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イヴのうた  作者: 花邑ゆう
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吟遊詩人と妖精のいたずら PASSGE:4


 妖精は先に窓枠へと身を翻した。

 ひょい、と軽やかに外へ降り立つ。


「ああ、ギターもちゃんと持ってくるんじゃぞ」


「はいはい。わかりました」


 私はギターを携え、窓を越えて外に出た。


 夜の空気はひんやりとしている。

 月明かりに照らされた世界は、昼間とはまるで違う匂いがした。

 草と土と、どこか甘い香り。


「こっちじゃ」


 妖精は、当たり前のように歩き出す。

 私はその小さな背中を追った。


 村を抜けて、畑道を越えたあたりで、

 空気が、わずかに変わったような気がした。

 音が減った気がする。


 虫の声も、風の音も、

 さっきより遠くにある。


「……ねえ、妖精さん」


「なんじゃ?」


「こんな場所、ありましたっけ?」


 妖精は立ち止まらない。

 ただ、小さな背中を向けたまま、くすりと笑った。


「夜はな、

 昼には見えん道が増えるんじゃよ」


 畑道だったはずの地面は、

 いつの間にか柔らかな草に覆われている。

 踏みしめるたび、かすかな音が返ってきた。


 来た道を振り返る。

 けれど、そこには暗がりがあるだけで、

 道はもう、まったく見えない。


 歩みを進めていくと、

 急に月の光が一層強くなったように感じ、

 私は夜空を見上げた。


 ──月が近い。


 手を伸ばせば、

 触れてしまいそうなほどに。


「ふむ、いいロケーションじゃ。

 この月明かりのなかで、一曲歌ってくれんかの」


 神秘的なステージ。

 月明かりに照らされた、草原のステージ。


 気づけば私はギターを構え、

 指が弦に触れていた。


 ——ぽろん。


 小さな音に、

 光が揺れ、

 草が波打つ。


 神秘的な月明かりのなかで、

 私は歌を歌う。


 音楽を紡ぐたびに、

 星屑をこぼしたみたいな小さな光が、

 ひとつ、またひとつと、

 草の上に灯っていく。


 そして、気づいた。


 ……いつの間にか、

 まわりに“誰か”がいる。


 背丈も、形も、曖昧な影。

 草の上に、

 石の上に、

 木の根元に。


「おお、歌い手じゃ!」

「人間の歌だ!」

「今日は当たりじゃな!」


 口々に声が飛び、

 空気が一気に、にぎやかになる。


 最初に連れてきた妖精が、

 得意げに胸を張った。


「言っただろう。

 ええ歌い手じゃって」


 私は歌い続けた。


 拍子を取る音。

 踊る足音。

 笑い声が弾む。

 どこからか漂ってくる、酒の匂い。


 楽しい。

 ただ、それだけだった。


 何曲歌ったのか、分からない。

 どれくらい時間が経ったのかも、分からない。


 喉は枯れず、

 指も疲れない。


 永遠と歌い続けられる。

 永遠と歌い続けていたい。


 こんな夜が、

 ずっと続けばいいのに。


「……」


 ふと、胸の奥に、

 そんな考えが浮かんだ。


「……このままずっとここで……」


 その瞬間。


 どんちゃん騒ぎの中で、

 ただひとり。


 あの妖精だけが、

 笑うのをやめた。


「……だめじゃ」


 はっきりとした言葉だった。


 熱に浮かされていたような私の意識が、

 一気に現実へ引き戻される。


「ずっとここにいると、歌も、旅も、

 お嬢ちゃんが大事にしてきたもの

 全部、なくなってしまう」


 妖精は、月明かりの中で、

 私をまっすぐ見上げていた。


「わしはな……」


 一瞬、言葉を探すように、視線を落とす。


「お嬢ちゃんと、もっと歌を聴きたかった。

 ずっと一緒に、笑っていたかった」


 小さな拳が、ぎゅっと握られる。


「じゃが、それは——

 お嬢ちゃんの人生を奪うことになる」


 一拍置いて、妖精は続けた。


「それは、わしはいやじゃ」


 そう言って、妖精は私の手を取った。


「さ、そろそろ帰ろうか」


 すると、まわりにいた妖精たちから、

 ぶうぶうと、不満の声があがる。


 まだ歌を聴きたい。

 このまま、もっと聴かせろ。


 そんな声が飛び交っていたが、

 それらも次第に遠ざかっていく。


 妖精たちの姿も、

 音も、光も、

 少しずつ、薄れていった。


「月のステージでの、お嬢ちゃんの歌。

 最高じゃったぞ」


 妖精は、いつもの調子を取り戻したように、

 少しだけ口の端を上げる。


「……ありがとうございます」


「礼を言われるようなことじゃない。

 妖精はな、気に入った人間には、ちゃんと優しいんじゃ」


 ふと、妖精が思い出したように言った。


「そうじゃ。

 最後に、お嬢ちゃんの名前を教えてくれんか」


「イヴ。

 イヴ・エーブルです」


「いい名じゃ。

 じゃあな、イヴ」


 そう言って、妖精が笑った瞬間。

 視界が、ふわりと白くにじんだ。



「……?」


 目を開けると、

 そこは宿のベッドの上だった。

 朝の光が、窓から差し込んでいる。


「……夢?」


 身体を起こし、部屋を出ると、

 宿の主人が血相を変えて駆け寄ってきた。


「お嬢ちゃん!!」


「荷物を残したまま、三日も姿が見えなかったんだぞ!

 妖精に連れていかれたんじゃないかって、

 村中、大騒ぎだったんだからな!」


「……三日?」


 あの不思議な世界。

 私がいた、あの場所。


 時間の流れが、人間とは違うのだろうか。

 とても、とても、不思議な体験。


「ちょっと……

 夢を見ていただけ、かもしれません」


 その日の夜。

 妖精は、来なかった。


 ——でも。

 私は歌を歌った。


 歌い終えた、そのとき。


 窓辺に、

 小さな光がひとつ、ふわりと瞬いて、

 すぐに消えた。


「……ありがとう」


 誰にも聞こえないように、

 そっと呟く。


 明日私は、この村を立とうと思う。

 だから、この歌は、あなたに歌う最後の歌。


「あなたは、きっと……

 楽しんでくれたよね」


 返事はない。


 けれど、

 胸の奥に残る、あたたかな余韻が


 あの夜が夢じゃなかったことを、

 静かに教えてくれていた。

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