第44話 五金君と花剣
「健康体そのものですな」
三指仙の言葉に、水珠はホッと胸を撫でおろす。
「向こう十年は、大病に掛かることもありますまい」
彼のお墨付きとなれば、この上なく安心だ。
「では、私は失礼させてもらおう」
「ありがとうございました」
「君も体には気をつけるように。……少し顔色が悪い。診たいくらいだが」
「疲れが出ているだけですから。なにか不調が見られたら、お願いします」
「そうなってからでは、遅いこともある。そのことは承知しておくように」
不機嫌そうな顔で部屋を出ていく医仙を見送り、水珠は改めて妹を眺めた。
彼女はまだ、寝台に横たわり、静かな寝息を立てている。
ふっくらとした頬を、ちょんと指で突いてみれば、一瞬、眉間に皺が寄った。
また、目の前がぼやける。
「よかった……本当に……」雪梅だけでも無事で。
妖怪変化して、あの様だ。心底、人間なんて辞めて良いと思っていた。
この子まで失っていたら、絶対に、どうかなってしまっていた。
「危ないところだったね、わたしたち」
水珠は雪梅の手をそっと握り、もう何度目になるかわからない、安堵の溜息を零す。
妹の、ほのかな体温に安らいでいると、不意に襖越しに声を掛けられた。
澄泥だった。
「ごめんなさいね、お邪魔して。妹さんは?」
「大丈夫だって。まだ、寝てるけど」
彼女は、大きく息を吸って、目元をかすかに潤ませた。
「良かったですわ」
「澄泥ちゃんのおかげだよ」
「貴女の剣才こそなければ……っと、その話は一旦置きますわ」
黄金君からの伝言で来たのだという。
ここは白銀君の屋敷なわけだが、
「こっちに来てるの?」
「ええ。なんでも、一度は花剣を手にした者に話すべきことがあるそうです。壮さんも、もう到着していますわ」
そういうことなら、水珠が呼ばれても不思議なことではない。
しかし、なんだというのだろう。
ふたりは首を傾げながら、仙人らの待つ部屋に向かう。
てっきり待っているのは黄金君と白銀君だと水珠は思っていたが、黒鉄君もいた。
青錫君だけがいなかった。
直弟子たる大仁がいないのだから、不思議ではないかもしれない。
ただ、あの夜から会っていない水珠は、一言謝りたい気持ちがあった。
丸刈りの子供のような容姿の黄金君は、壮に言わせれば生意気な面をしており、尊大が服を着ているような人だが、今日の彼は、極めて不機嫌そうだった。
その緊張感は、左右の仙人も伴っているものだった。
黒鉄君は目を瞑って腕を組み、人差し指で素早く二の腕を叩いている。
あの、人形のように綺麗なばかりで表情に乏しい白銀君でさえ、その眉間の皺はいつになく、深かった。
三道士が円卓に揃うと、黄金君が重々しく口を開いた。
「貴様たちは、もう用済みだ」
あんまりな物言いではあったが、水珠がホッとしなかったと言えば、嘘になる。
師に大恩を返さず去ることの負い目――その一部を形成していた花剣の返納が、実質、認められたようなものだったからだ。
ならば、別の方法で、大恩を返すことを考えても良いかもしれない。
一方、壮は「あ゛ぁ?」と唸った。
黒鉄君が黄金君の頭をはたく。
白銀君が「すみません」と道士たちに謝り、
「つまり、任を解くということです。そして、この任――人に仇為す魔を討つこと――それは真の目的ではありませんでした」
「どういうことですの?」
これに答えたのは黄金君だ。
「貴様たちには、その過程で、ある男に出くわして欲しかった。奴は、天下に仇為さんとしている。ゆえに、魔に近きところには、奴の影があると思った。貴様たちに与えていた方角も、奴との縁を少しずつ手繰り寄せるためのものだった」
水珠は、はっと思い出す。
今日の午前、最後のつもりで白銀君を訪ねたとき、彼に言われた、自分たち仙人にこそ責任があるとは、このためだったのか。
真の目的を伏せたまま道士を使役していたことの負い目から出た言葉だったのだ。
壮が怪訝な顔をして、
「出くわす? 探すとかじゃなくてか?」
「貴様は、誰かが自分を探し出して殺そうとしているとわかったら、どうする?」
「返り討ちに決まってんだろ」
「奴は、貴様より賢いということだ」
黄金君の視線が水珠と澄泥に向けられる。
「わたしは……誘き出して倒します。妹を人質とかにされる前に、一刻も早く」
「まず理由を知りたいですわね。……奴とやらの場合は逃げ隠れする、といったところですか?」
黒鉄君が頷く。
「そもそも武闘派じゃねえってのもあるが、今のアイツにとって目的の達成が最優先だからな。潜伏する可能性が高い。だから偶然に賭けた。青錫君の占いに頼った偶然だからな。悪くない賭けだ。迂遠なきらいはあったが、焦っても熱い豆腐は食えんと言う」
次いで黄金君。
「もしも出くわしたときには、小獣から僕様たちに情報が伝わる手筈になっていた。さすれば、すぐにでも光遁で駆け付けられる」
壮が鼻を鳴らす。
「まるで釣りの餌だ」
「僕様たちの都合に巻き込む以上、死地に向かわせるつもりはなかった。花剣を与えたのも、六年の修行期間もそのためだったし、もし素質がないと見れば、途中で破門にするつもりでもいた。貴様たちは我々の、目であり、耳だ」
黄金君は一瞬、百年に一度あるかないかの、神妙な面持ちを見せた。
「……大仁のことは残念だ」
水珠は、おずおずと問う。
「あのぅ……もう、目と耳はいらなくなったということは、見つかったんですか?」
白銀君が首を横に振った。
「順を追って今回の決断について説明しましょう。まずきっかけは、青錫君が帰還しなかったことです」
道士三人が目を丸くする。
まさか、山羊樹人にやられたのでは。
三人とも、そんなことは露ほども考えなかった。
青錫君は武闘派ではない。相手は愛弟子の仇で、花剣を奪いもした。
冷静でいられなかったかもしれない。
だが、そんなことで敗けることはない。
そう確信できるほど、その身でもって、仙人たる者の力を知っているのだ。
白銀君は続けて、
「実は、花剣には居場所がわかるように術を掛けてあります。その反応を辿ってみましたが、青錫君は発見できませんでした。もちろん、死体としても」
黒鉄君が溜息まじりに言った。
「自ら姿を消したとわかったのは、仙道助手に預けられた書き置きを見てのことだった」
「その話はもう少し後にしましょう。さて、今、花剣の居場所がわかると言いましたが、青の花剣については、わかりません。恐らく妨害の術を掛けられたのだと思います。それは、誰の手によるものなのか。山羊樹人でしょうか、それとも、別の誰かでしょうか」
水珠が思わず声をあげた。
「ま、待ってください! 別の誰かって、山羊樹人にそんな繋がりはないと思いますが」
「それを産んだという怪樹が、彼のもたらしたものかもしれないのです。もしもそうならば、彼の元に帰った可能性がある。そして彼は、かつて黄金君の宝貝を盗みました。その経験から、以降の作には追跡の術を掛けるようになったのです。彼ならば、そうしているだろうことに思い当たっても不思議ではありません」
もっとも、念のために妨害した可能性も充分にあるが、
「山羊樹人に、そうした力や知恵があるかは、少々疑問ではありますね」
と彼は補足した。
この中で唯一、対面したことがあるのは水珠だけ。
その所感を述べるとすれば、
「ある程度の知能はあると思います。でも、そういった術を使えるかは……大仁の知識などが、どれくらい反映されているのか。無頭巨人は赤ん坊と、術師から産まれましたが、どちらかと言えば赤ん坊に近かったですし、それも反映されての結果かは不明です」
黒鉄君が口を開く。
「知能があり、宝貝から追跡される可能性に思い当たり、かつ妨害する術を身につけていた。それよりは、アイツが絡んでることのほうがあり得る、と俺たちは見ている。青錫君の占いもあったことだしな。ふたりとも、あそこには方角が合っていただろう?」
「あ、そうですね、たしか」
「なら、もう、間違いねえな。アイツだ。独覚もアイツの手下かなんかだったんろ」
白銀君が「それで」と話を続ける。
「最後に反応のあった町へ向かってはみましたが、山羊も他も、発見に至らず。ただ、結界の痕跡はありました。それでもって彼の関与は断定できませんが……私たちは、彼が雲隠れした可能性が高いものと判断しました」
「すなわち」
と黄金君。
「青錫君の自発的失踪による占いの著しい精度低下、および、対象の潜伏可能性。この二点から現行の作戦中止を決定したということだ」




