吟遊詩人と妖精のいたずら PASSGE:3
結局、昨夜のことは誰にも話さなかった。
秘密にしなければいけない、というわけではない。
ただ——胸の奥にしまっておいたほうがいい気がしたのだ。
なにより、あれが本当にあった出来事なのか、
朝起きたときには、はっきりしなかった。
お酒も飲んでいたし、
昼間に妖精の話を聞いたせいで、
そんな夢を見ただけなのかもしれない。
手のひらサイズの、ひげ面のおじさん妖精。
夜中に歌をせがんできて、
「明日も来るぞー!」なんて叫んで帰っていく。
「ふふ……夢にしては、出来すぎてるけど」
そう思い、ちょっぴり笑ってしまう。
村では誰も、
「昨日、妖精が出たらしいぞ」
なんて話はしていない。
伝承として妖精譚は受け継がれてきているけれど、
みんな、どこかで「本当にいるわけがない」と思っている。
空想の中の存在——そんなふうに。
私も、昨日の出来事がなければ、きっとそうだった。
*
昨夜と同じようにパブから戻り、
部屋に入ってベッドに腰を下ろした、そのときだった。
——こん、こん。
昨日と同じ、窓をノックする音。
思わず、身体が固まる。
聞き覚えのある、軽い音。
ゆっくりと視線を窓へ向け、
立ち上がってカーテンに手をかける。
そして、窓を開けた。
「よっ!」
そこには、
昨日とまったく同じ、
手のひらサイズの、ひげ面のおじさん妖精が立っていた。
「言っただろう。明日も来るって。
今日は酒も持ってきたぞい」
妖精は、妖精サイズの小さな酒瓶を手に、
胸を張って得意げに言う。
「本当に……今日も来たんですね……?」
「当たり前じゃ。
気に入った人間には、しつこいぞ?」
「はぁ……」
私はため息をつきながら、苦笑いをこぼす。
でも、その姿を見た瞬間、
胸の奥に残っていた「夢かもしれない」という気持ちは、
すっと消えていった。
これは、確かに現実だ。
妖精は、
本当にここにいて、
今日も私の前に現れている。
「さて、お嬢ちゃん」
妖精は腕を組み、にやりと笑った。
「今日は何を歌ってくれる?」
……どうやら、この村に滞在している間は、
私の夜は、しばらく静かではいられそうにない。
*
それからというもの、妖精は本当に毎晩やってきた。
窓を叩く音も、「よっ!」という間の抜けた挨拶も、
すっかり聞き慣れてしまった。
妖精が持ってくるものも、日によってまちまちだ。
妖精サイズの酒瓶だったり、
どこから持ってきたのか分からない干し肉だったり、
時には「これはうまいぞ」と言いながら、
小さな木の実を差し出してきたりもした。
「それ……食べられるんですか?」
「失礼な。妖精が食えるものは、人間も食えるぞ」
「ふつう、逆じゃないかな……」
正直に言うと、
妖精サイズのお酒も、干し肉も、木の実も、
小さすぎて味はよく分からなかった。
毎夜、そんなやり取りをしながら、
私は一曲だけ歌ったり、旅の話をしたりした。
「ほうほう……王都はそんなに人がおるのか」
「やっぱり旅は楽しいものなのか」
「その歌は悲しいが……嫌いじゃない」
妖精の感想は率直で、遠慮がない。
ときどき失礼だな、と思うこともある。
けれど嘘ではない、正直な言葉だから、
悪い気はしなかった。
気づけば、夜になるのが少し楽しみになっていた自分がいた。
そして、そんな夜が何日か続いたころ。
その日も、いつも通り、
窓を叩く小気味よいノックの音が聞こえた。
「よっ」
「こんばんは」
挨拶を返すのも、すっかり自然になっている。
「なあ、お嬢ちゃん」
「なんですか?」
「今日はな……
ちょっとだけ、特別なところを見せてやろうと思ってな」
「特別?」
私は小さく首を傾げる。
「そうじゃ。
毎晩ここで歌を聴くだけじゃ、もったいない」
妖精は、くいっと顎で外を指した。
「少しだけ、外に出るぞ」
その口調は軽いのに、
どこか、いつもと違う響きがあった。
私は一瞬、迷ったけれど——
「……少しだけですよ?」
「うむ。
“少しだけ”じゃ」




