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第41話 水珠と妖虎と黒い花

 村の境で地を蹴り上げ、ぐんぐん上昇していく。


 空に虎の姿はない。

 もうすでに遠くへ行ってしまったのか。それとも森に潜んでいるのか。


 水珠(スイジュ)は一旦、地上に降りた。

 ずっと握り締めていた右手には、化け物の体毛がある。


「自信はないけど」

 あれを使うほかあるまい。


 懐から取り出したるは、紐を結んだ指輪だ。

 それに毛を擦りつけ「(しっ)!」と念じる。


 すると指輪がふわりと浮いて、方角を示した。

 もう一度やれば、別の方角を示す。

 だから続けて、五、六度やって、二度以上、示した方角へ行く。

 しばらく行ったら、また同じ要領で方角を得る。

 精度の悪さは回数で補う。今はこれしかない。


「……今度はあっちか」


 都合、七度目の方向転換。もうすっかり村から離れた。

 果たして標的に近づけているのだろうか。

 不安を殺意で塗りつぶし、ひたすら進む。


 森の上を飛ぶ水珠は、下も前も左も右も、とにかく忙しなく視線を動かす。

 耳だって神経を集中させている。いつ、化け物の声が聞こえるとも知れない。


 緑の薄くなったところに、細い渓流が見えた。

 水珠の目が見開かれ、口角が吊り上がる。


「――いた!」


 川のほとりに。

 水を飲んでいる。

 父と母、そして妹を殺した憎き怪物の分際で。

 呑気に喉を潤している。


 全身の血が沸騰しそうだ。

 煮え滾った血が、目の奥から流れ出そうだ。


 花剣はなくとも仙術はある。

 持てる全てを駆使して、必ずや地獄の苦しみを味合わせてやる。


 急襲することは容易いが、まずは手始めに、その顔を拝んでやろう。


 水珠は有翼虎の背後へと降り立った。

 砂利を踏む音に、そいつは耳をピクリと動かし、勢いよく身を翻す。

 その黄金色の瞳で捉えた水珠に、牙を剥き、唸った。


 瞬間、彼女は――ヒュ――と息を飲む。


 虎は、虎の顔をしていなかった。

 人の顔だった。女の顔だった。


 その肉体は人の倍はあろうか。

 いかにも強靭な四肢に、鋭い爪は分厚く包丁のようでもある。

 黒と黄の縞模様の体毛は手足から背中にかけて生えている。

 尾は二又に別れ、その背にあるは、二対の大小の黒き翼。


 それだけ見れば、翼の生えた虎に違いあるまい。

 あの目撃者は顔までは見なかったのだろう。

 体の前面、毛に覆われずに曝け出された乳房を見ることも、なかったのだろう。


 そこだけは良かったと水珠は思う。

 まだ嫁入り前の娘だから。


 その虎の顔は――雪梅(シュエメイ)に酷似していた。


 くりくりとして可愛らしかった瞳は針のように細い。

 頬からは髭がピンと伸びている。

 鈴の音みたいな声を発していた口は耳まで裂けて、上顎から顎下まで伸びた二本の鋭い犬歯は剣のよう。


 水珠はその異形に、大仁が、山羊頭が、重なって見え、またあの鳴き声を聞くのだった。


「わたしの、せいだ……!」

 涙と共にそう言葉を漏らした――そのときだ。


 空気を切り裂く音が聞こえたかと思えば、掌ほどの大きさの、漆黒の円盤めいた刃が雪梅の体に突き刺さった。

 鮮血が散り、黒き花びら舞い上がり、獣の悲鳴があがる。


 水珠もまた、悲鳴をあげた。

「あああああっ!?」


 その傍らに波打つような黒髪の少女が、十二枚の黒き円刃を漂わせながら舞い降りる。

「水珠! 怪我はありませんこと!? 今、この化け物を」


 改めて澄泥(チャンニィ)が、その花剣――隠蔵(インゾウ)衛星剣(エイセイケン)黒牡丹(コクボタン)を走らせんとする。


「だめええええっ!」

 すかさず、水珠はその顔面に右拳を叩き込んだ。


 まさか友に、それも窮地を救った相手に、殴られるだなんて誰が思うだろう。

 尻餅ついた澄泥は鼻と口角から血を流して、目を白黒させる。


「な、なにするんですの!?」

「雪梅は、わたしが守る!」

「は、はあ!?」


 水珠は飛び退きながら、まずは火球の術を三発。

 彼女がそれを黒き円刃で守ろうとするのはわかっていた。


 ゆえに撃ち込む先は足元。


 爆ぜる。火の粉と砂利が飛び散った。

 それに驚き、人虎は逃げ出してくれた。


 澄泥は、人虎と水珠とを戸惑いの目で見比べて、

「どういうことですの!? 雪梅って、妹さん!? あの虎が!?」


「そうだよ。雪梅は、化け物になった……わたしもそうだ!」

 湧き出た霧が黒の花剣道士を包み込む。


「雪梅はわたしを、人間って言ってくれたのに! わたしは、雪梅を裏切った!」

 その中に火球を再び撃ち込むより前に、彼女は当然、飛び出してくる。

 そこを狙う。


「落ち着きなさい、水珠!」

 円刃に阻まれた。


「わたしが色んなものから逃げたから! 人の道を外れたから! その報いが、あの姿!」

「なに馬鹿げた話を! どうかしてますわ!」


 そうして水珠は、自身に耳目を引きつけながら、すぐ傍の渓流に術を掛けていた。


 川の水がぬうっと立ち上がる。

 それは一本の柱。いや、人の腕めいていた。

 開いた五指の先から極めて細く、そして驚異的な力で水が噴射される。


 無数の小石が砕け散り、その下の大地に小さくも深い穴を穿つ。

 澄泥の姿は、眼前にはもうなかった。


(そうだ――あの子の香は)


 不意に陰る。

 水珠は間一髪、踵落としを躱した。


「円刃に隠れ、また別の円刃へと移り渡る能力!」

「こんの水愚! 今のは流石に、当たったら洒落になんねえですわよ!?」


 澄泥は続けて回し蹴り。

 飛び退く水珠、に対して「疾!」と河原の小石を飛ばす。

 こめかみに当たって怯んだところで、鳩尾に肘打ち。


「ぐっ!」呼吸が一瞬止まる。


 澄泥が身を捻る。裏拳がくる。

 左腕で受けて背中に蹴りを放つも、舞うように跳んで背後を取られる。


 続けて打ち込まれる拳を、水珠は体を回転させ()なすと、その勢いのまま掌底でこめかみ。

 空振り。澄泥は上体を軽く反らしたのだ。

 ならばと後ろに跳躍すれば、追ってくる。


(離れ、られない!)


 こうして近接格闘で攻めたなら、水珠が噴水刀を軽々に放てなくなるとわかっているのだ。

 もはや水腕を維持する必要はない。

 その分の集中力を眼前の敵に回す。


(勝機は、充分にある!)


 澄泥が本気で花剣を使えば、たちまち斬り刻まれること必至。

 そうなっていない今が、最大の勝機だ。

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