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イヴのうた  作者: 花邑ゆう
12/27

吟遊詩人とあやしい発明家 PASSGE:3


「人形劇をね、やりたかったんだよね」


 突然、ぽつりと男性が言った。


「えっ」


 さっきまでの調子とは違う。

 彼は私のほうをゆっくり見て、まるで昔の記憶をそっと辿るみたいに言葉を続けた。



「子供の頃に、路上でやっていた人形劇を見たんだよね。それがきっかけ」


 その横顔は、懐かしさと、少しだけ寂しさが混ざったように見えた。

 過去を思い出しているのあろうか、男性はメガネの奥の目を細める。


 顔からは楽しさと、そしてどこか寂しさのような影が浮かぶ。

 ……なんとなく、その気持ちはわかる。


 幼い頃の楽しい記憶はとても温かくて大事なものだけど、思い出すとなんだか切ない気持ちにもなるから。


 私はパブのおじさんに声をかけて、葡萄酒をもう一杯頼んだ。出されたグラスを男性の前へ差し出す。


「昔話をするのに、お酒がないのは片手落ちでしょうから」

「はは、ありがとね。中々粋なことしてくれるね」


 彼は笑って一口なめてから、グラスの表面に映る自分の顔をのぞくようにしながら話を続けた。


 イヴのその言葉に男性は、笑いながらも礼を言い、葡萄酒をなめる。そして葡萄酒に映る自分の顔を覗き込むようにしつつ、また語り始めた。


「夏のお祭りの夜でさ。日が暮れても祭りの灯りで明るくて、ふわふわした空気が漂ってて……。そんな中で家族と見た人形劇がさ、どうしても忘れられなくてね」


 落ち着いた声だった。

 穏やかな口調で語り出す。お祭りの日の記憶。

 私は口を挟まないように、静かに葡萄酒をひと舐めする。


 


「物語はよくある英雄譚だったよ。主人公の男の子が、剣を片手に冒険にでる。お姫様のために戦ったり、一度刃を交えたものを仲間に加えて、次々と強敵に挑んでゆく」


「物語はよくある英雄譚だよ。主人公の男の子が剣を持って旅に出る。お姫様を助けたり、戦った相手が仲間になったり、次々強敵に挑んでいくんだ」


 つい、クスッと笑ってしまった。


「なんだい? “似合わない”とか思ってるだろう。失礼だなぁ。男子はね、子どもの頃はみんなそんなのが好きで、憧れるものなんだよ」

「ご、ごめんなさい。そういうつもりじゃ……」

「まぁ、いいけどね」


 彼は照れくさそうに笑って、また話を続けた。


「人形劇の語り手がね、物語を水の流れみたいに綺麗に紡ぐんだ。その流れに乗って、人形たちが縦横無尽に動いて、踊り回る。その光景が、もう目に焼き付いて離れなくてさ。だから自分でもやってみたいと思ったんだよ。それが、ボクにとってはじめての“夢”だった」


 男性はそこでいったん言葉を切り、葡萄酒をぐいっと飲む。


「でも、物語を語るのは上手くなかったし、裁縫も苦手でね。人形だってうまく作れなかった。それでも諦めずにやってみたよ。親や兄妹には笑われたけどね。それでも続けた。でも結果は……まあ、散々だったよ。悔しいけれど、自分にはその才能やセンスがないって、年を重ねるほどに思い知らされたんだ」


 そう言いながら、不格好な機巧人形を、まるで大切な相棒みたいに撫でる。


「だけどね、ボクにはこっちの才能があった」


 機巧人形を指先でいじりながら、少し誇らしげな声で言った。


 彼は夢をいったん諦めて、働き口を探したという。

 そこでたどり着いたのが、最新技術の研究施設。

 機巧人形の技術と出会ったのも、その場所だった。


「人形劇をするって夢は叶わなかった。でも、この機巧人形を使えば、子どもの頃のボクみたいに純粋に楽しんでくれる人がいるんじゃないかって思ったんだ」


 その顔は、まるで少年みたいに無邪気だった。

 私もつられて微笑む。


「どうして私にそんな話をしてくれたんですか?」


「どうしてだろうね……あれ、本当にどうしてだろう? 久しぶりにいいお酒飲んで、酔っちゃったせいかな。まあ、たまには誰かに話を聞いてもらうのも悪くないね」


 男性はすっきりした顔を見せた。

 けれど次の瞬間、機巧人形をいじりながら、また表情を曇らせる。


「でも、うまくいかないんだよねぇ。キミにも言われたけど、やっぱり“ただ動くだけ”じゃダメなんだよね」


 苦笑しながら葡萄酒を一気に煽った。


「そうですね。それだけじゃあ、つまらないですよ」

「ずけずけ言うねぇ、ほんとに」


 ふふっと笑いながら、私はまた二人分の葡萄酒を注文した。

 男性は機巧人形をいじる手を止め、私のほうへ顔を向けた。


「でもどうだろう? そこは吟遊詩人さんも同じ気持ちじゃないかな。純粋に楽しんでほしいんだよ。僕が作ったものでね。特に子どもたちに喜んでもらいたいんだ」


「……そうかもしれません」


 私は軽く息を整えてから、ゆっくりと言葉を続ける。


「私も、今日あの橋の上で歌ったり演奏したりした目的は……正直、お金を稼ぐことでした。でも、それだけじゃなくて。楽しんでもらいたい気持ちもちゃんとあって。


 それに……私は吟遊詩人として、私の歌で、誰かの背中をそっと押せるような歌を歌いたい。そう思ってるんです」


 言ってしまった瞬間、自分で言っておきながら恥ずかしくて、頬が熱くなる。


「へぇ、それは殊勝な心がけだね」


「馬鹿にしないでください」


「いやいや、馬鹿になんてしてないよ。きっと、そう思うようになったきっかけがあるんだろう? ボクが人形劇に憧れたみたいに」


「……はい。私も、ある人の音楽に背中を押してもらったからです」


 私の答えに、男性は優しく頷いた。


「夢ってさ、形を変えていくものだろ。

 子どもの頃に抱いた夢は叶わなかったけど、その欠片はちゃんと残ってて……新しい夢を紡ぎ続けていく」


 その言葉に、胸の奥がじんわり温かくなる。


「そうですね……。なので、こういうのはどうでしょうか?」


 私は一つの提案を切り出した。


 人は、大きすぎる夢を聞くと笑ってしまうこともある。

 だけど、本気の夢には不思議と心が動かされて、協力してあげたくなる。


 ──まさに、今の私みたいに。


「……なるほど。悪くないね。それは、君も協力してくれるってことでいいのかな?」


「はい。一回だけですよ。とびっきりの劇、やりましょう」


 そう答えると、男性はにやりと笑った。

 私もつられて笑ってしまう。


 新しく出された葡萄酒を二人でそっと舐める。

 その味は、さっきより少しだけ甘く感じられた。


***


 橋の上の真ん中に、小さな即席の舞台ができあがっている。

 私のギターの音が響き、彼の機巧人形がその上で楽しそうに踊る。


 数日前に私が提案したことは、べつに珍しいことでも難しいことでもなかった。

 彼の劇に、私が物語と歌を添える──ただそれだけのこと。


 むしろ、ずっと人形劇に憧れていたというのに、どうして物語がなかったんだろう、と不思議に思ってしまうくらいだ。


 もちろん、物語を語るだけじゃない。

 場面に合わせて、私がギターを弾き、歌を添える。


 物語は、よくある英雄譚。

 勇敢な少年が旅に出て、人を助け、最後にはお姫さまをさらったドラゴンを倒し、幸せを手に入れる──ありふれた物語。


数日かかったのは、その物語に合わせて機巧人形を動かすことが想像以上に難しかったからだ。


 私の音に呼応して動くように、彼は人形の仕掛けを調整し、私は語りと歌と演奏を合わせる。


 お互いに試行錯誤を重ね、時間はかかったけれど──その分、息も合うようになっていった。


 練習の成果は、しっかりと出た。


 私が弾くギターのリズムに合わせて、彼の人形がぎこちなくも躍動し、物語は少しずつ生命を帯びていく。


 語りは私の声で紡がれ、彼の操る機巧人形が舞台の上で命を得る。

 こんな形で誰かと“ひとつの作品をつくる”なんて経験は初めてだったけれど……すごく新鮮で、何より楽しかった。


 視線を巡らせれば、劇を見てくれている人たちの顔が見える。

 大人も、子どもたちも、純粋に楽しんで笑っている。


 ──その光景に、胸の奥から誇りと喜びが込み上げてくる。


 ふと視線を横にやると、機巧人形を操る彼と目が合った。

 彼もまた、子どもみたいに嬉しそうに笑っている。


(ああ……これが、彼の見たかった景色なんだ)


 そう思った。


***


「……すごい」

「……」


 劇が終わったあと、私と彼は、ぽかんと口を開けたままギターケースを見つめていた。


 銅貨や銀貨が山盛りに積まれている。


 今回は純粋に誰かの笑顔を見るための劇だった。

 なのに──前回以上に、想像をはるかに超える額が集まっていた。


「おいおい、キミ。女の子がしちゃいけない顔になってるよ」

「そういうあなたこそ、そのにやけ顔……不審者そのものですよ」


 そう言い合った瞬間、二人とも堪えきれずに笑ってしまう。

 その足で、私たちはまっすぐパブへ向かい──


「「マスター! とびっきりの葡萄酒をっ!」」


 声を合わせて注文し、劇の成功に祝杯をあげたのだった。

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