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7.お酌

 家に着いたのは大分夜も更けた頃だった。少女は裸足であり、ゆっくりと歩いたため思ったよりも時間がかかってしまったのだ。


 家に入る時になって自分の足と少女の汚れをどうにかする必要があることに気づく。化け物の血や体液よりも、見知らぬ男の体液というのがこれほどまでに不快なものとは想像もしなかった。


 装備品を洗う井戸の前に少女を呼び寄せて水を汲む。少女に水の入ったタライを渡して身を清めるように言いつけて、俺は右足を水で流してブラシでこすった。幾度となく俺や仲間、化け物の血やら吐しゃ物やらを吸い込んできた洗い場も、見も知らない男の体液を流し込まれて不機嫌そうな音を鳴らす。


 ふと少女の方に目をやると何やらしゃがみ込み、股の間に手をやっている。よくわからなかったが、見てはいけない姿のような気がして目をそらした。


 「あの、洗い終わりました」


 改めて少女を観察すると、フード越しではあるが少女の顔が見える。顔はややあどけなさを残すものの、十分に整っているように思えた。まだら模様の金髪に優しげな瞳。


 また金髪かと胸中でため息をこぼす、金髪の神様に俺は何かしてしまったのだろうか。


 汚れが落ちた分先ほどよりはマシではあるが、積年の汚れがこびりついているであろうボロ布ごと家に上げる気は毛頭なかった。それも脱げと少女の纏うローブを指さす。


 少女は俯き、逡巡した後に蚊の鳴くような声で「はい」と答え、のろのろとローブを脱いでいく。何を想像したのかわからなくもないが、食い詰めたガキに欲情できる程なら俺はパーティメンバーの女性陣に千回は襲い掛かっていただろう。


 胸と股間を手で隠して俯く少女を見やり、予想が外れて少々驚く。瘦せた鶏のような体を想像していたが、意外にしっかり食えていたようだ。なによりもその耳の形が目を引いた。少女の耳は丸ではなく、明らかに少し尖っていた。


 初めて見たが、ハーフエルフだろう。


 人とエルフの間に稀に生まれる混血児。耳はエルフほど長くなく、人よりは短くない。エルフ譲りの端正な顔立ちの者が多く、寿命も人よりは長いそうだ。


 混血児はその血からか、人ともエルフともハーフ同士でさえ子供を残すことができず、一代限りとなる。そのため縁起が悪いとされて冷遇されることもあるのだとか。


 そしてその特徴から一部の好事家のおもちゃとして高く取引されることもある哀れな種であった。


 平静を装い、少女から衣服を受け取りタライの中に放り込む。


 もう一度水を被って洗っておくことと、衣服は自分の物を中で渡すからそれを使うこと、水で落ち切らない分は湯を沸かすので後で洗うこと、我が家は土足禁止であること…俺がまくしたてると、少女は目を白黒させながらもこくこくと頷く。


 絶対に分かっていない。色々と説明しなければならないことばかりで面倒になった俺はここで待っているように言い含め、家の裏手に回る。


 我が家には風呂がある。この家を買うときにセールスポイントとして謳われていたことだ。何故かゲンジがここにするべきだと熱心に俺に勧め、購入に至ったのである。


 しかしながら、正しい使用回数は両手で数えても足りるほどだ。ものぐさの俺には風呂を沸かすためにいちいち外に回って薪をくべる手間は致命的と言えた。


 適当に薪を放り込んで火をつける。幸い水は張ってある。水風呂は楽でいい。


 井戸に戻ると、少女は水を滴らせながら俯いて所在なさげにしていた。これでやっと家に入れると思ったところで少女が裸足であることを思い出す。我が家は土足禁止だ、今はもう慣れたが最初の頃は何度も土足で上がり足跡を拭いたものだった。


 もういい加減面倒になっている俺は無言で少女を横抱きにする。抱えあげられた少女は抵抗こそしなかったものの、顔を赤らめて声にならない声を上げた。


 少女を抱えたまま玄関を開け放ち、靴を脱ぐ。そしてリビングのソファまで運んでやってからゆっくりと降ろしてやる。剣とダガーを剣帯ごと外して棚に収め、チェインメイルも脱いでブレストプレートと一緒にしておく。


 こちらをじっと見ている少女にまた待っているように言って自室に向かう。さっきから待っていろとしか言っていないなと思いつつも、大きめの布とシャツを手に取りリビングまで戻った。


 投げてよこすのも雑だろうと思い、手渡しで渡してやる。体の水気をよく拭いてから服を着ることと、サイズが合わないだろうが適当なものが無いことを謝罪しておく。


 少女はぶんぶんと首を振って「ありがとうございます」と言って服を受け取る。着替え終わった少女はダボダボの服に、尖った耳、まだら模様の髪に目をつむれば普通の町娘といっても通じるレベルには見えた。


 風呂が沸くまでには時間がある。次の探索のためと買い足しておいた携行食の肉やらチーズやらと一緒に、パンと葡萄酒をテーブルに乗せて少女を呼び寄せる。


 酌をしてくれるように伝えると、少女は嬉しそうに首を縦に振って、服を脱ぎだした。


 俺は慌てて制止する。ちょっと待ってとか思わず言ってしまった。恥ずかしい。



 俺は探索者だ。ダンジョンに潜って化け物を斬るのが仕事である。世事には疎い。流行にも鈍感だし、男女の機微についてもさっぱりだ。しかし、これは俺の拙い世の常識を総動員して考えても何かが間違っていると判断できた。酌を頼むことと服を脱ぐことがどう考えても繋がらない。そこが繋がるのであれば俺は酒場の看板娘の裸を何回も見ているはずなのだ。当然ながら一度も見たことはない。


 少女は俺の声に従い、服を元に戻して説明してくれる。


「あの、貸していただいた服はとてもきれいです、汚してしまうといけないので、脱いだ方が良いと思いました…いけなかったでしょうか」


 言葉は分かるのだが、何を言っているのかが理解できない。


 ワインを注ぐと服が汚れる。へたくそすぎて飛び散るということか?そうなったら俺もワインまみれだろう、飛び散らせないように注いでほしいのだが。


 疑問が渦巻くがそれに蓋をして、ワインの注ぎ方を教示する。グラスの半分くらいまでワインを注いで、飲み終わる頃にまた注いでくれと。そしてくれぐれもそっと注いでくれと頼む。


「はい、わかりました。初めてなのでうまくできるかわかりませんが、精いっぱい頑張ります」


 酌とは俺の言う方法がアブノーマルなのだろうか。日常とうまくやっていく自信がさらに無くなっていく。そもそも酌をするのに精一杯頑張る要素があるのだろうかと思いつつも、よろしく頼むと返した。この時の俺は少女の精一杯の頑張りがどういうものか分かっていなかった。


 食事を始めると視線を感じる。少女はワインボトルを握りしめ、俺がワインを一口含むごとに足を踏み出すかどうかを迷ってもじもじとする。


 早く飲め、一気に行けと言われている気分だ。これがアルハラというものか、俺も気を付けよう。


 そしてなぜパンやチーズを口に運ぶ時もグラスをじっと見つめているのだろうか。視線でワインが蒸発してしまいそうだ。しかも強化された俺の聴覚は少女の腹がキュルキュルと控えめに鳴くのをずっと拾っていた。


 金が回るようになってから行くようになったレストランを思い出す。


 店員はどこを見るわけでもなくこちらの視線の邪魔にならないところに立っており、見渡そうと顔を上げれば注文を聞きに、グラスが空になるころにはすっと近づいてきては注いでくれたものだ。気にも留めていなかったが、あれが給仕の技というものだったのだろう。当然腹の音もさせていなかった。


 俺の心はすぐに限界を迎える。


 わかりやすいように一気にグラスを呷ると少女が近づいてきてワインを注ぐ。少女に軽く礼を言い、一緒にテーブルについて話し相手になってくれないかと誘う。無駄に少女を傷つけずに酌をやめさせ、飯を食わせて音を消す。妙案である、俺は天才だ。


「そんな、恐れ多いです、私なんかが…」


 予想通りといえば予想通りの回答。「あっはい喜んで」と言えるくらい図太い方が相手をするのに楽ではあるが、好感が持てるかと言われればそれはまた別の話である。


 それに対して我が家のルールであるとごり押す。伝家の宝刀ローカルルール。そんなルールは今作ったが構うまい、どうせわからないのだ。


「はい…、では失礼します」


 少女は気まずそうに俺の隣に座る。向かいに座るだろうと場所を指定しなかった俺が悪いとでもいうのだろうか。


 隣り合って二人で黙々と飯を食う。


 少女が遠慮がちに度々手を止めるので促すような言葉をかけるだけの食卓であった。話し相手になって欲しいといったものの、何の話をすればいいのか分からない。俺は馬鹿だ。


 話題が見つからず、ダンジョンの中層にいる首刎ねウサギの対処法について話そうか真剣に考えだしたころ、少女が口を開いた。


「助けていただいた上に、食事までいただいてどう感謝すればいいかわかりません。本当にありがとうございます」


 テーブルの上を見れば携行食も粗方片付いていた。なかなかの健啖家のようだ。いや、俺が無意識に食べたのかもしれない。


 少女に対し、味はそれなりだろうが量は足りたかと尋ねる。ストックはまだまだあるのだ。


「とんでもないです。こんなおいしい食事をお腹いっぱい食べられたのは初めてです」


 金回りは良いので携行食もそれなりに良いものを購入している。安物と何が違うかと言えば何といっても柔らかさだ。素早く口にできる食料は探索中は重宝する。しかし味については安物に毛が生えたようなレベルであり、美味いかと言われれば首をひねるようなものであった。考えてみれば家で食うようなものでもない、無駄に高価な粗食といっていいだろう。


 駆け出しで貧乏生活していた時でさえ、硬い携行食を食えるだけありがたいと思っていたが、美味いとは感じていなかったように思う。


 こんな境遇のガキなんて掃いて捨てるほどいる。俺だって一歩間違えば似たような状況か、いや、既に死んでいただろう。今この瞬間にもわずかな金のせいで命を落とすものもいるはずだ。誰も助けてはくれない。だから立ち上がって剣を振るってきたのだ。


 少女を助けてやりたいなど偽善である。わかっている。 


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