第60話 五金君、集結
約七千段。
空を飛べぬ者が、黄頂山を最も楽に登ろうと思えば、その参道を使うことになるだろう。
始まりとなる地の周囲には、いくつかの宗教施設がある。
石造りの階段は、最初こそ緩やかだが、中程の門を越えた辺りから次第に、勾配が急になっていく。
大きな松の下を通り、更に登って行き、深き谷にして小さな沢の流れる石橋を渡ると頂上がかすかに窺える。
最後の階段は約千五百ある。
初代の黄帝が百段ごとに休んだと伝えられ、最も険しい。
そして、最も雄大な景色を望むことができる。
永遠に続くとさえ思われた道の終わりでは、荘厳な門が待ち構えている。
それをくぐった先には、黄頂山を祭るための、壮大な廟がある。
その内で封禅は行われるのだが、その実態を知る者は朝廷でも僅かだ。
また、封禅を記念して彫られた碑文が安置されているが、これもやはり、実際に拝める者は、ほとんどいない。
門も廟も、開かれるのは黄帝が訪れるときのみなのだ。
だが今、閉ざされた門の内に、男はいた。
白い長袍に赤い帯の男は、廟からは離れた場所に立ち、白む東の空を眺めている。
手に持った壺からは、見る者が見ればわかる禍々しい気配が滲む。
赤銅君の号を捨て、崑崙から失踪した男――千禧。
その背後に黄金君が降り立った。
「久しいな、赤銅君」
懐かしい声に振り返り、彼は溜息をつく。
その声音は、昔と何一つとして変わらず、まるで昨日も会ったかのように気軽く、穏やかなものだった。
「やはり僕の占いはあてになりませんか。いや、ま、占いだけで決めたわけではありませんが」
「壺をその場に置き、下がれ。余計なことはするなよ」
千禧は言われた通りにして、数歩、離れた。
「光遁が使えませんねぇ。貴方の仕業ですか」
黄金君は壺の傍まで進んだ。
「二度と逃がすつもりはない」
「飛翔術では、一番は黒鉄君で、次いで、きみ。僕は精々、三番目の速さですしね」
続けて白銀君、黒鉄君、青錫君が舞い降りる。
千禧はすっかり囲まれたが、その様子には、なにも変わるところがなかった。
四仙人たちのほうは、緊張感を増したというのに。
「赤銅君、お元気そうですね」
「ああ。白銀君、きみも」
「よお、赤銅君。なかなか面白い異能者だったが、惜しいな」
「あと一二分は、足止めしてくれると思ったのですがねぇ」
「あなたの罪は、ちょっともう、庇えそうにないわよ」
「それは、この世界の罪でしょうか。しかし、この世界が間違って産まれたものなのですよ」
過ちを正し、苦しんでいる者を救うことがどうして、罪になるというのか。
彼の言葉に四人は押し黙った。
もはや、全く異なる価値観に生きている。
とっくにわかっていたことを、まざまざと突きつけられてしまった。
それが一瞬の隙になった。
道士たちならば見逃した、良くても、遅れて反応したことだろう。
それ程に、突くには厳しい瞬間、邪仙は的確に動いた。
「疾!」
二本指を立てると共に鋭く掛け声を上げるや否や、壺が砕け散る。
途端、山頂に現れるは、雲にも届かんばかりの無頭の巨人。
その泣き声に青錫君が耳を塞ぐ。
黄金君はすぐさま排除へ動く。彼でも、どれ程の時間が掛かるかわからない。
白銀君と黒鉄君は千禧を取り押さえに掛かるが、邪仙は続けざま、百もの豆を撒いていた。
それはたちまち姿を変じる。
人型に近くも、実体は濃い緑色の軟体生物。
体表面の大半には、光沢ある黒色の小片が張り付いている。鎧代わりだろうか。
その隙間から、いくつもの目玉がぎょろりと覗く。
ぐにゃぐにゃ揺れるように動きながら、剣や槍でもって、三仙人たちに襲い掛かった。
その隙に千禧が飛翔する。
そこへ――三人の道士が到着した。
白銀君が指示を飛ばして、巨人へと向かう。
「壮は、青錫君と! 水珠と澄泥は黒鉄君と!」
言い終えるよりも先に、黒の仙人は異形兵を薙ぎ払い、千禧を追っていた。
「待ちやがれ!」
すると千禧は、今度は懐から一冊の書を取り出し、放り投げた。
ぱらりぱらりと一枚ずつに分かれて、風にはためきながら、そこに描かれた異形の姿を、次から次に輩出していく。
その数は、ゆうに二百を超える。
鳥に似たもの、虫に似たもの、牛や犬に似たもの、はたまた一言では形容のしようがない異形もある。
飛ぶ能力のないものは、異形兵たちと共に壮と青錫君へ襲い掛かった。
空中で群れ成す、百五十匹近くの魑魅魍魎。
水珠と澄泥は、それを円刃や術で攻め立てる。
そうして出来た道を、黒鉄君は脇目も振らず突っ切る。
千禧は、そんな旧友に対して鬱陶しそうな顔を見せ、
「やむを得ません、か」
と交戦の構え。
さて、地上では、青錫君と壮が異形兵と妖怪たちを相手している。
仙人が炎や岩などを繰り出し群れを薙ぎ払い、取りこぼしたものを壮の雷気をまとった拳が打ち砕く。
さすれば、軟体異形はほとんど沈黙した。妖怪についても同様である。
「やるわねぇ、壮!」
青錫君はちらりと天を見る。
魑魅魍魎は単なる黒点の集合体にしか見えず、詳細を窺うのは難しい。
戦っている気配は、あるようだったが。
「ん~、何匹か強いのが混じってるわね。ね、壮。貴方は水珠たちに加勢してくれる?」
「え、いや、しかし、まだ大して減らしてませんが」
開戦から数分。
まだ七十体以上が残っている。
「わたしは武闘派ではないけれどね、この程度なら大丈夫よぉ」
壮も魑魅魍魎を一瞥し、頷く。
「わっかりました。行ってきます!」
「よろしくね~」
彼が飛翔して戦線から離れるや否や、青錫君は右腿を上げ、踏み下ろした。
石畳が、足元のものは当然ながら、直接には力を加えられていない周辺のものまでもが砕け散って舞い上がる。
「疾!」
と青錫君の掛け声一つで破片は熱を持ち、溶けかねないほどに赤くなって周囲に飛び散った。
主に当てたかったのは、軟体の異形兵のほうだ。
「ん~、何匹か倒してそうじゃないかなと思ってたけど、やっぱり、核らしきものがあるわね」
そこに当たったと思しき個体は、小さな穿孔のみで、その場にぐずぐずになって崩れ落ちた。
そうでないものは元気に剣や槍を振りかぶって来る。
躱しながら思案顔の青錫君。
「それぞれ、所在は違う、と。狙うよりは磨り潰す方が楽かもだけど、大技は、わたしはねぇ。温存しといたほうが良いかもだし。地道に? でも時間を掛けるのもねぇ。妖怪もいるし」
悩む彼女の頭上で、パァンッと破裂音めいたものが響いた。
魑魅魍魎の群れから? いや、そうではない。
この場には、邪仙と仙人、魑魅魍魎と道士の他にも、高きところで戦う者たちがいる。
そう、無頭の巨人と、黄白の二仙人である。
音の正体は、黄金君が巨人に、蚊にするが如くに合掌されたときのものだった。
巨人の手は赤ん坊めいたもっちりしたものではあるが、それが可愛らしいのはひとえに、小さく、やわく、儚いからであろう。
巨人のそれは、鈍重な肉塊だ。
そんなもので、古くからの友が体を挟まれた様を目の当たりにしても、白銀君の顔に変化はなかった。
「疾!」
と風の刃を飛ばして、人で言えば胸の辺りにある顔を斬り刻む。
が、それは想定よりも浅かった。
もっと、ざっくり分割できると思っていた。
結果は皮膚に傷をつけた程度なのだから、脱出してきた黄金君も呆れた顔になるというもの。
「おい、白銀君。この僕様が囮なんぞを買って出たというのに」
「思いのほか硬かったのです。少し時間をください。もう一度、術を練ります」
「まあ、良い。こういうことは、お前のほうが向いているには違いない」
平手がふたりの頭上に迫る。
それを黄金君は、両手で受け止め、すかさず蹴り飛ばす。
反動で巨人がわずかに後退った。
「というわけだ」
少年仙人は構えを新たに
「哀れなる魂よ、今しばらく、あやしてやろう」




