なな
結局、ウィル様と約束を取り付けることもなく、夜会が終わってしまった。
ダンスを終えて早々に、ライナスから帰るよう促されてしまったのだ。いくらなんても早すぎると訴えたのだが、叙勲も済んだし挨拶も一通り終えたから、残る理由はないと言う。
それに靴擦れが出来ているだろう?とニヤリと笑って指摘され、うっと言葉に詰まる。どうして気付かれたのか。彼の言う通り、おろしたての靴を履いていたせいか、ダンスの途中から足が痛み始めていた。
「ライナスって目ざといわよね」
「ふん、一緒にダンスを踊っていたんだ。パートナーの足に異常があれば、すぐ分かるに決まっている。どうしても動きがぎこちなくなるからな」
「ふぅん……ありがとう」
ライナスは昔からこうだった。私に何かあると、誰よりも早く気付いて対処をしてくれる。今日も足の異常に真っ先に気付いた彼が、控えていた侍女を呼びつけて応急処置をしてくれた。
間に合わせの私でも、ちゃんと気に掛けてくれているのだ。
「まだ痛むか?」
「心配しなくても、もう大丈夫よ。すぐに処置してくれたから、酷くならずに済んだわ」
「そうか。それなら良かった」
ライナスがホッと息を吐いて、柔らかに笑った。随分と心配させてしまっていたらしい。
今更ながらに、取り乱してしまった自分を恥ずかしく思う。
だって、休憩室まで横抱きで運ばれたんだもの……
男女の逢瀬的なものを想像してしまい、「何考えてるのよ!」と思わず叫んでしまった。怪我人の輸送に過ぎなかったのに、自意識過剰もいいとこだ。
恥ずかしすぎる勘違いに、しばらく顔があげられなかった。周囲からは好奇の目で見られるし、散々である。
……それでも、痛い足で歩かなくて済んだのは、やはり助かった。
踵には小さな水ぶくれができていた。
彼のお陰でこの程度で済んでいる。
「ねえ、ライナス」
「なんだ?」
「騎士団長、就任おめでとう。ちゃんと言ってなかったな、と思って……」
改めて口にすると、少し照れくさい。
頬にじわじわと熱がたまる。ちらりと彼の様子を伺うと、ライナスも同じ気持ちなのか、うっすらと頬が赤くなっている。
なんだか直視できなくて、視線を横に逸らした。
「ライナスは周りをよく見ているわよね。今日の靴擦れのこともそうだけど、他にもたくさん、ライナスには助けられてきたなって思うの。私が騎士団で4年も頑張ってこられたのは、間違いなくライナスのおかげだわ」
「リンジー……」
私が落ち込んでいる時には、すぐに気付いてフォローをしてくれた。彼がくれた甘いキャンディは心に沁みた。大きな失敗をして、もう辞めてしまおうかと思った時だって、黙って側にいてくれたから私はまた頑張ろうと思えた。
逸らしていた視線を、まっすぐ前に向ける。
今度こそライナスの顔をしっかりと見て、言った。
「だから、ライナスならきっと素晴らしい騎士団長になれると思う。頑張って。私もささやかだけど、応援してる」
「リンジーが応援してくれるのか。はは、それは頑張れそうだな」
「今日のライナス、とてもかっこ良かったわ。これからは今まで以上に、令嬢たちの熱い視線を浴びそうね」
ふふ、と笑うと、私の激励にライナスが感極まったのか、身を乗り出して両手で私の手をぎゅっと握った。
「リンジー、俺は!」
「ところでライナス、ウィル様と連絡って取れる?」
「………………」
あ、言葉が被った。
「ごめんなさい、お先にどうぞ」
「………………」
「あの、何か言いかけていたわよね。ちゃんと聞くから、言って?」
「…………なんでもない」
「ものすごく真面目な顔をしてたけど、もしかして大事な話をしようとしていたの? ほら、夜会が終わったら話があるって言ってたじゃない」
「っ、話すことなんて何もない。今この瞬間に消えた!」
結局、屋敷に着くまで、ライナスが口を開いてくれることはなかった。
◆ ◇
それから数日が経った。
ライナスが団長になり、彼と仲の良かった第1の部隊長が新たな副団長に昇格した。補佐については、ライナスは慣れている私の方が良いだろうという判断で、フェリシアが副団長付きの補佐となった。
ライナスも私も、新しい業務にバタバタと忙しく駆けずりまわっている、そんなある日のことだった。
「リンジー、この前の件だが」
「この前?」
「ウィルと、連絡を取りたいと言っていただろう?」
「!!!」
羽ペンを手にしたまま、ぐりっと顔だけライナスの方を向く。
私のあからさまな反応に、ライナスがくすっと笑った。
「ウィルに聞いたら、しばらく王都に滞在すると言っていた。どうしてもというのなら、会わせてやってもいい」
「お、お願いします……」
どうしてもそわそわとしてしまう。もう2度と会えないと思っていた人だった。
ライナス、私の言葉をちゃんと覚えていてくれたんだ……
「ただし! いくつか条件がある。最初から2人きりはナシだ。俺も同行する」
「ええ、もちろんだわ」
「ウィルに話を持ち掛けるが、あいつが断ったらそれまでと思ってくれ」
「ええ。ええ」
「まあ、多分それはないと思うが……」
ライナスのあげた条件はどちらも当然のことばかりだ。初めての顔合わせで最初から2人きりになるのは、どう考えてもハードルが高すぎる。今回は私とライナスも同行する方が、和やかなムードで始められるだろう。
もう一つの条件も同様である。ウィル様にいい人が現れていたなら、それまでの縁だったと諦めるしかない。
ちなみにフェリシアの方は超絶乗り気である。熊みたいな男性に会ったと話をしたら、ものすごく羨ましそうな顔をされた。一度でいいから会ってみたいと何度も言われている。
そこまで考えて、ハッと思考が止まった。
そうだ。すっかり頭から抜け落ちてしまっていたけれど、ライナスはフェリシアが好きなのよね……。それなのに、彼の目の前でフェリシアに男性を紹介するのは、かなり不味いのでは……?
「あの、あのねライナス。私、その……フェリシアを、連れていこうと思ってるんだけど……良いかしら?」
「フェリシア嬢? 好きにしろ」
「え、いいの? なんかすごいあっさり承諾してるけど、ほんとにいいの?」
「構わない。ウィルには4人になると伝えておく」
淡々と事務的に告げられて、拍子抜けをする。
まじまじと彼の顔を見たけれど、動揺している様子は見られない。
「それよりもこの書類だが、明後日までに各部隊長からのサインが欲しい。いくつか未提出の部隊があるので、貰ってきてくれ」
「りょ、了解です!」
もう吹っ切れているのだろうか。
フェリシアに論外と宣告されてから、約一月ほどが経つ。気持ちの整理をつけるのに、十分な時間があったともいえる。
彼に贈られた赤いドレス。もしかして、あれがライナスなりに終止符を打った行為だったのかしら?
まあ、大丈夫ならいいんだけど……
ライナスから手渡された未提出のリストを受け取って、席を立つ。扉を閉めきる寸前に、ちらりと見えた部屋の光景に、息が止まった。
はーーーー、と長い溜め息を吐き、ライナスが赤い髪をぐしゃぐしゃと掻き回している。
細い隙間から見えたライナスは、さっきまでの淡々とした彼とはまるで違っていた。酷く疲れた顔をして、ごそごそとポケットの中を漁っている。
どくどくと胸が嫌な音を立てている。これ以上見てはいけない。早くここを立ち去るべきだ。分かっているのに、私の足はその場に張り付いたまま動けないでいる。
ポケットから取り出した赤いキャンディを、ライナスがぱくっと口に放り込んだ。
「くっそ甘ぇな……」
綺麗な金の瞳からは、一粒の雫が零れ落ちていた。