引退した吟遊詩人と外の世界に怯える少女 PASSGE:1
吟遊詩人と聞いて、あんたはどんな人間を思い浮かべるだろうか。
自由気ままに旅をしながら、詩歌や楽器を奏でる旅芸人。
歴史や事件を叙事詩にして、音楽に乗せて語り継ぐ語り部。
あるいは、貴族や宮廷に仕えて詩を紡ぐ詩人。
立場や育った場所が違えば、吟遊詩人という言葉から浮かぶ姿も変わる。
おもしろいことに、それらは全部まとめて「吟遊詩人」と呼ばれている。
だから、この言葉は少しややこしくて、どこか曖昧だ。
吟遊詩人という文字を分けて考えてみる。
『吟』は、歌うこと。
『遊』は、旅をすること。
『詩人』は、詩をつくる人間。
言葉の意味だけで言えば、吟遊詩人とは――
旅をしながら、詩歌をつくり、歌う人ということになる。
「だから吟遊詩人ってのは、自由気ままに旅をして、歌を歌うもんだろ」
というのが俺の持論だ。
俺の名前はユーリ・セルカモン。
旅と音楽を愛して生きてきた、しがない吟遊詩人だった。
世界各地をまわった。
大それた目的なんてなく、ただ、旅が好きで、音楽が好きで、
いろんな人と出逢うのが大好きだった。
だから吟遊詩人という生き方を選んだ。
それだけの話だ。
旅の途中で起きた出来事。
道中で出逢った人たち。
俺はそういうものを詩にして、歌にしてきた。
英雄の武勇伝や歴史を語る叙事詩じゃない。
人の感情に寄り添う、どちらかというと叙情詩だろうか。
聴く者の胸を静かに包むような、低く甘い歌声。
それが、俺の売りだった。
それから、フィドル。
少し枯れたようで、それでいて艶のある音色。
あの音は、少なくとも当時の俺にしか出せないものだったと思っている。
有名な吟遊詩人だったわけじゃない。
だが、俺の歌と音色は、刺さる人間には深く刺さるようだった。
一部の連中のあいだでは、
「カリスマ」なんて大げさな言葉で呼ばれることもあった。
――三年前までは、な。
旅の途中で事故に遭い、俺は左足をやった。
完全に治ることはなかった。
自分の生きがいだった旅にでることができなくなり、
それで、すべてが終わった。
今の俺が奏でているのは、低く甘い歌声でも、魅力的なフィドルの音色でもない。
杖が床を打つ、コツ、コツ、という音。
左足を引きずる、ズル、ズル、という情けない音。
そして、酒とタバコでイカれた喉から漏れるのは、呪詛みたいな独り言。
世の中への恨みや、妬みばかりだ。
旅に出られなくなった俺は、見事に荒れた。
毎日毎日酒を飲んで、吐く。それでもまた飲む。
そんな生活を三年も続けてきた。
失ったものは、大地を踏みしめていた足だけじゃない。
人の心を動かしていたはずの歌声も、完全に失くした。
心配してくれていた人間たちも、
時間が経つにつれて、一人、また一人と離れていった。
金も、もう底が見えている。
人望も、誇りも、なにも残っちゃいない。
人生の、どん底だ。
そんな俺のもとに、一通の手紙が届いた。
差出人は、とある貴族。
内容は、住み込みで宮廷詩人として仕えてほしい、というものだった。
正直、眉に唾をつけたくなる話だ。
足をやる前なら、似たような誘いを受けたことはある。
だが、今の俺に? この落ちぶれた俺に?
手紙には、
「無理のない行程で、ゆっくり馬車を乗り継いで来てほしい」と書かれていて、
路銀まで同封されていた。
怪しい。
どう考えても、話がうますぎる。
だが、金の尽きかけた俺にとって、その話は渡りに船だった。
俺は依頼を受ける旨を伝え、
手紙の主がいる土地へ向かうことを決めた。
そして、齢28にして俺は、身に染みて思い知ることになる。
――うまい話には、必ず裏がある、と。




