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イヴのうた  作者: 花邑ゆう
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吟遊詩人と愛を歌う吟遊詩人 PASSGE:2


 私は人混みの街中を、太陽の日差しに目を細めながら歩いていた。

 貴族たちのお昼の会食に音を添えた帰りだった。


 最近は夜に『窓辺の恋愛歌』の依頼が立て続いており、若干徹夜気味だ。

 そのせいか、足取りは重く、まぶしさがいつもよりも目に染みる。


 私が暮らしている王都は国の中心だけあって、とにかく人が多い。

 貴族も平民も入り混じり、旅人も多く立ち寄る。旅芸人などが街の中で芸を披露しているのも、よく見かけることがある。


 寝不足気味の私は、そんな人の喧騒にうんざりしながら石畳を進んでいた。

 用水路にかかる橋を渡ろうとしたとき、橋のあたりに人だかりができているのが見えた。


 旅芸人が、何か芸でも披露しているんだろうかと思った。

 こんなところで何してるのよ、邪魔なんだけど。と、心のなかで悪態をつく。

 寝不足の頭は、そんな些細なことにもイライラしてしまう。


 人の輪を避けて通り過ぎようとした――が、足が止まった。


 近づいてわかったのは、聞こえていた弦の音がギターのものだということ。

 そして、歌っているのは私と同じくらい、あるいは少し若いくらいの女性だということ。


 それだけなら立ち止まるほどのことではない。

 ふと足が止まってしまったのは歌を歌っている女性の神秘的な銀髪が横目に入ったからだった。


 そして私の耳に彼女の歌う鈴のように澄んだ歌声がしっかり響いたときには、もう足は動かなかった。


 日中の陽の光と対照的な銀色の髪を午後の穏やかな風にたなびかせながら、歌を歌う女性。


 穏やかで優しいメロディ。


「……へぇ」


 思わず感嘆の息が漏れる。

 旅の楽師の歌や演奏なんて、これまでまともに聴いたことがなかったけれど──悪くない。そう思った。


 

 止まってしまった身体をようやく動かし、私は橋の反対側の欄干に背中を預けて、腕を組んで瞳を閉じた。


 そして、静かに耳を傾ける。

 

 私がいつも歌うような、品格を重んじた歌とはまるで違う。

 素朴な言葉で紡がれる、どこか懐かしい旋律。

 

 午後の穏やかな風がゆるやかに私の金髪をそっと揺らした。


「ありがとうございました!」


 歌っていた女性が、明るい声と笑顔で演奏の終わりを告げる。

集まっていた人々が拍手を送りながら、彼女の足元に置かれたギターケースへ硬貨を投げ入れていった。


「ふうん……旅の楽師は、ああやってお金を稼ぐのね」



 私は旅の楽師の歌を最初から最後までちゃんと聴いたのはこれが初めてだった。だから、こうして人々が硬貨を投げ入れている光景を見るのも初めてだった。


 まぁ、なかなかいい歌だったし。私も少しくらいあげてもいいかしら。

 私は手持ちの硬貨を適当にひとつつまみ、歌っていた女性に直接手渡した。


「はい」

「わーありがとうございま──ん? あわわ、さすがにこれは受け取れませんって……!」


 銀髪の女性は満面の笑顔で硬貨受け取ったものの、すぐに表情を変えて慌てて私に返そうとする。


「なんでよ?」


 私は怪訝そうに首を傾げる。


「だってこれ金貨です! さすがにこの金額をいただいちゃうのは気が引けちゃいますっ!」


 ふむ、なるほど。これだと相場に合わないのね。

 私は財布を取り出し、無造作にいくつかの硬貨を女性の前に出す。


「ねえ、こういうときの相場がわからないの。この中から適正なものを選んでちょうだい」


「えーと……特に相場っていうのはないんですけど……その、聴いてくださった方が、私の音楽を聴いて“それくらいの価値がある”と思った額をくださるだけなので……」


銀髪の女性は困ったように頬をかく。


「なら、さっきのでいいじゃない」

「でも、金貨は高すぎるというか……」

「ああ、もうめんどくさいわねっ!」


 私は彼女の手に、無理やり金貨を握らせる。

 銀髪の女性は驚いたように目を白黒させた。


「いい? 私の中では、それぐらいの価値があったの。それに、お金があって困ることなんてないでしょう?」


 まだ躊躇う素振りを見せる彼女の手を、私はさらにぎゅっと握った。

 ふいに、彼女の表情がやわらぐ。


「……ありがとうございます。ふふ……じゃあ、いただきますっ」


 そう言って、受け取った金貨を大切そうに両手で包み込こむ。

 その邪気のない笑顔に、思わず私も口元がゆるんだ。


「実はすっごく助かります。本当は、ちょっと金欠気味だったので……」

「そう。ならよかったわ。それじゃあね」


 私は軽く踵を返して、その場を離れようとした。


「あ、あの、あなたも楽器、弾くんですか?」

「え?」


 その声に、私は思わず足を止めた。


「その、抱えてるケース……楽器ですよね?」


好奇心の光を宿した瞳で、彼女は私の肩にかけたリュートケースを見つめている。


「ああ、これ? これはリュートよ」


 私はケースを開き、リュートを取り出す。

 普段なら、初対面の相手にこんな気安く見せたりしない。

 なのに今日はなぜか、そんな気分だった。自分でも驚くくらいに。


「リュートの音って、聴いたことある?」

「えぇと……実は聴いたことなくて……もしかして、弾いてくれるんですか!」


 銀髪の女性は、ぱっと顔を輝かせ、勢いよく私の方へ身を乗り出してきた。


「特別に弾いてあげてもいいんだけど、今は無理ね」

「え?」


 ペトラの言葉に銀髪の女性は首を傾げる。


「リュートの音ってね、小さいの。こんな人混みの中じゃ、聴こえないわ」

「そうなんですか、残念です……」


 しゅんと肩を落とす女性のその様子に、思わず笑ってしまう。

 地位や名誉なんて関係なく、純粋に“音を聴きたい”と思ってくれたのが、ちょっぴりうれしかった。


「じゃあ、どこに行けば、あなたのリュート聴けるんですか? どこかのお店とかで弾いているんですか?」


 私は首を横に振る。


「残念。私、吟遊詩人なの。だから、宮廷とか貴族相手にしか仕事してないの。ごめんなさいね」


 誇りと自信を込めてそう告げる。

 驚いて、褒めてくれるかしら。


 ──もしかしたら、尊敬のまなざしを向けてくれるかも。

 そんなことを少し期待していた。


 けれど、返ってきたのはまるで正反対の言葉だった。


「本当ですか!? 実は私も吟遊詩人なんです!」


 銀髪の女性は、おひさまみたいに顔をぱっと輝かせ、嬉しそうに言った。


「は?」


 気づけば言い争いになっていた。

 いや、正確には言い争いというより、私が一方的に怒っているだけだった。

 銀髪の女性は、終始にこやかに受け流している。


 彼女が”吟遊詩人”と名乗ったことが、どうしても私は納得できなかった。

 それは、”吟遊詩人”という存在の歴史であり、私の誇りであり、プライドだ。


 宮廷に仕え、貴族に仕え、一般民衆の手の届かないところにいる。

 それが、私たち吟遊詩人の矜持。

 旅芸人なんかが、軽々しく名乗っていいものじゃない。

 


「せめて吟遊詩人を名乗るのなら、リュートかフィドルを演奏しなさい!

 なんでギターなのよ? そんな歴史も浅い楽器で、吟遊詩人を名乗るんじゃないわ!」


「別に、ギターだっていいと思うけど……」


「だから吟遊詩人を名乗るならって言ってるの! ギターの吟遊詩人なんて、聞いたことないわ!」


「……へぇ、いないんだ。えへへ、私オリジナル? ちょっと嬉しいかも」


「喜ぶなっ!」


 思わず声が大きくなって、息が上がる。

 彼女は、悪びれることなく、穏やかな笑みのまま私を見ていた。


「ねえ、吟遊詩人って、何だと思う?」


 私の苛立ちなどどこ吹く風。

 銀髪の女性は、自分のペースを崩さず、やわらかな声で問いかけてきた。


「なに? 急に」


 唐突な質問に、私は眉をひそめる。



「あはは、ごめんね。あなたみたいな吟遊詩人に会ったの、初めてだったから。ちょっと訊いてみたくなっちゃって。


 私もね、今、吟遊詩人として旅をしてるけど……吟遊詩人って何なのか、はっきりわからないんだ。おかしいよね、自分で名乗ってるのにね」


 「……何を言ってるの?」


 吟遊詩人を名乗っておきながら、吟遊詩人が“わからない”?

 頭どうかしてるんじゃないの?


 ただでさえ、旅芸人のような彼女が“吟遊詩人”を名乗っていること自体に腹が立っているのに。

 

 彼女のその言葉は、私の怒りにさらに油を注いだ。


「ふざけないでっ! そんな曖昧な気持ちで吟遊詩人を名乗ってるの!?

 信じられない!」


「うん、ごめんね。だから、あなたに訊いてるの。

 私はね、まだ先生の真似っこ。先生が吟遊詩人を名乗っていたから、私も名乗っているだけなの。


 だから、あなたにとって。吟遊詩人にとって大切なことって何かな?」

 

 すべてを見透かすような紫色の瞳がまっすぐ私を射抜く。

 

「そんなの──っ」


 口を開きかけて、言葉が詰まった。


 吟遊詩人にとって大切なもの。

 そんなこと、考えたこともなかった。

 銀髪の女性はじっとおだやかな瞳でペトラを見据えている。


「それは…………依頼人が、満足すること、よ」


 なんとか言葉を絞り出す。

 けれど、口にしてみると、胸に強くざらついた。


 日々”仕事”として、吟遊詩人という名と向き合ってきた。

 大切なのは依頼主が満足してくれること。

 代々受け継がれてきた家系の名に傷をつけないこと。

 それだけを考えてきた。


 ……でも、それが本当に“吟遊詩人にとって大切なこと”なのだろうか?


 自分の言葉に、違和感を覚えた。

 そんな私を見て、彼女はやわらかく笑う。


「よかった。私も同じだよ。

 私の歌を聴いて楽しんでもらいたい。喜んでもらいたい。


 そして何を伝えられたらいいなって思うの。

 でもそこに、楽器がリュートであったり、フィドルである必要はないかなって。


 自分の一番いい音楽を奏でられる楽器が私にとってギターなの。だから私は、ギターを弾くの」


 邪気のない笑顔。

 彼女の言いたいこと、伝えたいことは、ものすごく理解できる。

 でも──やっぱり認めたくない。


「……でも、ギターは吟遊詩人の楽器じゃないわ」


 彼女を吟遊詩人だと認めることができない。

 

「でも、私は吟遊詩人だから」


 当然のように、まっすぐ言い切るその声。

 さっきまで“わからない”なんて言っていたくせに。


「……はぁ、話にならないわ」


 私は両手のひらを上に向けて、大げさに肩をすくめる。

 彼女に悟られないよう、内心のもやもやを押し隠しながら。


そのまま踵を返して歩き出す。


「明日もここで演奏してるから! よかったら、また聴きに来てねー!」


 背後から明るい声が飛んでくる。

 私は無視して、大股で橋を渡り去った。

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