5.無法者
昔を思い出していた意識が自分に向かう足音によって現実に引き戻される。
ひどく気分が悪かった。
音は二つ、物取りの類であろうと当たりを付ける。武器を持っていたら切り捨ててやろうと足を止め、音の方向に向き直る。完全な八つ当たりではあるが、運が悪かったと諦めてもらいたい。
暗がりから飛び出してきたのは女だった。いや少女と表現した方が近いかもしれない。ぼろを纏った小柄な体躯。
目線を走らせ、素早く相手を観察する。明らかに訓練されていない体の動き、纏う気配にも脅威を感じない。手に武器も持たず、たとえ懐に獲物を隠していても取り出す前にカタがつく。
スリか?それにしてはお粗末だ。そもそもこちらを見ていない。剣の柄から手を放す。浮浪者相手でも無手の者を斬れば面倒だ。
スリなら捕まえればいいと半身で構える。少女はそのまま俺の右脚にぶつかり、うめき声をあげてひっくり返った。
衝突時にこちらに向かって手が伸びる様子もなく、不思議に思っているともう一つの足音が近づく。先ほどよりは重い足音、しかしバタバタとした不揃いな音は明らかに素人であることを俺に伝える。
そちらに目線をやると、なぜか片手でズボンを押さえた男がこちらに向かってくる。少女と同じく無手であり、こちらも脅威ではない。
なるほど、美人局の類であったか。うちのオンナが世話になったのう、慰謝料を貰おうかというやつである。
オンナ役として少女を起用した点は納得だ。ズボンを押さえている点は不明だが。美人局業界の手口にも流行があるのだろうか。効果的かは不明であるものの、インパクトは確かにある。
無手の破落戸相手でも斬るのはまずいが、今は虫の居所が悪い。数発殴らせてもらおうと男を待ち受ける。
「おい!てめぇ!」
男が声をかけてくる。予想通りの展開に内心ほくそ笑んだ。こいつはお前の連れだろうと、足元に転がる少女を顎で指して男に返す。
「だったらなんだ…って、あ、いえ」
近づいてきた男の勢いはこちらの腰に目線を向けたあたりで急速に萎れていく。しまった、先ほど剣を抜こうと鞘を横にしたままなのを失念していた。
帯剣している者にケンカを売るのは得策ではない。
そもそも街中で合法的に長物の武器を持ち歩けるのは認可を受けたものだけ。衛兵などの公的な立場の者以外では我々のような荒事を取り扱う者だけである。
片手剣というのは取り回しが良く、その名の通り片手で振れるため、馬に乗る騎士や盾持ちの衛兵といった人を斬るのがお仕事の連中が好んで持つ。見た目もよいのでお貴族様にも大人気だ。
意外かもしれないが、探索者で片手剣を扱うものは少ない。化け物相手に片手で殺しを乗せるのは至難の業だからだ。しかし例外はある、達人か魔剣であればだが。
それ以外で片手剣を持っている奴はみんなイカレだ。基本的に抜いてきたら殺しても問題ない。やる場合は相手の頭が狂っている点だけは考慮するべきであろう。
逃げ出してしまいそうな気配の男を引き留めるように、なるべく優しく話しかける。安心してほしい、剣なんか抜かない。俺に言いたいことがあるんじゃないのか?話を聞こうじゃないか。
「ひっ、あの…へへ、ち、違うんだ、です。そんなガキは知らね、知りません!」
俺の努力も功を奏さず、男はそう叫んで元来た道に走り去ってしまう。
追いかけて行って殴る気にもなれず、ため息を一つ吐いて視線を戻すと、少女は逃げもせずまだそこにいた。男と同じようにさっさとどこかへ行ってしまえばいいものを。
俺に向かって地面に這いつくばるように頭を下げる少女が目に映る。
ゲンジの教えが頭をよぎる。そう、これはドゲザだ。
聞くところによると最上級の謝罪の仕方だそうで、天下の往来でこれをかまされたら余程の事情がない限りは謝罪を受け入れ赦してやるべし、だったか。
もう一つこみ上げるため息を飲み込んで声をかけようとした時、少女が震え声で懇願してくる。
「騎士様、申し訳ありません!なんでもしますからどうかおゆるしを…!」
ドゲザされるのは初めての経験だ。確かにゲンジの言う通りのすさまじい威力である。その姿はあまりに哀れで、これを無視して立ち去るのはさすがに気が引けた。
まず自分は騎士ではないこと、帯剣を許された探索者であり、少々ぶつかったくらいでは問題ないことを言って聞かせ、先ほどの男との関係を尋ねる。
「さっきの男は…私を買ったんです。でも終わってもお金を払ってくれなくて、払って欲しいというと、半銀貨分のお金を忘れてきたから一緒に来いと捕まえようとしてきたので、逃げました」
少女はどうやら花売りだったようだ。ありふれた金銭トラブルであろうが、先ほどの男の無法ぶりに対して怒りがわいた。俺は、銀貨だった、できなかったんだぞ。やはり追いかけて行ってしこたま殴るべきだっただろうか。
少女に対し、先ほどの見下げ果てた男が悪いのであって君は悪くない。立ち上がって欲しいと伝える。適当に金でも握らせて追い払おうと財布に手をかけてふと悩む。いくら恵んでやればよいだろうか、銀貨一枚は止めておこう。
「そうはまいりません。助けていただいた上に、き、あなた様の足を汚してしまいました」
ぶつかった程度で大げさな娘だと思いつつ自分の右脚を見る。足の甲に白く濁った液体が付着しているのが見えた。
考えたくもないが、先ほどの男の体液であろう。正確に表現したくもない。
怒りで軽く眩暈がした。無意識に魔力が活性化する。
斬っておきべきだったのだ、あの時。適当にナイフでも握らせて撫で斬りにするのだ。いや、無手でも構うものか。こんなちゃちなことをする男は小物である。殺しても口頭注意を受けて保釈金を払うだけで済む。
先ほどの男を想像の中で何度も切り刻んでなんとか留飲を下げる。一刻も早く家に帰りたかった。明日待っているであろう日常ってのは、今よりはマシだろう。そうあってくれ。
謝罪をさっさと受け入れて帰ろうとするも少女は「そうはまいりません」の一点張りだ。もういい加減に面倒くさくなって「ついてこい」と少女に言うとようやく立ち上がる。
家に葡萄酒があったはずだ。帰って飲みなおそう。彼女には酌でもさせて、報酬として金を握らせてお別れだ。そして俺は柔らかなベッドでゆっくりと眠るのだ。この場を収めるのに我ながら良い案だと思った。