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51.俺と花売り娘と平和な日常

「ご主人様、あまり寝ると夜寝れなくなってしまいますよ」



 うつらうつらとしていた意識が浮上する。がばりと顔を上げるとニアがこちらの顔を覗き込んでいた。周りを見るとロマやサラの姿が無い。よかった、きっとあの話題は無かったことになっているだろう。どうにかやり過ごせたようだ…軽く礼を言って外の様子を見ればまだ昼前といったところか。



「そろそろお昼ご飯の時間ですよ。お二人はロマさんの部屋でエリクサー服用後の検査?をしているみたいです。お昼ご飯前には終わるだろうって言っていました」



 エリクサーを人工的に作り出すというロマの数ある夢の一つ。以前、一生かかっても時間が足りないと言っていたが、裏を返せば時間さえ足りるのであればそこに辿り着いて見せるという彼女なりの自信の表れなのだろう。どうやれば作れるのかなど俺には見当もつかないが、協力できることがあるのであれば協力したいものだ。



 ロマの部屋のドアがガチャリと開いた音がして、二人が何やら話しながらこちらに近づいてくる。どうやら検査とやらが終わったようであった。



「…センセイさ、何でも協力するとは言ったけど、ケツに突っ込むのは本当に必要だったのかい?指なんかより細いとはいえ気色悪いったらない」



「体温などの基礎データの収集は重要だ。直腸は口腔内よりも正確な部位だよ。安定するまで時間がかかるから、危なくて寝ている間は測定できなかったのさ。食後や運動後は適さないので今くらいの時間に定期的にするからね」



「げ、一回こっきりってワケじゃないのか…お?ダンナ起きたのかい。聞いとくれよ、センセイに後ろの穴の初めてを奪われちまった。せめてこっちのはダンナに捧げたかったんだけどねえ」



 こちらに流し目をして話しかけてくるサラの言葉を一瞬理解できなかったが、その内容に気づき顔が熱くなるのが分かった。酔ったおっさんが管を巻いて喚くようなのといい勝負だ…女性、ましてまだ慣れないサラに言われたのもあって、うまく受け流すことができない。困った時は逃げるが勝ちだ、少し剣を振ってくると言い残し足早にその場を後にした。



「しくじったね…ダンナはこういうの苦手なのか。センセイともおチビちゃんとも寝てるくらいだから、ウケるかと思ったんだが…この方向性がダメだとすると娼館仕込みの踊りも逆効果かねえ…」



「えぇ…普通に言葉で伝えたらいいだろう…あとボクを巻き込むのは止めて欲しいな」



「あ、お二人とも。ご飯の準備ができましたよ。あれ、ご主人様はどうしました?」



「…もしかしてアタシが呼びに行くのかい?気まずいったらないんだけど」



「ボクだっていやだよ、自業自得だろうに」



§



 剣をひったくるように手に取り、新雪をぎゅむぎゅむと踏み分け庭に踊り出る。真っ白い雪に足跡を付けるとなんでこんなに気持ちが良いのだろう。綺麗なものを汚してしまう背徳感に通じるものがあるのだろうか…何を想像しているんだ…これではいけない。



 邪念を振り払うために愛剣を引き抜き、精神を研ぎ澄ませ…初めて…研ぎ澄ませ…捧げる…研ぎ澄ませるって言ってるだろう!いい加減にしろ!



 こうなったら別のことを考えて忘れよう。そうだ、毒を以て毒を制すという言葉があるとゲンジから聞いた。俺はサラの姿を押しやるようにニアの容姿を脳裏に描き出す。



 光を放つような美しいピンクブロンド。風が吹けば細い髪の一本一本が流麗に靡き、周囲に花の香りを漂わせる。その髪から飛び出す尖った耳、可愛らしい顔に、しなやかで均整の取れた身体。そしてこちらを見つめる優し気で慈愛に満ちた神秘的な青緑の瞳にはいつも心が洗われるようだ。時折情熱的に染まる瞳も魅力的で、耳を軽く食んだ時の反応もまた愛らしい…いや、いくらなんでも毒性が強すぎる…



 瞳と言えばロマの片眼鏡越しの知的で落ち着いた瞳も魅力的だ。ややクセのある栗色の髪から覗かせる三白眼を人によってはきつい目つきと取るかもしれないが、自信に満ちたあの瞳を見るだけでこちらも自信が湧いてくるのだ。あの瞳が困ったように下がる瞬間は俺だけに見せて欲しい表情の一つである。一方その体つきは女性らしさを凝縮したような様相であり、そのギャップはいっそ暴力的ですらあって…いや、これも良くない…



 サラはまた二人とは違った雰囲気を持つ女性で、強い意志を宿した青い瞳とキリリとした眉毛が素直にかっこいい。褐色の肌と、美しい白銀の髪とのコントラストが眩しく、頭頂部の髪の間からぴょこりと飛び出す丸くて黒い耳は、姉妹であるニアとある意味お揃いである。まさに姉御肌の勝気美人といった風だ。その体形は名工の手掛けた彫像が動き出したかのような黄金比で構成され、腰から伸びた美しくて太い尻尾は一体どんな感触なのか、一度触らせて欲しいものである…



 いかん、サラを想像しないために二人を思い描いていたのに、結局元に戻ってしまったではないか…



 未熟、その一言に尽きる。



 ため息を一つ吐いて剣を収めると、家の角から気配を感じた。そちらに目線をやると、家の影から白銀に黒縞の尻尾が顔を出している。幻視だろうか…俺もいよいよマズイことになってきたな…



「ダ、ダンナ…メシができたってさ、じゃ、じゃあアタシは行くから」



 それだけ伝えると尻尾は引っ込んでしまった。なんだかその光景がひどく微笑ましく、乱れていた心が落ち着きを取り戻したような気がする。尻尾セラピーとでも言おうか。



 息を短く吸い、抜きざまに剣を薙ぐ。その剣筋には一つの乱れもない。一つ頷いて剣を収め、リビングに向かう。



 うむ、お互い無かったことにしよう。サラは変なことを言っていないし、俺は何も聞かなかったのだ。ひとつ大人になれた気がした。



§



 夕食が終わり皆でこたつに入っているが、なんだか張り詰めた雰囲気だ。



 ロマはいつも通りに見えるが、ニアは何かを訴えるように正面のサラを見つめ、サラはその視線から逃れるように顔をしきりに動かしている。尻尾はその顔の向きとは反対側に動き、まるで何かのバランスを取っているかのようであった。



 会話のない時間にいつもとは違って息苦しさを感じ始めた時、先ほどの尻尾セラピーを思い出してサラの尻尾をじっと見つめる。ああ、これは良い…なんか効く…炎の揺らめきのように、ある程度不規則に揺れ動くものは人の心を癒す力があるのかもしれない。ペットを飼うと癒されると聞いたことがあるが、もしかして人々は尻尾に癒されているのではなかろうか。



「…ダンナ、もしかしてアタシの尻尾が気になるのかい?少しばかり恥ずかしいんだけれどもさ…さ、触ってもいいよ?」



 視線を悟られたことを少し恥じるが、まあ胸や尻を見ていたわけではない。尻尾ならセーフだよな…しかし、サラ自身が見られたり触られたりするのが恥ずかしいのであれば悪いことをしたと謝罪する。



「全然!ダンナになら良いよ、そうだ、いつでも触っていいからさっ」



「あ、私も触ってみたいで「今は黙ってな」すみません」



 後でニアにも触らせてやってくれと口添えしてやるべきだが…とにかく今はお言葉に甘えてしまおう。どうやって触ればよいかと考えていると、こちらにサラが身を寄せて軽く背を向ける。尻尾が左右に彷徨った後、握手を求めるかのようにおずおずと差し出された。



 これを触っていいという事だろうか。なるべく刺激を与えないよう握ったりはせずに、表面を触れるか触れないかといった具合に優しく撫でる。おお、思ったよりも毛が短く密集していて柔らかいし温かい。ものすごいもふもふだ。



「んっ、も、もうちょい、んっ、強く握ってくれた方が、んっ、マシ、かも」



 ひとしきり尻尾を堪能し、これは本当にすごいと感嘆する。手触りはもちろんのこと、短い毛に覆われていた尻尾は予想よりもずっと太く、しっかりとしていて存在感がすごい。サラさえ良ければ二人にも触らせてやって欲しい、これは革命的なもふもふだ!



「はぁ、はぁ…気に入ってくれたのなら良かったよ。と、ところでダンナ…物はひとつ相談なんだがね」



 サラの顔は少し朱が差しているが、眉尻が下がりとてもリラックスできているように見えた。俺の手から解放された尻尾も今は左右にゆっくりと揺れ、苦しゅうないと仰せだ。もしかしてだが、このもふもふセラピーはウィンウィンなものなのではないだろうか、そうであれば定期的に開催されることを期待したい。とにかく、先ほどの重めの空気を吹き飛ばしてくれた礼だ、なんでも相談してほしいと返す。



「ダンナは、その…アタシを救ってくれたし、手鏡を取り返してくれたことにも感謝してる。あ、もちろんセンセイやおチビちゃんにもね。それでね、その…」



「姐さん、頑張ってください!」



 もじもじするサラをニアが励ますという光景。何だか前にもこんなことがあったような…相談内容がどんなものであれ、今は俺にニア、ロマまでいるのだ。何とでもなるはずだと気楽に構えて言葉を待つ。



「…ええい!アタシも女だ!…ダンナはアタシを買ったようなもんだ、いや買ってくれ!そんでこの先もここに一緒に住まわせてもらえやしないかね。もちろん自分のエサ代くらいは稼いでみせるよ、どうだい!?」



 えっ、すごいことを言われた気がする。どうだいじゃないよ。買ってくれ?飼ってくれ?エサ代とか言われても、経済奴隷以下の扱いを求めるとはどういうことだ。尻尾を触る時にほんの少しだけペットと比べてしまったことを感じ取ったのか?それはごめん。返答に窮し、なにかアドバイスを頼むとニアに目線を送る。



「私からもお願いします、ご主人様。ご飯を作ってあげないと言ったのは冗談です。今日だってちゃんと昼も夕方も作りましたよね。これからもちゃんと姐さんのお世話もしますし、お家のルールも教えますから」



 おっと予想外の援護が来たな…お願い飼って飼ってみたいなおねだりをこの場面でされるとは思いもしなかった。というか、ニア的にそれでいいのか…本人の希望通りにさせてやるのが一番と考えているのかもしれないが、道を踏み外しそうな親しい者を見た時には注意してあげるのも大事だとあとで教えよう。とりあえず意見に感謝し、正面を見つめる。困った時のロマ頼みだ。よろしく頼むぞ、俺を導いてくれ。



「ボクはこの件に関してはノーコメントだよ。キミの選択を尊重しよう。そして、どうあろうともキミを責めたりはしないと誓うので安心したまえ」



 ロマ先生、それでいいんですか。もしかして出来の悪い二番弟子の俺を試しているという事ですか。ここで俺が飼いますと言っても見捨てますと言っても角が立ちますよね…先陣の谷から突き落とされると俺は普通に死にます。



 …頑張れ、頑張れ俺。頭をひねるんだ。なんとかこの場面からなあなあで済ませる方法はないか、俺はただ、この幸せで平和な日常を守りたいだけなんだよ…そうだ、一つ俺を救う光明を見出したぞ、法律だ、法律上何か問題があるはずだろう。



「無いよ。キミが受諾すればそれで終了だ。ああ、手続きとかが煩雑だろうから、それくらいはボクが請け負おう。それでいいかな、サラ君」



「センセイ、恩に着るよ」



 マジかよ、どうなってんだこの街の法律は。こんな末法な世界で良く俺たち無事に生きてるな、偉いわ。



 変な方向に焦りすぎて魔力を練ることもできない、命の危険が迫れば反射的にどうにかできそうだが、ここで剣を取りに行って自分に向けたら発狂したと皆を心配させてしまう。



 うんうん唸って考えていると、尻尾がこちらに寄ってきて頬をするりと撫でてくれる。ああ…光を見た気がする…導きの尻尾さん…孤立無援の俺に寄り添ってくれるのか…



「ダンナさえ良ければ、この尻尾とアタシごと好きにしてくれていいからさ、頼むよ」



 こたつの中の相棒が賛成と、勢いよく挙手する。お前が尻尾だったらどんなに良かったかと思うよ。



 改めて考えよう、ニアの恩人であるサラを飼うのはダメだ。人の道から外れる、考えるまでもないことである。しかし、ただ単に断るというのも良くない、ニアが悲しむ。そしてロマは俺の選択を支持すると言った。ここから導き出される逃走経路、そう……なんだかそれっぽい第三の道を提示すればよいのだ!サラはニアの姉だろ?ニアは俺と結婚してるから義姉ということだ、閃いた!!



 俺はすべてを有耶無耶にするため、さも自信に満ちた表情を取り繕い提案する。サラを家族として迎え入れるのはどうであろうかと。もう何が正しいのかわからない、なかばヤケクソでどうにかなれというのが正直なところだ。



「ダンナ!恩に着るよ!」


「姐さん!やりましたね!」


「まあ約束だからね、手続きの書類は早々に準備するよ。この前の書き損じ用の書類が一式あるし、今年中に済ませてしまおうか、二度目ならすぐだろう。あ、でも提出の時は一緒に行こうじゃないか」



 通った…いや、通した…俺は深い脱力感と共にこたつに突っ伏す。オーバーヒートした頭と顔に天板の冷たさが心地よかった。





 鐘の音が鳴り響く、俺たちを祝福する音だ。俺はいつもの完全武装で花嫁たちを迎えに行く。



「ダンナ、惚れ惚れするような出で立ちだね。これ以上ないくらいの男っぷりだ、やっぱこうじゃないとね」



 サラが白いドレスを身に纏い、こちらに笑いかけてくる。俺も笑顔を返して、ドレスが良く似合っていると声をかければ、尻尾がご機嫌にゆらりと揺れた。



「ボクのドレス、やっぱりちょっと露出が多いし、派手過ぎないかい?いつものローブでいいと思うのだけれど」



 ロマが赤いドレスの胸元を気にしている。あまりいじると伸びてしまうから大変危険だ。それにしっかりと着こなせているので気にすることはないと宥めれば、はにかみながらこちらに並びかけてくる。



「ご主人様、どうでしょうか」



 ニアが黒いドレスを靡かせながらこちらに歩いてくる。一見なかなかに際どく、妖しい魅力に満ち溢れているが、黒い翼と尻尾も相まってこれ以上ないくらいバッチリと決まっているように思える。綺麗だよと褒めれば満面の笑みで胸に飛び込んでくるので、勢いを逃がすようにくるっと一回転して地面に降ろしてやった。



「ご主人様も素敵ですよ」



 ふと嫌な予感を覚えて下半身を見るが、当然相棒は見えない。ただ、足が震えているだけであった。



 俺は一体何を焦っているのだ、結婚式を前にナーバスになっているという事だろう。でも俺は一人ではないのだ。これまでも、そしてこれからも俺を支えてくれる三人に恥じぬように生きなければと足に力を入れた。



 四人で花道を歩き、皆に挨拶をする。



 マスターとノワール夫妻が手を振っている、その後ろにはオヤジさんの姿も見えた。ゲンジとリリアが祝福の言葉を投げかけてくれ、その後ろのテーブルではグリンとクロウがこちらに柔らかい視線を向けつつ祝杯を掲げる。



 サーシャやサム、マナージやアレクセイ…様々な友人たちが俺たちを祝福してくれていた。



 そして式は滞りなく進み、ブーケトスの時間になった。ニアが花束を持って皆に背を向ける。友人たちの様子を見ればひと塊になっているが、少し離れたところに一人ぽつんと佇むローブを羽織った金髪の女性の姿が目についた。



 俺はニアにあの人にもチャンスがあるようにできるだけ大きくトスしてやって欲しいと伝えると、彼女は素敵な笑顔でうなずいて、力いっぱいに放り投げる。



 花束はどこまでも澄み渡る青い空に吸い込まれるほど高く上がり、視線を戻すとあのローブ姿の女性は消えていた。



 ブーケが誰かの手に渡り、皆の笑い声が響き渡る。なぜだろう、あの女性も今のニアと同じ様に笑ってくれている、そう思えたのだ。



俺と花売り娘と平和な日常 完

お付き合いいただき、ありがとうございました。

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