第61話 さようなら ただいま
かくして、千禧の目論見通りに四仙人は分散させられたわけだが、誤算が一つ。
道士たちの存在だ。
思いのほか、やる。
例えば「疾!」と黒鉄君の動きを術で止め、その隙に逃げようとしても、あるいは黒鉄君を殺そうとしても、澄泥が円刃を、水珠が水球を、壮が雷気を放って妨害するのだ。
魑魅魍魎の群れの中からでも、目敏く――否、必死に。
おかげで彼は、未だ黒鉄君につきまとわれている。
苛立ちが顔に出ている。
果たして、彼のそんな表情を見たことがあったろうか。
黒鉄君は記憶を探ろうとして、やめた。
戦うときに、それ以外のことを考える馬鹿はいない。
黒鉄君は、少しでも長く、この状況を維持すべく、立ち回る。
魑魅魍魎の傍らから、付かず離れず。
逃がしてなるものか。いずれ他の仙人が来る。
さすれば確実に隙を作ることができる。水珠に花剣を使わせる隙を。
千禧の視線が二つの戦場を渡った瞬間、黒鉄君は一息に間合いを詰め、鳩尾に肘を打ち込む。
「俺たちが、ここに来た時点で、終わってんだよ、尹千禧!」
彼は掌で受け、後ろに下がった。
その際に発動させた術で、また、黒鉄君の動きが止まる。
「その殺意なき拳で? つまらない戯言を吐く男になりましたね、孤羽」
千禧は、逃げるでもなく、殺そうとするでもなく、懐から一本の枝を取り出した。
捩じれた、黒い枝だ。
それを己の胸に深く突き刺した。
たちまち枝は爆発的に成長し、彼の全身を包み込む。
定身の術を解いた黒鉄君が、火炎の術を放つ。
道士のそれとは比べようもない火力で、枝の塊を覆い尽くした。
明確に殺意を込めた一撃だった。
あの宇宙の彼方よりもたらされた異常の枝でもって変貌せんとしたのだ。
もはや情にかまけている場合ではない。
そう、彼は直感した。
だが一方で、それこそを好機と見た者もいた。
水珠だ。
残り七十匹を切った魑魅魍魎の群れから飛び出し、轟轟と燃え盛る塊に迫る。
「記憶を――!」
この世界の叫びを聞いた、そんな荒唐無稽な記憶を、斬り捨てる。
そのとき、きっと赤銅君は我に返るに違いない。
師に少しでも恩を返したい。
その一心が、邪仙の動きが完全に止まった今、彼女を衝き動かした。
「ま、待て、水珠!」
黒鉄君には、制止の言葉をもう少し早く発することも出来ただろう。
油断ならぬ旧友に集中していなければ。
そして――今は、水珠のほうに、一瞬、気を取られてしまった。
水珠が羽衣の両端を走らせる。
それが燃える塊を貫くよりも先に、内より出でたなにかが、彼女を斬った。
「あ――?」
そんな呆けた声と共に、右の肩から腰の辺りまで、鮮血が噴き出す。
次の攻撃からは、間一髪、駆け付けた青錫君が守った。
「すぐ治すわね!」
「す、すみません、失敗しました……」
「そんなこと気にしなくて良いから!」
轟轟と音を立てて燃える中から上へと飛び出す影あり。
それは、なんとも奇怪な姿だった。
頭部は鳥のようでもある。縦に細長く、鋭い口元は嘴を思わせる。
しかし、鳥のように羽毛に包まれているわけではない。
ぬるりと光沢ある銀色の頭蓋骨、といったところか。
眼窩は暗く、奥に赤い光が見える。
首から下は無数の赤黒い帯が垂れ下がっているようだった。
その帯こそ水珠を斬りつけたものの正体だ。
空の風は強い。
ビュウ――と吹けば帯がはためき、その内側はがらんどうであることを教えてくれる。
異形と化した、かつての友は、酷薄に言った。
「お前たちとの因縁は、後顧の憂いになりそうだ」
すると彼は直角に幾度も折り返しながら、黒鉄君に迫った。
速い。
これまでとは比べものにならない。
その突進を辛うじて躱したものの、喉元や肩、脇腹からは真っ赤な血。
致命傷とはならなかったが……。
「厄場いな」
一対一では敵わぬかもしれない。
「だが――友ってのは、頼れるもんなんだぜ」
黒鉄君へと向き直った異形仙の背後から、黄金君が側頭部に蹴りを見舞った。
「調子に乗り過ぎだぞ、その程度の力で」
全くの不意打ちを受けた千禧は、すかさず離脱を図る。
その先で白銀君が無数の風刃でもって包囲する。
一斉に放たれたそれからも、異形仙は見事に回避してみせたところを、黒鉄君に突かれた。
顔面に、まずは一発。
怯んだ瞬間、黒鉄君は帯を幾つか握り締める。
反撃で右目は潰され、左耳もどこかへ飛んでいった。
腹にも突き刺さったが、むしろ、これでもう逃げられない、と彼は不敵に笑う。
そして雄叫びをあげた。
黒鉄君は急転直下。
持てる力の限り最速で、鳥めいた頭部を地面に叩きつけた。
なおも帯を離さず、縦に円を描くように一回転し、再び叩きつける。
三度、四度、五度目の衝撃音の後、止まった。
帯から手を離しても、異形は、仰向けに寝たまま、小刻みに震えるのみ。
割れた銀色の頭蓋から黒い霧らしきものが漏れ出ている。
黒鉄君の腹に刺さっていた帯も、だらりと抜け落ちた。
黒鉄君は首を踏みつけながら、己の腹の傷に手を添える。
ほのかな光が手に灯った。
それを止める気力も、今の千禧にはないようだった。
そこへ、三人の仙人と水珠が舞い降りる。
水珠が羽衣を構えると、黒鉄君は言った。
「いいんだ。わかってんだよ。こいつがもう、戻りようのないところまで行っちまったなんて。戻ったところで、道は一つだ」
「……それでも」
と、こめかみを貫いた後、白銀君はかつての友に問うた。
「貴方は、今、なにを思うのですか」
息も絶え絶えに、答えていわく、
「いつか、後悔する……あの叫びを聞いたとき……どうして、あのとき……と」
水珠は唇を震わせながら、もう一度、花剣の切っ先を向けた。
それを黒鉄君は手で制し、
「関係ねえよ、千禧」
友を押さえていた脚を、高く、高く、掲げて――落とした。
金属の砕けるような音と共に、頭蓋は粉々になり、その身は静かに灰となる。
「後悔しないわけがねえだろうがよ」
黒鉄君は、その場にどっかり腰を下ろす。
伏せた顔からは、いかなる表情も読み取れない。
黄金君は亡き友に対して、右拳を左手で包むと、すぐに壮たちの元に飛んでいく。
その後に白銀君たちも続いた。
水珠は今にも泣きそうな顔をしていた。
その肩を青錫君がそっと抱く。
「ありがとう。わたしたち、みんな、感謝しているわ」
「わ、わたし……ちゃんと……!」
白銀君が言った。
「理由は定かではありません。通用しない身になっていたのか、それとも真理は誰にも奪えぬということか。なんにせよ――仕方のないことだった。きっとこれが、彼の天命だったのです」
黄金君もまた振り返ることなく、
「その通りだ。仙人とて、天命は如何ともし難い。驕るなよ、道士風情が」
水珠は、いよいよ涙した。
静かに、さめざめと。
旧友を失った四人を代わるかのように。
◇
黄頂山の戦いから三日後。
水珠は、懐かしき故郷に降り立った。
道士服をまとい、髪の結び目には白い花が咲いている。
その肩には白鼬がちょこんと乗っている。
実家の畑を訪ねれば、雪梅の命の恩人ということで、父と母は感謝の言葉と共に迎えてくれた。
「それで、どうですか、雪梅の様子は」
父が恭しく答えた。
「はい、仙人さま。おかげさまで今日も元気にしています」
「それは良かった。ちなみに仙人ではなく、道士です」
「あ、これは失礼しました」
「それで……雪梅の姿が見えませんが」
「昼の支度をしてもらっています。良かったら、道士さまも、どうでしょう」
すると母が焦った調子で「ちょっと、あなた」と父の袖を引く。
「お口に合いませんよ」
「そ、それもそうか。すみません、道士さま」
水珠は寂しさを押し殺して笑みを浮かべる。
「いえ……わたしも、故郷はこういうところなのです。頂いても構いませんか?」
ふたりは戸惑いながらも快諾してくれた。
その後、水珠は両親より先に家へ向かった。
雪梅のほうには、色々と言い含めておくことがある。
もしも彼女が、自分のことを覚えていれば、の話だが。
そう考えると、脚は自然と重くなった。
白鼬が言った。
「大丈夫ですよ、お嬢」
「……うん、ありがとう」
「あたしこそ、本当についてきて良かったんです?」
「もちろんだよ。友達だもん。いずれは、澄泥ちゃんたちも紹介したいなぁ」
道士たちは、赤銅君の捕捉という隠された使命が果たされたことで、褒美と暇を与えられる運びとなった。
もっとも、全員が褒美については保留――水珠と大仁は固辞したのだが保留ということにされた。
暇の使い方については、それぞれだ。
澄泥は、例の怪画師・臥龍の捜索を続けると言っている。
大仁は、今のところは崑崙で、恋人たる石蜜と多くの時間を過ごしているが、彼にも新たな目的が生じている。
実は、生き返ったというのは正確ではなかったようだ。
変異した肉体には、独覚と大仁、ふたつの魂が存在しており、一方が消えたことで主導権が移った――すなわち、今も山羊樹人であることに変わりはなかったのだ。
その体を元に戻すことが、彼の望みだ。
水珠としては、ふたりの手伝いをしたい気持ちがあった。
壮も同様らしい。
ただ、どちらもすぐにどうこうというわけでもなさそうということで、壮はひとまず黄金君の屋敷に滞在することにしたと言う。
そして水珠のほうは思い切って、雪梅に会いに来たのだった。
少し前から考えてはいたこと。
なにやら一区切りがついたし、ちょうど良いと思った。
水珠は、生家の前で、深呼吸。
「――よし」
軽く戸を叩いてみる。
それを何度か繰り返すと、元気な返事が聞こえてきた。
「はいはーい、なーにー? どちらさまー?」
そして答えを待つでもなく戸を開けるものだから、水珠はびっくりしてしまった。
だが、きっと、それ以上にびっくりしたのは、彼女のほうだったに違いない。
雪梅は、まんまるの目をぱちくりさせる。
その目元が見る見るうちに潤んでいく。
「――おねえちゃんっ!」
胸に飛び込んできた妹を抱き留め、姉は鼻声で言った。
「ただいま、雪梅」
<終劇>




