ」
と背後に置いてきた女の子を指す。釣られてその子の方へと目を移す。そういえば立ち位置の関係と玲司の方にばかり気がいって、よく見てなかったけど彼女も知っている顔だった。
「菅木さん?」
「そ」
と軽く玲司は肯定したあとで。
「誤解は解けたか?」
勝ち誇ったように聞いてきた。どうやら僕は大きく勘違いをしていたらしい。カァッ。急に恥ずかしくなってきた。
男女混合でしかも男子比率多めの友達グループでの集まりだとしたら特に問題はない。夕子はそれでも顔をしかめるかもしれない(皆、中学時代に夕子が嫌ってた面々だ)けど、そこまでは僕が口を挟めることじゃない。
「――すまん」
項垂れつつ早とちりした事を謝る。
「別に構わねえよ」
と玲司。言葉通り、特に気にした様子は見受けられない。というよりか、彼の意識は別のところに向いていたようだった。
「――んで、そっちが噂のカノジョか?」
斜め後ろにいた澪の方に視線を向け、聞いてくる。
澪は「ども」と軽く頭を下げた後、半歩後ずさった。あまり関わる気はないらしい。まあ玲司は安条を嫌ってるからな。今だって二人とも至近距離に居るのに見向きもしない。だからか安条の方も黙って様子を伺うだけになってる。
――と、それはともかく。
「そうだよ」
玲司の問いに短い言葉で肯定の意を返した。落ち着いた分、反対に照れが混じる。友達にカノジョを紹介するのって、割とハードルの高いイベントなんだな。
そんな僕の内心も知らず――いや察してるなコイツは――玲司は僕にだけ聞こえるように小声で冷やかしみたいな事を言ってきた。
「おい、めちゃくちゃ可愛いじゃんか」
「――それはどうも」
「奏多のタイプって訳じゃなさそうだが、なるほど。この子なら全然アリだな。夕子には可哀想だけど、お前が乗り換えたのも納得がいったわ」
「あのな。おまえ、それはどういう……」
「いや、本当に良かった良かった。安条の紹介だって聞いてたから、やっぱり遊ばれてんじゃないのかって、心配してたんだけどさ。ガチなヤツで良かったよ、本当。あいつも良いとこあんじゃん」
「……まあ、うん」
腹の立つ点が幾つか含まれていて、再び頭が熱くなってはいたけど、澪の事は褒めてくれてるみたいだし、僕の事を心配してくれていたのも事実。安条についても言葉は悪いが見直したみたいな事を言ってるので、ここは気持ちを抑える。澪にも安条にも聞こえてないみたいだし。ワザワザ二人を嫌な気分にさせる必要はない。もう充分なっているかもしれないだけど。
「「……」」
それに澪も安条も無言で他所を向いてる。早くここを立ち去りたいのだろう。それなら玲司にあれこれ言うのは後日にして、今はコイツと別れることにしよう。
――そう判断した矢先。
「ねえ、ひょっとして染谷?」
なかなか戻ってこない玲司に焦れたのか、近づいてきて菅木さんが、口を挟んできた。
「そうだけど……」
意味を測り兼ねながら答える。菅生さん、同じクラスだった事もあったけど、僕のことは余り覚えてないのかな。
だけど、次の彼女の反応は違った。
「うそっ、めっちゃ変わったじゃん!」
何だ。記憶にないどころか、興味津々といった感じでジロジロ見てくるぞ。
「だろ?」
玲司もなんだ。そのちょっと得意気な口調は。
「うん、中学ん時と全然違うっ」
「そ、そうかな……?」
何故か鼻息の荒くなった菅木さんに、気圧されがちになりながら聞き返す。
「うんっ。だって背めっちゃ伸びてるじゃん」
「まあ……うん。ちょっとは伸びたかな」
「ちょっとじゃねえだろ」
と玲司が口を挟む。
「春先から十センチ以上は伸びたんじゃねえのか」
「でもまだ玲司より低いよ」
「百八十ある俺を基準にするな。今のお前、ウチのバスケ部の一年の中でも、平均はあるぞ」
「そ、そうなのか……」
中学時代は身長が低いのがネックで殆ど試合にでれなかったからな。引退した時点で百六十無かったから高校ではもう無理だろうと諦めたんだけど。今も玲司と一緒にバスケ続けてたら少しは一緒にプレイできる可能性あったのかな。
「てか声も低くなってるし!」
強引に話を戻すように菅木さんが言った。好意的な意味で言われたのはわかる。
「うん、ちょうど高校入学くらいから変わり始めたみたいで」
最初は風邪かと思った。何か関節も痛むし。それが変声期と成長痛だと気付いたのは夏前くらいの事だった。
「髪方も変えたんだ?」
「あ、うん。今年の夏に何だか鬱陶しくなっ気分転換も兼ねて短くしたんだ」
「良いじゃん良いじゃん」
菅木さんの反応が記憶にある彼女とまるで違う。
「――ま、そういう事だ」
玲司は何故か満足気。
「おまけにこいつ、ウチの学校でも成績トップクラスなんだぜ」
へえ、と菅木さんの目が一段と輝いた気がした。何故。
「成績は玲司の方が良いだろ」
「ま、今までのところはな」
「何だよそれ」
「――ねえねえ、そんな事よりさ」
また口を挟む菅木さん。今度はグッと体を寄せてきた。同時に背後から圧を感じる。無視を決め込んでた筈の澪と安条だ。ええ……。
「うちら、これから遊びに行くんだけど染谷も一緒に来ない?」
「え?」
「ミッコ達も絶対会ったらビックリすると思うからさ」
ミッコて確か松谷さんの事だったよなぁ。僕話した事無い気がするんだけど……というか、そんな事を思い出してる場合じゃなかった。
「「……っ」」
後ろを振り向いてもないのに、何だか今の澪と安条の表情がわかる気がする。これ、後で散々責められる奴だ。突然の出来事にすっかり狼狽していたけど、これは今からでも挽回しないと。
「悪いけど僕、今は彼女達と一緒だから」
「彼女達?」
目に入って無かったのか菅木さん。
「うわ、レベル高っ」
澪と安条に今はじめて目をやったのか、菅木さんが思わずといった感じで声を上げた。というか、ひょっとしてこの人、そのうちの一人が安条だって事に気がついてない? まあコイツ随分変わったからなあ。
「ちなみに奏多は右側の子と今付き合ってる」
こら玲司。なんで誇らし気に余計な事を言う……て、余計な事ではないのか? 何が何だかもうわからん。
「うわ、そうなんだー。まさに高校デビュー?」
「いやいや、そんな事ないから」
「いや有るだろ」
何か訳の分からん誤解をされたままになりそうだったので、慌てて否定するけど、また玲司が余計な茶々を入れる。何なんだ一体。
「んんっ!」
背後から安条のわざとらしい咳払いが聞こえた。見ると無言で「良い加減にしろ」と言われてる気がした。澪は今のところノーリアクションだけど、今の状況を好ましく思ってないのは間違いない。そこで漸くまともな思考が戻ってきた。
うん。一刻も早くこの場から立ち去ろう。
半歩後退り、菅木さんから距離をとる。
「えーと……それじゃ、僕達はそろそろ――」
エェッと菅木さん。
ほんとテンション高いなこの人。こんな感じだったっけ?
「じゃあさ、連絡先教えてよ」
「え?」
「今度また皆で遊びに行こ?」
えー。皆って誰? 遊びに行こって、元々そんな親しくなかっただろ僕と君は。かと言ってサクッと拒絶するのは角が立つし。ここはとりあえ玲司にアシストを要望しよう。
ということで玲司の方へと「何とかしてくれ」と目で訴えようと顔を向けた。すると、いつの間にか彼はここに居る誰とも違う方向へ顔を向けていた。
表情も固くなってる、というか固まってしまっているという感じだった。
「玲司?」
声を掛けても反応がない。彼の見ている視線の先を追う。
――そこに、夕子が立っていた。
信じられないものを見た、といった様子で目を見開いてこっちを見ていた。
「夕子……何で」
図書室に行った筈じゃ。無意識の内に声を出していた。それで、全員が彼女の存在に気付く。
「あ……」
「え、小牧さん?」
「? 小牧……?」
一気に視線を向けられた夕子が,半歩後ずさる。
独り言の様に、呟く。
「あの、わたし……やっぱり一人で図書室で勉強しても仕方ないなと思って。そしたら電車も止まってて……そっか、皆一緒だっんだ」
そこまで聞いて漸く気がついた。玲司と僕はそれぞれ先約があるからと夕子の誘いを断った。それなのに今は偶然とはいえ一緒にいる。しかも他に夕子と顔見知りで仲が良いとは言えない女の子が三人。
つまり、誤解されたのではないか。
「夕子……あの」
説明しようと、声を掛ける。だけど、それに反応して彼女はまた半歩後ずさった。
「わ、わたし……ごめんなさいっ」
聞く耳持たず、夕子が身を翻して街の方へと駆けていく。
「夕子っ!」
ほぼ無意識の内に追いかけようと身体が動いた。その僕の腕を誰かがら掴んだ。安条だった。口にこそ出さないが首を微かに横に振り「ダメ」と意思表示している。それで漸く思考が追いついてきた。
そうだ、ここで追いかけるのは僕じゃない。
「玲司」
彼の方を向く。まだ現状把握しきれていないらしく呆然と見送っていた。
「何してんだよ、追いかけろよっ」
自分のチグハグな感情への苛立ちもあって、語気強めに叱咤する。そこで玲司も漸くハッと気がついた様だった。
――だけど彼は動き出す事無く。
「俺が行っても更に揉めるだけだ」
と顔を背けた。
「おまえ……っ!」
「奏多だって分かってんだろ。俺たち上手くいってねえんだよ」
「だからって……っ」
理解不能な不貞腐れた感じにカッとなり、詰め寄ろうとする。
その僕を。
「奏多君」
今度は澪が止めた。
「澪?」
「君が追いかけなよ」
「なっ」
「ちょっと澪??」
「いいから、香澄は黙ってて」
割って入ろうとした安条を留め、真顔で澪が促す。
「よくわかんないけど、あんな感じでこの街を走ったら危ないよ。だから奏多君、追いかけてあげて?」
落ち着いた声で、優しい響きで。
「だけど澪……」
「あたしは大丈夫。香澄と帰るから」
「でも……っ」
良いのか。確かに夕子の事は心配だけと、カノジョの目の前で幼馴染みとはいえ他の女の子の後を追いかけても。
「いいから行って。行き先とか目星つくんでしょ? あたしへのフォローは後で電話くれたら良いから」
優し気に僅かに笑みを零して。
澪のそんな言動が、僕の心の衝動に免罪符を与えた。
「ごめん澪っ!」
堪えきれなくなって走り出す。夕子の後を追いかける。
――くそっ。
何で、何でこうなるんだよっ。




