16.再びのお出かけ
朝の鐘の音で目が覚めた。少しだけ体がだるいような気がする。
昨日サーシャが帰った後にニアと顔を合わせたのだが、なんだか少し気恥しく感じられ、久しぶりにそういったことをせずに就寝した。思い返せば彼女と普通に寝るのは初めてである。猿か、俺は。相手の負担も考えてやらねばならない。
そのせいか夢の中で隣に眠るニアと散々な痴態を繰り広げることになった。夢の中での彼女はひどく積極的で、散々に俺を責め立てたのだ。経験のない俺に全く思いつかないようなこともしてくれたのだが、俺の想像力も変な方向には働くらしい。我ながらどうかしていると思うが、夢なので許してほしい。
すやすやと眠る彼女に声をかけると、ぱちりと開いた青緑の瞳と目が合った。
「あ…おはようございます、ご主人様。今日はお出かけですよね、すぐ準備しますね」
こちらもおはようと返して、外出用に身だしなみを整える。そういえばなぜご主人様呼びになったのだろう。サーシャの旦那様呼びに反応していたので、なにか思うところがあったのだろうか。
ニアが家事を担ってくれるのであれば仕事服としてサーシャのようなメイド服も新調せねばなるまい。どこで買うかはサーシャに聞くか、買ってきてもらおう。あれ、食材もサーシャにお願いすればいいのかと考えたが、朝食分の食料は行動食二号改を除いて既にない。外出は確定事項だ。
どうせならいろいろと済ませてしまおう。何度も外出するのは面倒だ。
最低限の武装にスローイングダガーを付け足し、ブレストプレートは止め、ブーツは移動補助の物に置き換えた。俺は学ぶ男なのだ。
ニアに声をかけて外に出る。今日もからりと晴れた良い天気だ。
今日は長丁場である、魔力はいつものように最低限にしておいて必要に応じて切り替えることにする。考えてみれば街中で常時魔力を漲らせている奴なんて物騒極まりない。自重しよう。
まずは腹ごしらえとニアに何か苦手なものはないかと聞いてみる。
「はい、何でも食べられますよ。あ、ちょっとだけ牛乳は苦手かもしれません。一度頂いたことがあるのですが、飲めないほどではないんですけれど、どうしてもおいしいとは思えなくて」
チーズは良く食べていたと思うが、あれも苦手だったのだろうか。俺はチーズが好きなので、匂いとかが苦手であるのでなければ購入したいのだが。
「チーズは私も大好きです。高価なのでほとんど食べたことがなかったんですけど、確かにそう言われてみれば牛乳だけダメなんて、ちょっと不思議ですね。匂いはチーズの方が癖が強いと思うのですが…うーん」
何やら考え込ませてしまったようだ。しかしニアがチーズ好き仲間であったとは嬉しい情報である。もうチーズの口になってしまった、朝食はとろりと溶けたチーズを挟んだバーガーでも食べるとしよう。
市場の屋台で購入したチーズバーガーにかぶりつく。うむ、美味い。ぺろりと平らげ、ニアを見れば両手でバーガーを持ち、小さな口ではむはむと食べている。大変愛くるしい姿に心を奪われてじっと観察していると目が合った。
もっとこの姿を観察するにはどうしたらいいだろうか、もう一つ買えば良いのではないかと思いつき、お替りはどうかと勧めてみる。
「えっと、すごく美味しいです。ありがとうございます。チーズって溶けるとこんな感じになるんですね…溶けている方がずっと美味しいと思います。もう一つですか?うーん…けっこう大きいよね、二つは食べられないかな…でも…一緒に…間接キ…今日ま…してない…」
また悩ませてしまったようだ。後半はもにゅもにゅと聞き取れなかったが、これ一つで満足とはなかなかの高燃費の様だ。この後も歩き回るの満腹は避けるべきだろう。自分用にもう一つ買い足して食べていると、ニアがチラチラと口元を見るので、一口あげたらとても嬉しそうにしていた。やはり食べ足りていなかったのだ、ニアは遠慮がちな娘であることを再認識する。
まずは協会を訪ねることにした。
正式名称は探索者協同組合連合会?だったかなんだったか、組合とか連合とか探協とか結構みんな好き勝手に略して呼んでいる。探索者や冒険者はこういった組織に所属しており、それ以外はモグリなので所謂自称という扱いだ。
稀にいるのだ、自称・冒険者のような輩が。大抵はすぐ死んで無かったことになるが、気合の入った奴は少ししてから死ぬ。自称してまでこんな命を粗末にする職業を名乗るやつの気が知れない。世も末である。
協会に着く前にニアの身だしなみをチェックする。非常に可愛らしいが、それが問題になるかもしれない。俺は彼女にフードを心持ち深く被らせた。
こんな職業に就いているやつらは俺を含めて基本的に頭が弱い。直接絡んでくるような馬鹿はすぐに殺されるか死ぬかで淘汰されるが、定期的に発生するものだ。万が一ニアに絡んできたらすぐに排除するつもりだが、無駄に不快な思いをさせることもないだろう。
協会建屋に入る前、ニアに俺から離れないこと、あまり周りを見ないこと、こちらを見てくる奴に目を合わせないことを言い聞かせる。あくまで念のためであり、何があろうとも俺が守ることを付け加えた。
「はい、わかりました。ご主人様と居ればどんなところでも平気です!」
前衛にとっては嬉しい信頼である。そこまで気合を入れるほどの場所でもないが、びくびくと委縮してしまうよりはずっと良いだろう。
屋内に入り、周りの様子を伺えば人はまばらであった。空いている時間に来たので当然かもしれないが。顔馴染みのいる受付に向かい、予約であると声をかける。
「おや、ようこそいらっしゃいました。ご予約の件ですね、お待ちしておりましたよ。こちらの番号札をどうぞ」
予約などしていない。まあお得意様相手の忖度であるが、建前というやつだ。当然ではあるが混んでいる時間には迷惑なので避ける、暗黙の了解だ。
番号札を受け取り、少し待つと呼び出しがかかった。
「番号札はこちらでお預かりします。奥の応接室へどうぞ」
案内を受け、建屋の奥に向かう。もう安心してもよいと緊張した雰囲気でちょこちょこと後ろをついてくるニアに小声で告げる。
ニアはほっとした表情を浮かべて手を繋いできた。まさか振り払うわけにもいかず、手を繋いだまま応接室のドアを開く。どうか誰もいませんようにと念じながら。
無事祈りは通じたようで中には誰もいなかった。ほっと胸を撫で下ろす。
ソファに腰を下ろすとニアが密着するように隣に座る。ちょっとだけ離れて座ることを優しく提案するには何と言うべきか頭を悩ませていると、妙案を思いつく前にドアのノック音がして、うちのパーティをメインで担当してくれていた協会員の男が入室してきた。
彼は俺たちの様子に一瞬目を丸くするも、何事もなかったように向かいのソファに腰を下ろしてくれた。心遣いに感謝である。
「お待ちしておりましたよ。この度はパーティの目標達成おめでとうございます。立ち上げから担当させていただいた私も感慨深いものです」
挨拶を交わし、こちらもこれまでの謝辞と、今回顔を出すのが遅れたことを謝罪する。
「いえいえ、パーティメンバーではまだロマさんが残っておりますよ。まあいつも通りと言えばいつも通りですが、できれば早めにお越しいただけると助かりますね。使いの者を走らせたのですが、忙しいそうで会えなかったようなのです」
居留守だろう。ロマは約束を必ず守るし頭も良いのだが、自分の中でいつでも良いと考えている件についてはルーズになるところがあった。なるほどと納得し、苦笑いを返す。
「付き合いも長いですので理解はしているつもりです。まあ、この件は良いでしょう。本題に入る前に一つ確認したいのですが、お連れの方は新しい探索者ですか?」
彼女は自分の同居人であり、もしかして連れてきたらまずかっただろうかと問う。
「ああ、なるほど。サーシャから報告は受けています。ご主人のパーティを担当させていただいておりましたマナージです。よろしくお願いします」
彼はにこやかに挨拶を交わし、ニアも名乗り返す。彼女の表情から緊張が和らいだのが見て取れた。マナージはさてと話を区切り、こちらに向き直る。
「他のメンバーの方を含む金銭的な話題なので、それに不都合が無ければ問題ありませんよ。しっかりとした後衛用の装備とお見受けしたので、私はてっきり新しいメンバーかと勘違いしてしまいました」
彼は新しくパーティ立ち上げて本格的にダンジョンに挑むつもりなら、また是非担当させてくださいと笑う。やや本気交じりの冗談を笑い流すと、彼は真剣な面持ちで口を開いた。
「単刀直入に申し上げます。探索者登録の継続と、資産運用の継続をお願いしたいのです。ご存じの通り、協会では皆様の資金をお預かりし、運用資金に充てております。基本的にいつでも引き下ろせるものですが、今回は一括で引き落とすには巨額すぎるのです。さすがに全員分を一括でとなると当座の資金のやりくりに支障が出ます」
それはそうであろうが、手元に大金を置いておくつもりはない。危険だし、なにより邪魔だ。省スペースのために高額貨幣にして保管したとしてもそのまま使える店など基本無い。いちいち両替の手間をかけて、手数料を取られるのもばからしい。
他のメンバーについても同様だろうから杞憂だと言おうとして気づく。ゲンジとリリアだ。
「そうです、お二人はゲンジさんの故郷に行くと聞いています。半年位は準備のためにこちらに残るとのことでしたので、そこまで待って欲しいとお願いしたのですが、すぐにでも資産の大部分を移したいとのことでした…」
消耗品はパーティ共通資産で賄うのが一般的だ。うちはヒーラーが優秀だったのでポーション類の出費が大分抑えられていた。金銭効率の良いパーティだっただろう。
前衛は後衛に比べて装備に金がかかる。それに加えて俺は魔道具、グリンは魔鉱石や宝石、ゲンジはやたらと高価なカタナの蒐集。
ロマはスクロールや怪しげなアイテムを協会査定価格より高くパーティから買い上げていたし、クロウは経済奴隷である自分の身分買い上げに協会に大枚をはたくはずだ。
しかしリリアだけは違う。必要十分な装備以外には殆ど手を出さず、堅実にため込んでいた。資産で言えばみんな同じくらいは持っているが、現金に限れば一人でパーティの半分くらいを占めていたんじゃなかろうか。
ちょっと待ってもらうように俺の方から二人に伝えてみようか。
「お心遣い感謝します。しかしもう手続き中なのです。残りの方に少し待っていただければ何とかなる目途はついているのです。情けない話ですが何卒よろしくお願いいたします」
疲れたように笑うマナージを気遣うように、自分はそのまま継続を希望することと、ロマに会うことがあれば協会に顔を出すことと、資産運用の継続を勧めることを約束する。
「ほんと助かります」
しみじみと呟く彼の頭に混じる白髪を見て、付き合いの長さと彼の苦労を実感する。せめて少しくらいは力になってやろう、そう思った。