第36話 人でなし
彼が手に握るは一振りの大刀。
長い柄の先にある、幅広で湾曲した青い刃は弓張り月の如し。
その柄と刀身の繋ぎ目には、龍の頭が象られている。
その名の頭に五重と冠するわけは、火を見るよりも明らかだ。
たちどころに彼の姿は一つ、二つと増えていき、五人となった。
ただし、花剣の数に変わりはない。
大仁《《たち》》はすぐさま、未だ眠り続ける術師の保護に動いた。
本体と分身一つが枝を払い除け、残りがその隙に二人ずつ外へと運び出していく。
独覚が舌打ち混じりに笑う。
「厄介なお仲間を呼びやがって、卑怯な奴め」
「黙れ、人でなし!」
形勢逆転。水珠はそう思っていた。
一人は残念な結果になってしまったけれど、これ以上の犠牲はない。
儀式を破綻させることができた。邪法師の笑みなど強がりに過ぎない、と。
しかし――怪樹は、捧げものを横取りされることが許せなかったのか。
あるいは己が身の守護者を求めたのか。
一斉に、残る術者たちへと襲い掛かり、枝葉で包み込んでしまう。
大仁もこれには対応しきれず、
「くそっ! くそっ!」
悔し気な顔で怪樹から離れる。
そして六体の巨人が、産声をあげた。
その変貌を背中で感じていた水珠だったが、ぐっと堪えて、今は眼前の敵こそ討たん。
「守りながら勝とうだなんて、見くびるな!」
これ見よがしに揺蕩う双槍を州守へ向かわせた。
彼は、なおも蹲ったまま呪文に必死だった。
彼を守りに邪法師が動いたところで、なにかしらの術を撃たん。
かき消されるだろうが、気を引ければ充分。
そこで羽衣を折り返して背を突く腹積もり。
だが、そうはならなかった。
奴は、もはや不用と言わんばかりに、州守を庇わなかったのだ。
斬られた彼は、声もあげず、がくりと崩れる。
その直後、切っ先に重石の呪符を貼り付けられた。
「しまっ――!」
独覚が錫杖を振り回して霊力弾を放つ。
水珠はやむなく羽衣を花剣に戻し、いくつかを斬り払うものの、一つは左肩に、もう一つは腹に受けて小さく呻く。
その隙を見逃す邪法師ではなかった。
跳躍から、錫杖を振り下ろす。
水珠は辛うじて剣で防ぐ。が、
「破ァ!」
近距離で爆ぜた霊力に吹き飛ばされ、背中を地に打ち付ける。
「くぅっ!」一瞬、目の奥がチカチカした。
懐の白鼬と青蜥蜴が咳き込みながらも、追撃を警告する。
「さ、咲きこぼれて!」
羽衣で地面を這いずるように、まずはその場から離れた。
間一髪だった。危うく顔面に穴を開けられていたところだ。
安堵と共に独覚を見据えたときだった。
「――う、うわああああっ!」
州守が目を覚まし、絶叫したのだ。
これには邪法師と言えども目を丸くする。
「ほォ! 生きていたとは」
そんな彼には一瞥もせず、悲鳴をあげ続ける。
その視線は怪樹と赤黒き巨人に注がれていた。
顔は涙と鼻水まみれ、よく見れば小便を漏らしてまでいる。
そして遂には這う這うの体で中庭から逃げ去ってしまった。
独覚が興味深そうに水珠へ視線を遣った。
「小娘、なにをした?」
「言ったでしょ。後悔させるって。もっとも――」
水珠は駆けるように飛び、邪法師に迫る。
「砂粒程度でも良心が残ればの話だ!」
きっと残るまい。彼女には、そのどす黒い魂を感じられた。
州守とは比べものにならない。
あの男には、魂を手とすれば、親指ほどには良心があった。
その小さき魂のみを残してやった。
今頃は、己の犯した罪に耐えきれず、自害しているに違いない。
「くはは! 恐ろしいなァ、人の心を勝手するか! それが人の道か!?」
懐の白鼬が「シャー!」と牙を剥く。
「慈悲でしょうよ! 人でなしにはわからない!」
独覚が霊力弾を放つ。
「お前の決めることかァ? 人か、そうでないか! なんの権限がある!?」
水珠は跳躍して躱し、首と腹を狙う。
「人の命を勝手するやつが! そんなこと雪梅はしないんだよ!」
「誰だそいつは!」
邪法師は巧みに錫杖を操り、羽衣を巻き取った。
加えて重石の呪符まで。
そうして動きを一旦止められた水珠に、無頭巨人の、ふっくらとした両手が迫る。
水珠は、その目に向かって火球を撃ち込んだ。
その悲鳴は癇癪起こした赤子のよう。
「ごめん……ごめんね……!」
白鼬が叫んだ。
「独覚が!」
怪樹に向かって駆けだしている。
羽衣を巻き取った錫杖は地に刺してある。
(なんで!? ――人間をやめるつもりか!)
羽衣を剣へ、そしてまた羽衣へ。
目を焼かれたばかりの巨人を、断腸の思いで縦と横に斬り裂く。
真っ赤な血が噴き出して、真っ白な花びらがいくつも、ひらひら舞い散る中を、水珠は飛び抜ける。
「さ、せ、る、かあああっ!」
樹の傍では五人の大仁が、三体の巨人と相対中。
「大仁くん! 止めて!」
気付いたのは青き偃月刀を握る者。
彼は巨人の股下を滑るようにくぐり抜けつつ、その脚を斬った。
独覚の前へと立ちはだかったなら「せいッ!」と足払い。
それを奴は一跳びで躱し、頭上を越えながら符を投げつける。
「重! ごめん、水珠!」
「充分! ありがと!」
跳躍させたおかげで、わずかでも間合いを詰められた。
水珠は通りがかりに、膝を折った大仁の背を、そこに貼り付いた符を斬り捨てる。
独覚がちらと振り向き舌打ち。
「盾になれ、お前ら!」
すると二体の巨人が分身大仁を無視し、水珠の進行方向に集まらんとする。
分身たちは術で攻撃し続けているが、それでは致命傷にならないらしい。
本体が青き刃を握って排除に動く。
水珠は右腕を軸に、羽衣の両端を螺旋状に回転させながら、純白の円錐を形作る。
その鋭きほうで怪樹を狙い定め、今の彼女にできる最高速度まで一気に加速。
それは飛行というよりも発射に近い。
一つの矢になったかのよう。軌道調整はできない。そもそも目が追いつかない。
一直線に空を貫き進むのみ。
一体の巨人が触れかけたが、たちまち五指吹き飛んだ。
独覚が怪樹に縋りつく。
「くはは! 真に俺は人でなしよ!」
その身に絡まらんと枝葉が降りてくる。
「さァ! もう一度、俺を産み直せ! 人の身に未練などない!」
それらを白き円錐が蹴散らして、真っ白な花びら舞い上げながら、浅黒い幹に突き刺さった。
その場所は丸坊主の上、二尺というところ。
見上げた邪法師の目に、たちまち円錐のほどける様は、花が開くように映ったことだろう。
花びらが粉雪の如く舞い散る中、純白の羽衣が宙を駆る。
その両端に貫かれて、独覚は膝から崩れ落ちた。
怪樹も静かに、枯れていく。
水珠は、ふ、と息をついて地上に降り立った。
「やりましたね、お嬢!」
「……うん」
終わった。ただ、そう思う。
喜びも、爽快感も、ない。心身の疲労のみがあった。
ちょうど大仁たちも、最後の一体を倒したようだ。
花剣を花に戻して、分身を消した彼の元に向かう。
「お疲れさま!」
「ん、水珠もお疲れ。……奴は?」
振り返ってみるも、動く気配は全くない。
やはり、邪法師には良心の欠片もなかったようだ。
「廃人かな、たぶん」
これから誰かが面倒を見るかもしれないし、見ないかもしれない。
もしも見る者があるのなら、
「今度こそ、ちゃんと積み上げていく機会だよ。人として、大事なものを」




