ろく
会場はたくさんの人であふれ返っていた。
さすがは王宮主催の夜会である。普段は見かけることのないような地方貴族も来ているようだった。それだけ先の戦争での勝利は大きくて、国を挙げて盛大に祝いたいと思っているのだろう。祝賀会も兼ねたこの夜会には、国中の貴族に招待状が届いていると聞く。
厳かな雰囲気の中で、式典は滞ることなく執り行われていった。国の発展に寄与した人物たちが陛下直々にお声を賜り、功績に見合う爵位や官職、金銭などの褒賞を与えられていく。
最後を飾ったのはやはりライナスだった。隣国との戦を短期間で勝利し、我が国に平和をもたらした功績は大きい。陛下から勲章と共に騎士団長の地位を与えられ、ライナスが恭しくお辞儀をしている。
会場は割れんばかりの拍手が沸き起こった。
「……すごいわね、ライナス」
一躍時の人となった彼に、祝辞を述べようと大勢の人間たちが押し寄せている。騎士団の仲間たちに、彼と縁づきたいと考えている貴族たち。華やかな令嬢たちの姿も見えた。色とりどりのドレスが白い騎士服に群がっていく。
あの様子ならしばらく合流できなさそうだ。
パチパチと拍手をしながら、苦笑した私はこっそりと会場の端に移動した。
「あ、失礼」
喉が渇いたのでシャンパンを取ろうとしたら、他の人と指がぶつかってしまった。
顔を上げると、そこには黒い短髪に黒い瞳をした、若い男性がいた。
「いえ、私こそ失礼しま…………」
「うん?」
「……………………………………」
「どうかしましたか?」
ポロリ、と手の中にあるシャンパンが滑り落ちていくのを感じる。脳内イメージ映像だけど。
幸いにもグラスは手にしていないので、実際には未遂である。だが、間違いなく私の想像の中ではシャンパンが華麗に落下して、ドレスに大きな染みを作っていた。それくらい衝撃は大きかったのだ。
この人、まるで熊のようだわ……
「何をじっと見ているんだ」
見知らぬ男性の、逞しすぎるお体に驚いていたら、耳元で地を這うような低い声がした。
ポンと肩を叩かれて、振り返るとライナスが凶悪な目つきで私を睨んでいる。
「ひぃっ!」
「……俺を見て悲鳴を上げるとか、失礼な奴だな」
「もうっ、脅かさないでよライナス……。さっきまでたくさんの人に囲まれていたのに、どうしてここに?」
「あんなもん、むりやり抜けてきたに決まってるだろ」
「きちんと挨拶しなくていいの?」
「した。皆にまとめてな」
もみくちゃにされたのかライナスの髪は乱れていた。上着もずれているし、胸ポケットに差していた赤い花もなくなっている。散々な目に遭ったのか、すこぶる機嫌が悪そうだ。
「やあ、ライナス! 相変わらずそうだな」
「久しぶりだな、ウィル。卒業して以来じゃないか?」
知り合いだろうか。逞しいお体の男性に声を掛けられて、ライナスの表情が和らぐ。
「王都に来るのは4年ぶりだな。卒業と同時に父に跡を継がされて、それどころじゃなかったからなぁ。それよりも、そちらの女性とはどういう関係なんだ? まさかライナスもいよいよ婚約したのか?」
「……いや、リンジーは従妹だ。騎士団では俺の補佐もしてもらっている。リンジー、こいつはウィル。俺の騎士学校時代の友人だ」
「はじめまして、ウィルフレッド・エインズワース辺境伯と申します」
騎士学校の友人……騎士……どうりで体格がいいはずだわ。
好奇心たっぷりにウィルフレッド様を見上げた。ものすごく背が高い。ライナスよりも上だわ。
「どうしたリンジー。さっきから、なにじろじろとウィルを見てんだよ。失礼だろ」
「ははっ。俺の熊のような見た目に驚いているんだろう。自分でも貴族らしくないなって思っているんだ、リンジー嬢がビックリするのも無理はないさ」
「……す、すみません。エクランド公爵家の長女、リンジー・エクランドと申します。ライナスとは母方の従兄妹同士になりますの」
おほほ、と貴族令嬢らしく微笑んでみせるも、胸中では嵐が吹き荒れていた。失礼だと分かっているけれど、ウィルフレッド様をじっと観察してしまう。
私の腰よりも遥かに太い首。ライナスの1.5倍はありそうな太い腕。分厚く盛り上がった胸板は、夜会服を中から窮屈そうに押し上げている。
すごい。フェリシアの理想が服着て喋ってるわ……
「その、立派なお体ですのね……」
「お褒めに預かり光栄です。いやあ、辺境にはこれといった娯楽もなくてね。体を鍛えるくらいしかすることがないのですよ、はは!」
大きな口を開けて豪快に笑うウィルフレッド様は、身体つきもすこぶる豪快である。足だって丸太のように太い。隣に並ぶライナスが随分と細身に見えるわ。
ああ、フェリシアと会わせたかった!!!
ぐっと拳を握ってしまう。
ちなみに今日の夜会にフェリシアは参加していない。ドレスを用意するお金がもったいないからというのが理由である。素敵な筋肉に出会える機会だったのに……本当に惜しすぎる。
「さ、もういいだろ。次いくぞ……っておい」
「あの、エインズワース辺境伯にお聞きしたいことがあるのですが」
「ああ、そんなに畏まる必要はないですよ。辺境伯といってもただの田舎者ですから、俺のことは気軽にウィルと呼んでください」
「ではウィル様。ウィル様は、結婚していらっしゃいますか?」
「おい、リンジー!」
隣にいるライナスがぎょっとして、私の腕を肘でコンと突いた。
不躾な質問をしているのは分かっている。かなり直球な内容だ。でも、フェリシアの為にもここはしっかりと探っておきたい。
ウィル様は気にしていないのか、カラッとした明るい笑顔で答えてくれた。
「それが、この見た目のせいか女性には全く縁がなくてね。何度か見合いもしましたが、怖がられてばかりでちっとも上手く行かんのですよ。そろそろ結婚して跡継ぎを作れと父にせっつかれてはいるんですが、普段は辺境にこもっているのでこれといった出会いもなくて。実は今回の夜会は、嫁探しも兼ねてます」
「そ、それでは……」
ごくりと喉が鳴る。
この機会に、なんとしてもフェリシアと会う約束を取り付けたい。
更に言葉を重ねようとした私の腕を、誰かがぐいっと後ろに引っ張った。見上げるとそこには、むっつりと不機嫌な顔をしたライナスがいる。
「なに? ライナス」
「………………あのな、」
「どうしたのよ、なにか用?」
「~~~~~っ、いいから来い、踊るぞ!!」
なぜか怒ったように言われて、ライナスが強引に私をホールに連れ出した。
彼の大きな手が私の腕を掴んでいる。たったそれだけのことなのに、私の心臓はどくりと大きな音を立ててしまう。
煌びやかなホールには、ワルツの軽やかな音楽が流れていた。
ライナスがリズムに合わせてステップを踏みながら、中央の空いている場所に私を誘導する。
デビュタントを迎えてから、何度もエスコートを受けた彼とのダンスは流石に息がぴったりで、突然始まったにも関わらず私も余裕をもってダンスを踊ることができていた。
それにしても、ウィル様はどこにいったのかしら……?
ちらちらと周囲に視線を配る。彼も誰かと踊っているのかも知れない。結婚相手を探していたのはこちらにとっても都合が良いけれど、この夜会で他の令嬢と懇意になられても困るのだ。
フェリシアと出会うまでは待って欲しい。
内心、冷や汗をかきながら周囲に気を散らしていると、ライナスがちっと舌打ちをする音がした。
「……ずいぶん余裕そうだな、リンジー」
「そりゃまあ、あなたとのダンスは慣れてるもの」
「いいか。今、君と一緒に踊っているのはこの俺だ。……よそ見してんじゃねぇよ」
「? ライナス……?」
金色の瞳でじっと見つめられて、言葉に詰まる。
切なげに細められた瞳の奥には、焦がれるような熱が見えた。必死で何かを求めているような、もどかしさを感じさせる温度。それはまるで、フェリシアを見ている時の彼とそっくりで…………盛大に困惑してしまう。
ライナス、どうしちゃったのかしら?
彼と視線が絡まっている。人ごみの中にいるのに、彼だけが目の前にいるような錯覚を覚えてしまう。ワルツの音が遠い。まるで囚われてしまったかのように、目の前にある金の瞳から目が逸らせない。
周囲から注目されていることも知らずに、私たちは見つめ合ったまま踊り続けていた。1曲目の音楽が終わり、2曲目が始まってもそれは続いていて、気が付けばウィル様のことはすっかり私の頭から消えてしまっていた。