吟遊詩人と愛を歌う吟遊詩人 PASSGE:4
翌日。
私は、また橋の欄干にもたれ、銀髪の吟遊詩人の音楽を聴いていた。
今日は陽気なリズムをギターで響かせている。そのリズムに明るい歌声を乗せる。ほんのり頬を上気させて、楽しそうな顔で、歌を歌っている。
「はい」
演奏が終わると、私はいつものように彼女に近づき、硬貨を手渡した。
「今日も来てくれたんですね。へへ、うれしい」
無邪気な笑顔を見せる。
「…………」
「……?」
私は言葉を探す。
言いたいこと、話したいこと、たくさんある。
沈黙している私の様子に銀髪の吟遊詩人は首をかわいらしく傾げた。
「吟遊詩人にとって大切なもの」
「……え?」
「あなたはどう思っているの? 私はあのときの自分の答えに納得していないの」
***
のんびりとした午後の日差しと風を浴びながら、銀髪の吟遊詩人と一緒に私はお昼のご飯を食べていた。
小さなパン屋で買ったパンを、風に吹かれながら一緒に食べる。
彼女の名はイヴ──そう名乗ってくれた。
「あはは、ごめんね。私が変なこと訊いちゃったから、困らせちゃったのかな」
美味しそうに、昼食のパンを食べながら、吟遊詩人の女性が言う。彼女の名前はイヴというらしい。さっきお互いに自己紹介をしたのだ。
パンを頬張りながら笑うイヴに、少し肩の力が抜ける。
「でもね、私……あっ、ペトラって呼んでもいい?」
「構わないわ」
「ありがと。ペトラの言ったことも、私は間違っていると思わないよ」
「でも、あんたあのとき、気を使ったでしょ。それぐらいわかるわ。
あんたは、何を大切にして歌っているの?」
イヴは指先をこめかみに当てて、うーんと考え込んだ。
やがて、ふっと表情がやわらぎ──
「自分が楽しむこと、かな」
「……自分が、楽しむこと?」
昨日見た姿が思い浮かぶ。
陽光を浴びて髪を翻し、心から歌を楽しむ彼女の姿。
イヴの言った言葉を小さく呟き繰り返す。
無邪気に、綺麗な髪を揺らして歌うイヴの姿を思い返すと、なるほど、と納得してしまう。
でも、その答えはおそらく私からは出てこなかっただろうとも思う。
「だって歌を歌うのって楽しいもん。ペトラも楽しいでしょ? 歌を歌ってるとき」
「……楽しくなんてないわ」
「え?」
「楽しくなんてない。私にとって”吟遊詩人”は仕事であって、歌を歌うのも、リュートを弾くのも……すべて、仕事なの」
「仕事だと……つまらない?」
「あんたみたいに気ままな旅をしているわけじゃないの。相手に気にいられなければ仕事はなくなる。しんどくて、つまらなくても続けなければいけないの」
「そうよ。気ままに旅をしているあんたと違って、私は相手に気に入られなければ仕事はなくなる。しんどくても、つまらなくても、続けなきゃならないの」
イヴは黙り込んだあと、ふっと笑った。
「……おもしろい」
「……は?」
予想外の言葉だった。
「ペトラのような吟遊詩人初めてだったから、やっぱりおもしろい。そんな考え方もあるんだね」
「ごめんね、馬鹿にしてるわけじゃないよ。
ただ、そういう考え方をしてる吟遊詩人に会ったの、初めてで……すごく、おもしろい」
その笑顔は本当に悪気がなくて、逆に腹が立たないのが悔しい。
「ねえ、ペトラ。今夜、パブに行こう」
「パブ? なにそれ」
「あはは、そこからかー」
旅人とは思えない綺麗な髪をした頭をかきながら、パブについての説明を始める。
「ふぅん……要するに、庶民がお酒を飲みながら、音楽を楽しむ場所ね……」
「そう。私のような旅をしている人にはすっごくお世話になるところだよ。街についたら、まずはパブはどこかな、って探すくらいにね」
「却下」
「へ?」
「いやよ、そんな汚さそうなところ。行きたくないわ」
私はきっぱりと言った。
「汚くないから大丈夫だよー……いや、ちょっとは汚いかな……?」
「ほら」
「じゃなくて……! 絶対楽しいよ!」
「嫌なものはいーやっ! はい! そもそもなんで急にそんなところにいかなきゃいけないの──」
イヴの表情が真面目なものに変わる。
そして真剣な口調で告げる。
「ペトラに本当の私の歌聴いてほしいなって思ったの」
「本当の歌?」
「うん。私にとって路上で歌うのはペトラに言わせれば、いわゆる仕事にあたるのだと思う。路上で歌うときは、お金を稼ぐために歌っているから」
「パブだと違うと?」
「うん。パブで歌う私はきっと路上で歌ってる私とは違うと思うから」
「…………」
心を掴まれる言葉だった。
あの路上の歌でさえ、私はあれほど惹かれたのに。
それ以上の歌があるのなら──聴いてみたいに決まっている。
「……わかった。一緒に行ってあげるわ。でも私はそんなとこで歌わないし、リュートも演奏はしないわよ? それでいい?」
「うん、わかった!」
本当にわかっているのかしら。
満面の笑みが広がった笑顔からは不安しかないのだけど。
そうして、今日の夜に一緒にパブに向かうことになったしまった。
──陽が傾き始めたころ。
私は、彼女の銀色の背中を追ってパブへ向かった。
「ペトラは今夜は仕事があるの?」
「そうよ。だから、あんまり長くはいられないわね。……まぁ居る気もないけど」
パッと入って、すぐに出てしまおう。
庶民の酒場なんて汚いイメージしかない。そんなところに長居などしたくない。
「つれないなー」
「あんたの歌聴いたらすぐ帰るわよ」
「えー、じゃあすぐ歌わないようにしよ」
「あんたね……」
「ふふ、怒んない怒んない。──はい、とうちゃーく!」
ここがパブだよ、と。じゃじゃーんと手を向けた先を見やると。私はげんなりした。木造で出来た建物。わかりやすくボロい。そして汚そう。
入りたくない。でもイヴの背中が迷いなく扉へ進んでいくので、仕方なくついていく。
店内に入ると、イヴはあちこちから声をかけられた。
「お、吟遊詩人さん!」
「今日も来たのか!」
「また歌ってくれよ!」
「そっちの子も吟遊詩人か?」
イヴは「どもどもー」と愛想よく手を振って答える。
私はイヴと一緒に空いている丸テーブルへ腰を下ろした。
イヴはさっそく頼んだビールに美味しそうに口をつける。
「ペトラは頼まないの」
「こんなとこのお酒なんて美味しくないでしょ」
「そんなことないのにー」
イヴは喉を鳴らして美味しそうにビールを流し込む。私
はその姿を呆れた表情で見る。
「……あんた、もしかしてすっごい酒飲みだったりする?」
イヴは、ぷはっ、と木製のジョッキから口を離して息を吐く。
「常識の範囲だと思うよ。でもお酒は一日のご褒美だから、最初の一杯はたまらないの!」
イヴはもう飲み干したのか、ジョッキを振って、おかわりをお願いしている。
「あんた言動が完全におっさんなんだけど」
言っていることは酒飲みそのものなのに、仕草は優美で、どこか育ちの良さすら感じる。旅の吟遊詩人なんてやっているけれど、この子、いいとこのお嬢さんかなにかなんじゃないかしら。
昼食のときも、大食いだったけれど食べ方には品が感じられたし、動作のひとつひとつがしとやかなのだ。
まぁ、今どうでもいいか。
そんなことを考えながらペトラは頬杖をつきながら仕方なく注文したぶどう酒を舐める。
「……まずい」
安いお酒に汚い空間。帰りたい気持ちが一気に膨らんでくる。
イヴの口車にまんまと乗せられてこんなところにきてしまった自分にも情けない。
「あんた早く歌いなさいよ。私、早く帰りたいんだけど──」
その瞬間、イヴの人差し指がそっと私の口元に触れる。
「ペトラ。しー……」
「なんでよ」
「今、あの人が歌い始めようとしてる」
イヴが目線で示したほうに視線を向ける。一人の男性が空いているスペースの方に移動し、「あ、あー」と喉の調子を整えている。
「だから?」
そう問いかけ直したところでパブの店内の変化に気づく。
パブのなかの喧騒は止んでおり、静寂に包まれている。皆が何かを待っているかのように静かに。ペトラは怪訝そうに首を傾げる。
「……なに? これ?」
イヴは声をひそめながら説明する。
「決まったルールじゃないんだけどね。
パブでは誰かが歌い始めると、みんな邪魔しないで聴くの。だから静かになるの。もちろん町やパブによって違うんだけどね」
「ふぅん……じゃあ、ここはそういうパブってことね?」
イヴはこくり、と頷く。
その間に、男性が歌い始めた。
歌い出したのは、どこにでもあるような素朴な民謡だった。
華やかさはないし、技巧があるわけでもない。
男性はところどころ音をはずし、それでも懸命に歌っていた。
けれど誰ひとりとして笑わない。
茶化さない。
邪魔もしない。
ただ静かに、思い思いの姿勢で、歌に耳を傾けている。
お酒を飲みながらゆったりと聴く者。
目を閉じて歌声を抱きしめるように受け止める者。
イヴの横顔も真剣そのもので、その眼差しは歌い手にまっすぐ向けられていた。
──このパブの人たちは、歌そのものを真正面から受け止めている。
歌が終わると同時に、温かな拍手が店内を包み込んだ。
歌っていた男性は照れくさそうに頭をかきながら笑い、
仲間から差し出されたジョッキを嬉しそうに受け取ると、ぐっと一口飲む。
その表情は、心から満たされているようだった。
その光景を見つめながら、私はふと胸の奥がじんと熱くなった。
(……いいな)
貴族の人たちのようにステータスのためなんかじゃない。自分の歌を純粋に楽しんで、それを受け止めてくれる人達がいる。
それが、とてもうらやましく思った。
純粋に自分も音楽を奏でたい。自然とそんな気持ちが膨らんでくる。こんな気持ちになるのはずいぶん久しぶりだった。
拍手の音が止むとまた、各々雑談が始まりかけ、静まり返った空気が緩みかける。
その緩みかけた空気を澄み切ったリュートの音色で切り裂いた。
パブが再び静寂に包まれる。
ペトラの正面に座っていたイヴが目を見開く。
そうよね、あんだけ演奏はしないって啖呵を切っていたのにね。
私はイヴに向けて口角を上げて、
「自由に歌っていいんでしょう?」
不敵に笑ってみせる。
イヴは驚いた表情から、ゆっくり桜色の唇をほころばせて、
「もちろん」
とにっこり笑う。
リュートの音色に合わせて私が歌い始めたのは、小さな頃によく歌った民謡だった。幼い頃、リュートを弾けるようになった頃、たくさん歌った。たくさん弾いた。好きだった歌。
でも大人になって封印した。貴族を相手にしている吟遊詩人の家の娘だから、それに似合うものを歌わなければならない。
煌びやかな演奏に華麗な詩。民謡なんてダサいもの歌えないのだ。
でもここなら、きっとどんな歌でも受け入れてくれる。そんな懐の深さを感じた。
歌いながら懐かしさと温かさが溢れてくる。
歌い終えた瞬間、パブが大きな拍手で満たされた。
真正面のイヴが、子どものように嬉しそうな笑顔で手を叩いている。
私はそっと息を吐いた。
胸の中で何かが静かにほどける。
ふとイヴのジョッキを見ると、すでに空になっていた。
「……あんた、飲むの早いわよ」
「だって! あんな最高な歌を聴いたら、お酒が進まないはずないでしょ。
楽しい音楽に、美味しいお酒。ふへへ……幸せ……」
イヴは頬をほんのり赤く染め、とろけたように笑った。
その顔を見ていたら、自然と私の口元もゆるむ。
「すみませーん! ビール一杯追加でー」
「二杯で」
「え?」
「もう一杯くらい付き合ってあげるわ」
「やった! 乾杯!」
コツンと、心地よいジョッキの音が響く。
「さて、次はあんたの番よ。イヴ。本当のあなたの歌──聴かせてくれるんでしょ?」
ごくごくっと、美味しそうにビールを喉に流し込んでいたイヴは、「まかせて!」と元気よく答え、ギターを抱え上げた。その瞬間、パブの空気がすっと変わる。
イヴがギターを取り出すことは、もうそれは歌を歌うというサインのようなものだとパブの中の人たちが認識しているのだろう。
静寂の中にも、パブのお客のわくわくとした空気が溢れ出る。
ざわめきが引き、静寂が満ちる。
イヴがギターを構える──それだけで、ここにいる誰もが「彼女の歌」を期待して息をひそめるのだ。
イヴの指が弦に触れ、最初の一音が響く。
照明に照らされた銀色の髪が、さらりと揺れながら光を受けてきらめく。
ギターは澄んだ響きを放ち、その上に重なる歌声は、繊細で、でもどこか強い芯がある。
──ああ。やっぱり、イヴの歌が好きだわ。
路上で歌っていたときより、彼女はずっと“楽しそう”だった。
歌声にも表情にも、隠しきれない解放感があふれている。
「これが、あんたの本当の、歌なのね」
不思議とさっきまで安酒でまずいと思っていたお酒が妙に美味しく感じる。
普段あまりお酒を飲まない私もこのときばかりはお酒が進む。
「楽しく歌って、聴いて、お酒を飲む、か……。ふふ、そうね、確かに幸せかもね……」
ひとり言のように呟きながら、私はまた一口、お酒を含んだ。
もちろん、こんな状態でビール一杯で終わるはずもなく──。
愛を歌う吟遊詩人ペトラルカが、この日ばかりは
恋人たちの別れを誘う悲恋の歌を披露してしまったのだから。
けれど。
この夜は、私、吟遊詩人ペトラルカにとって、大切な一日になった。




