吟遊詩人と外の世界に憧れる少女 PASSGE:5
どうやら、わたしはあのままお姉さんの歌を聞いて、また眠ってしまっていたらしい。
目を覚ますと、おねえさんがベッドの縁に腰かけて、わたしの頭を膝にのせてくれていた。そのことに気づいた瞬間、じわじわと恥ずかしさが込み上げてくる。
「どうかな? 少しは落ち着いた?」
「……はい。優しい歌ですね」
わたしがそう言うと、おねえさんは嬉しそうに顔をほころばせた。
「この歌はね、小さい頃、泣き虫だった私にお母さんがよく歌ってくれたの」
そう言って、ふんわりと微笑んだ。
泣き虫だった? おねえさんのイメージとは少し違って感じられた。
「そうなんですか、なんだか意外ですね……」
わたしの反応におねえさんは、くすりと笑って、自分の前髪を一房つまんでみせた。
「子どもの頃はね、この銀色の髪のせいで、不気味がられたり、いじめられたりしたの。そのたびにお母さんに泣きついて……ふふ、ちょうど今のイリアちゃんと同じ、十歳の頃だったよ。とっても子どもでしょ。
そういうときに、この歌をお母さんがよく歌ってくれたの。
この歌を聴くとね、泣いていた気持ちが、すうっと落ち着いて、少し楽になったの。
だから……イリアちゃんの気持ちも、ほんの少しでも楽になればいいなって、そう思って」
穏やかに自分の過去を語るおねえさん。
さっきまであんなにぐしゃぐしゃだった気持ちは、今は嘘みたいに落ち着いている。
「はい。なんだか、とても楽になりました」
「そっか。なら、よかった」
「えっと……おねえさん、どうしてここに?」
「イリアちゃんがパブにいなかったから心配になって、マスターさんに聞いたの」
わたしが、お父さんにひどいことを言ったのも、そして、こうして泣きじゃくっていたことも、きっと知られてしまってるんだろうか。
そう思うと、恥ずかしさと後ろめたさで胸がきゅっとなる。
「きっと、私のせい……だよね」
「え?」
「私が急に旅立つって言ったから、きっとびっくりしちゃったんだよね」
「いえ……そんなこと、ないです。……あの……おねえさん…………
わたしの話、ちょっとだけ……聞いてくれますか?」
わたしは、おねえさんに話したいと思った。
わたしに話を気持ちを、聞いてほしいと思った。
今まで言葉にできずに胸の奥につかえていた想いを――今なら、少しだけ話せる気がした。
頭の中も、胸の奥も、ぐるぐると渦を巻く気持ちでいっぱいだった。その感情を、なんとか言葉にして、おねえさんに伝える。
たどたどしく紡いだわたしの話に、おねえさんは何も言わず、じっと耳を傾けてくれた。
お父さんとの喧嘩。
お母さんとの約束。
外の世界への憧れ。
話しているうちに、自分のしたことがどんどん嫌になってくる。お父さんにひどいことを言って、お母さんとの約束を破ろうとして……。
本当は優しいはずのその約束を、重たい足枷のようにに思ってしまっていた。
親不孝で、わがままで、どうしようもないわたしの話。
この村に、“あかり”をともしたい。
それが――お母さんの願いだった。
真っ暗な村に、あたたかな“あかり”を灯したい。そう、お母さんは、わたしに語ってくれた。
そして、まだ幼かったわたし。
お母さんがいなくなったあとも、その願いだけは、絶対に忘れちゃいけないと思ってた。
この村のパブの“あかり”だけは、消しちゃいけない。
わたしは、ずっとそう思ってた。
お父さんも、きっと同じ気持ちなんだと思う。だから、毎晩欠かさずにパブを開けている。
ここに来れば、必ず誰かがいる。
そう思える場所であるように。そんな“あかり”を、無くさないように。
わたしは話し終えて、おねえさんのほうをそっとうかがう。
お父さんにさえ言えなかったこの気持ちを、どうして出会ってまだ数日のおねえさんに話せたんだろう。自分でも、不思議だった。
でも、少し怖くもあった。
この話を聞いて、おねえさんに嫌われちゃうんじゃないかって、そんなふうに思った。
おねえさんは、穏やかな表情のまま、ゆっくりと話し始めた。
「村の“あかり”、か……素敵なお話だね。ふふ、実はね、私がこの村に来たとき、ちょっと不安だったんだ。
馬車を降りたら、あたりは真っ暗なんだもん。どこに向かえばいいのかもわからなくて、心細くなったときにね、イリアちゃんの家のパブの”あかり”が見えたの」
おねえさんは、一度言葉を切って、やさしく微笑んだ。
「あの“あかり”を見たとき、ほっとしたの。この村には、ちゃんとあたたかい場所があるんだって思えて。
だからね、イリアちゃんの家のパブは、村の“あかり”になってるよ。
イリアちゃん――あなたのお母さんの想いは、ちゃんと受け継がれてきてる。
イリアちゃんは、お母さんとの約束を、ずっと立派に果たしてきたんだよ」
わたしは、ハッと瞳を見開いた。微笑みかけるおねえさんの顔を、思わずじっと見つめてしまう。
また、瞳から涙が流れる。さっきとは違う。この涙は今までの悲しみや罪悪感の雫じゃない。
また、瞳から涙がこぼれた。
さっきまでの涙とはちがう。
この涙は、悲しみや罪悪感じゃなくて――もっとあたたかくて、胸の奥から自然にあふれてきたものだった。
こんなふうに言われたの、初めてだった。誰かに、自分のことをちゃんと見てもらえた気がした。
今までがんばってきたことを、ちゃんとわかってもらえた。
それが、すごくうれしかった。
わたし、ちゃんと約束、守れてたんだ……。
でも、わたしは、“あかり”なんて消してもいいって、お父さんに言っちゃった。
外の世界が見たいっていう、ただのわたしのわがままで……その“あかり”を、自分で消そうとしてたんだ。
さっきまで流れていた、あたたかな涙。
けれど、自分のしてしまったことを思い出した途端、それがまた、冷たい涙に変わっていく。
わたしは、またぐずぐずと泣き出してしまった。そんなわたしを、おねえさんがそっと、きゅっと抱き寄せてくれた。
「誰かのためにがんばるのって、とっても素敵なことだよね」
おねえさんが、わたしの耳元でそっと、優しく言い聞かすように囁いた。
おねえさんは一度、静かに息を吸って、ゆっくりと「でもね」と言葉をつないだ。
「それよりも――まずは自分自身が幸せになることを優先しても、いいんじゃないかなって、そう思うの」
澄んだ声で紡がれる、おねえさんの言葉。それは、ひび割れた岩に染み入る水のように、わたしの胸の奥へ、静かに染み渡っていく。
「それにね、わがままを言うのは、子どもの特権なんだよ。我慢なんてしないで、自分の気持ちを、もっと素直に伝えてみよう。……ね?」
わたしは、おねえさんの言葉に目を見開いた。おねえさんは、雪解けのように、ふわりと微笑んだ。
今まで、わがままは悪いことだと思ってた。無理を言うなんて、してはいけないことだと思ってた。
――でも、ほんとうに?
自分の気持ちを優先しても、いいの……?
「今回は、ちょっと焦っちゃって、その手段を少し間違えちゃっただけなんだよ。
……まあ、私のせいか……」
わたしは、首を横に振った。決して、おねえさんのせいなんかじゃない。
でも、おねえさんの言っていた、“伝え方”って、なんだろう?
手の甲で涙をぬぐいながら、わたしは小さな声で尋ねた。
「おねえさんの……せいじゃないです。でも、わたし……ほんとに、わからないんです。……気持ちを伝えるって、どうすればいいんですか……?」
わたしの言葉に、待ってましたと言わんばかりに紫色の瞳を輝かせて、
『吟遊詩人』のおねえさんは、満面の笑みを浮かべた。
「ふふ、イリアちゃんにぴったりな、とっておきの方法があるよ。
それはね──」




