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思橋

瞼を擦っても、あの人はもう居なかった。

行方を知るのは揺れるカーテンのみだろう。シーツのこすれる音、ひんやりとした部屋。

「師匠?」

呟いた言葉は静寂が飲み込んでしまった。


『昨日未明、都内でまたも行方不明者が_』

騒がしい人混みの中、ぶつからないように歩き進める。湊にとっては日常だ。剣道部に所属し、大会には選抜メンバーとして選ばれるほどの実力者であるため、帰りはいつも遅い。しかし、今日はテストも近いため練習は早く終わった。だがいつもの練習量よりも少ないとなんだか気持ちが悪いためほんの少しだけ自主練習をしてきた。それでも今日は早い帰りだ。夕暮れ、夜が近い。なんだかそわそわとした気持ちになりスマートフォンに目を落とす。

気の紛らわしに見た先に、行方不明者が増えたというニュースが目に留まる。物騒だなと思う。疲れもあり、早く帰ろうと思うと勝手に足早になる。

そういえば、もうすぐ冬だったか。スマートフォンから目を離さずに歩くのは危険だが、こんなにも情報が目に入ると辞められないものだ。しかし、つまらないものだ。毎日をただこなし、大会があれば大会に向けてひたすら向き合って、スマートフォンの中はいつも物騒なニュースと中和するかのようなふわふわとしたコンテンツ。おもしろいことでも起こらないかなと嫌でも考えてしまう。

頬をひやりとした風が撫でる。驚いて思わず顔を上げる。もうすぐ冬とはいえ、まだ、そんな風が吹くような季節ではないはずだからだ。辺りを静寂が包む。やはりおかしい。先程までの騒々しさも、気温も、まるで違った。湊は思わずスマートフォンを落としてしまった。慌てて拾うも画面は割れてしまっていた。

「しまった、画面はつくか?」

焦るように画面をつけると明るくなったが時間表示と電波がバグを起こしていた。

「26時38分…?それにさっきまで届いていたのに県外…?」

街は急に人が消え、スマートフォンはバグを起こし、どんどん陽は落ちていく。夜がどんどん近づいてくる。湊は緊張が止まらず、立ち尽くすばかりだ。なにが起こっているのかさっぱり検討もつかないため動くことが出来なくなってしまったからだ。そうこうしているうちに、完全に陽が落ちてしまった。

「か、帰らなきゃ」

どの方向に進めばいいのか分からないまま、とにかく真っ直ぐ真っ直ぐと歩いていく。こうも静かではいつも歩いているはずの道がどうも不気味で見たことも歩いたこともないように見える。湊の手ひらはいつの間にかびっしょりと濡れていた。

しばらく歩みを進めていくと、ぼんやりとした光が遠くに現れた。街灯の光とは違った光があるのだ。思わず駆け寄っていくと見たことの無い橋がかかっていた。いつもの街中にあるはずがないなんとも和風な風貌で、橋自体が発光している。違和感しか無く、気持ち悪さも感じる。引き返そうと後ろを振り向くと、街が消えていた。

「は?」

先程まで歩いてきた道、それどころか街並みも全てが消えていたのだ。周りを見渡してみても、景色がごっそりと消えていた。手汗と体の震えが止まらなかった。湊は希望が欲しくなりスマートフォンをもう一度見た。

「つかない。どうしよう。」

先程までついた画面が一切つかなくなってしまった。充電は充分にあった。それでいて、完全につかなくなってしまった。これではどうにも連絡することも、帰ることも難しくなってしまった。

「進むしか、無いって事なのか?」

湊は体の震えが止まらないまま、歩みを進める。1歩、また1歩と。息が上がる。湊の周りだけ酸素が無くなってしまったように呼吸が浅くなる。こんなにも恐怖に弱い人間だったろうかとも考えてしまうほどに今の湊には恐怖がまとわりついていた。

橋の中間に差し掛かったところに、これはまた不似合いな風貌の女性がぼんやりと立っていた。透けたヴェールを被った洋風な衣装を身にまとっている。しかし、湊は歩みを止めてしまった。彼女の太腿には拳銃が装備されていたからだ。今、彼女が湊に気づいてしまえば、あっという間に湊は打たれて死んでしまいそうな気がした。先程までは空間に抱いていた恐怖が一気に彼女へと変わってしまった。震える体で息をのむ。全ての動作が震えてしまっている。そのせいで、湊は地面を剃った小さな足音を出してしまった。

乾いた発砲音が鳴った。一瞬の事だった。音が鳴ったと湊が気づいた時には、湊の頬は熱くなっていた。弾丸が頬を擦ったのだ。

「うわぁっ!」

湊は思わず尻もちをついた。頬も、お尻も痛い。しかし、何よりも頬をつたう感覚に心臓の鼓動が高まるばかりだった。

「師匠…」

ぽつりと彼女が呟く。湊には幻聴だとしか思えなかったが。

後退りをしようにも、先程の方に消えてしまっていては意味が無い。後にも先にも引けない状況に置かれてしまった湊はもう動くことも出来なかった。そうしていると、彼女がこちらを向いた。

「戦え…」

そう呟くと、湊の真横に魔法のように刀を出してきた。恐ろしいほど輝く真剣に、湊は目を奪われた。しかし、問題があった。剣道部ではあったが、真剣を触ったことはないのだ。竹刀と真剣では勝手が違うだろうし、人を殺めることが出来る代物にそうそう手をつけることは出来なかった。しかし、彼女はまた発砲した。猶予を許さない、そのような気迫を見せている。

『もうここでは、死ぬか生きるかだろう。』

絶望の中、決断を強いられた湊は覚悟を決めた。恐怖にのまれた体に鞭を打ち、立ち上がる。震える手で刀を握る。湊には作法は全く分からない。自分の知る剣道の作法で刀を構えるしかなかった。バケモノのようにしかもう見えない彼女が微笑み、また銃声が鳴り響く。死ぬか生きるかの戦いが始まった。


どうしたって不利なこの戦い。何せ相手は拳銃を使うのだ。飛び道具に接近戦という、無謀な戦いを強いられた湊は、ただ逃げることしか出来なかった。間合いに入る前に打たれてしまい、どんどんと遠ざかって行った。とは言ってもすべて橋の上で行われているため、逃げる場所も限られているのだ。

「こんなの、死ぬしかない」

湊は、諦めに似た絶望を感じ始めていた。いつもとほんの少しだけ変わった日常だった。それが、こんな目にあう羽目になるとは誰が思うだろうか。

「師匠、師匠…」

彼女は容赦なく弾丸を打ち込む。それに伴ってどんどん声も大きくなっていく。師匠、師匠とつぶやく声は、気がつけば叫びへと変わっていった。何が何だか分かるはずもない湊は、只々恐怖するしか無かった。

「助けてくれ…もう、死んじゃうよ…」

体に弾丸が何度もかすり、体力がつきかけている湊は、ほとんど泣きそうであった。剣道の腕が人より上とはいえ、普通の男子高校生である湊には今の状況は恐怖体験でしかない。

「師匠、師匠、師匠、師匠!」

半狂乱に泣き叫ぶ彼女の腕は止まらない。もう、どうしようも無いのだろうかと思ったその時、湊は自身の持ち物に目がついた。そうだ、竹刀があったのだ。湊が刀を振ることが出来なかったのは、間合いに入ることが出来なかったのはもちろんだが、人を殺めることが出来る代物を扱うことに怯えていたからである。しかし、竹刀はどうだろうか。痛みも切り傷も下手をすれば伴うが、刃物ではない。幾分か気持ちが楽になるだろう。そう思えば行動は早かった。隙を見て、一目散に自身の竹刀の元へ駆け抜ける。刀を投げ捨て、カバーを開けて竹刀を構えた。手にしっくりとくる馴染みを覚え、湊は根拠は無いが自信が持てた。

彼女の動きが止まった。湊の様子が変わったことを感じたのか、刀を捨てたことを気にしたのか検討はつかないが。しかし、止まったところを見逃さず湊は一気に間合いを詰め、拳銃を竹刀で叩き落とし、彼女をそのまま橋の上に倒した。

「や、やった!」

思わず声が出たが、彼女は無反応だった。呆然としているような、魂がそこに無いような反応をしている。湊はしばらく動くことが出来なかった。いつ、また彼女が動き出すか分からなかったためである。傷が痛む中、湊は彼女のヴェールに手をかけた。

「ぎゃっ!」

最後の抵抗かのような叫び声を上げた後、ヴェールの取れた彼女は、ふっと気を失った。湊の手から離れたヴェールはいつの間にか消え去っていた。


「…あ」

「気がつきました?」

彼女が気を失って数分後、目を覚ました。街は元に戻っていた。橋があった場所は、湊の家の近くの住宅地にある現代的な橋だった。今は近くの公園のベンチに掛けている。

「ここは…日本…?」

「ええ、そうですよ。」

「そう…そうなのね…」

会話はままならない様子だが、なんだか悲しそうな表情を浮かべる彼女に、湊は話題を変えようとした。

「あの、俺は吉根 湊と言います。あなたは?」

「あぁ、私は…ベイン。」

「ベインさんはあそこで…何をしていたんですか?」

「え…」

失敗してしまったのだろうか。ベインの顔が少し曇る。ヴェールを取ってからはっきりと見えた彼女の顔立ちは目鼻立ちがハッキリとした海外の人の雰囲気で、曇った顔をされると湊は少しドキリとしてしまう。

「君が助けてくれたんだもんね。言わなきゃおかしな話よね。」

「嫌な話であれば無理にはする必要は…」

「ううん、君にも話すよ。ここまでの話を。」


この世は、神の嘆きによって呪いがかけられているという。人々の度重なる過ちに痺れを切らした神が、戒めとして、この世に存在する全ての人間に呪いをかけたのだ。しかもご丁寧に、一人一人違う呪いがあるらしい。

「私はその呪いを解呪する仕事をしてるの。いつもは私の師匠と2人でね。でも、今回は私の呪いが発動してしまった。」

師匠とはそのことだったのかと湊は納得した。しかし、まだ疑問は残る。

「その、師匠さんはどこへ?師匠さんがいれば直ぐに解呪できたはずですよね?」

「師匠は消えたの。ある日目が覚めたら居なくなっていたの。もしかしたら、師匠も呪いが発動したのかもしれない。だから探して旅をして、ここにたどり着いた。」

ベインは遠くを見て顔を歪ませた。苦しそうに絞り出した声は震えていた。

「探して、探して、あの橋にたどり着いた時、ここで会えたらいいのにって強く思った。疲れてたのかな。そうしたら、どんどんここにいたら会えるかもって、ここに居なきゃいけないって感情に支配されていった。私の場合、これが呪いの鍵だったの。」

「じゃあ強く願ったから…?」

「そうかもね、強く願いすぎて動けなくなって、いつの間にか呪いを発動させて、確信もないのに師匠と会えるこの橋を守らなきゃって。そしたらあんな風になっていたの。だから本当に君には感謝してる。よく呪いを解呪してくれた。」

「そんな、俺はたまたまで。」

ベインが微笑んだ。解呪方法など知る由もなかった湊が解呪出来たのは奇跡に近い。

「君は運がいい。そして、考える力も対応できる力もある。」

「言い過ぎですよ。ただの高校生に。」

湊の本心だった。しかし、こうも良く言われては心の奥底がくすぐったい。すると、ベインは思いついた顔をして言った。

「これは拒否をしてもいい。湊、解呪を手伝って欲しい。」

「え?」

「湊には解呪できる力がある。実は通常、解呪は2人体制で片方が相手をしてもう1人が解呪をする。解呪には鍵があるから。私の場合は何だった?」

「多分ですが、ベインさんが被っていたヴェールだと…でも、俺に解呪の手伝いはできるとは思えないです。」

「大丈夫、君は守る。基本的な解呪の方法も教える。これは君にしか頼めないの。私との戦いで生き残った君にしか。」

顔が熱くなった。もう夜で、少し肌寒いというのに。ベインは本気で湊に訴えかけていた。それは湊にもしっかりと伝わっていた。守ると言い切ったベインは街頭の光でより輝いて見えた。

湊は考えた。今までのこと、これからの事。だが、つまらないと感じたあの日々にもし、刺激がはしるとしたら?高揚が止まらない。喉が渇いてきた。不安もある。だが、自分にできることがあるのなら。ベインを助けることができるとしたら。

「分かりました。俺に、できることがあるのなら。」

「本当!ありがとう!」

ベインが嬉しそうに笑った。ぶわりと湊の体温が上がる。

「俺なりにやってみます。」

「絶対に守るからね。師匠をこの国で探しきるまで力を貸してね。」

ベインが湊の両手を握る。汗をかいていたから心配をしたがそんな所を気にすることもなくベインは微笑んだ。

「よろしくね、湊」

「はい、ベインさん。」

目がキラリと輝いた気がした。

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