第51話 再起動
「ただし、使用者は、巻き戻った世界に存在しなくなる」
「――は?」
白鼬は一瞬、固まり、次いで牙を剥いた。
「な、なんで!? そんな馬鹿な話がありますか! このクソガキ!」
一方、水珠は冷静に、
「危険だから、だよ。誰かに利用されないように、そうしたんですよね?」
「その通りだ、水珠。ここに入るには僕様の宝貝が必要だ。それは本来、下界に流通するものではないが……花剣や、赤銅君に盗まれたものが、今は地上にある。いずれも、世界的危機の際には、ここまで導くようになっている。だから、僕様だけが使えるようにしたのだよ」
そこで彼は溜息を一つ漏らした。
「我ながら情けない。その僕様が、まさか、ここに来ることもないとは」
「無理もありませんよ。見ないと実感はないでしょうが、あれは、仙人さまでもどうしようもありません」
「ならば早々に切り上げるべきだった。……実態はわからぬ、が、この僕様も結局のところ、あの男に対して情を捨て切れなかったところはある。それが、この事態を招いたのだろう」
白鼬が「そんなことより!」と、また吼える。
「お嬢、もう出ましょう! こんなものに用はないです!」
「なに言ってるの? これしかないよ、もう。わかるでしょ?」
「こんなもの使っちゃ駄目なんですよ!」
遂には彼女は両目から大粒の涙を零してしまった。
「お嬢がいなくなるなんて、そんなの、嫌ですよ!」
「大丈夫だよ。存在しなかったことになるんだから、次の世界では泣くこともない」
頭を撫でようとする水珠の手にも、がぶりと噛みついて、
「痛っ!」
「この傷も、次の世界にはないんですよ!? それが……それが、どんなに惨いことか!」
白鼬は黄金君を睨みつけた。
「他に、なにかないんですか!?」
「天界や他の仙人、あるいは、他の誰かに期待するか。この宝貝を使う前提なら、少なくとも他の誰かに起動を託せば、貴様たちは次の世界に行ける。理想としては、本体が来ることだな。僕様には安全弁を外す手段がある」
「お嬢! せめて、せめて待ちましょうよ! あと一日だけでも!」
「僕様もそれを勧めたいところだが、そんな余裕があるのなら、これを使う必要もなかろう?」
「クソガキは黙ってなさい!」
「ならば最後に一つだけ。人並の知があるのなら、人でなくとも使えるぞ、こいつは」
白鼬が、はっと息を飲む。
「あたしゃ、お嬢のためなら!」
水珠は右肩に手を伸ばして、彼女をそっと取り上げた。
そして、その目を見つめて怒気を孕んだ声で、
「馬鹿言わないで」
「言ってくださいよ、あたしがいて良かったって! ねえ、お願いですから……!」
「心心、あなたが嫌なように、わたしだって、嫌なんだよ、そんなことは」
「でも! あたしゃ、ただの鼬じゃないですか! それに雪梅ちゃんのことはどうするんです!?」
一年にも満たないけれど、濃密な時を過ごしただけのことはある。
痛いところを突くなぁ、と水珠は苦笑い。
妹にもう会えなくなる。そう考えると、確かに、揺らぐものがある。
けど、それでも、その選択肢は、あり得ない。
「最後に会えた、それだけで充分。わたしのいない世界でも、あの子はきっと、大丈夫」
水珠は手の中で術を発動させた。
細い水の縄が、その小さな体の動きを止める。
「待ってください、お嬢! 話はまだ終わってません!」
「嬉しいよ、あなたの気持ちは。でもね、心心。あなたは、ただの鼬じゃないんだよ」
床に優しく置いて、最後に優しく頭を撫でた。
「あなたがいて、良かった。わたしの大切な友達。頼れる相棒。それをさ、自分のためにさ、身代わりにするなんて、できるわけないじゃん。そんなの、人でなしだよ。あなたが、そんな風に思ってくれるわたしは、人でなしじゃ、ないでしょ?」
「ええ、ええ、そうですよ! だから、お嬢に生きていて欲しいんです! それが、あたしのいない世界だとしても! あたしみたいな小獣でも、あなたの助けになれたなら、最高の最期じゃないですか!」
「助けてくれたよ、いっぱい。ありがとう」
水珠は立ち上がり、金色の球体に向かう。
黄金君が口を開いた。
「改変にあたっては直近の出来事をお勧めする。大きな改変は影響が計り知れないからな」
「はい。心得ました」
「お嬢! やっぱり一日だけでも、待って」
その言葉にはもう振り返ることなく、
「雪梅……あなたのいるべき世界は、こんなんじゃない」
両手で挟むようにして、水珠は球体を掴むのだった。
◇
光に包まれ目を瞑った次の瞬間、水珠は大気が肌を撫でるのを感じた。
恐る恐る瞼を開けてみる。
そこは覚えのある場所だった。
大人三人分ほどの高さある、尖がった岩の柱がいくつも屹立している。
崑崙の、この場所でいつだったか、道士四人で空中戦をしてみたものだった。
「――はっ!?」
戦闘の気配に天を仰ぐ水珠。
五人と、一人が戦っている。
その五人組のうち一人が、相手に捕らえられると真下に向かって投げ飛ばされた。
女だった。
悲鳴をあげながら水珠の足元に叩きつけられる。
目を回したその顔にもまた、覚えがあった。
「青錫君さま!?」
若い、と思った。十代の頃だろうか。
格好も道士のそれ――青藍色の長袍である。
続けて槍の如く投げられて地面に叩きつけられたのは、ふたり。
一方は赤みがかった黒髪の丸い頭の少年だ。
これが、かつての赤銅君だろう。
もう一方は、長い黒髪を後ろで一つ結びにした美少年。
一瞬、水珠は「ん!?」と思ったが、よく見れば、間違いない。
白銀君だ。
目を丸くしていたら、激突音が背後で轟いた。
思わず振り向いたときには、影が真横を通り過ぎて、先に叩きつけられた道士三人の傍で止まった。
その女仙の両手には若かりし黒鉄君と、今と変わらぬ姿の黄金君とが首根っこを握られていた。
どうやら、そのまま岩峰に叩きつけられた挙句、ここまで高速で引きずられてきたらしい。ふたりの服はボロボロで、顔も擦過傷だらけだ。
女仙は「はっはっはー!」と豪快に笑うと、頭を振って長い赤髪をばさっと後ろに払った。そして首を捻って水珠のほうを振り返る。
ニィと口角を吊り上げた。
その不遜さは黄金君にも引けを取らないだろう。
背は黒鉄君と同じくらいか。男性の中でも長身に当たる。
腰の位置が高く、足が長く見えた。
「やあ、水珠ちゃん。我が来世ちゃんよ。あたし様の名を知らぬとは言わせないぜ?」
水珠は左拳を右掌で包むと、胸の前に掲げた。
「はじめまして、拳白仙さま――我が前世さま。お噂はかねがね」
女仙は握り締めた道士服をぱっと放し、ようやく体を水珠に向けた。
その胸は豊満だった。
黒と金の道士が、立ち上がりながら不満や悪態を零す。
それが突然に、彼女がなにをせずとも、ぶっ飛んだ。
いや、きっと過去の彼女は、このとき殴るか蹴るかしたのだろう。
「本当に、お噂はかねがね」
「ふふん。余程、良い噂らしい」
それはさておき、と拳白仙。
「少し話そうぜ、我が来世ちゃん」




