第45話 叫び
壮が「なぁるほど」と頷く。
「俺たちが暇を出された理由は、まあ、わかりましたよ」
澄泥が問うた。
「今後のことは?」
「貴様たちは好きにしろ。また必要になれば呼ぶ。なにも破門するわけではないからな」
「では、わたくしは臥龍の行方を追いたいのですが」
黒鉄君が認めた後、また黄金君は言った。
「あれは恐らく、僕様の宝貝を使っている。回収か破壊したら褒美をやろう」
「盗まれたものの一つ、だったんですのね……。後で能力の詳細をお願いしますわ」
「ああ。そう大したものでもないがな」
今度は壮が「それで?」と訊いた。
「いい加減、その、奴だかアイツだかについて教えて欲しいもんですねー。まさか、この期に及んで伏せたまま、なんてこたぁないでしょう?」
「青錫君さまのこともですわ!」
黄金君がちらと白銀君に視線を遣る。
すると彼は、懐から一枚の紙を取り出した。
青錫君の遺した書き置きだという。
力強い筆遣いで、全面に大きく、こう記されていた。
『我、道を得たり』
その余白には、一転して細くしなやかな筆跡で、
『わたしにも叫びが聞こえた。聞けば貴方たちもわかるわ。彼の言葉が真実であると。だから、わたしはわたしのやり方で、この身を尽くそうと思う。もっとも、彼のほうが先かもしれないけれど。あるいは、別の共鳴者が先かもしれないけれど』
水珠は震える声で言った。
「で、でも、白銀君さま、わたしが最後に会ったときは……そんな風には」
「仙道助手にこれを預けたのは、その後のことのようです。山羊樹人を追っている中で叫びを聞き、失踪を決意した、ということでしょう」
もっとも、と黒鉄君が懐から一冊の書を取り出す。
「兆候があっても、気付けたかどうか。こいつのときも、俺たちは気付けなかったんだ」
「それは?」
と壮が問えば、黄金君が不機嫌そうに答えていわく、
「日記だ。かつて五金君に名を連ね、今や天下の敵に成り下がった男の、な」
その名は――赤胴君。
水珠は、初めて聞く名前だったが(やっぱり!)と思った。
白銀君らが五金君と称するにもかかわらず、五人目の名は決して口に上がることがなかった。
ゆえに師らが、奴だのアイツだの彼だの、いかにも知った風な口ぶりで言うたび、もしや、と思っていたのだ。
壮や澄泥も、きっとそうだったに違いない。
だが、その日記の内容ばかりは、どうして想像ができただろう。
あまりにも荒唐無稽だった。
「アイツは」と黒鉄君は懐かしむように「天文を専攻していた」
黄金君によって最初に開かれた頁には、赤銅君が隕石を拾った話が記されていた。
隕石は、落ちたときに割れたようで、中には植物の種のようなものが入っていたそうだ。
異星の生命に違いない。試しに鉢に植えてみよう。
文章からでも、興奮した様子が伝わってきた。
(種……か。だから仙人さまたちは、あの怪樹は赤銅君さま関係、と)
日記はしばらく夜空の観察と併せて種子の記録が続いた。
種子は鉢の中で、いたって普通の植物変わらず、双葉を芽吹き、その背をすくすくと伸ばしていったという。
それが苗木となった頃、日記は声に言及するようになった。
『最近、どこからか声が聞こえることがある。
『なんの声かはわからない。いや、声でもないのかもしれないが。
『疲れている……のだろうか。早寝早起きを心がけているのだが。
『明日は、我が友、五金君と食事会がある。さすれば衰えた気も回復するだろう。
『衰えているようには、やはり、思えないが』
頁をめくる。
『鉢の中に妙な虫がいた。毛虫かと思ったが、毛が鉄のようだった。
『そこで一つ実験をしてみた。てんとう虫を放ってみた。
『すると、苗木はそれを取り込み、触手の塊めいたものを産み落とした。
『これが異星の植物の力なのか。興味深い。明日は獣を与えてみよう。
『それはそうと苗木の成長が鈍化している。
『鉢を変えたら良いのだろうが、この能力を考えると危険か。
『このまま観察しよう』
頁をめくる。
『また声が聞こえた。少しずつ、大きくなっているようだ。
『いや、声ではないかもしれない。
『これが声だとしたら、聞いたことのない言語だ。だから声ではないかもしれない。
『だが、なにかを伝えようとしている。そんな風に感じるのも本当だ。
『だから、つい、声と表現してしまう』
頁をめくる。
『苗木に鼠を与えたところ、針鼠のようなものを産み落とした。毛の色は黄色く、電気を放つ。
『他に三匹の鼠を与えたところ、肉の塊、百足のような蟻、尾の燃える鼠となった。
『火鼠は、自らの尾が出す炎に焼かれて死んだ。
『今のところ変化に法則性は見られない。
『異星の植物だ。これに意志のある可能性もあり得る』
頁をめくる。
『声の聞こえる頻度が増えている。相変わらず不明瞭だし、声ではない可能性もあるが。
『声だとして、これは、誰が、なにを伝えようとしているのだろう。
『まさか、苗木が……なんてことはあるまい。
『これが神仏のものでないことを、僕は仙人だから知っているけれど、世の人の中には、そう勘違いしてしまうこともあるだろうな。
『それが、不見識であるにもかかわらず、神仏の声を聞いたとのたまう輩の正体なのかもしれない。この不明瞭な声に、不明瞭であるがゆえに、勝手な意味を付随させてしまったのだろう』
頁をめくる。
『わかった。わかってしまった。
『この声が、なんなのか。
『違う。これは、なにかを伝えようとはしていない。
『これは、言葉ではなかった。意味などなかった。
『これは叫びだ。
『森羅万象が発し、森羅万象を貫く、果てしない叫びだったのだ』
頁をめくる。
見開きいっぱいに、のたうち回るような筆跡で、こう書かれていた。
『我、道を得たり』
書いた者の苦しみが如実に表れているような字体に、水珠は背筋を凍らせる。
澄泥からは小さな悲鳴があがった。
そして、余白に書かれていたものこそ、この場の誰もが容易には受け入れられぬ真実だった。
この宇宙が、実は、一個の卵から始まった、と。
どうして、それが真実と思えるだろう。
いや、真実はもっと荒唐無稽だった。
赤銅君の書き記した原初の物語が、真実だとすれば、だが。
『この宇宙は、産まれるべきではなかったのだ。本来、それから孵るべきは、大いなる一個の存在であった。しかし哀れなことに、それは未熟なままに孵ってしまった。未熟なる肉と骨と血は、その大いなる力に耐えきれず、爆ぜてしまった。この不幸が、宇宙の誕生なのである。この森羅万象が、どれほど多大なる犠牲のもとに産まれたものなのか。君たちも、あの叫びを聞けば自ずと理解できるだろう。そうだ、かれは今も叫んでいる。石や木、水に空気、川や山、そして我が身、血肉の一つ一つにまで、かれは宿っている。散り散りとなった肉と魂の痛みに、かれは今も、絶えず悲鳴をあげている。あるはずだった体のないことに、悶え苦しんでいる。狂ったように叫び続けなくてはならないのだ。だのに、それを知る者はわずか。なんと哀れな、大いなる君よ!』
だから――。
『我々は、かれに還さなくてはならない。
『この肉と骨と血を。髪の毛一本から、爪の垢まで。
『小石に水に、魚に鳥に。生けるものも、そうでないものも。
『空と地と海と森を。月を、太陽を。遥か彼方の星々も。
『宇宙の果てから果てまで、余すことなく。
『かれに、あるべき姿を還さなくてはならない。
『その痛み、苦しみを、慰撫するためにも、この宇宙を捧げなくてはならない』
そこで日記は終わっていた。
水珠は、思わず己の手をじっと見つめた。
赤銅君の言葉を真とすれば、この掌の皮膚の一片、産毛や爪にさえ、その大いなる存在の意識が宿っていることになる。
澄泥や、白銀君の体でもそうだ。あるいは、この床、壁や天井もそうなのだ。
そしてそれは今も、失われた肉体、散華した魂の苦痛に喘ぎ苦しみ、泣き叫んでいるという。
宇宙誕生からずっと、そこかしこで、ありとあゆらゆる存在が叫び続けているという途方もない世界観は、水珠の想像を超えていたが、こうしてる今、この掌が、爪が、産毛や髪の毛が、歯が、胃や腸が、自分の麻の服、澄泥の道士服、床や壁や天井が、急に悲鳴をあげ始めたらと思うと、言いようのない恐怖と気持ち悪さを覚えずにはいられなかった。
「――水珠」
白銀君にそう呼びかけられ、我に返った。
「考えても詮無いことです」
黒鉄君も道士三人に向けて、
「真に受けるなよ? 所詮、戯言だ」
「わかってますって。馬鹿馬鹿しい。長生きも考えもんすね」
壮が心底くだらなそうに答えると、その師も「全くだ」と吐き捨てるように同意する。
一方、澄泥は水珠と同じ顔して「……ですわよね」と、己の手を擦っていた。
それが本当に自分だけのものだと、確かめるように。
黄金君が「さて」と言った。
「話すべきことは話した。二仙人――二邪仙のことは、これから僕様たちが検討する。そして貴様たちは、しばしの自由を謳歌すると良い。今日はここに泊まるものとして、明日以降どうしたいか、どうするつもりかは、各々の師に伝えよ。相談事あれば、夕食後に時間を作ろう。以上だ」




