第8話 遂にこの日が――
――アドニスとシャルロッテが隠れ家に潜伏し初めてから、五日。
「……シャルロッテ・グラナートの遺体は、まだ見つからないの?」
大きな屋敷の一角、非常に高級で豪華絢爛な家具や絨毯やカーテンなどで煌びやかに装飾された一部屋。
そんな部屋の窓から外を見下ろし、一人の女性が冷たい声で尋ねる。
彼女の名前はダニア・パスティス。
年齢は二十一歳。
長いブラウンヘアーの美人だが、その顔には少々そばかすが目立つ。
「ハッ、火災後の屋敷をくまなく調べているのですが、一向に骨が発見されず……」
ダニアの問いに対し、彼の執事である片眼鏡の男は気まずそうに頭を垂れる。
そんな返答を聞かされて、ダニアは「はぁ」明らかに苛立ちを含んだため息を漏らした。
「でもあなたが送り込んだ暗殺者たちの骨は見つかったのでしょう?」
「は、はい……」
「それなのに、シャルロッテの骨だけは出てこない……。やはり取り逃がしたと見て間違いないのではなくって?」
「お、仰る通りでございます……」
「よくも役立たずの暗殺者なんて送り込んでくれたわね。アンタ、覚悟はできてるんでしょうね?」
「ご、ご安心ください! 手下たちを使い、目下全力で捜索中でございます! もしシャルロッテ・グラナートが生きているのならば、すぐにでも見つけ出して――!」
「おべっかなんていらないんだけど。早く結果だけ出して頂戴よ」
ダニアは「チッ」と舌打ちし、右手親指の爪を歯でガリッと噛む。
「シャルロッテ……アイツだけは許してやらないわ。この私がせっかく取り巻きに加えてあげようとしたのに、それを足蹴にするどころか歯向かってくるだなんて!」
彼女の言葉には怒りや苛立ちの他に、明確な焦りが混じっていた。
――ダニア・パスティスは乙女ゲーム『黒のアネモネ』に登場する公爵令嬢であり、シャルロッテの敵として、そして悪の権力の象徴として描かれる悪徳貴族。
『黒のアネモネ』は、ゼノーヴァ王国という国を舞台にして進行する。
このゼノーヴァ王国は国王家であるゼノーヴァ家がまず国の頂点に君臨するが、その下で幾つかの公爵家が名門として絶大な権力を握っている。
そしてその一つがパスティス家。
ゼノーヴァ王国きっての名門として知られるのがパスティス家であり、その次期当主の筆頭候補であるダニア・パスティス。
彼女は傲慢かつ虚栄心が強い性格で、自分より下の階級の貴族令嬢たちを取り巻きという名の小間使いとして顎で使い、一方どんな相手であろうと敵と見做せば悪質なやり方で失脚させることで悪名高い。
しかも男好きの間女で、貴族令息をとっかえひっかえして遊んではトラブルを起こしているという男癖の悪さ。
尚且つ「貴族でなければ人でなし」という思想を隠そうともしない貴族主義的な人物であったために、自分の権力基盤を揺るがそうとするシャルロッテと対立。
シャルロッテは彼女の嫌がらせや妨害工作を搔い潜り、時に糾弾し、時に断罪しながら、攻略対象であるヒーローたちと恋をしていく――というのが、基本的な『黒のアネモネ』のストーリーの流れ。
これはどのヒーローを攻略するにしても、ダニアと敵対して断罪するという大筋の流れは一緒なのだが……唯一違う展開が存在する。
それが〝断罪ルート〟。
シャルロッテがあらゆる選択肢を誤り、逆に断罪される側になってしまう展開。
そして味方のいなくなったシャルロッテに対してダニアは暗殺者を送り込み、バッドエンドとして物語は終わりを迎えるのだが――
「……もしシャルロッテ・グラナートを取り逃がしたなんて、他の貴族たちに知られてみなさいな。この私が、このダニア・パスティスが、笑い者にされるのよ……!?」
今この世界線において、ダニアは本来死ぬはずのシャルロッテを取り逃がしていた。
それどころか、送り込んだ暗殺者が返り討ちに合ってしまうという体たらく。
そんな有様に、なんでも自分の思い通りにならないと気が済まないダニアは、我慢ならないでいた。
――そんな時、ダニアたちがいる部屋が〝コンコン〟とノックされる。
片眼鏡の執事が「入れ」と許可を出すと、明らかに暗殺者と思しき鋭い目つきの男が部屋へと入ってくる。
「失礼します、続報が届きました」
男は片眼鏡の執事に小声で耳打ちする。
すると、その報せを受けた片眼鏡の執事は「なに、本当か!?」と声を荒げた。
「どうしたのよ」
「ダニア様、喜ばしい報告が届きましてございます。シャルロッテ・グラナートが潜伏している隠れ家を発見致しました」
「――! 本当!?」
「はい。しかもその隠れ家には、あのアドニス・マクラガンの姿も確認できるとか」
片眼鏡の男はニヤリと悪い笑みを浮かべ、
「ですが……アドニス・マクラガンは片腕と片目を失い、他にも大怪我を負っているそうです」
「へぇ……ふぅん?」
ダニアはアドニス・マクラガンのことを知っている。
シャルロッテの幼馴染で、腹立たしいことに彼女の肩を持つ男だと。
しかしアドニスという男は、少なくとも顔はいいとダニアは前から思っていた。
――報告を聞いたダニアの頭に、悪いアイディアが浮かぶ。
彼女も頬を釣り上げて下卑た笑みを浮かべ、
「ならすぐにシャルロッテを始末しなさい。ただアドニスは連れ帰って」
「アドニス・マクラガンを……? それは何故……?」
「隻眼・隻腕の情婦っていうのも、ちょっとオツじゃない? それにあのアドニス・マクラガンを玩具にできたとなれば、他の令嬢たちにだって自慢できるし……アハハハ!」
▲ ▲ ▲
――俺が隠れ家に潜伏し、療養を始めてから、今日で一週間。
「アドニス? はい、あ~ん♥」
「あ、あ~ん……」
……今日も今日とて、シャルロッテがベッドの上の俺にご飯を食べさせてくれる。
まるで新婚の奥さんみたいに。
しかもちゃんとスプーンの上に可愛らしく盛り付けて。
「な、なあシャルロッテ……?」
「なぁに、アドニス♪」
「流石にそろそろ、自分で食べられるんだけど……」
「ダメだよ! ちゃんと完治するまで私がお世話するって決めたんだから!」
一向に俺のお世話をやめようとしないシャルロッテ。
……いやね? 助かるよ?
なんなら大助かりだよ?
実際俺は怪我人ではあるし、面倒を看ようとしてくれるのは助かるしありがたいんだけど……ね?
――シャルロッテ襲撃から幾らか日数が経ち、俺の身体もだいぶ回復した。
片目片腕はもうどうしようもないとして、胴体に空いた風穴は既にほとんど塞がっている。
もし自然治癒に任せていたらこんな短期間で塞がることはなかっただろうが、毎日ハンナさんが治癒魔法をかけてくれるお陰で治りはかなり早く感じる。
淘汰されつつあるなんて言っても、やっぱり魔法ってのは充分に凄いよな。
まあ俺の回復が早いのは、ハンナさんの魔法以外にもう一つ理由があるのだが。
それは――シャルロッテが治癒魔法を覚えてくれたことだ。
なんでも、俺のためにハンナさんに教わって会得したんだとか。
だからここ最近はハンナさんとシャルロッテ、二人がかりで俺に治癒魔法をかけてくれている。
回復が早いのはそういう理由だ。
……治癒魔法って、そんな短期間で覚えられるモノなんだろうか? それこそ一日二日で――?
なんて思ったりもするが、実際にシャルロッテが会得しているので、可能ということなのだろう。
……シャルロッテが俺に治癒魔法をかける様子を、ハンナさんが「めちゃめちゃ異常な光景」でも見るような目で見てくるのが、凄く気にはなるけど……。
それと……一週間ほど前から、シャルロッテとハンナさんが頻繫に隠れ家の外に出るようになった。
外でなにをしているのか、聞いても教えてくれない。
しかも戻ってくる度にシャルロッテは擦り傷だらけになって、顔のガーゼを増やしてたりもする。
でも彼女は元気ハツラツで、どこか楽し気にしている。
……反対に、日を追うごとに隠れ家に戻ってくるハンナさんの表情がまるで「天変地異でも目撃した」みたいになっていってるのが、もうむちゃくちゃ気になる。
いったい二人でなにをやってるんだ……?
あと何故かわからないが、最近シャルロッテの目の下のクマが酷い。
ちゃんと寝ているのだろうか?
俺は俺で、なんとも彼女が心配になるんだよな……。
……怖いな~。
色んな意味で怖いな~、なんかな~……。
俺の見知らぬところで、いったいなにが起こってるんだろう……。
まあそれはそれとして、なんて俺は思いつつ、
「シャルロッテ、キミたちのお陰で俺も随分回復してきたんだ。できれば、リハビリのためにも自分のことは自分でやらせてくれると助かるよ」
「――もしかして、アドニスは私にお世話されるの、嫌……?」
「え? いや違、そういう意味じゃ」
「そ、そうだよね……いつまでもベタベタされてたら迷惑だよね……もとはと言えば私のせいでアドニスがこんな身体になっちゃったんだし私さえいなければ私さえいなければ私さえいなければ」
――しまった。マズい。
またシャルロッテが〝病みモード〟に突入してしまった。
あ~~~もう、俺のバカ!
迂闊なことは言わないようにって自分に言い聞かせてたのに!
俺は内心で自分に対しため息を吐きつつも、
「……シャルロッテ、聞いてくれ」
「ふぇ?」
「不安にさせてすまなかった。俺にはやっぱりシャルロッテが必要なんだ」
「ほ、本当……?」
「ああ。だから――おいで?」
――なんて、ここぞとばかりにさも乙女ゲームのヒーローらしい顔つきをして、両腕を広げて見せる俺。
ここに飛び込んできておくれ、と言わんばかりに。
まあ両腕って言っても、片方欠損してるんだけど。
「えっ……!? あ、え、えっと、そのっ……いきなりそんなこと、言われても……!」
「いいから、ほら」
ちなみに俺は今、上半身に包帯をグルグル巻いてあるだけの実質裸体。
そんな裸体に飛び込んでおいでと言われて、流石のシャルロッテも慌てふためく。
「あ、あうぅ……」
彼女は〝ぷしゅ~〟と顔を真っ赤にして湯気を登らせ、あわあわと数秒ほど迷った後――静かに俺に抱き着いてきた。
彼女の温かな体温と、髪から香るいい匂い。
それから……大きな胸が、ギュッと押し付けられる感触。
豊満な胸の感触に極力意識を向けないようにしつつ、俺は隻腕でシャルロッテを抱きしめる。
シャルロッテは喜怒哀楽の感情がハッキリしていて、何事もハッキリ快活に行う人柄であるが……同時に、実は割とシャイだ。
自分からはグイグイ行くくせに恥ずかしがり屋で、それでいて他者からの好意に鈍感であるため、いざ好意を向けられると素直に受け止められずテンパってしまう。
結果、どうリアクションしてよいのかわからず、あわあわとしてしまうのだが……その様子が、もうめっっっちゃ可愛い。
こういう部分も、俺がシャルロッテを愛らしいと思う理由の一つだ。
「……落ち着いた?」
「う、うん……ありがとう、アドニス……」
まだ異性に抱きしめられるのには慣れられないようで、ちょっと緊張しながらも抱擁を続けるシャルロッテ。
そんな彼女に応えるべく、俺も彼女を抱き返す。
……。
…………。
……こうしてシャルロッテを抱けるのも、あとどれくらいになるやら。
傷はほぼ回復してきたが――肝心の毒は、まだ身体を蝕んだまま。
幸いなことに――いや、不可思議なことに、俺の体内に流れる毒は、まだ俺の命を奪ってはいない。
それどころか、俺の容態は日に日に回復していっている。
勿論、毎日かかさずハンナさんとシャルロッテが解毒魔法をかけたり解毒剤を処方してくれているから、大幅に毒の効き目が遅れているとは考えられるが……。
それにしたって、毒の効果らしきモノをまるで実感できないというのは……あまりに妙ではないだろうか?
他にも気になるのが、吹き矢が刺さった箇所の刺創。
既に痛みはないのだが……なんだか日に日に、少しずつ傷跡が大きくなっていってるような……?
俺の身体に打ち込まれた〝毒〟の正体は、いったいなんなのだろう……?
――いや、よそう。
どうせ考えたって仕方がない。
今は目の前のシャルロッテを愛でることだけを考えよう。
もういっそ、この時間が永遠に続けばいいのに……。
そんなことを考えた――まさにその瞬間だった。
〝ガシャーンッ!〟という、窓ガラスが割れる甲高い音が鳴り響く。
同時に俺の部屋に雪崩れ込んでくる、黒衣のマントを羽織った集団。
「――ッ!!!」
俺はシャルロッテを抱きかかえたままベッドから飛び起き、傍に立てかけておいた剣を手に取る。
「「「……」」」
数は三人。
仮面を被り、黒衣のマントで姿を隠している。
間違いなく――あの時に俺とシャルロッテを襲った暗殺者の仲間たちだ。
「……シャルロッテ・グラナート、貴殿のお命頂戴する」
俺たちを見て、暗殺者の一人がそう切り出す。
その言葉を俺は「フン」と鼻で一蹴し、
「とうとうこの日が来たか……。だが一度は生き長らえた命、そう易々とくれてやるつもりはないぞ!」
シャルロッテを自らの背後に隠すと、ガブッと歯で鞘を噛み、剣を引き抜く。
そして抜き放たれた刃を左手で構え、暗殺者たちへと突き付ける。
隻眼隻腕、腹の傷はほとんど塞がっているとはいえ完治はしていない。
万全などという言葉には程遠い。
だが、俺はこの日をずっと覚悟してきた。
この日のために生き長らえてきた。
シャルロッテを守り、敵と刺し違えるために――。
ここで死んでもいい。
いや、こここそが死に場所だ。
今日俺は――シャルロッテを守って死ぬ。
決死の覚悟を決め、剣の柄を握る左手に力を込める。
そんな俺を見た暗殺者の一人は、
「アドニス・マクラガン……」
仮面の奥で目を動かし、俺の肩の刺創を見る。
そしてなにやら仲間と顔を見合わせ、意思疎通を図るように頷き合う。
再びこちらを見ると、仮面の奥で露骨にニヤリと笑みを浮かべた。
「……同胞は【呪毒】を残してくれたか」
「――なんだと?」
「〝発露〟」
暗殺者が、両手の指を合わせて一言呟く。
その刹那――
「――!? ゴホッ……!」
心臓が脈打ち、頭がぐわんと揺れたかと思うと――俺は口から大量の血を吐き出し、ベチャッと床一面を紅に染めた。
「あ…………あ、あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ――アドニスッッッ!!!」
俺の背後で、曇ったようなシャルロッテの悲鳴が木霊する。
「アドニス! お願いしっかりして! アドニスッ!!!」
「ガッ……ガハッ……!」
堪らず床に膝を突く俺。
そんな俺を支えようとするシャルロッテ。
――まるで心臓を鷲掴みにされるかのような、身体を内側からズタズタにされるかのような痛み。
とてもじゃないが、俺はもう立ち上がることすらままならない。
「それを残してくれた同胞に感謝せねばな。お陰で仕事が楽になった」
「きっ、貴様ら……この毒は、いったいなんだ……!?」
「貴殿の身体を蝕んでいるのはただの毒に非ず。【呪毒】という魔を孕んだ特別な毒だ」
「【呪毒】……?」
「〝発露〟の呪文さえ知っていれば、毒が身体を回る瞬間を自在に調整できる秘伝の猛毒よ。これが一度身体を蝕んだが最後、貴殿の死に場所も死に時も我らが自由に決めることができる」
暗殺者は「ククク」と笑って俺を見下し、黒衣の下から短剣を抜き取る。
「しかしな、貴殿は生かして連れてくるよう主に仰せつかっているのだ」
「な、なに……!?」
「殺すのは――シャルロッテ・グラナートだけでよい」
暗殺者たちの視線が、俺からシャルロッテへと移る。
「シャ、シャルロッテっ、逃げるんだ……!」
「……」
黙りこくったまま、その場を動こうとしないシャルロッテ。
そんな彼女との間合いを、暗殺者たちはじりじりと詰めていく。
俺は必至で身体を動かそうとするが、とても戦えそうにない。
もう――ここまでなのか――。
俺は隻眼を瞑り、諦めかけたが――
「……アドニスを連れてくるよう命令したのって、誰?」
ポツリと、シャルロッテが呟く。
「なに?」
「私からアドニスを奪おうとするのは……どこの誰って聞いてるの」
「そんなの明かせるワケがなかろう。それに貴殿は死ぬのだ、どうせ関係な――」
「じゃあ、無理やり吐かせるね」
シャルロッテは、すぐ傍に置いてあった暖炉の火かき棒を拾い上げる。
その直後――信じられないような速さで、さっきまで話していた暗殺者との間合いを詰めた。
「――は?」
あまりに急激な事態に、暗殺者は反応すらできない。
そして、シャルロッテが思い切り振り抜いた火かき棒は――暗殺者の頭部へ直撃した。
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