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イヴのうた  作者: 花邑ゆう
8/12

第1話 吟遊詩人と外の世界に憧れる少女 PASSGE:8

──カランカラン。


パブの扉を開けると、カウベルの音が店内に響き渡る。

わたしが足を踏み入れた、その瞬間、ざわついていたパブの空気がすっと静まり返えり、パブの常連さんたちの視線が一斉に、わたしに向けられた。


「イリア」

 

 そして正面のカウンターにはお父さんの姿があった。

 わたしの名前を呼ぶお父さんその顔には、いくかの感情が浮かんでいた。

 安心したような、心配しているような、複雑な思いが重なった表情。


 お父さんを見据えて、わたしは一度、大きく深呼吸をする。そして横に立つおねえさんの方へ顔を向けた。


 おねえさんはやさしく微笑み、静かに頷く。


「みなさん。今からイリアちゃんが歌を歌います」


 おねえさんの澄んだ声が、パブの空間に凛と響く。


 誰かが歌を歌うとき。

 パブは静寂に包まれる。


 わたしがずっと好きだった、あの静寂――


 その中心に、今、自分がいる。

 それがとても不思議で、夢みたいだ。


 そして怖くもあった。

 足ががくがくと震えて、口の中はカラカラ。

 胸の奥で鳴っている鼓動の音が、自分の耳にもはっきりと聞こえる。

 

「大丈夫?」


 おねえさんが、心配そうにわたしの顔を覗き込みながら尋ねてくれる。


「は、はい……足はがくがくしてるし、心臓もバクバクで……正直やばいですけど……」


 心配そうに聞いてきた吟遊詩人のおねえさんに、わたしは精一杯の笑顔を向けて、


「でも、歌います……!」


 そう伝えた。

 おねえさんは頷いて、やさしく微笑む。


「じゃあ、始めようか。安心して。私も一緒にいるからね」

「はい」


 おねえさんはわたしの隣に椅子を引き寄せ、腰を下ろすと、静かにギターを構えた。


 まずは澄み切ったギターの音色がパブの空気を震わせる。わたしの胸にも、その音がすっと染み込んでいく。


 そして――わたしは歌い始めた。

 おねえさんが紡いでくれた、わたしだけの歌を。


 けっして上手くはない、未熟なわたしの歌。

 けれど、この声にできるすべてを込めた。

 歌声に届けたい想いを込めて、精一杯伝える。

 その思いがしっかりと届くように。


 いままで直接伝えることができなかった言葉たち。

 ずっと胸の奥でくすぶっていた気持ち。

 そんないくつもの気持ちを、今わたしは歌に乗せている、

 ほんとうだ、歌にすれば伝えられるんだ。


 外の世界に憧れていたこと。

 お母さんとの約束のこと。

 それでも、どれだけお父さんが好きだったかということ。


 歌いながら、胸の奥が熱くなり、心臓が激しく暴れていた。

 顔もきっと真っ赤になっている。


 なのに――

 この時間が、ずっと続けばいいと思った。


 やがて歌が終わると、パブの中は再び静寂に包まれた。

 わたしは息を切らしたまま、ゆっくりとカウンターへ歩いていく。

 そして――お父さんの腰に、思いきり抱きついた。


「お父さん……ひどいこと言って、ごめんなさい……」 


 震える腕で、きゅっとお父さんを抱きしめ、ところどころ言葉が途切れそうになりながらも、なんとか言葉を紡いで伝える。


 そんなわたしを、お父さんは大きな腕で優しく抱き返してくれる。

 顔を上げると――お父さんの頬には、大粒の涙がぼたぼたと流れていた。顔をくしゃくしゃにして泣くお父さんを、わたしは初めて見た。


「……いままで、すまなかった。本当に」


お父さんはそう言って、そっと腕をほどくと、膝を折ってわたしと同じ目線に顔を合わせる。


「イリアがずっと我慢してたの、わかってた。何も言わないのをいいことに、父さん、逃げてたんだ」


 少しの間、目を伏せたあと、お父さんは静かに問いかけてくる。


「イリア……どこに行きたい?」

「え……?」


「父さんと一緒に、村の外の世界を見に行こうか」

「ほんとに……でも、いいの? お母さんとの約束は……」


 思わずそう聞き返すと、お父さんは少しだけ困ったように笑った。


「ああ。ここまでイリアが頑張ってくれたんだ。たとえ”あかり”が消えたとしても、母さんはきっと許してくれる」


 お父さんのその言葉がうれしくて――


 でも、同時に少しだけ不安にもなる。

 望んでいた結果、だけど、ほんとうに、これでいいのだろうか。

 自分たちがいなくなったら、パブの”あかり”は……?


「”あかり”は、きっと消えないですよ」


 ふいに、おねえさんの澄んだ声が響いた。

 わたしとお父さんは、同時におねえさんの方を振り向く。


「だって、もうこんなに、このパブには人がいるんだよ」


 おねえさんはそう言いながら、常連さんたちの方をやさしく見渡した。


「うん、行って来なよ」


 ぽつりと常連のひとりが声を上げた。

 その一言がきっかけになって、

 次々とパブのあちこちから声があがってくる。


「考えてみたら、お前もイリアちゃんも、ほとんど毎日パブ開けてたよな」

「そんで、いつも楽しませてもらってた」

「だな。それが当たり前になっちゃってたな」

「……行ってきなよ。イリアちゃんだって、ずっとパブを手伝ってたんだ。そりゃあ、外の世界も見たいよなあ」


 吟遊詩人のおねえさんが、銀色の髪をふわりと揺らしながら、わたしとお父さんの元へゆっくりと歩いてくる。


「イリアちゃんと、そのお父さん、そしてお母さん――三人がずっと灯し続けてきた、このパブの”あかり”は、たとえ二人が少しの間、村を離れたって……もう消えたりはしないよ」


ここには、灯を守ってくれる人が、ちゃんとこんなにいるんだから。ね?」


 おねえさんのその言葉に、常連さんたちがうなずく。


「ああ。二人がいない間も、いつもどおり騒いでるから安心しな」

「そうそう、まかせとけって!」


パブの中が、ぱっと明るく湧き立った。

その中で、おねえさんはそっとわたしの頭に手をのせてくれる。


「ね? 言ったでしょ。

 お母さんとの約束は、もうちゃんと守れてるんだよ」


 そう言って、おねえさんは――

 いつものように、澄んであたたかな笑顔を見せてくれた。



 

 あれから、わたしの生活は劇的に変わったわけじゃない。

 でも、確かに少しずつ、あたらしい日々が始まっている。


 結局、あの夜のすぐあと、吟遊詩人のおねえさんは予定通り、旅立っていった。


 すごく寂しかった。けれど――

 それ以上に、感謝の気持ちのほうがずっと大きかった。


 あの後、お父さんは月に一度か二度、村の外の世界を見せに、わたしを連れ出してくれるようになった。


 その間も、もちろんパブの”あかり”は消えていない。

 みんなが毎晩、楽しそうに”あかり”をともし続けてくれている。

 

 わたしたちがいないあいだの酒やおつまみは、

 各自持ち寄りか、事前に先払いする形式にしたらしい。


 ……でもある日、お酒の減りが異様に早かったらしくて、

「今度きっちり金額請求してやるぞ!」って、お父さんが笑いながら言ってた。


 数日間の小さな旅から帰ってきた夜――

 暗い村のなかで、パブの”あかり”が、ぽうっと灯っているのを見たとき、

 わたしの胸の奥が、じんわりとあたたかくなった。


 あの”あかり”をがんばって灯し続けていたんだって。

 とても誇らしく思えた。


 そう。

 わたしたちのパブは、いつだって、この小さな村の真っ暗な夜を、やさしく照らし続けている。


 わたしは今、歌と楽器の練習をしている。

 フィドルやギターを、常連さんたちに少しずつ教わりながら、まだまだ拙いけれど、確かに音を奏でられるようになってきたところだ。


 音楽は、「想いを伝える手段」――

 おねえさんが、そう教えてくれたから。

 だからわたしは、想いを綴り、音にのせて届けたい。


 いつかまた、おねえさんがこのパブを訪れてくれたとき――

 わたしの音で、わたしの言葉で、

 めいっぱいの「ありがとう」と「ただいま」を伝えてあげたいから。


 ……そういえば、最初に「ぎんゆうしじんってなんですか?」って聞いたとき、おねえさんの答えは、ちょっとふわふわしていて、よくわからなかった。


 でも今なら、ほんの少しだけ、わかる気がする。


 楽しいっていう気持ち。

 さみしいっていう気持ち。

 誰かを大切に思う、あたたかい気持ち。


 そういう想いを、音楽にのせて――

 ちゃんと誰かに届けてくれるのが、吟遊詩人。


 ……なのかなって、思ってるんだけど。

 どうかな、おねえさん。



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