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第52話 前世から来世へ

 不意に風景が変わった。誰かの屋敷の庭のようだ。

 拳白仙(ケンパクセン)の指差すほうを見れば、亭がある。


 三人の仙人が茶を嗜んでいる。

 その一人は、拳白仙だった。


 彼女の右側には長い髭の好々爺(こうこうや)

 左側には僧の如き頭の五十代ほどの男が座している。


 それが誰だか、水珠(スイジュ)には予想がついた。


「あたし様の右が氣發仙(キハツセン)。發爺と呼んでいたな」

「では、左側が宝中仙(ホウチュウセン)さまですね」

「我ら三元仙が……最後に集まったときの記憶だよ。よくこうして喫茶を楽しんだものさ」


 場所はそのままに、突如、時が加速する。

 日が三度、昇ったところで、それは元に戻った。


 亭では拳白仙が茶の支度をしている。


 そこへ氣發仙が舞い降りた。

 彼女は気心の知れた者に見せる笑みを浮かべ、好々爺を椅子に座らせると、背後からその首に腕を回して、へし折った。


 水珠は思わず口を手で覆った。

 なぜ、と問うより先に、今度は宝中仙が飛んできて、顔を青くする。


「拳白仙! なぜだ……やるときは共にと言ったであろう!?」

「なに言ってんの、中の字。昇天が決まった矢先にさ」

「……知っていたのか」

「あたし様だぜ?」

「だが……だが! 調べたではないか! こうなった者を殺しても、天界は不問にするだろう! 叫びを聞いた者の危険性は天帝さまも承知のことだ! 変な気を回す必要など……」

「それでも、あたし様は、あなたにゃ身綺麗なまま、上がって欲しかったのさ。わかるだろ? あなたが、こっち側でも、同じことをしたはずだ。……我らは友であり、兄弟だからね」


 まさか、と水珠は思った。


 己が師から、三元仙はもう崑崙(コンロン)にいないことは聞かされていた。

 拳白仙と氣發仙は、それぞれ別の修行場へ、宝中仙は天界へ、と。

 しかし、本当だったのは、宝中仙のみであったとは。


 水珠は隣に立つ彼女をそっと窺った。


 拳白仙は、己の過去を見つめたまま、

「あの子たちも知らないことだよ。言えるわけがない」


「氣發仙さまは……赤銅君(セキドウクン)さまや青錫君(ショウシャククン)さまと同じものを?」


「そういう仙人は、長い歴史の中じゃ、珍しいってものでもないらしい。まあ、俗界にだって同じようになるやつはいる。厄介なのは、仙人には力があるってことだ。だから秘密裏に処理されてる。できるだけ迅速に、な。わずかな記録を見つけられたのは、運が良かっただけだ。五金君は運が悪かったな。どいつも露呈する前に出奔しやがって。優秀な弟子どもが」


 最後のほうの言葉は、嬉しそうな、困った子を叱るときのようでもあった。


 風景が、また変わる。

 崑崙の端のようだ。地の向こうに雲海が広がっている。


(タオ)――宇宙の真理を体得するには、人の生はあまりにも短い。ま、中には人の身でって奴もいるのかもしんねえけど、聞いたこたぁないな。だから仙人は不老不死になる。俗世じゃあ、不老不死になることを目的に仙人になりたがる奴もいるが……別にそれはそれで、あたし様はどうでも良いけど……その先にこそ、仙人の求めるものはある」


「教わりました。花剣道士は仙人になることを目指してはいませんでしたが」


「その行きつく先が、あれなのか?」


 気付けば島の端に男女の姿あり。

 拳白仙と、銀髪の白銀君(ハクギンクン)だ。

 ふたりは雲海を眺めているようだった。


「それが……拳白仙さまが、今世を捨てることを決めた理由ですか?」


「どうなんだろうな。あたし様がああなったときに、止められる者がいるのかとも思ったし、友をこの手にかけた自分を見限った気持ちも、あったように思う。他にも、色々さ。たぶん。あの子に言った、このまま続けても宇宙の真理なんかわかんねーだろって予感も、本当だ」


 拳白仙は水珠をちらと見た。


「一応、言っておくと、あれこそが道だとは、あたし様は思っちゃいねーぜ」

「わたしも……そうであって欲しいです」


 途方もなく長い時間の全てを否定するようなものが真理だというのは、あまりにも切ない。

 そのために色々な道を辿って来て、今もそうしている人もいることを思えば、なおさらだ。


「実はな、水珠ちゃん。探究に行き詰って、自死を選んだり、あたし様みたいに独自に転生を試みる仙人ってのは、そこそこいるんだよ」


「そうなんですか?」


「叫びを聞いたとのたまう奴よりも、聞いてものたまわない奴よりも、きっと、うんと多い。長い一生の中で、自分がどこに進んでいるのか、そもそも進んでいるのかもわからない、この閉塞感は、仙人を死に至らせる数少ない病だ」


 拳白仙の視線の先では、いよいよ過去の彼女が、水の玉に包まれる。

 それは次第に、小さくなっていった。


 赤子を内包した玉を白銀君は両手で抱えあげ、一瞬の躊躇の後、雲海に放った。


「そういえば」

 と水珠。

「白銀君さまって、昔は黒髪だったんですね」


「ああ。成仙に際して変わる奴が稀にいるんだよ。黄金君(オウゴンクン)ちゃんもそうだったけど、本当に稀なんだぜ」

「えっ、黄金君さまも?」

「あの子でも十歳で仙人は無理だったからなぁ。あの歳まで戻ったときにゃ、みんなで笑ったもんさ。白銀君ちゃんの後だったしな」


 さて――と、彼女は水珠のほうへ向き直る。


「あたし様のせいで、あなたには結構、しんどい思いをさせてしまった。悪かったな」


 水珠は困惑する。

 彼女によって苦労させられたなんて、白銀君から出生について明かされたときにも思ったことはなかった。

 彼女のことは産みの母と言っても、差支えはない。


「拳白仙さまのおかげで、わたしは雪梅(シュエメイ)に会えたんです。感謝しています、心から」

「そう言うと思った。ほんっと妹ちゃん大好きだな」


 彼女はちょっとした苦笑いの後、真剣な眼差しで言った。


「あたし様には、あなたを普通の子として地上に送ることもできた。が、そうはしなかった。それはやっぱり、次のあたし様になら、という気持ちがあったからだ。ほんのちょっとでもね」


「でも……たとえ、そうなっても、それは拳白仙さまの功になるわけでもないのに」


「ふふん。白銀君ちゃんの言葉だな。だが、ならば今、ここにいる、あたし様はなんだ?」


 転生することに決め、そうしたにもかかわらず、密かに水珠の内に存在していた魂。今ここで発露しなかったのなら、それは、いつのことになっていたか。


(まさか……いや……でも……)


 水珠は喉を、ごくりと鳴らした。

「……乗っ取り、みたいなことを画策してたんですか?」


 女仙がニィと口角を吊り上げる。


「もしも水珠ちゃんが駄目だったら、また次の、あるいはその次、次、何百年後のあたし様でない誰かちゃん。色んな生き方をするにあたっては、色んな産まれ方もしてみねえとな、って。中々どうして、あたし様も邪仙っぽいなー!」


 なんとも言えずにいたら、彼女は「はっはっはー!」と豪快に笑い飛ばした。

「期待がなかったわけじゃないけど、砂粒程度のものだよ。結局は、ここに落ち着いて良かった」


「それは、どういう」

 問いの途中で、不意に地面が消えた。

 それでも立っている感覚はある。


 空も、なにかもが泡となって消え、真っ白な空間だけになっていく。


「あとは、あたし様に任せな」


 彼女がなぜ今、現れたのか。

 その真意が、ここに至って、わかった。


 水珠は瞳を潤ませ、彼女の肩に掴みかかる。

「なんで、ですか! なんでみんな、わたしの身代わりに」


「優しいなぁ、水珠ちゃん。あたし様は死んだも同然なんだぜ、もう」

「で、でも、死ぬんじゃないんですよ!? いなくなっちゃうんです、最初から!」

「だから、話をしたんだろう? その魂の片隅で、覚えておいてくれよ、このあたし様をさ」

「そんな無茶な……」


 彼女は優しい手つきで肩の手を外して、

「このあたし様を、存在しないからって忘れられると思うなよ?」

 そう言われたら笑うしかなかった。


 この鮮烈な存在は、確かに、忘れられそうにない。


「本当に、お噂通りの方ですね」豪気にも程がある。

 その手は間違いなく、生きている者の温かさを帯びていた。


「で、だ。水珠ちゃん、どうする? 同じ世界じゃ、また同じところに行きかねない。だから、ちょっとは変えることになるんだが……あたし様のいない世界でも同じように産まれたいか? 確約はここじゃあ出来ないんだけど、聞いておきたくてね」


 水珠は即答した。


「それで、雪梅と仲良くないわたしになんかなったら嫌ですよ。血が繋がってても上手くいくとは限らないでしょ? 雪梅は変わらなくても、わたしは変わっちゃうかもですし」


「両親には愛されたままかもしれんぞ?」


「それでも、です。わたしは水の玉から産まれて。おっとう、おっかあに拾われて、愛されて、妹を愛し愛され、おっとう、おっかあに疎まれ、殺されそうになって――そして白銀君さまの弟子になった。それが、今ここにいる、わたし。かもかもより、確かな今が、良い」


 後悔がないとは言えない。家族のことも、それ以外のことも。

 後悔いっぱい。


 でも良かったことだって、いっぱいある。

 その一方をたとえ消せたとして、それでもう一方も消えるのは、ごめんだ。


 ただ、許されるのなら、

「おっとうと、おっかあが生きていることには、なりませんか?」


 いつかまた家族に戻れるかもしれない。

 その夢だけは、向こうに持って行きたい。


「ま、やってみよう。傷を浅くするくらいなら、大勢(たいせい)に影響はないだろうしな」

「あ、あと、もう一個! 大仁(ダーレン)くんのこともお願いします!」

「欲がないな、自分のことは放っておいて」

「そんなことないですよ。全部、わたし自身のためです、こんなの」


 拳白仙は「ふふん」と笑う。

「じゃあな、我が愛しい来世ちゃん。精々、好き勝手に生きると良い」


 水珠が足元から泡になっていく。

 そうして口の消えて無くなる前に、彼女は微笑んだ。


「拳白仙さま、ありがとうございました。わたしを産んでくれて」

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