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偽りの恋人  作者: 水月
12/26

12

R15です

 結婚……。

 浩司の突然のプロポーズに、蕗子は戸惑いを隠せなかった。

 だが、浩司を愛していると言う気持ちに偽りはない。たとえ浩司にどんな事情があるにせよ、この人に一生ついていきたい、と蕗子は思った。そして、彼の事情を聞かないままイエスの返事をすることが、彼への愛情の証になるような気がした。

 心持ち青ざめて強張った表情の浩司に、蕗子は頷いて見せた。浩司の無表情を装った瞳の奥に、微かな光が瞬く。

「蕗子……?」

 蕗子は微笑み、もう一度大きく頷いてから、はっきりとした返事を口にした。

「はい。結婚します」

 一瞬、浩司は信じられないと言いたげに目を見開いた。ゆっくりと、蕗子の気持ちを確認するように片手を差し出す。蕗子は立ち上がり、従順に浩司のもとに歩み寄ってその手を取った。

 浩司の手に力が入る。と思った次の瞬間には、蕗子の体は彼の膝の上に引き寄せられていた。

「本当にいいのか……? こんな、素性もわからない男と?」

 彼に苦しいほどに抱きしめられながら、蕗子は微笑んだ。

「浩司さんがどんな人か、私も将太もよく知ってるわ。それだけで充分じゃない」

 そう言ってから、ふと自分の事情を思い出す。

「浩司さんこそ。あの、いきなり子持ちになっちゃうのよ。それに、親権の問題もあるし……」

「そんなことは気にしなくていい。では、本気なんだね? 本気で僕と結婚してくれるんだね?」

 浩司の切羽詰った瞳を見詰めながら、蕗子は彼の頬に手を当てた。

「愛してるわ……」

「ああ、蕗子」

 たまらずに、浩司は蕗子の唇を覆った。探るようなキスが、情熱の高まりと共に貪欲なそれに変わるのに、時間はかからなかった。

 激情のままに、熱く、激しく、吸い取るように貪る。浩司への愛情を自覚した今、蕗子にとって彼の激しさは、喜びこそすれ不安をかきたてられるものではなかった。その気持ちをはっきりと表してキスに応える蕗子の態度に、浩司はますます熱い想いをかきたてられた。

「駄目だ!」

 唸るように言うと、浩司は蕗子から唇を引きはがした。二人は肩で息をしながら、情熱に潤った瞳を互いに見詰め合った。

 先に目をそらしたのは浩司の方だった。

「もう、部屋に入りなさい」

 かすれた声で、呻くように浩司が言う。

 昨夜のように拒絶される。そんなのは嫌だ。

 その想いが、蕗子を突き動かした。背けられた浩司の顔を両手で挟み、無理やり自分の方に向ける。浩司の瞳には見間違えようもないほど激しい欲情が宿っていた。そのことに自分でも驚くほど安堵しながら、蕗子は彼の下唇を歯でくわえた。

 ぶるっと、浩司が震える。蕗子の腰に当てた手にも、一瞬ではあったが骨が砕けるほどに力が入った。そのことに満足して、蕗子は微笑んだ。

「何をしてる?」

 もう浩司の声はかすれきっていて、耳を澄まさないと聞こえないくらいだ。蕗子は胸のふくらみを彼の硬い体に押し付けながら、喉元で笑った。

「何をしてるように見える?」

 蕗子の問いかけに、浩司が切羽詰った声を漏らす。そっと彼の太ももを撫でると、蕗子のヒップの下で、筋肉が盛り上がったのがわかった。

「蕗子……」

 震える声でそうつぶやいてから、浩司は蕗子の両肩を掴んで自分の体から離した。

「大人の男をからかうんじゃない。取り返しのつかないことになるぞ」

 厳しい声で諭されても、蕗子は聞く耳を持たなかった。

「取り返しのつかないことって、どんなこと?」

 そう言いながら、自分の肩に当てられた彼の手の甲にキスをする。浩司の体が大きく震えた。

「理性が吹き飛んで、きみを襲ってしまうということだ」

 わざと怖がらせようとしている。そう感じて、蕗子は微笑んだ。恥じらいも駆け引きも、浩司が必死で自制しているという事実の前には何の意味もない。蕗子は浩司と肌を重ね合わせたくてたまらなかった。

「そうして欲しいって言ったら?」

 頬を染めながらも果敢に言い放つ蕗子を、浩司は険しい瞳で凝視する。

「駄目だ。結婚してからにしよう」

「どうして?」

「それが普通だろう」

「今時の普通は、結婚前に体の相性を確かめ合うものでしょ」

 すると、浩司は呆れたように口をつぐんだ。

 だが、蕗子が恥ずかしそうに目をそらすのを見て、安心したように微笑む。

 浩司は鋭く息を吸いこんでから一瞬目を閉じ、激情を宿したままの瞳をまっすぐに蕗子に当てた。

「他人がどうするかなんて関係ない。僕は……きみを大事にしたいんだ。バージンロードを歩いてくるきみと夫婦の誓いを契り、その夜に結ばれたい。遊びじゃなく、真剣なんだとわかって欲しい」

「だって……真剣だってわかってるのに」

 蕗子はすねたようにそう言って、だから抱いて欲しいのに、と蚊の鳴くような声で付け加えた。

 浩司の心臓が、肋骨を突き破るくらいの勢いで打ち始めた。彼の胸に耳を当ててそのことを確認した蕗子は、もう一押しだと感じた。

 浩司の手を取って、恐る恐る自分の胸に当てる。蕗子の柔らかい胸のふくらみに触れた途端、浩司の手がぴくりと痙攣した。その衝撃に、蕗子が驚いたような喘ぎをもらす。

「好き……好きなの。愛して欲しいの……」

 蕗子がそう言い終わらないうちに、浩司は低いうめき声を上げて、蕗子を抱いたまま立ち上がっていた。

「くそっ、もう限界だ!」

 唸るように言い、大股に歩いて自分の寝室に運ぶ。その部屋のベッドは、見た事もないくらい大きなサイズだった。

 蕗子の体をベッドの上に投げ出すようにして、浩司は上から覆い被さってきた。そのまま、蕗子が怯んでしまうくらい激しいキスで彼女の体をベッドに縫い付ける。

 最初はどうすればいいのかわからずに戸惑っていた蕗子も、浩司の我を忘れた様子に突き動かされて、おずおずと彼の首に腕を回してしがみついた。

「愛してる。愛してるよ、蕗子。僕を憎まないでくれ。このことを絶対に後悔しないでくれ……」

 うわごとのようにつぶやきながら、浩司の唇が蕗子の喉元を滑る。その手はせわしなく蕗子の服をはぎ取っていた。

「後悔なんか、しないわ。愛して……」

 浩司の逞しい体に組み敷かれながら、蕗子はうっとりとつぶやいた。

 浩司は蕗子の真意を確かめるかのように真剣なまなざしで彼女の瞳を覗き込んだあと、嵐のような情熱の渦へと身を投じた。


◆ ◆ ◆


 ふわふわと、幸せの雲の上を漂うような余韻を楽しみながら、蕗子は傍らに横たわる逞しい体に寄り添った。

 途端に、浩司の体がこわばる。蕗子はびっくりして頭を上げた。

 カーテンを開け放った窓から射しこむ月の光が、浩司の険しい表情をくっきりと照らし出した。

「浩司さん……?」

「初めてだったのなら、なぜそう言わなかった」

 蕗子の声を遮るように、浩司がぶっきらぼうな口調で言う。蕗子はびくりとして彼の体から離れた。

「ご、ごめんなさい……。最初に言っておくべきだった……?」

 浩司の顔が苦しげに歪む。鋭く息を吸い込み、それを一気に吐き出す動作が、彼の胸を大きく上下させた。

「言っておいて欲しかったよ」

 半ば諦めたような口調で、浩司がつぶやく。蕗子は罪悪感に顔をしかめた。

「ごめんなさい……」

「……僕の方こそすまなかった。痛かっただろう」

「ううん、それほどには……」

「嘘をつくんじゃない」

 そう言いながら、彼は起き上がった。ベッドから離れていく彼を、蕗子はただ黙って見つめるしかなかった。

 どうして? どうしてこんなことになってしまうの? バージンだと知った途端に私に背を向けるなんて……。

 裸の体にローブをまとった浩司が、寝室のドアを開ける。居間を柔らかく照らしているオレンジ色の間接照明の光が、薄暗い部屋の中に射しこんできた。蕗子が見守る前で、浩司は居間の隅に設置されたミニバーに向かった。

 美しいクリスタルグラスに、洋酒を並々と注いでいる。琥珀色の液体が何なのかはわからないが、彼はまるで水ででもあるかのように、それを一気に飲み干した。乱暴な手つきでグラスを置く鋭い音が、辺りに響く。蕗子はこらえきれなくなって愛する男性から目をそらした。

 浩司は、蕗子のことを経験者だと思っていたのだ。

 蕗子の年齢を考えると、確かにそう思うのが普通だろう。でも、だからってなぜあそこまでショックを受ける必要があるの?

 その時、あることに思い当たって蕗子は愕然とした。

「蕗子」

 何の前触れもなく、ベッドで丸くなっている蕗子の肩に浩司の手が当てられる。蕗子はびくりと体を震わせた。

 はっとしたように手を離す浩司。蕗子はシーツに顔を押し付けながら、たった今考えついたショッキングな事実から目をそらそうと歯を食いしばった。

「すまなかった。僕は……」

「もういいの!」

 浩司の申し訳なさそうな声を聞いていることができなくなって、蕗子は叫んだ。

「ふき……」

 抱き寄せようとする浩司の腕を振り払う。思ったとおり、彼はあっさりと手を引いてしまった。

 蕗子は涙をこらえながら起き上がり、ベッドのシーツを体に巻きつけて床に下り立った。戸惑っている浩司を尻目に、部屋を出て行こうとする。

 が、浩司の力強い手が蕗子の腹部に回されてそれを阻んだ。

「どこに行く?」

「将太と一緒に寝るわ」

 もう一度浩司の腕を振り解こうとしたが、今度は簡単には離してもらえなかった。蕗子は、きっ、と浩司をにらみつけ、そこに苦渋に満ちた表情を見つけて息を呑んだ。

「許してくれ」

 浩司の声も疑いようがないほど苦しげで、そのことが更に蕗子の苦悩を煽った。

「許すことなんて……」

「いや、ある。僕は……」

「もう、わかったから!」

 たまらずにそう叫ぶと、蕗子は必死になって浩司の腕を振りほどいた。体のあちこちが痛むことを無視して、甘いひと時を過ごした部屋から飛び出す。目頭が熱くなって、自分の目がみるみるうちに潤んでいくのがわかった。

「蕗子……?」

 浩司の苦しげな声を背中に聞きながら、蕗子はぐいと涙を拭った。

「私がバージンだったから、嫌になったんでしょ。もっと経験豊富な女性の方が良かったんでしょ……」

「何を言ってるんだ」

 その声がすぐ背後で聞こえたことにびっくりして、蕗子は振り向いた。いつの間に来たのか、浩司が目の前に立っている。蕗子は真っ赤に泣き腫らした目を見開いて、浩司の胸を押しのけた。

「来ないで!」

「蕗子……」

「もう、わかったから。私が本当にお子様で、セックスのことも何も知らなくて、楽しくなかったんだって。だから……」

「そうじゃない!」

 言うなり、浩司は蕗子の華奢な体を抱きしめた。浩司の腕の中で、蕗子は狂ったように暴れだした。

「じゃあ、何だって言うの? どうしてそんなに冷たくするの? 私……そんなに下手だったの?」

「まさかそんな……」

 呻くようにそうつぶやくと、浩司は暴れる蕗子の体を渾身の力を込めて抱え込んだ。涙に濡れた顔を上げさせ、無理やりに唇を奪う。蕗子は怒った猫のように浩司の体に爪を立てた。

 浩司が痛そうな声を上げる。だが、解放してもらえるほどにはダメージを与えられなかったらしい。どれほど蕗子が暴れても、浩司の腕が外れることはなかった。

「この……山猫め! 話を聞け!」

「いやよ! もうこれ以上私を惨めにさせないで!」

「バージンだったから怒ってるんじゃない! その反対だ! きみが初めてだと知って嬉しかったさ! 男の独占欲が満たされた! きみを愛してるんだ! 他の男と分け合いたいなんて思うはずがないだろう!」

 浩司の切羽詰った声を聞いて、蕗子は強張っていた体から力を抜いた。そのことに気付いた浩司が、やっと腕を少し緩める。

「馬鹿だなぁ……。なぜそんなくだらないことを思いついたんだ」

 蕗子は涙ぐんだ瞳をまっすぐに浩司に向けた。

「だって……すごく幸せだったのに……あなたが……あなたが……」

 すると、浩司はこつりと額を突き当ててきた。

「ああ。すまなかった。僕は少し……怒っていたんだ。そのことは否定しない」

「でも……どうして?」

 涙声で蕗子が問うと、浩司は鋭いため息を吐き出した。

「きみがバージンだと知っていたら、もっとやさしくしてあげられたのに、ということだ。少なくとも、あんな風に乱暴に奪ってしまったりはしなかった。もっと時間をかけていたよ」

 恐る恐る顔を上げる蕗子に、真摯な瞳を向ける。

「だから、最初に言っておいて欲しかったと言ったんだ」

「……ほんと?」

「ああ」

 蕗子はごくりと唾を飲み込んだ。

「じゃあ、あの……私、に不満があるわけじゃ……」

「あるわけないだろう。最高の贈り物をくれたのに」

 浩司の口調が、仕草が、体全体が、その言葉が本当であることを蕗子に伝えてくる。蕗子は安堵に目を潤ませて浩司を見つめた。

「痛い思いをさせて、すまなかった」

 苦しそうに、また、いたわるように、浩司が囁いた。

 蕗子はかぶりを振り、幸せそうに微笑んで浩司の胸にもぐりこむ。

「すごく、幸せだったの……」

 すると、浩司は喉の奥で乾いた笑い声をたてた。

「きみが望むなら、何度でも幸せにしてあげるよ」

 恥じらいながらもためらいを見せずに頷く蕗子に、浩司は果てしない愛情を感じた。一生守り抜いて見せると心の中で誓いながら、唇を重ねる。

 浩司のやさしいキスを受けながら、蕗子は彼の腕に身を委ねた。

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