第59話 朝風に包まれて
壮の攻撃は更に勢いを増した。
拳打や蹴撃の当たるたび、まとった雷の爆ぜる音と光が飛び散る。
樹羊王こと独覚は、当初こそ翻弄され、苛立ちを隠せぬ様子だったが、まずは一人撃退したことと、壮の苛烈な攻撃が結局は致命傷にならぬということに、もはや悠然と受けて立つ有様だった。
樹羊王はじっくりと狙いを定め、ここぞという瞬間、巨腕を振るう。
「まさに羽虫よなァ!」
地面に叩きつけられる壮だったが、まだ、雷気はまとったまま。
すかさず、その場を脱して咆哮弾の直撃を免れた。
口角から血を流しながら果敢に攻め続ける。
奴に悟らせぬよう、単に一箇所だけを狙うことはしない。
決着の候補としては三箇所。
その他にも適度に当てていくが、重点的には、左の脇腹と、右肩背面と、下半身は山羊部分の胴体右側だ。
「ただただ鬱陶しい! 生憎と、それだけのことよ!」
だが傷は着実に、回復が遅れ始めている。
三箇所の樹皮めいた皮膚が剥がれ落ちている。
そのことに独覚はまだ気付いていないようだった。
気付くはずもない。
それだけでは決して致命傷足りえないのだから。
澄泥は円刃で壮の追撃をしつつ、その異能であちらこちらへ瞬間移動を繰り返す。
相手を翻弄し、咆哮弾の狙いを定められぬように……と思わせて、隙あらば独覚の傍にこっそり現れ、その巨躯のあちらこちらに術を仕込んでいるのだ。
独覚は、大技で一息に決めるよりも、己の耐久性および道士たちの決め手のなさを利する、持久戦に舵を切ることにしたらしい。
「無駄な抵抗せねば楽に殺してやったのだがなァ、愚かしく矮小な人間どもよ」
全身に棘という棘が生えるや否や連続発射。
それは次々に、空を裂き、地を穿った。
そして壮と澄泥にも、いくつか傷を負わせることに成功したのだった。
「澄泥! 大丈夫か!?」
「これを大丈夫と言うなら、死ぬこと以外はそうですわよ!」
ふたりとも、躱し、弾いたが、全弾をとはいかなかった。
急所にこそ刺さらなかったものの、無数の裂傷と出血が、その体力すなわち継戦能力に、どれほどの影響を及ぼすかは想像に難くない。
澄泥は肩で息しているし、壮の逆立った髪は一部、元に戻っている。
水珠は今すぐにでも、ふたりを連れて逃げ出したい衝動に駆られた。
未熟な己の、不確かで危険極まりない、策とも言えぬ策で、ふたりを死なせてしまうなんて、あってはならない。
たとえ、本当にそうしたとしても、きっと、ふたりは許してくれる。
それでも水珠は、歯を食いしばり、耐えていた。
だって、ふたりはまだ戦っている。
諦めていない。血を散らしながらも舞い続ける。
世のため、人のため、師のため、奪われた命のため、友のため――。
様々な思いを乗せて、自分を信じて戦うふたりより先には、水珠もまた諦められなかった。
ふたりの力になりたい。
その一心で、静かに戦い続けていた。
「――今ですわ!」
水珠が潜む樹のほうに、奴が巨腕を振り上げながら、左の脇腹を無防備に晒した。
まずは澄泥が、樹羊王の体に仕込んできた術を発動させる。
「疾!」
すると奴の腕や肩、胴体、脚などに金の環が現れ、その動きを止めた。
巨躯が巨躯だからか、術の維持には相応の力を要すらしい。
澄泥は独覚に向けて二本の指を突きつけた姿勢のまま、彼女自身も固まった。
十二枚の円刃も空中で静止している。
その指先は早くも、ぷるぷる震え始めていた。
喉の奥から搾り出すように唸った。
「た、頼みましたわよ、水珠! できればっ、は、はやく~っ!」
だがしかし、水珠は未だ樹冠の中にいた。
狙いを定められていないのだ。
これも青き花剣の力なのか。
独覚の邪悪なる魂を感じ取れないままだった。
(焦るな、わたし! 澄泥ちゃんなら、頑張ってくれる!)
けれども、はっきりとわかるのは、己の鼓動が大きくなっていく様子ばかり。
喉が渇いて貼り付くようだった。
なのに目尻は妙に熱く、今にも零れてしまいそう。
そうこうしているうちに、壮と澄泥が奴の脇腹で育ててきた傷も、回復の兆しを見せる。
それに気付いた壮が雄叫びと共に、そこへ殴り掛かった。
「うおおおおっ!」
ひたすらの連続突き。技術もなにもない。がむしゃらと言うに相応しい。
この好機を失わせやしない。
水珠には、その気迫が背中越しに伝わるようだった。
異形を拘束する光の輪にひびが入る。
かと思いきや、直り、また、ひび。繰り返す。
この好機を少しでも長く。
澄泥の姿は樹冠からは見えないが、その献身に感じ入る。
一滴、水珠の頬を流れた。
瞬間――、
「見えた!」
樹の太い幹を力強く踏みつけ、水珠は飛び出した。
それと同時に壮は射線上から退避。
回転する円錐はまさしく矢の如き速さで、たちどころに独覚の脇腹は、樹皮が剥げ、青い汁めいたものの滲む傷へと突き刺さった。
「もっと、もっと深く!」
その異形の奥底に潜む、悪しき魂にまで届かせんと、水珠は布槍の回転速度をあげる。
光の環が砕け散った。
すかさず独覚が、手を伸ばしてくる。
「死にぞこないがァ!」
「それは、お前だああああっ!」
怪腕が円錐を握り潰すようにして水珠を捕らえ、引っこ抜いた。
そして勝鬨をあげるが如く鳴き声をあげて、水珠を掲げる。
「はっはっはっは――ァ!」
その腕を勢いよく振り下ろした。
が、水珠が地面に叩きつけられることは、遂に、なかった。
「あァ?」
独覚が思わず呆けてしまったのも無理はなかろう。
なにせ、右腕が、根元からぼろりと、取れてしまったのだから。
取れた腕は空中に浮いている。
いや、浮いているのは、その手の中の水珠だ。
彼女は、すっかり脆くなった五指を羽衣で斬り刻み、異形を見下ろした。
なにも言うことはなかった。
人でなしとして生き、人でなしとして死んでいくことを選んだ者に、掛ける言葉なんて、一つも見つからない。
他の生き方ができるのなら、きっとそうしていただろう。
そういう生き方しかできない理由があったのだとしても、今更どうしようもない。
ただ、可哀想だと思った。
「――ふざけんじゃねえぞ」
独覚は、せめて、とでも思ったのか。
水珠を四つの目で睨め上げながら、残る怪腕を伸ばす。
あんなにも威勢の良かった動きも、もはや、出来ない。
それが水珠の鼻先に届く頃には、彼の体はことごとく、灰となって朝風に攫われていった。
終わった……。
一息いれる暇など三人にはなかった。
わずかに残った灰の中に人の形を見たのだ。
裸のようだが、埋もれていて正体はよくわからない。
「水珠!?」
「わ、わかんないよ! 魂は今度こそ」
「抜け殻ってことか? お前たちは待機だ。俺が確かめる」
壮が警戒しつつ近づき、その正体を見るや否や笑った。
その人物は生きているようで、彼は、その者が上体を起こすのを手伝ってから、水珠たちを呼んだ。
「早く来いよ! 大仁だ! 大仁が生きて」
最後の言葉は、声にならなかった。
その気持ちは水珠たちにも痛いほどわかった。
水珠も、澄泥も、彼の姿をまともに見ることなんて、すぐには出来なかった。
傍まで行ったときにはもう、顔は涙でびしょ濡れだった。
「ずっと暗いところにいた」
再会を喜んでいると、大仁はふと思い出すように言った。
「けど、光が見えたんだ。あれは……水珠、きみの花剣だったんだね」
「大仁くん……! わたし、ずっと、言いたかった!」
「うん」
「あ、あのとき、庇ってくれて――ありがとう!」
「無事でなにより。……いや、よく見たらあまり無事でもないね。傷だらけだ」
さて、残念なことに泣いているような暇は、道士たちにはない。
そのことを最初に思い出したのは壮で、彼は水珠たちを置いて結界の要を探し出すと破壊し、また戻ってきた。
ここが最後の要だったらしい。
結界が破れた気配でようやく、水珠と澄泥も、当初の目的を思い出した。
「大仁くん、ごめん! わたしたち、行かなきゃ」
「実は今、大変なことになっていまして」
澄泥が明後日の方向を向きながら、ざっくりと経緯を話す。
「なら、おれも……と言いたいところだけど」
「無理しちゃ駄目だよ!」
「ですわ! その、服もありませんし……今は灰で隠れているから良いものを」
「わかってる。ただ、きみたちの傷を治すくらいの余力は、ある。全部は無理だけどね」
壮は、その場に座って言った。
「なら頼むわ。少しでも回復できるなら、そのほうが良いからな。決戦前だ」
病み上がりならぬ蘇りの大仁に対して、水珠と澄泥は気が進まないところもあったが、壮の言葉も一理ある。
揃って厚意に甘えることにした。
「それじゃあ、行ってきます!」
「うん。頑張って。死なない程度にね」
「大人しく待っているんですわよ?」
「流石に、しばらく動けそうにないからさ」
「帰ったら、まずはお前の墓を壊そうぜ」
「そりゃ楽しそうだ」
飛び立つ三人を見送ってから、大仁は呟いた。
「……朝の空気、おいしいな」




