吟遊詩人と妖精のいたずら PASSGE:2
「はっはっは、そりゃ妖精のしわざだね」
到着した村のパブで、マスターに先ほどの出来事を話すと、荷馬車のおじさんとまったく同じ反応が返ってきた。
「実際、妖精を見たことってあるんですか?」
「いや、ないね。でも、じいさんは見たことがあるって言ってたかな」
実際に妖精の姿を見たことがなくても、ここにいる人たちは当たり前のように妖精の存在を信じている。
それだけ、この土地には妖精譚が深く根づいているのだろう。
そして、その存在を疑うこともなく、みんな自然に受け入れている。
王都のように栄えた場所でこんな話をすれば、きっと笑われるだけだ。
「は? 妖精? そんなもの、いるわけないだろ」
そう返されるのがオチだろう。
だからこそ、こうして伝承が今も生きている土地を旅するのは、新鮮で楽しい。
ビールをひと口飲み、乾いた喉を潤す。
「よし、じゃあ一曲歌っちゃおうかな」
弦を弾いた瞬間、パブの空気が少しだけ変わった。
誰かが話すのをやめ、グラスの音が遠のく。
歌い終えたあと、しばらくの静寂。
やがて、ぽつぽつと拍手が起こった。
その小さな音は、次第に広がっていく。
私は満足して、元のカウンター席へと戻った。
すると、マスターが無言でビールを差し出してきた。
「よかったよ。これ、サービスだ」
「いいんですか? ありがとうございます!」
「……しかし、心配だな」
「何がです?」
「妖精はな、楽しいことが好きだ。音楽が好きだ。それから――綺麗な人間が好きだ」
そう言って、マスターは私をじっと見た。
「あんた、もろに妖精に好かれそうだ。気をつけな」
ちょっと私を怖がらせるように、おどけて言う。
*
その後、もう数杯ビールを飲んで、私は宿へ戻った。
頭の奥が少しだけふわふわしている。嫌な酔い方ではない。むしろ、心地いい。
部屋に入ると、簡単に着替え、私はベッドに腰を下ろした。
長い一日だった。そろそろ寝よう。
ランプの火を落とし、毛布を引き寄せる。
まぶたが重くなりかけた、そのときだった。
——こん。
小さな音。
気のせいかと思い、そのまま瞼を閉じていていたが、
——こん、こん。
「……え?」
はっきりとした、ノックの音だった。
一瞬で、さきほどの会話がよみがえる。
――妖精はな、楽しいことが好きだ。
――音楽が好きだ。
――綺麗な人間が好きだ。
――あんた、もろに妖精に好かれそうだ。
「…………」
こんな夜更けに、訪ねてくる人なんているはずがない。
宿の人なら、扉を叩くはずだ。
もう一度、音がする。
——こん、こん。
胸が、どきりと鳴った。
「……だ、誰?」
私はごくりと唾を飲み込み、ゆっくりと窓のほうへ歩いた。
たぶん、パブのマスターはおどかすつもりで言っただけ。
そう分かっているのに、想像は勝手に膨らんでいく。
カーテンに手をかけ、そっと引いた。
——その瞬間。
「こんばんはぁ」
「――ひゃあっ!?」
思わず変な声が出てしまった。
窓の外から、ひょいと飛び出してきたのは——小さな人影。
小さい。
とにかく、小さかった。
背丈は、私の手のひらに乗るくらい。
ひげ面で、くたびれた帽子をかぶり、
腕を組んで、妙に偉そうな態度をしている。
「……え、……これが……妖精……?」
さっきまで胸にあった恐怖心は、すっかりどこかへ消えてしまっていて、
私は思わず、まじまじとその姿を見つめてしまった。
「……ほんとに、ただのおっさ――」
「おい」
「今、おっさんって言いかけただろ!?」
「い、言ってません!
言おうとしただけです! 未遂です!」
「未遂でも聞こえとるわ」
腕を組んだまま、ふん、と鼻を鳴らす。
「まったく……最近の人間は、妖精を見るとすぐ失礼なことを言う」
「ご、ごめんなさい……」
そう謝りながらも、私はもう一度、
おじさん——いや、妖精を見た。
怖いかと言われると……。
正直、怖くない。
「……あの。妖精って、もっとこう……
幻想的な感じだと思ってました」
「失礼だな。
これでも由緒正しき妖精じゃ」
ようやく、少し冷静になってきた。
それどころか、非日常な体験をしているという実感が、
じわじわと胸の奥に広がっていく。
「……で、妖精さん。
こんな夜中に、何の用ですか?」
すると、妖精は急ににやりと笑った。
「さっき、パブで歌ってたの。
お嬢ちゃんだな?」
「え? あ、はい……」
「いやぁ、実に良かった。
耳が幸せになるとは、ああいうことを言うんじゃな」
「……ありがとうございます?」
「というわけで」
妖精は、胸を張る。
「もう一回、歌ってもらおうか」
「今ですか!?」
「今じゃ」
「夜中ですよ!?」
「妖精に時間は関係ない!」
「人間には関係あるんですよ……はぁ、しょうがないなぁ……」
なんとも噛み合わない会話だが、
悪意のない存在だということは、はっきりとわかる。
私は苦笑しながら、声を抑えて、
かるく一曲だけ歌ってあげた。
「おお……やっぱりええ……」
妖精は感動のあまり帽子を放り投げ、
そのまま踊りながら叫ぶ。
「明日も来るぞーーーー!!」
「……え、明日も来るの……?」
どうやら本当に、妖精に気に入られてしまったらしい。
さて……明日パブでこの話をしたら、信じてもらえるのかな……?




