表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イヴのうた  作者: 花邑ゆう
25/27

吟遊詩人と幸せのかたち PASSGE:3


その夜、私はもう一度、昨日の酒場を訪れた。

 けれどカウンターに、マリアさんの姿はなく、そこにいたのは、店のマスターさんだけだった。


 私に気づいた彼は、にっこりと笑みを浮かべてくれる。


「ああ、昨日のお嬢ちゃんか。いらっしゃい」


 まだ夕暮れの名残が空に残る時間。

 そのため店内にはまだ客の姿は少なく、カウンター席に数人いるだけだった。

 私もカウンター席に腰をおろす。


「もしよかったら、今日も歌ってもらえないだろうか。なかなか評判がよくてね。それに、私もまたお嬢ちゃんの歌を聴きたくてね」


 そう言って、マスターはグラスにビールを注ぎ、私の前にそっと置いた。


「昨日のお礼も兼ねて。よかったら、どうぞ」

「ありがとうございます。はい、もちろん歌わせてもらいますね」


 そう答えて、私は一口、ビールに口をつける。


「あの……マリアさんは?」


 ふと気になって尋ねる。


「やっぱり、彼女がいないと男ばかりで不安かな」


 マスターは、笑いながら肩をすくめる。


「あと1時間くらいで来ると思うよ。いまは雑貨屋で働いてるんだ。終わり次第こっちに来てくれるはずだから、安心してくれ」


「雑貨屋……?」


 思わず聞き返してしまう。

 昼はパン屋、夜は酒場、そしてその間に雑貨屋……?


「お昼はパン屋で働いてたんですよ。それに加えて、雑貨屋でも……?」


 驚く私に、隣のカウンター席の客たちもちらりとこちらを見る。


「彼女は、いろいろ大変なんだよ」


「……かわいそうだけどな」


 彼らの瞳には、宿屋の主人と同じ同情の色がにじんでいた。


 本当は、本人から聞くべきことだ。

 勝手に詮索するのは、よくないとわかっている。

 でも、私はどうしても気になってしまって、つい訊いてしまった。


「すみません。マリアさんのこと……私に教えてもらえませんか?」


 お酒の席ということもあったからだろうか、宿屋の店主のように、酒場にいる人たちの口は堅くなかった。


 マスターも、隣にいた客たちも、少しずつ口を開いてくれた。皆、瞳に宿った同情の色を濃くしながら語る。


 この街で暮らす、一人の女性の話。

 難病を抱えて生まれた子どもを育てるため、女手ひとつで朝も昼も夜も、懸命に働く母親。

 

それが、マリアさんだった。


「……あの、旦那さんは?」

「逃げたんだとよ」

「えっ!? どうして……」


「さあな。たしか出稼ぎでこの街に来たやつだったよな?」


「ああ。子どもができて逃げたのか、仕事がきつくて逃げたのか……

 どっちにしても、クソ野郎には変わりねぇけどな」


「……そう、ですか……」


 話を聞けば聞くほど、マリアさんの大変さが伝わってきた。

 逃げた男の人に対して怒りも湧いたし、胸が締めつけられるようだった。


 ――それでも、私はどこか腑に落ちない気持ちを抱いていた。

 

 酒場ではじめて会ったとき。

 宿まで一緒に歩いたとき。

 パン屋で笑顔を見せてくれたとき。


 そのどれもが、明るくて、楽しそうで、優しかった。


 いま語られた「不幸な女性」と、私の知っているマリアさん。

 どうしても、そのふたつが結びつかない。


 私の中のマリアさんは、明るくて、笑顔がまぶしくて、

 ちょっぴりお節介で、でもとてもあたたかい。


 ――そんな人だった。


 そのとき、


「マスター、ちょっと遅れちゃってごめんね」


 酒場に、マリアさんの凛とした声が響いた。

 私はびくっと肩をすくめてしまう。

 

 マスターも、他の客たちも、どこか気まずそうな表情を浮かべた。気がつけば、もうマリアさんの来る時間になっていた。


「ありゃ? なに、この空気?」 


 カウンター周辺の微妙な空気を敏感に感じていたマリアさんだったが、私に気づくと表情をほころばせる。


 「あ、イヴちゃんもまた来てくれたんだね。今着替えるから」

 

 そう言って、軽やかに裏手へと消えていった。

 少しして、艶やかな黒髪を後ろにひとつにまとめたマリアさんが、カウンターに戻ってきた。


 浮かない顔でビールを飲んでいた私を見て、彼女は不思議そうに小首を傾げる。


「ん? どうしたの? 昨日はあんなに幸せそうに飲んでたのに。なんだか今日は元気ないね」


 心配そうな眼差しで、やわらかく問いかけてくれる。


 胸の奥から、罪悪感がこみ上げる。

 私は俯きながら口を開いた。


「……マリアさん、ごめんなさい」


 突然の謝罪に、マリアさんはきょとんと目を瞬かせる。


「酒場の人たちから、マリアさんのこと……勝手に聞いてしまいました」


「ああ、そんなこと」


 マリアさんは、けろりと言い放って。

 あっけらかんと笑って肩をすくめた。


「急に謝るから何事かと思っちゃった。……まったく、みんな口が軽いんだから~」


 そう言って、マスターや客たちにいたずらっぽい目を向ける。

 目が合った彼らは気まずそうに視線を逸らした。


「で、あいつらは何て言ってた? “男に逃げられ、病気の子どもを抱えた、かわいそうで不幸な女”とか言ってたのかな?」


「い、いえ、そんな言い方は……」


「ふふっ、まぁ事実だしねー。そう、不幸な女なのよ、よよよ……。だからマスター、給料もうちょっと上げてほしいんだけどな~?」


 そうマスターに視線を向けておどけてみせる。

 マスターは先ほどよりも目を合わせないように、もっと視線を逸らす。


 マリアさんはそんな様子を見て肩を揺らして笑うと、ふと私のほうに向き直る。

 そして、やさしい笑顔で言った。


「ねぇ、よかったらこのあと、私の家に来ない?」





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ