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イヴのうた  作者: 花邑ゆう
9/27

吟遊詩人はいのちをいただく

 

 黄昏に染まってゆく空を仰ぐ。

 不安と苛立ちが混じりあった、ため息をつく。


 本来なら、屋敷の自室でゆっくりとお茶を飲んでる時間なのに。

 視線を黄昏に染まる空から、目の前の状況に視線を戻す。


 戻した視線の先では、御者と二人の召使いが壊れた幌馬車の前で右往左往している。


 いつまでモタついてるのよ。

 早く直して屋敷に帰してほしいのに。


 そんな思いで足元の小石を蹴飛ばしたとき、召使いの一人が駆け寄ってきた。


「アイリお嬢さま」

「あとどれくらい掛かりそうなの? もう日が沈んできちゃうんだけど」


 私が不満を隠さずに問いただすと、彼女は顔をこわばらせて答える。



「……あの、ですね……大変申し上げにくいのですが、今晩はこの辺りで野宿をするしかないとのことで……」


「はあっ!?」


 思わず声が上ずる。

 その剣幕に女性の召使いはビクッと肩を震わせる。

 召使いは目線を地面に向けたまま、おずおずと続けた。


「すぐ直すことができないくらい破損してしまったらしく。日が暮れてしまい手元が見えなく、本日中に直すことができないとのことで……」


「はあっ!?」


 私はまた声を荒げる。

 私の怒声に泣き出しそうになっている女性の召使いのもとに、御者ともう一人の召使いも駆け寄ってくる。二人とも口々に謝罪しながら、私を説得する。


 怒りと苛立ちでどうにかなりそうだったけれど、仕方なく言うことを聞くことにする。


 ……仕方ない。ひとりじゃ帰れないのだから。

 ぐっと堪えて渋々従う。



 空は黄金色から深い紺色に変わってゆく、召使いたちは不器用に火を起こそうと四苦八苦している。その不甲斐なさに、さらに苛立ちが募った。家に戻ったら、あいつら全員クビにしてやる。


 そのときだった。


 近くの草むらからアイリの足元に白い影が飛び出してきた。


「きゃっ!」


 驚いて尻もちをついた私の前にいたのは、雪のように白い毛並みを持つ一羽の白兎だった。


「な、なんだ……ただのウサギ……」


 安堵の息を吐いた瞬間、同じ草むらから鋭い閃きが飛来し、白兎を串刺しにした。

 赤い飛沫が飛び散り地面を染める。


 私は何が起きたのかわからず身動きもとれず、ただ瞳を大きく見開いていると、

 やがて草をかき分けて一人の小柄な女性が飛び出してきた。


 さっきの白兎の毛並みのように白い肌をしていて、そして目を奪われる神秘的な銀色の髪をした女性。その銀色の髪を揺らしながら、女性は血に塗れた白兎の元に駆け寄る。


 一切の汚れを許さないような真っ白な手で、女性はなんのためらいもなく、うさぎの体に突き刺さっているものを抜き取る。


 それはナイフのような小さな刃物だった。


 抜き取った刃物からは赤い雫が滴り落ちている。

 銀髪の女性は息絶えた白兎の耳をつかむんで持ち上げる。


「やっと、捕まえた……ん?」


 そこでようやく、彼女は、地面に尻餅をついて顔を蒼白にしている私の存在に気づいた。


「……えっ? 人!? ごめんなさいっ! 近くに人がいると思わなくて……えと、大丈夫ですかっ……!?」


 血に濡れた獲物とうさぎを抱えたまま駆け寄ってくる彼女に、私は喉の奥から悲鳴を漏らした。



 銀髪の女性は吟遊詩人だと名乗った。

 吟遊詩人──旅をしながら芸をする人、くらいの曖昧な認識しか私にはなかった。


 その吟遊詩人は、御者や召使いたちと一緒に慣れた手つきで火を起こしていた。

 御者も召使いも彼女に感謝している。


 野宿をさせられるうえ火さえつけられない自分の召使いたちの無能ぶりに、私はただ苛立ちを募らせる。


 視線を吟遊詩人の女性に移す。

 驚きや恐怖のせいでさっきはまともに見られなかったけれど、よく見ると腰まである銀髪が目を引く。顔立ちは小柄で少し幼さが残るが、美人の部類には入るだろう。


 ただ、召使いたちと話をして笑っているその様子を見ると美人というよりは、笑顔の方が印象に残る。


「あ、やっておかないと……」


 吟遊詩人の女性が先程の殺したウサギに手を伸ばす。

 雪のように白かった毛は真っ赤に染まっている。血まみれの死骸なんて、気持ち悪くてしかたなかった。


「ねぇ、なんでウサギを殺したの?」


 苦々しく、責めるように問うと、

 吟遊詩人はさも当然のように答えた。


「もちろん食べるためだよ」


 私は絶句した。


「は? 信じらんないんだけど……」



 私の言葉に、吟遊詩人の女性は眉を八の字にして困ったように曖昧に微笑む。

 特に私に言い返すこともなく、静かに先ほどの刃物を取り出す。

 

「ごめんね。ちょっとだけ、目を逸らしててね」

「え……?」


 次の瞬間、彼女はウサギの首を切り落とした。

 あまりに唐突で、私は声にならない声を漏らす。


「……な、な、なにやってんの……」

「食べるためにはね、こうやって血抜きをしなきゃいけないの」


 そう言いながら、ウサギの足を縛り、近くの木の枝に逆さ吊りにする。

 その光景に私は吐き気を催し、その場から距離を取る。


 召使の一人に体調が優れないから横になりたいと告げ、幌馬車から布を

 もってこさせて敷かせる。


 私はその上で横になって目を瞑る。

 何あれ? 本当に信じられないんだけど。


 気持ち悪い……。

 胸の中でひたすら吟遊詩人の行為に毒づく。


 

 気付けば完全に夜の帳が降りていた。

 いつの間にか、少し寝てしまっていたのだろうか。


 体を起こしたその瞬間、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

 目を覚ました私の元へ召使の一人が駆け寄ってくる。

 

「あ、お嬢様。お身体の具合はいかがでしょうか? 吟遊詩人さんがウサギのお肉を分けてくださるそうですよ」


 匂いの正体に気づいて息を呑む。あのウサギの肉だ。

 思わず「いただくわ」と言いかけたが、首を切り落とす光景が脳裏に蘇る。


「いらない」


 そう言って、私は再び横になってみんながいる焚火から背を向ける。


「……そうですか」


 私の元から召使が離れ、焚火の方へ戻っていく。

 私はまた瞳を閉じた。


 目を閉じていても、香ばしい匂いはずっと鼻をくすぐる。

 お腹も情けなく鳴り出してしまう。


 意地になって目を閉じていたとき──。



「はい、おいしいよ」


 ふいに耳に心地よく響く声とともに香ばしい匂いが一層強くなった。

 目を開くと、銀髪の吟遊詩人が串に刺したウサギのお肉をはにかむような微笑みで差し出してくれる。


「一緒に食べよう」


 串に刺さった肉はこんがりと焼け、湯気を立てている。

 さっきの無惨なウサギの面影はなにひとつなかった。


 私は抗えず受け取ってしまった。


「おいしいよ」


 そう言って、吟遊詩人が自分の分の肉にかぶりついた。小さい口にウサギの肉を頬張る。思ったより熱かったのか、口に入れてから、「はふ、はふ、」としている。


 つられて私もウサギのお肉をゆっくりと食む。

 パリッとした焦げの香ばしさのあと、肉汁があふれ、柔らかさが口いっぱいに広がる。


「……おいしい」


 自分でも驚くほど素直に言葉が漏れた。


「でしょ」


 そう言って吟遊詩人は無邪気な子供のように笑って、また一口お肉を頬張る。

 その笑顔に私は不貞腐れたように唇をとがらせてしまう。


「なに? あんなに文句言ってたくせに、って思ってる?」


 「ううん」と彼女は首を振る。


「私だって、生き物を殺すことに抵抗がないわけじゃないよ。

 未だに内心怯えながらやってるんだ。殺してしまってごめんなさいとか、

 血がたくさん出てきて怖いとか、気持ち悪いよって思いながらね」


「……そうなんだ。全然そんな風に見えなかった……」


 彼女の手際は非常によかった。

 ウサギの首を切り落としたときも、今言ったような逡巡は、まったく見せなかった。


 だから内心怯えてやっていたという彼女の告白に驚いた。

 

「私もね、旅にするまでわからなかったよ」

「……?」

「食べることが命をいただくことだってこと」


 そう言って、白い歯を見せて笑う。

 その言葉に、私は瞳を見開いた。


「私も旅をする前はお肉とか食べても、命をいただいてるって感覚はほとんどなかったから。


 もちろん知識や味は知ってたよ。ああ、これは鳥のお肉、これは豚のお肉、ってね。でもね旅に出て、実際に自分の手でやってみるとね、すっごく重くのしかかるんだ。


 鶏とか豚や羊のお肉は普通に市場に流れてるけれど、鶏を絞めるとか、血を抜く行為とかそういう行為をすべて当たり前のように人に預けてたんだなって」


 穏やかで優しい口調で語る。


「…………」


 私は何も言えなかった。

 食べることは命を奪うこと。

 それは誰しも、子供の頃から当たり前に知っていること。

 だけど、そのことを本当に理解できていなかった。



 ──食べることはいのちをいただくこと。



 私はもう一口ウサギのお肉を食む。


「……おいしい」


 ゆっくりと、いのちをいただく。

 咀嚼し、飲み込み、また食む。


 そんなわたしの様子を優しげに微笑みながら、銀髪の吟遊詩人もまたウサギの肉を齧る。


その隣で、吟遊詩人も同じように肉をかじり、優しく笑った。


「うん。本当においしいね」


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