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第三話

 どうやら、ゆっくりしている間に他の電車が到着していたらしい。一時は人が少なくなっていた改札口付近は、再び混雑してきていて、その手前辺りに夕子の姿があった。

「こんばんわ、カナ君」

 彼女が近寄ってきた。一人だった。デート相手の玲司の姿は見えない。最寄り駅が同じな二人は、ここではまだ一緒に居ないとおかしい。その事について触れるべきか。

「やあ、夕子」

 少し躊躇う。夕子と玲司の間にまた何かあったとしても、今はまだ聞きたくなかった。できれば明日以降にして欲しい。だから様子を見ることにした。

「昼間は気づかなくてゴメン」

「ううん、全然。それよりカナ君もおでかけしてたんだよね。今帰り?」

 見る限り、夕子の笑顔は無理矢理なものには見えないが。

「ああ、うん。そんなとこ」

「もしかして、同じ電車だったのかな?」

「あー……多分違うと思う。僕が着いてから、少し時間が経ってるから」

「そうなんだ。それなら良かった」

「どうして?」

「一緒の電車だったら、気づかなくて勿体なかったかなって」

「……」

 ほら。また、無自覚にそんなことを言う。だからまた苦しくなる。

「だけど、こんなとこで何してたの」

「それは……」

「ま、いっか。そのお陰でこうして会えたんだし。じゃあ、行こ?」

 当然の如く一緒に帰ろうとする夕子。幼馴染みが所以。まあ家が斜め向かいなんだから故意に避けない限りは自然とそうなるんだけど。というか、僕は何で今のタイミングを逃してしまったのか。澪の事を自然と話せるチャンスだったのに。心の準備が必要なのか。

「悪い。今日は自転車で来てるんだ」

「駐輪場? それくらい付き合うよ」

「……」

「大丈夫、後ろに乗っけてとか無理言わないから」

 くすっと冗談めかして笑う。

「……じゃあ、悪いけど」

「うん」

 彼女ができた件については後日に話すことにして、それとなく逃げようとしたけれども、これまた失敗に終わってしまった。夕子と一緒に歩き出すことになる。つい先程まで一緒だった澪に対しての罪悪感が生まれる。

 駄目だ。先延ばしにしたらいけない。

 一歩進んだのなら、すぐに次の一歩も行かないと。

 この帰り道で、カノジョができたってことをちゃんと言おう。きっと夕子は最初は驚き、そして喜んで祝ってくれるだろう。

 そうやって、ちゃんと傷ついて想いを断ち切っていこう。

 ――そんな僕の決心も虚しく。

 自転車を押しながら夜道を歩き出した後、夕子に先を越されてしまった。

「ひょっとして今日、何かあった?」

「……どうして」

「いつものカナ君なら『玲司はどうしたの?』って会った途端に聞いてくるんじゃないかなと思って」

「ああ……」

 これだから、付き合いが長いのは。すぐに違和感に気づくし。そして、それが良い方向に転がることは少ない。話の流れ的には澪の事を喋りだすのに丁度良いトスなのに、僕にはそれが出来なくなった。

 昼間のメッセージに加えて、今の夕子。

 これは玲司との間に只事でない何かがあったに違いない。

 そう、確信できてしまったから。

「確かに。だけど、それは後でいいよ。それより夕子の話を聞かせて」

「でも……」

「気にしなくていいから」

 こういう話題の運びしかできなくなる。夕子も、そして玲司も。二人とも大切な存在だから今の状況では先にそっちを聞くしか無い。

「また玲司と揉めた?」

 尚も言い淀む夕子に訊ね、彼女の口が開くのを待つ。

 やがて。

「わたし、玲司君とこのまま付き合っていくのは無理かもしれない」

 僕の問いに対して、夕子はイエスでもノーでもなく、そう返事してきた。

「っ!?」

 言葉に詰まる。その答えは想像だにしていなかった。待て。落ち着け僕。いつも通りに平静な振りをしろ。

 口調が平坦になるよう必死に努め、聞き返す。

「どうして、そう思ったの?」

「何かね、ちょっと疲れちゃったの」

「玲司がまた何かやった?」

 ふるふると首が横に振られた。違うらしい。

「カナ君が考えているような事は、今日は何も」

「それなら、どうして」

「やっぱり、わたしと玲司君じゃ無理だったのかなって」

「だから何でそう思ったの?」

 どうやら本当に大事だったらしい。彼女達がつきあい始めて三ヶ月以上になるけど、こんな言葉を聞いたのは初めてだった。

「……」

 夕子は答えない。大揉めしたことはわかった。だけど、その理由を教えてくれない。なかなか口を割ってくれないのはいつもの事だけど、今のこれは違う。

 言いたいけど言いたくない、そんな感じだろうか。

 やむなく、理由はすっとばして彼女の意向を聞くことにする。

「夕子は……どうしたいの?」

「わからない」

「仲直り、したいんだよね?」

「それも……わからない」

 答え、俯く。そんな夕子の様子に心臓がギュッとわしづかみされたような痛みが走り、息苦しくなる。声を出すのもしんどい。

「夕子はさ――」

 だけど次に聞くべき質問はわかっていたので、何とかその言葉を口から出した。

「――玲司の事が、好き、なんだよね?」

「……それは」

 またも言い淀む。だけど『わからない』とは言わなかった。多分、それが答えだと思う。僕は思わず目を閉じた。一瞬だけ。何でそうしたのかは自分でもわからない。

 だけどその行動をとることで、恐らく僕は気持ちを切り替える準備が出来たんだと思う。

「玲司は、間違いなく夕子の事が好きだよ」

 返事はない。僕は視界に夕子を入れず、前方だけを見る。住宅街の中を通る暗い夜道。だけど幾らか目が慣れてきて、先程までよりは幾らか見通しが良くなっていた。

 そのままの姿勢で続ける。

「アイツはずっと夕子の事が好きだった。僕が知ってる」

「……」

「夕子もアイツがずっと好きだった。それも――僕は知ってた」

「……っ」

 夕子がこっちを見たのが気配で分かった。

「だからさ」

 だけど前だけを見て続ける。

「もう無理とか言わないで、もう少しだけ頑張ってみたらどうかな」

「カナ君……」

「じゃないと、両片思いだった期間の長さに比べてあまりにも釣り合わないと思う」

「それは……」

 何かを告げようとして、途中で言い淀む夕子。

 その先を言わせまいと、僕は今度は待たずに喋る。

「ごめん、ちょっとだけ話が逸れるんだけど」

 前置きしてから、重かった心の中の次の一歩を踏む。

「実は僕、今日、カノジョができたんだ」

「え?」

「本当にゴメン。今何言ってんだよって思うよな。でもさ……夕子?」

 途中で隣から気配が消えた事に気づいた。振り返ると、数歩後ろで夕子は立ち止まっていた。

 何だか茫然としているように見えた。

 駆け戻る。

「どうしたの、そんなに僕にカノジョができたことって意外だった?」

 問われて、夕子はハッと我に返った様だった。

「あ……違うの、そうじゃないの」

 バサバサと手振りを交えて否定してくる。何か微妙にへこんだけど、まあ良い。

「でも、そっか……カナ君にカノジョかぁ。そうだよね、できても不思議じゃないよね。何で思い当たらなかったんだろう……」

「夕子?」

 独り言の様に呟く彼女に声をかける。そこで漸く僕の顔を見た。

「おめでとう、カナ君」

「ありがとう」

 礼を言いながら、自分に叱咤する。馬鹿。何で祝福されて痛みを感じるんだ。

「相手はどんな子? 同じクラスの人とか?」

「違うよ。別の学校の子なんだ」

「あ、そんなんだ……どうやって知り合ったの?」

「それは……友達の紹介で」

 言いながら、しくじったと内心、舌打ちする。合コンというワードも安条の名前も今は出すべきじゃない。だから夕子が引き続き尋ねようとしてくるのを、慌てて遮った。

「その子とは、知り合ってからまだ時間もあまりたってなくて、良い子だとは思うけどまだよくわかってない部分も多くて、おまけに僕は女の子と付き合うの初めてだから、きっとこれから色々起こると思うし、大変だとわかってるつもり。きっと喧嘩もする事あるだろうし……」

 考えなしに喋り出したものだから、何を言ってるのか、どう収集つけて良いのかわからなくなってきた。ああ、もう。

「とにかく」

 かなり強引だとは思うけど結論に持っていくことにした。夕子がどんな表情してるのかは見えない。取り止めもなく喋り出した時から、僕はまた進行方向に視線を向けていた。

「それでも折角できたカノジョなんだ。色々難しくても頑張って付き合っていきたいと思ってる。だから……」

 なるべく笑顔で。夕子の顔に目を向ける。

「僕も頑張るから、夕子ももう少し頑張ってみなよ。玲司にも同じ事を話しとくからさ」

「……」

「いや本当に何言ってんだとは思うけど『僕も頑張るから君も頑張れ』とか、そういう問題じゃないだろとか思うけど、だけどほら同志がいたら……とか何言ってるだろうね僕は」

 ハハハと顔を逸らす。全く本当に何がしたかったんだろうか僕は。

「……」

 夕子の無言が辛い。いやもう恥ずかしい。自転車に乗って先に帰りたい。でもこんな人気の無い夜道じゃ、そういう訳にはいかないしなあ。

 ――と自業自得で困っていると。

「そうだね」

 と少し頷きながら、夕子は呟いてくれた。

「うん、確かにカナ君の言う通りだよ」

 少し無理めなのがわかってしまって痛いけれど、夕子は漸く少しだけ笑みを見せてくれた。

「わかった。私も頑張ってみる」

「夕子……」

「ねえ、カナ君」

「何?」

「私たち、今まで通りだよね?」

「それは――」

「幼馴染みだもんね? 変わったりしないよね?」

「……うん」

「また、話とか聞いてくれるよね?」

「……」

 駄目、とは流石に言えなかった。今までの経緯から見ても、僕たちの関係性から見ても。

「うん、礼司も夕子も友達だからね」

 そう答える以外、思いつかなかった。



 家に着き、少し時間が経つとドッと疲れが押し寄せてきた。そして同時に今日一日を振り返って、恥ずかしさやら照れやら様々な感情も湧き上がってきて、ベットの上でのたうちまわる。ひとしきり、それらの感情が落ち着いてきた後、仰向けに寝そべったまま、天井をぼやっと視界に映しながら、一体夕子と玲司の間に何があったのかが気になりかけて、自分の思考を停めた。そこは今考えても仕方ないし、考えるべき事でもない。

 僕にとって今、一番大切な事は――。

 後で連絡するね、と駅で別れ際に言っていた彼女の事を思う。

 こっちから連絡してみようか。した方がいいのか。それとも、やはり待ってるべきなのか。

 自問自答しながら、携帯電話の画面を見ていると、いきなり「杉岡澪」という名前が表示された。

「遅くなってゴメン。今良い?」

 とメッセージ。慌てて「遅くないし、大丈夫」と返すと電話がかかってきた。

「へへー。記念すべき初電話っ」

 多分照れ混じりなんだろう。笑ってるような声音に思わず、こっちの頬も緩むのを感じた。

 そうだよな、今はこの付き合い始めたばかりのカノジョの事を考えていればいいんだ。

「もしもし?」

 と反応を気にしてか澪からの呼びかけ。

「ごめん、聞こえてるよ」

「それなら、何かリアクションして欲しいな」

「それもごめん、照れてしまってつい」

「んー、なら、まあいっか。照れ臭いのはあたしも同じだし」

 えへっとはにかむ澪の顔が脳裏に浮かんだ。何だか身体が軽くなる。ふと部屋の窓が目に止まり、開けて外気を入れてみる。心地良い。

 空には月と星。地上には家々の光。

 それらを眺めつつ、彼女との会話を緊張しながらも楽しむ。

 普段は何となく意識してしまう、斜め向かいの二階の窓が、不思議と今は気にならなかった。




 初カノおめでと!

 朝、起きたら安条から祝福のメッセージが来ていた。あと、ついでに警告のお言葉も。

 ――だけど澪を泣かしたら許さないからねっ。

「……」

 信用ないなと愚痴りかけて、不安材料いっぱいな身の上を思い返して息をふっと軽く吐いた。

 まあ、安条のお陰でバッチリ目が覚めたから良しとしよう。

 今日は月曜で平日だ。つまり学校がある。朝を優雅に過ごす習性などない僕にゆっくりしてる時間はない。バタバタと慌ただしくルーティン化されたワークをこなして家を出て駅へ向かい、手前の広場に夕子の姿がない事を確認する。

 そこで漸く一息――したのも束の間だった。

「かーなーた君っ」

 ポンと肩を軽く叩かれた。驚いて振り返ると昨日できばかりのカノジョが立っていた。

「澪っ!?」

「えへへ」

「どうして……」

 この時間にここに居るんだ? 彼女や安条の通う学校までの通学時間を考えると三十分以上後の筈。

「サプラーイズっ」

 ぶいっ、と指でVを形作る澪。

「サプライズって……」

「どう、ビックリしたでしょ」

「そりゃ……ていうか、僕を驚かせるために早く来たの?」

「プラスで喜んでくれるかなって思って」

 どう? と様子を伺ってくる。

「……」

「あれ、もしかして迷惑だった?」

「違う違う、そうじゃなくて」

 慌てて否定。いや本当に迷惑だなんてとんでもない。むしろ感動モノだ。ちょっとタイミング的に心臓に悪かっただけで。

「本当にビックリしたから落ち着くのに少し時間がかかっただけ。……こんなの嬉しいに決まってる」

 うわ。口にするとハズいなこういうの。

「よかったー」

 ホッとしてくれた様で笑顔が戻る。そこで僕の心に罪悪感みたいなものが宿った。嘘はついていないのに何故? 誰に対して?

 ――いいや気のせいだ気のせい。もしくは思い違いだ。

 自分に生じた疑念を振り払いながら口を開く。

「だいぶ早起きしたんじゃない? 大丈夫?」

「あー……確かにちょっとだけ頑張ったかも」

「昨夜、電話した時に言ってくれたら、僕の方だってできるだけ時間を調整したのに」

「そうしたらサプライズにならないじゃん」

「重要なの、そこ」

「あと、奏多君が一人だとは限らないと思って」

 あ、夕子の事か。

「……それも安条から聞いたの?」

「まあ、ね」 

 ちょっと濁す。僕が安条に怒ってるように思ったみたいだ。

「いや別に怒ってないよ。そもそも僕がちゃんと説明しておかないといけない話だと思っていたし」

「そう?」

「うん」

 正直、不意打ちは勘弁して欲しいところだけど。心の準備をする時間くらいは貰いたい。

「それで……今日は『例の幼馴染みの人』とは一緒じゃないんだよね?」

「そうだけど、何そのいわくありげな言い方は」

「だって、あたしの恋敵だもん」

 さらっと言ってのけた。返す言葉もなければ、立場もない。

「香澄には『宣戦布告なんて損するだけだから止めとけ』って言われたんだけど、やっぱりこういうのは正々堂々といきたいと思って」

「……安条からどう聞かされてたのかは知らないけど、物騒な言い方は止めて」

「あはは」

 笑って軽く受け流される。まあ真に受けられた方が困るからいいんだけどさ。

「とりあえず、じゃあ一緒に行こうか?」

「うんっ」

 気を取り直して声をかけると、威勢の良い答えが返ってきた。一緒に並んで歩き始める。

 何だろ、妙に照れる。昨日あれだけ二人で居たのに。

「何か照れる」

 澪もか。

「僕も。どうしてだろう」

「制服姿で会うの初めてだからとか」

 初めてというか、知り合ってからまだ二日だし。改めて考えると、とんでもない話だな。全く。

 ま、それはともかく。

「……」

「どうしたの」

「いや、なんでもない」

 制服姿だと、外見の印象が随分と変わるな。ギャルっぽさが抜けて何だか……と、そこで澪がじっと僕の顔を見ている事に気づいた。

「な、何?」

「奏多君てさ……」

「うん」

「……もしかして、制服フェチ?」

「違うよっ」

 危ない。とんだ誤解をされるところだった。

「休みの日に会う時とかでも、ブレザーの方が良かったりとか?」

「だから違うって。僕にそんな性的嗜好はないから」

 多分。

「あはは、冗談だって。奏多君てホント面白いね」

「どこがだよ」

 呆れた風に言うと。また軽く笑った。――うん、さっきのは僕の気のせいだな。やっぱり澪は澪だ。昨日と一緒だ。

「ところで、奏多君」

「……今度は何」

「つい立ち止まっちゃったけど、電車の時間って大丈夫?」

「……」

 やばっ。急ごう。



 一緒に学校へ行くと言っても、僕の学校と澪の通う学校は全然違う場所にある。重なっているのは地元の駅から途中で電車を乗り換える駅までの間で、全体の通学路の約半分位だ。

「ねえ、明日からも今朝みたいに待ってて良いかな」

 と別れ際に澪。……もちろん、毎日一緒に通学するのは歓迎だ。だけど。

「それなら乗る電車を遅くしようか?」

 毎朝、澪に早起きしてもらうのは申し訳ない。

「ううん、今日と一緒の電車でいいよ」

「でも、それだと結構早起きする事にならない?」

「奏多君が遅刻ギリギリになるより良いんじゃない?」

 いや別にそこまで遅い電車にするとは……でも、そうか。その間の電車だと夕子や玲司と鉢合わせになるのか。

「それにほら、後の電車になるほど乗客増えるし」

 確かに。さっき聞いた話だと澪が安条と一緒に乗ってる時間帯の混雑具合は凄いらしい。いわゆる朝の通勤通学ラッシュのピーク。当然その時間に近づくほど人混みは増える。

「香澄達ともよく話してたんだけど、朝からめっちゃ疲れるの。マジ勘弁って感じで」

「そういえは、そんな話を安条から聞いた気もするな」

「ね、だから明日からもこの時間にしよ?」

 そういう風に説得されると、これ以上の拘りはただ意地を張ってるだけになってしまう。

「わかった、じゃあ明日からもこの時間で」

 頷くと、澪は満足げな表情になった。

「ん。じゃあ、あたし行くね」

「うん、それじゃ」

 小振りで手を振り、澪が去っていく。その後ろ姿を見ながら、今更ながらに僕は「ああ、本当に新しい恋が始まったんだ」とか浮かれたような事を思ってしまった。

 いや、実際のところ多分本当に浮かれていたのだと思う。だから、その後の一人での学校までの道のりも、教室に着いた後に市川から受けた冷やかしにも、比較的心に余裕を持って接する事が出来た。市川の安条に対する呼び名が『安条ちゃん』から『香澄』に変わっていた事にも動揺せずに上手く対応出来たと思う。我ながら何ともゲンキンなことで。いやはや。

 ――だけど、まあそんな風にして、久しぶりに教室内のどこか明るい雰囲気を感じながら午前中を過ごした僕は、昼休みの時間に気分を悪い方向へと転換させる予兆みたいな呼び出しを受けた。

「おい染谷、笠原が来てるぞ」

 クラスの友人達と学食に向かおうと、席を立ったところで市川に声を掛けられた。

「教室の外で待ってるってよ」

 友達に謝って先に行ってもらい、市川にも礼を言ってから、玲司の元へ向かう。今朝の駅前に夕子の姿が無かったから、昨日の件は二人で解決できたのかと思っていたけど、違ったのだろうか。

「よっ」

 軽い挨拶。見た感じ、玲司は機嫌が悪いという訳ではなさそうだ。

「どうした玲司?」

「いや、今日は一緒にメシでも食おうと思ってな」

「それは構わないけど……何か話でもあるのか」

「まあ、とにかくついて来いや」

「おい、ちょっと」

 一方的に肩を組まれて歩き出され、そのまま中庭の隅のあまり目立たない場所に連れていかれる。何なんだ。いつになく乱暴だな。

「ほらよっ」

 パンとコーヒーを渡される。どうやら玲司の奢りらしい。そして肝心の話はいつもの如く、食後みたいだ。色々と気になる事はあるけれど、とりあえず無心でかじる。食べ終わるまで玲司も一言も発しなかった。妙に空気が重い。

 ――だけど、そう思えたのは僕の勘違いだったらしい。

「奏多。おまえカノジョができたらしいな」

「っ!?」

 そっちの話かよ、おい。

「何でもう知ってるんだ?」

 正確にはどっちから聞いたのか。夕子か、市川か。

「イッチーを合コンに呼んでおいて、俺に伝わらないと思ったか?」

「……なるほど」

 そっちか。

「聞いた話だと、合コンの途中で相手の子と一緒に抜け出したらしいじゃないか」

 やるなあ、おい。と言わんばかりにニヤニヤしながら、肘で突いてくる。何だか楽しそうだな。さっきまでの重大な話があると言わんばかりの雰囲気は何処へ行った? 本当に僕の勘違いだったのか。

「しかも、そのまま付き合うとこまでいくとか。一体どういう風の吹き回しだ?」

「別に、ただ自然とそんな感じになっただけだよ」

「まじか……本当にどうしんたんだおまえ。今日の昼から突然嵐になったりしないよな」

「失礼な」

 まあ僕もいまだに信じられないんとこあるんだけどさ。

「だけど大丈夫かその相手」

「……どういう意味だ、それは」

「遊ばれてないかって事。昨日会ったばかりの相手なんだろ?」

 急にシリアス顔になって、そんな事を言う。どうやら僕にカノジョができた事自体は喜んでくれているが、同時に心配もしてくれているらしい。そういうとこ、玲司は昔から変わってないなと思う。

「大丈夫だよ」

 確かに僕自身、澪が何故僕にそこまで……とは思う。だけど、あそこまで自分に付き合ってくれた相手を疑ってどうする。

「相手を信じないと、何も始まらないだろ」

「そういうとこ、奏多は昔のままだな」

 はあっと息を吐きながら、ついさっきの僕の感想と似たような台詞を口にする玲司。思うだけか、声に出すか。その差が僕と玲司の違いなんだと思う。いや、他にもいっぱい負けてる点はあるけどさ。

「まあ、いい。あの安条だって奏多だけにはそこまで無責任な相手を紹介しないだろうしな」

「何だその含みのある言い方は」

「だって俺、安条嫌いだし」

「それは知ってる。だけど僕の前でアイツの悪口とかは止めてくれと言ったはずだ」

 そりゃ、素行に色々と問題があるのは事実だ。だけど何だかんだいっても彼女は良い奴だと僕は思ってる。そんな友人をこいつが悪く言うのは聞きたくない。

「そうだったな、すまん」

 あっさりと素直に謝ってくる。こいつが夕子相手にも同じ態度をとることが出来たら、そうそう揉めることも無いとは思うんだがという感想を抱いたところで、良いタイミングだからコイツと夕子の間に昨日何があったのかを聞いてみようとした。

 だけど。

「それでだ、奏多。おまえに聞きたいことがある」

 ところで話は変わるんだけど、と聞こうとしたところで玲司に先を行かれた。全く、どうして僕はいつもこいつ相手に一歩出遅れるのか。

「……何だよ」

 仕方なく、先に玲司の話を聞くことにした。

 でも、今回もまた、どちらにしろ結果は同じ事だったのかもしれない。

「夕子の事はもう良いのか」

「っ……!」

 ザックリと切り込んできた。この手のやりとりは三ヶ月振りだ。おまえがそれを聞くか、という気がしないわけでも無いけど、僕が玲司の立場だったとしても訊ねると思うから仕方ない。付き合いの長い三人の間に恋愛感情が混ざると本当にややこしい。

「そんなの決まってるだろ……もう三ヶ月も経ってるんだ」

「アイツの事に限って言えば、まだ三ヶ月、の方が的確だと思うんだがな」

 正解だった。だけどここは玲司が信じるかどうかは置いておいて、こう答えるしか無い。

「いいや『もう』で合ってるんだよ。大体、そうでなきゃ僕が合コンとかやる筈ないだろ」

「……まあ、そう言われれば、そうかもしれないけどよ」

 ふぅと息を漏らす玲司。納得してくれたのかどうかはわからないけれど、今はこれでいい。いずれ腑に落ちてくれれば、それが誰にとっても一番良い。

 だけど玲司は、また少しザワつかせるような事を呟いた。

「ま、いいか。――これで、ようやくアイツが何考えてるのか、わかるかもしれないしな」

「何だよ、それ」

「なんでもない、ただの独り言だ」

 玲司はそう返し、そのまま口を閉ざしてしまった。

 冷たい風が吹いて、目の前を枯れた落ち葉が転がっていった。




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