表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/61

第32話 赤い塊

 苦渋の決断を迫られ、水珠は奥歯を軋ませた。


「救助を、優先する!」


 家の中に飛び込むと、果たして、男の人が壁に寄り掛かるようにして座っていた。


「大丈夫ですか!?」

 腹部を切り裂かれたようだ。あの錫杖の先端が鋭利であったことを思い出す。

 夥しい血に加えて臓腑もちらり。


 それでも息はあった。

 本当に、虫の息というやつだけれど。


「聞こえますか!? 気をしっかり持って!」

 荷物から血止め薬を取り出す水珠。


 彼は薄っすらと目を開くと、か細い声で、

「つ、妻と……子、は……」


「えっ!?」


 白鼬(シンシン)に言われて、水珠は隣室のあることに気付いた。

「お嬢……」鼻で、わかってしまったのだろう。

 その沈痛な面持ちを見るに、酷い有様であろうことは想像に難くない。


 水珠は、旦那さんに優しく微笑みかけてから向かった。


 そこで目にしたものを、生涯、忘れることは出来ないだろう。

 むわっと漂う鉄のにおいの中、奥さんは仰向けに倒れていた。

 虚ろな瞳の傍には涙の流れた跡。鼻からも口からも出血している。

 彼女も腹部を切り裂かれていた。旦那さんよりも、荒々しい傷だった。


 肩で小さな相棒が震えた。

「ひどい……」


 心の中で深く同意しながら、水珠は視線を巡らせる。

 子は、どこだろう。


(隠れるようなところは――あ)


 気付き、息を飲む。

 呼吸の仕方を忘れてしまったみたいに、二の息を継げない。


 胸の鼓動も早くなる。

 苦しい。けれど決して、目を逸らしてはいけない。


 奥さんの足元、血の海に転がる小さくて丸い、《《赤い塊》》。

 それがなんなのか、確かめなくてはならない。


 水珠はぐっと涙を堪えて、近づいていった。

 そして、その正体がわかると、熱いものが静かに頬を伝った。


 それはやはり……子の亡骸だった。


 産まれる前の、小さな赤ん坊。

 《《その小さな体には》、《《小さな手足が残されていた》》。


 水珠は拳を握り締めて、奥歯が割れんばかりに噛み締める。


 ふたりに対して両手を合わせる気には、なれなかった。

 だって、そうだろう。

 どうか安らかに、なんて。祈れるはずがない。

 それをするときがあるとすれば、あの悪僧に、人でなしに、独覚(ドッカク)に、報いを受けさせた後だ。


「仇は、取ります……! 必ず、わたしが!」


 目元を拭い旦那さんの元に帰ると、打って変わって微笑みを見せる。

「大丈夫ですよ。奥さんは、手当てしました。子供も無事です。貴方のことも手当てしますね」


 痛み止めの薬を飲ませ、血止め薬を塗りたくった羽衣で胴体を包む。

 もちろん、気休めに過ぎない。彼はもう助からない。


 苦痛が和らいできたからか、あるいは死期を悟ってか。

 彼は、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。


「おれの……せい、だ……。旅の僧……と聞いて……家に、あげた……。間違い、だった……」


 涙を流して己を責める彼の手を、水珠はそっと握ってやる。

「そんなこと、絶対にありません。親切にした……人として当然のことをしたんです」


 それでも彼は、妻と子に謝り続けて――事切れた。


「……あなたは、なにも、間違ってない」


 水珠は夜が明けるまで家にいた。

 三人の亡骸を少しでも綺麗にしてから、近くの村に飛び、埋葬を頼んだ。

 その村と彼らは交流があったようで、村人たちは泣いていた。


 埋葬が済んだ後、水珠はしばし、そこを離れられなかった。


「……ねえ、心心(シンシン)。わたしが、もっと早く、あそこを通っていたらさ」

「そんな風に考えてはいけません。いけませんよ、お嬢」


「あそこで、あなたの言う通りに、あの男を追っていたら」

「なにを言ってるんですか。追わなかったから、三人をちゃんと弔ってあげられたんじゃないですか。あたしは人間じゃあ、ありませんけどね。でも、お嬢のしたことは、人として大切なことだったって、そう思いますよ」


「……ありがと」


 自分のしたことが間違いだったとは思わない。

 妹なら、雪梅(シュエメイ)なら、そうしたであろうことをしたのだから。

 それを肯定して欲しかったわけでもない。


 ただ……ほんの少しだけ、なにかが違っていたら……。

 その悔しさが零れ出てしまっただけ。


(言っても、しょうがないことだって、わかってはいるけれど)


 拳を震わせていると、白鼬(シンシン)が言った。

「行きましょう、お嬢。あのクソ坊主に、報いを受けさせてやりませんと!」


「……うん、そうだね」


 雪梅だって、きっと、そうするだろう。

 これほどまでに悪辣な存在を、どうにかできる力があるのなら、そうするはずだ。

 あの子は、とても優しいから。


 水珠は袖で目元を拭い、飛び立った。


 巳陽(シヨウ)にいるという独覚の宣言が、真実であるかは疑わしく思っていたが、ともかく向かう他あるまい。

 すると途中、出会った行商人から、貴重な話を聞くことができた。

 いわく、巳陽の州守の食客に、そのような名前の僧侶がいるという。


「そいつのことで、他になにか知っていることはありませんか?」

「いやぁ、流石にねぇ。関わったことはないし」

「そう、ですよね。……あ、じゃあ」


 妊婦が殺される事件については、なにか知っていることはないか。

「わたし、犯人を捜しているんです」

 駄目元で聞いてみたところ、


「あぁ、あれか」

「知っているんですか!?」

「巳州の夫婦の間じゃ、有名ですよ」


 彼は気分の悪そうな顔をしながら話を続けてくれた。


「たしか、三年ほど前からか、ちょうど今の時期……春と、それから秋頃になると、そういう事件が頻発するようになりましてね。妊婦の腹から子を……」

 そこで一呼吸を置いて、

「まあ、そんなわけだから、すっかり巳州では春と秋には子を産まぬように気をつける夫婦が多くなったと聞きます。もしも出来てしまったら身を隠すなども、聞きますね。それでも……つい最近もありましたね」


 そうして彼が指差した方角は、当然、水珠たちの来たほうとは違っていた。


「事件を知らぬ者も、まだまだいるでしょうし、なかなか絶えません。惨いことです」

「ええ……本当に」


「道士さまは、犯人を捜しているとのことですが」

「なにか、手掛かりらしき話はありますか?」


 彼は首を横に振り、

「お気持ちはわかりますが、あのようなことができるのは、人間ではありません。道士さまと言えども……」


「心配してくれて、ありがとうございます。充分、気をつけます」


 水珠は商人からお礼代わりに適当な品を買い、また空を行く。

 目指すは()州の中心――巳陽(シヨウ)

 そこに独覚と名乗る僧のいることは、間違いない。

 崑崙から送られてきた方角も、確信を後押ししてくれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ