第四話
――良かったら、今日の放課後も会わない?
澪からそんなメッセージが届いたのは、玲司と別れて自分の教室に戻ってすぐの事だった。何となく気分がモヤッとなっていた僕は、彼女の誘いに救われた感じがして、昼休み終了の予鈴がなった後にも関わらず承諾の旨を返信。お陰で午後以降の授業も比較的集中できた気がする。
終礼が終わり、解散となると僕は手早く帰り支度を整えて教室を出た。そこで。
「あ、カナ君」
「……夕子」
僕を待っていたのだと思われる、幼馴染みの女の子と出くわした。
それまで良い調子だった感情のリズムが、急に乱れる。しっかりしろ、僕。
「どうしたの?」
とりあえず、尋ねる。
「えっと、良かったら一緒に帰らないかなと思って」
「……玲司は?」
「今日は部活あるんだって」
そういえば市川もそんな事言ってたな。彼等は同じ部活だ。だけど僕が確かめたかったのは、そうじゃなくて。
「あれから、アイツと話した?」
「……うん。今朝だって一緒に学校に来たし」
目を僕から逸らす。嘘はついていないけど、僕の質問の意図するところに答えてはくれていない。彼女と玲司の間にあった何かは多分、まだ解決していないのだろう。
「ごめん。悪いけど一緒に帰れない」
全く迷いが生じなかったと言えば嘘になるけど、正直にそう告げた。いつもなら夕子に付き合って彼女の相談に乗るところ。だけど、今の僕には彼女より優先するべき相手がいる。
「もしかして……カノジョさん?」
僕がどう考えてるか探るかのように、恐々とした感じで聞いてくる。
わけのわからない抵抗力を感じたけれど、ぐっと堪えて僕は何でもないことのように答えた。少しのろけ気味になる様に意識して。
「うん。昼休みに『会えないかな』って連絡があってさ。この後、待ち合わせをしてるんだ」
「……そう、なんだ」
俯いて肩を落とす夕子。思わず何か口走りたくなるが、何を言ったらいいのかわからない。だけど、その方が良いはず。
数秒して面を挙げる夕子。その顔には僕のよく知ってる作り笑い。どうして。
「じゃあ、しかたないね」
「……うん、ごめん」
「ううん、仕方ないよ。折角出来たカノジョだもん。大事にしないとね」
だからその表情は止めてって。声音も。全てが無理して作ってるってわかるから。
「本当にごめん。それじゃあ、僕行くね」
耐えきれなくなった。もう、いい。さっさと立ち去ろう。
――だけど。
「まって」
呼び止められてしまった。
「何」
「待ち合わせ場所って何処?」
聞いてどうするんだろう、と思いながらも、深く考える前に僕は返答を口にした。
昨日、合コンした繁華街のある場所だ。
今朝、澪と別れた電車の乗換駅でもある。
――答えると、夕子から想定外の提案が返ってきた。
「それなら、途中まで一緒に行かない?」
「え」
「ほら、どうせ帰り道の途中だし。今からバラバラに帰るのって逆に不自然じゃない?」
「そ……」
そうだね、と反射的に言いかけて思いとどまる。夕子がここまで食い下がるなんて珍しい。余程、悩んでいる何かがあるのかもしれない。そこに関しては力になってあげたい。幼馴染みとして。――友人として。
「ね、どうかな?」
だけど、それじゃ駄目なんだ。今までと変わらなくなる。
「そういうわけには、行かないよ」
「……どうして」
「カノジョと待ち合わせしているところへ、他の女の子と一緒には行けないよ」
言った。言えた。
「……」
夕子は驚いた様な表情を見せ、その後でゆっくりと呟くように小さく言葉を漏らした。
「そ、そうだよね。考えてみれば普通はそうだよね。……うん、カナ君だもんね。玲司君とは違うもんね」
「本当に悪い」
何度目になるかわからない謝りの言葉を繰り返す。
次の瞬間、夕子はまた無理矢理な笑顔を作った。
「ううん、わたしの方こそゴメンナサイ。それじゃ先帰るね。ばいばいカナ君」
走って立ち去る夕子。肩に罪悪感が重くのしかかり、僕は動けずに居た。
間違って……ないよな、僕。
――その問いに対する返答みたいなタイミングで、誰かが後ろから肩をポンと叩いた。市川だった。
「染谷、おまえさあ学校の廊下で他人のカノジョと何修羅場ってんの」
「あ」
「『あ』じゃねえよ、全く。流石に今はもう誰も居ないけどさ、噂にはなると思うぞ」
「……なるかな」
「なる。なんたって相手は笠原のカノジョだ」
そうだな、玲司のカノジョだもんな夕子は。しまった。やっぱり、しくじったのか僕は。
「ま、笠原には適当にフォローしといてやる。他の奴らは……放っとけば、すぐに忘れるだろうから無視しとけ」
「……悪い、市川」
謝り、同時に礼を述べると、彼は「また一つ貸しな」と行って部活へと向かっていった。
どうにも胸がモヤモヤする。
玲司も、夕子も。
――これで、やっとアイツの本心がわかるかもしれないしな。
――カナ君だもんね。玲司君とは違うもんね。
二人とも何であんな、さも意味ありげに、独り言みたいな呟きを、僕に聞こえる様に言ったんだろうか。
「ねえ奏多、どうしたの?」
お陰で澪と合流した後も、どこか気が逸れてしまっていて、ついには彼女に余計な心配をかけてしまう始末。……いや、他人のせいにしてはいけないか。
一時間ほどの後、僕は乗り換え駅構内で待っていた澪と合流し、近くのファーストフード店に来ていた。
二人がけの席に対面して座り十数分。
彼女が、どうも気分が上がってこない僕の様子に業を煮やしたのか、訊ねてきた。
「実は今日、他の予定があったんじゃない?」
やっちゃった、みたいな表情になる澪。
「いや、無いよ」
ダメだダメだ。
頭の中にある靄を慌てて打ち消す。今はこの場に、彼女に集中しなきゃ失礼だ。
「じゃあ、どうしてそんなに上の空なの?」
「そう見えたのならゴメン。謝るよ」
「別にそんな必要はないけど。いきなり誘ったのはこっちだし。だけど、何だか昨日の夕方と同じ感じがしたから気になって」
「……あ-、うん」
鋭い。当たらずとも遠からずと言った感じだ。
「やっぱり何かあった?」
「ううん、本当に何にもないよ。澪からの誘いが無ければ、そのまま真っ直ぐ家に帰ってただけだよ」
嘘は言ってない。うん、誘われたけど断ったし。だけど、もし澪からの連絡が無かったら、僕はどうしてたのだろう。
「じーっ」
再び堂々巡りの思考に入りかけたところで、不審な目で僕を見る彼女に気がついて、慌てて意識を戻す。
「……ごめん、予定とかは本当に無かったんだけど、実はちょっと気になってる事があって」
僕らみたいな、言い方は悪いけどインスタントな関係で、疑惑をそのままに流しちゃいけない。考え直して素直に白状する。
「それって、あたしの事で?」
「いや、違う」
「じゃあ……例の幼馴染みの彼女のこと?」
「それは……半分当たりで半分正解」
「どういうこと?」
「幼馴染みと友達のカップル二人のこと」
様子見したりせずに直球で聞いてくる彼女には正面から向き合わなきゃ。じゃないと、きっと長続きしない。僕は澪と付き合っていきたい。本当にそう思っている。だから喋る。
「今日はちょっと学校でその二人と別々に喋る機会があって。……それで、まあ詳細までは流石に話せないけれど――」
「あー、うんわかった」
「澪?」
「そこまででいいよ、ありがと。あたしは別に他所のカップルの事情とかに興味はないし。奏多君がどこか上の空だった理由がわかれば、それでいいよ」
「――ごめん」
「だから、謝らなくていいって。あたしの方こそ、気が進まないところを聞き出したりしちゃって、ごめんね?」
「そんなことないよ。悪いのは僕の方だし、今みたいに気になったらすぐに聞いてくれた方が僕にとっても助かる」
「そう?」
「うん」
「わかった、ありがと」
それでも最終的に礼を言って、蓋付き紙コップに刺さったストローに口をつける澪。中身はやはりオレンジジュース、とかそんな事はどうでも良くて。
澪って良い子だよな本当に。そう思いながら自分を戒める。こんな子が僕の彼女になってくれたんだ。不快な思いをさせないように気をつけなきゃ。遊ばれてるんじゃ無いかと危惧していた玲司に今の彼女をみせてやりたい。
「んー、だけどこれは香澄の言うとおりにするのが正解なのかも」
数秒おいて、ストローの端から離れた澪の口から、そんな言葉が飛び出した。安条の言うとおりって……何だか不安なワードだ。
「安条が何か言ってたの?」
「知りたい?」
「……知りたくないけど、聞きたい」
「じゃあ、ちょっと手を出して」
「? これでいい?」
手のひらを見えるようにして差し出す。すると澪の両手で挟み込まれた。
「な、何いきなり?」
「『鉄は熱いうちに打て』だって」
「え?」
「だから香澄のアドバイス。奏多君がこっちに揺れている内に積極的に攻めて落としちゃえってこと」
流石、安条。的確というか何というか。しかしあいつにとって恋愛はバトルか何か物騒なものなのか?
いや、今はそれより。
「で、なんで、これなの?」
澪の両手に包み込まれたままの手をチラリと見る。
「んーとね、女の子の肌の感触でアピール、みたいな?」
「何だよそれ」
「効果ない?」
あるよ。ありまくりだよ。柔らかくてほんのり暖かい。手の両側から伝わるソレのお陰で身体中が火照る。汗が出る。手が滲む。手を繋ぐだけなら昨日もしたけれど、こう座ったまま面と向かってされるとヤバい。
「思ったよりも効いてるみたいだね」
ぐっ。握力を強めやがった。ヤバい。このままだと本当にマズい。何かわからないけど色々とマズい。
「も、もう、そろそろいいだろ……」
「おや、もう降参かな?」
「うん、参った参った。っていうか、ほら周りに見られてるし」
目をやる余裕はないけれど、視線は感じるし、ささやき声みたいなのも聞こえるし。
「そんなの気にしなければいいじゃん」
「……それ以前に、僕がもう保たない」
何が、と聞き返されると困るところだったけれど、澪はそこで漸く僕の手を解放してくれた。自由になった手を急いで引っ込める。うぅ、まだ感触が残ってるや。
「照れてる、かわいー」
にやっとしてる澪。何だ彼女は? ひょっとして、こういうことに慣れてるのか? 実は玲司の言ってた事はあながち間違いというわけではないのか?
「……これも安条からのアドバイス?」
「さあ?」
笑ったまま首を横に少し傾ける。やっぱり僕をからかって楽しんでるのか……と疑いかけたところで、漸く気づいた。
「澪、ひょっとして君も相当恥ずかしかったりする?」
「えっ? そ、そんなことないよ?」
「でも君の耳、真っ赤だよ」
「っ!?」
咄嗟に両耳を隠す。だけど指摘されて余計に意識してしまったのか、今度は頬まで赤くなってきた。見るからに慌ててるし、これはやっぱり安条からの入れ知恵か。
「~~っ」
取り乱した澪を見て、僕は逆に少し落ち着きを取り戻してきた。よし、とちょっとした仕返しを思いつく。
「ねえ澪、こういうの何て言うか知ってる?」
「……何?」
「自爆、またはブーメラン。可愛いよ、今の君」
「~~っ!?」
頬や耳だけでなく顔中真っ赤になって俯く澪。
ははっ、やった――て、おや?
溜飲を下げて、そこで周囲の様子に気づく。
「何アレ……」
「バカップル?」
「しっ。あんまり見ない方が良いよ」
何とフロアにいた客ほぼ全員の注目を浴びていた。
「初々しい通り越して、見てる方がハズいわ」
「ていうか何かむかつくし、撮っとく?」
それは勘弁してくれ。というか、さっさとここから立ち去りたい。
「そ、そろそろ出よっか」
澪の答えを待たずに立ち上がる。一歩遅れて気がついたらしい
彼女も同じ思いだろうし。
「あ、ちょっと待って」
だけど予想外に「待った」の声がかかった。
「まだジュース、ちょっと残ってるから。飲み終わるまで待って」
「……了解」
そんなに好きなのか、オレンジジュース。
ああ恥ずかしかった。
店の外へ出て、一息つく。
陽が傾いてきて、建物の影が長く伸び出していた。そろそろ帰らないと電車が混雑してくるな、と時間を確認しようしたところで。
「ねえ、もう少し時間ある?」
どうやら澪はまだこの辺りで遊びたいらしい。
「でも、これ以上遅くなると電車混むよ?」
「ピーク時過ぎてから帰ればいいじゃん」
でも、それだと時間が……ま、いいか。
「おーけー」
「やったぁ。それじゃどこ行く?」
「適当にその辺りブラブラするくらい?」
「そうだね。それじゃ、昨日行ったモールでもまた回ろっか」
今日はちょっと風が冷ためだし、その方が良いだろう。
「じゃあ、そうしよう」
「うんっ」
澪は威勢良く返事すると、僕の隣に立った。そして当然のことのように手を繋いでくる――今日は指と指を絡めた恋人つなぎだった。
「……」
正直言って、まだ恥ずかしい。いや、昨日より少し落ち着く余裕が出来た分だけ、そっちの方は増長している気がする。
だけど拒む訳にはいかないし、今日はそうするつもりもなかった。どうしてか。
「さあ、行こっ」
笑顔に元気な声。
手の感触とふわっと香る甘い匂いで、頭の中に花が咲く。
ああ、とそこで漸く気づいた。
彼女が隣にいると、澱んだ暗い気持ちが消えるんだ。
理由なんてどうでもいい。
ただ、その事が嬉しい。
ビルの隙間から差し込んだ陽の光が、対面している建物の窓ガラスに反射して、眩しく煌めいて見えた。
特別な出来事でも、それが毎日続くと日常になる。
それは別に悪い意味ではなく、自分の生活に馴染むという事なのだと思う。
まだ、緊張はするけれど。
決して、落ち着いた訳でもないけれど。
澪と毎朝待ち合わせするようになって数日が経つと、それもまた自分の新しい日常の一部の様なな感じがしてきていた。
月が変わり、十二月。
日によってバラツキはあるけれど、吐く息が白く見える朝もあり、そんな冬の空の下で待ち合わせる彼女は制服の上からコートを身に纏っていた。
「あたし、結構冷え性だから」
何でも、もっと寒くなると更にマフラーと手袋が追加されるらしい。
「まあ、制服女子の好きな奏多君には残念かもしれないけど」
「……だから違うって。勝手に変な属性をつけないでくれ」
からかう様な……というか、からかい目的だなこれ。僕の反応に満足げに笑っている。
「でも学校指定のだから可愛くないでしょ、このコート」
紺色のクラシックな感じのスクールコート。どうやら澪は不満らしい。
「そんな事無いよ……その、よく似合ってるよ」
「それ、嬉しくない」
照れ臭いのを我慢して感想を述べたのに、反応はイマイチだった。何だか悔しかったので、もう一段階やせ我慢してみることにした。
「僕的はその……澪に似合ってて可愛いと思うんだけどな」
「っ!?」
ボッと一気に顔の赤くなる澪。恐らくは僕の顔も同じ事になってるだろう。全く朝から何をやってるんだか。
誤魔化すように澪がそっぽを向きながら呟く。
「……ふーん。奏多君って結構、清楚系お嬢が好きなんだ」
まあ否定はしない。どっちかというなら、そっちの方が好みだ。そして澪はこれまでの着崩した感じの制服姿より、ちゃんと着込んだコート姿の方が似合ってると思う。
こうしてみると、やっぱりお嬢様タイプなんだよな。
実は澪や安条の通っている高校は、そこそこ裕福な家庭の女の子が通う、いわゆる『西洋系のお嬢様学校』だったりする。安条とその周辺が異質なだけで、通う生徒達も基本的には外見も中身も真面目な子が多いらしい。だから「つまらない」と安条は以前から愚痴をこぼしていた。けれど勉強がそこそこ出来ていれば文句を言われず、上の女子大にもエスカレート式に高確率で進学できるというのだから、受験ほぼ必須の進学校に通う僕からすれば羨ましい。
「私服のコーディネートもちょっと考えてみるかな……」
なんて可愛いことを言い出したもんだから、つい。
「いや、あれはあれで可愛いと思うよ」
とか更に自爆する様な発言が口から飛び出してしまうのだった。
「っ! ……いいから行くよ、もう」
耐えきれなくなったのか、澪が歩き出す。慌てて僕は後を追う。
秋の頃より、また一段と薄くなった青空の下。
こうして新しい日常が始まっていく。
少しずつ普段の日常に変わっていく。
何だか楽しいな、こういうの。
そしてまた数日が過ぎ。
澪とつきあい始めて一週間が過ぎ。
駅で待ち合わせをして登校するようになってからも一週間が経った。
――そう、一週間も経ったんだ。
その間に七日もあったんだ。
なのに、それなのに。
僕は何故、この状況を想定して対策していなかったのだろうか。
「……」
久方ぶりに曇り空となった月曜日の朝。すっかり『いつもの待ち合わせ場所』になった駅前。
そこに今日は二人の美少女が立っていた。
杉岡澪と小牧夕子。
つきあい始めたばかりのカノジョと、ずっと片思いしていた幼馴染み。
二人が同じ場所で待っている――そんな事態が確実に起こるという現実を、どうして僕は考えようとしなかったのだろう。




