第一話
恋はいつ終わるのだろう。
ある日突然、想いはなくなるのか。
何かの拍子に、すっと冷めてしまうのか。
それとも、やっぱり自分で忘れるように努力しないといけないのか。
いずれにせよ、今すぐに結論が出るものでは無い。
その事だけは身に染みている。
夏に失恋してから約三ヶ月。
簡単に答えが見つかるようなものならば、未だにこんな悩ましい気持ちを抱えていたりはしないだろう。
要するに、だ。
結局のところ、僕はまだまだ残しているのだろう。
終わらせないといけない筈の想いを。
断ち切らないといけない筈の未練を。
「……っ」
――よし。
今朝はここまでにしとこう。
視界を一度、青空へと逸らし、思考をカットする。
拗れた恋心への問いかけに、蓋をする。
それから、改めて視線を彼女へと戻した。
通勤、通学に電車を使う人達が慌ただしく同一方向へと流れていく駅の入り口。
僕の幼なじみでもある小牧夕子は、その人流から少し離れた道の端で、誰かを待つかの様に立っていた。
十中八九、待ち人は僕なのだろう。
それは自惚れでもなんでもなく最近の傾向から推測されるもので、しかも僕にとっては溜め息をつかざる負えない理由によるものだろう。
「夕子」
お馴染みになった心臓がしめつけられるような感覚に襲われつつも、出来るだけ平静さを装いながら彼女へと歩み寄る。
「あ」
曇っているように見えていた彼女の表情が、ぱっと笑顔に変わった瞬間に、切なさと嬉しさが込み上げてくる。そんな自分に内心でだけ自己嫌悪しつつ、互いに朝の挨拶。
「おはよう」
「おはよう、カナ君」
夕子は僕のことをカナ君と呼ぶ。染谷奏多でカナ君。小学一年生の頃から続く呼称だ。
「どうしたの、今日は早いね」
白々しいなと思いつつ、いつもの様に尋ねる。
夕子と僕は同じ高校に通っていて、夏が来る前までは一緒に登校していたのだけど、今では僕が時間を早める形で別々の電車に乗ることにしていた。
理由は言わずもがな、彼女にカレシができたからだ。
「ちょっと、カナ君と話がしたくて」
そう答えた夕子の表情には、予想通りに先程までの陰りが戻っていた。
胸が疼く。同時に大きく吐きそうになった息を慌てて飲み込む。
「玲司と何かあった?」
「えっと……まあ、その……うん」
「じゃあ、とりあえず歩きながら話そうか」
「……うん」
歯切れの悪い受け答えをする夕子を促して、一緒に改札口へ向かって歩き出す。それから電車を待ち、乗り、降りて、高校まで歩く。その間に少しずつ話を聞いていく。悩み事がある時の彼女は一気にまくしたてたりはしない。少しずつ、ぽつりぽつりと話していく。ちなみに玲司とは夕子のカレシで、僕の中学生になる以前からの友人だ。
要は、その玲司と口論になったらしい。アイツが他の女子と仲良くしているところを目撃した事が原因だそうだ。
これで一体、何度目になるのだろう。
玲司の奴は昔からよくモテる。中学時代はバスケ部のエース。今も一年にしてレギュラー候補。成績もいつも僕より上。顔面偏差値高し。加えてまた男女問わずに気軽に優しく接する性格なものだから、恋人同士になる以前から、夕子の感情はアイツの言動にかき乱されることが多かった。
「やっぱり、わたしが怒りっぽいだけなのかな」
確かに夕子は少しばかり嫉妬深いのかもしれない。でもカノジョになった今の立場だと、それも無理も無い事な気もする。――彼女が今、僕と一緒にいる事を除けば。
「とにかく、昼休みにでも玲司のクラスに行ってみることにするよ」
彼女の問いをはぐらかす様に、僕はそう告げる。
多分、これが彼女の希望に沿う受け答えの形だから。
「ありがと、カナ君」
案の定、夕子はホッとした感じの笑みを浮かべた。
僕はちょっとだけ愛想笑いを返して、視線を彼女から外した。
午前の授業が全て終わると、僕は夕子との約束を果たす為に行動を開始した。昼食とかで教室を離れられる前に、玲司を捕まえて放課後には夕子と仲直りさせる算段をつけておきたい。
まあ、恐らく向こうも予測はしているだろうから、そう急ぐ必要はないかもしれないけれど。
案の定、教室を覗き込むと即座に玲司と目が合った。
「やあ玲司、今日は一緒に昼飯行かないか」
「……おう」
玲司は少しムスッとした様子ながらも、誘いに応じた。機嫌は悪そうに見えるが、その理由が僕では無いと分かっているので気にしない。
購買で飲食物を買い、校庭でとりあえず食事を済ませる。
――先に切り出したのは玲司の方だった。
「夕子の奴、また奏多のトコに行ったのか」
「ああ、今日は一緒の電車に乗ってきたよ」
はあ、と溜息をつく玲司。
済まなそうな、呆れた様な、どちらとも読み取れる表情だった。
「なんかアイツ、最近は週一ペースで奏多と学校来てないか?」
「週に一度くらいの割合で、おまえが夕子を怒らせるからだろ」
「そんな事……有るな」
苦笑じみた表情に少しムッとなった。
「笑いごとで済ますな」
「悪い――だけどさ」
と弁明にはいる玲司。
「今回は、ちょっと廊下で他の女と喋っていただけだぞ?」
「それは夕子に聞いた」
もっとも、彼女の話だと「『複数の女の子』とで『ボディタッチ』もあった」らしいが、まあ今は置いておく。
「直近で前科があるからじゃないのか」
「前科って……別に浮気したとかじゃないだろ」
「一般的に『合コンに行くことが浮気に入るかどうか』はさておき、夕子がそういうのを嫌いなのは玲司だって、よく知っているだろ」
「じゃあ、俺が全面的に悪いと? 部活の先輩に誘われても断れと? 友好的に接してきた相手でも無視しろと?」
「それは……っ」
おっと危ない。僕までケンカ腰になっちゃダメだろ。
「――悪い悪くないは部外者の僕が決めることじゃない」
「部外者って……奏多、お前」
少しヒートアップ気味だった玲司の気が削がれていくのを感じた。
玲司は僕の気持ちを知ったうえで、僕の不在時に夕子に告白した事に対して、引け目を感じている。
僕としては、ほぼ予定調和な出来事だったので、逆に何時までも気にされた方が困るんだけど――まあ、それはさておき。
どうやら、この路線で攻めるのはまだ有効らしい。
それならば、と一気に畳み掛ける事にする。
「とにかくだ。玲司に対する態度がどうであれ、夕子は早く仲直りしたがっているし、その点についてはおまえだって同じだろ?」
「……ああ、そりゃあな」
「そして、そんな時に限って意地を張る夕子の性格だって、おまえもよく知っているよな?」
「……」
玲司は渋々といった感じでながらも、無言のまま頷いた。
よし、これで決まりだ。
ここまできてしまえば、後は本当にそれこそ週一実施の定型作業。
夕子にも連絡を取り、三人で放課後に集まる算段をつける。
半ば強引に玲司を謝らせ、夕子にも機嫌を直した後で謝ってもらう。
これで、めでたく仲直り。
任務完了。早々に目的達成。
険悪だった雰囲気が、楽し気な空気に変わる。
ふう、良かった。良かった。
――そして、僕はここまで。
お役目御免で退場。
仲直りした直後のカップルの邪魔をするほど野暮じゃ無い。二人を残し、一人で電車に乗り帰路を辿る。
何て事はない、毎度のこと。
「……」
なのに。
それなのに、どうしてだろう。
今日はひどく疲れを感じていた。
徒労感みたいなものがあった。
帰宅ラッシュまでには、まだ余裕のある時間帯の車両の中。
乗客は少ないけれど、学生の比率が高い空間。
ぽつんと一人座席に座って、ぼんやりと向かい側の窓を通して見える景色を眺める。
いつもの見飽きた町並み。いつも通りの並び建つ人工物の山。毎日見ている流れる風景。普段は耳に入らない、同年代の人達の喋り声。
それら全てが、僕の気分を沈ませていた。
日差しが弱まってきて、眩しさが無くなってきたからかもしれない。
太陽が傾くのが早くなってきて、夕暮れ時の醸し出す寂しさが早まっただけかもしれない。
自覚がなかっただけで、今日は特別に体調が悪かっただけなのかもしれない。
理由は定かではない。
だけど、とにかく。
大袈裟な言い方にはなってしまうけど、自分だけ世界から切り離された様な気分だった。
疎外感。
そして、それは地元の駅に着き、駅の外へ出ても、まだまとわり続けていた。
――ふと今朝方、夕子の立っていた地点が目に入った。
「……っ」
倦怠感が増す。
堪らず茜色の広がった上空へと目を逸らした。
――他の誰かを好きになってみたら?
ふと、八月にそう言われた事を思い出した。
今は別の学校に通う、中学時代の友人の言葉。
あの時は、意図的に誰かを好きになるなんて有り得ないと思っていたけれど。
「…………………………やってみるか」
気がつくとそんな独り言を呟いていた。
それはただ魔がさしただけなのかもしれない。
一時的な気の迷いなのかもしれない。
間違っているのかもしれない。
だけど、今のこの息苦しさをどうにかしたくて。
僕はそうしてみようと思った。




