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イヴのうた  作者: 花邑ゆう
20/27

吟遊詩人と妖精のいたずら PASSGE:3

 

 結局、昨夜のことは誰にも話さなかった。

 秘密にしなければいけない、というわけではない。

 ただ——胸の奥にしまっておいたほうがいい気がしたのだ。


 なにより、あれが本当にあった出来事なのか、

 朝起きたときには、はっきりしなかった。


 お酒も飲んでいたし、

 昼間に妖精の話を聞いたせいで、

 そんな夢を見ただけなのかもしれない。


 手のひらサイズの、ひげ面のおじさん妖精。

 夜中に歌をせがんできて、

 「明日も来るぞー!」なんて叫んで帰っていく。


「ふふ……夢にしては、出来すぎてるけど」


 そう思い、ちょっぴり笑ってしまう。


 村では誰も、

 「昨日、妖精が出たらしいぞ」

 なんて話はしていない。


 伝承として妖精譚は受け継がれてきているけれど、

 みんな、どこかで「本当にいるわけがない」と思っている。

 空想の中の存在——そんなふうに。


 私も、昨日の出来事がなければ、きっとそうだった。


 *


 昨夜と同じようにパブから戻り、

 部屋に入ってベッドに腰を下ろした、そのときだった。


 ——こん、こん。


 昨日と同じ、窓をノックする音。


 思わず、身体が固まる。

 聞き覚えのある、軽い音。


 ゆっくりと視線を窓へ向け、

 立ち上がってカーテンに手をかける。

 そして、窓を開けた。


「よっ!」


 そこには、

 昨日とまったく同じ、

 手のひらサイズの、ひげ面のおじさん妖精が立っていた。


「言っただろう。明日も来るって。

 今日は酒も持ってきたぞい」


 妖精は、妖精サイズの小さな酒瓶を手に、

 胸を張って得意げに言う。


「本当に……今日も来たんですね……?」


「当たり前じゃ。

 気に入った人間には、しつこいぞ?」


「はぁ……」


 私はため息をつきながら、苦笑いをこぼす。


 でも、その姿を見た瞬間、

 胸の奥に残っていた「夢かもしれない」という気持ちは、

 すっと消えていった。


 これは、確かに現実だ。


 妖精は、

 本当にここにいて、

 今日も私の前に現れている。


「さて、お嬢ちゃん」


 妖精は腕を組み、にやりと笑った。


「今日は何を歌ってくれる?」


 ……どうやら、この村に滞在している間は、

 私の夜は、しばらく静かではいられそうにない。


 *


 それからというもの、妖精は本当に毎晩やってきた。

 窓を叩く音も、「よっ!」という間の抜けた挨拶も、

 すっかり聞き慣れてしまった。


 妖精が持ってくるものも、日によってまちまちだ。

 妖精サイズの酒瓶だったり、


 どこから持ってきたのか分からない干し肉だったり、

 時には「これはうまいぞ」と言いながら、

 小さな木の実を差し出してきたりもした。


「それ……食べられるんですか?」


「失礼な。妖精が食えるものは、人間も食えるぞ」


「ふつう、逆じゃないかな……」


 正直に言うと、

 妖精サイズのお酒も、干し肉も、木の実も、

 小さすぎて味はよく分からなかった。


 毎夜、そんなやり取りをしながら、

 私は一曲だけ歌ったり、旅の話をしたりした。


「ほうほう……王都はそんなに人がおるのか」

「やっぱり旅は楽しいものなのか」

「その歌は悲しいが……嫌いじゃない」


 妖精の感想は率直で、遠慮がない。

 ときどき失礼だな、と思うこともある。


 けれど嘘ではない、正直な言葉だから、

 悪い気はしなかった。


 気づけば、夜になるのが少し楽しみになっていた自分がいた。

 そして、そんな夜が何日か続いたころ。


 その日も、いつも通り、

 窓を叩く小気味よいノックの音が聞こえた。


「よっ」


「こんばんは」


 挨拶を返すのも、すっかり自然になっている。


「なあ、お嬢ちゃん」


「なんですか?」


「今日はな……

 ちょっとだけ、特別なところを見せてやろうと思ってな」


「特別?」


 私は小さく首を傾げる。


「そうじゃ。

 毎晩ここで歌を聴くだけじゃ、もったいない」


 妖精は、くいっと顎で外を指した。


「少しだけ、外に出るぞ」


 その口調は軽いのに、

 どこか、いつもと違う響きがあった。


 私は一瞬、迷ったけれど——

 

「……少しだけですよ?」


「うむ。

 “少しだけ”じゃ」

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