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夜会の日がやって来た。
あれから結局、ライナスとフェリシアの仲は進展しなかった。ライナスに特別な女性がいないまま、彼は伯爵家の馬車で私を迎えにやってきた。
「リンジー、とても綺麗だわ」
「ありがとう、お母様。皆のお陰だわ」
王宮で行われる夜会ということで、侍女たちはいつも以上に気合を入れて私を着飾ってくれた。
黒い髪は高い位置でまとめられ、頂上にある白い花の飾りから、緩く巻いた髪が一房だけ軽やかに滑り落ちている。
ドレスは流行りのスクエアネックで、職場の制服とは違い、首周りの白い肌が露になっていた。空いたデコルテを飾るのは、父から贈られた豪華なダイヤのネックレス。耳にもお揃いのイヤリングが揺れている。
ドレスに合わせて入念に施された化粧からは、しっとりとした大人の色香が感じられた。まるで別人のような変貌ぶりである。
公爵家の総力をあげた仕上がりに、鏡を見て思わず感嘆の息が漏れた。
「それにしても本当に素敵なドレスね。ライナスの愛をひしひしと感じるわ」
「そんなものを感じるのはお母様だけだと思います」
大人びた真っ赤なシルクの生地には、豪華な金色の刺繍が施されている。目にも鮮やかなこのドレスは、一週間前にライナスから贈られた。
気を遣わなくてもいいと言ったのだが、パートナーの務めだからと言って半ば強引に押し付けられてしまった。
彼の髪と瞳の色を使ったドレス。まるで婚約者や恋人に贈るような色のチョイスである。
このドレスを見て、母はすっかり興奮しているけれど、勘のいい私はすぐに事情を察してしまった。
――恐らくこのドレスは、フェリシアに着てもらいたくて用意していたのだろう。
彼女に論外だと言われたものの、望みが捨てきれなくてギリギリまで手元に置いていたのよ。絶対そうに決まってる。
だって夜会の一週間前に贈るとか、どう考えても遅すぎるじゃない。
捨てるのももったいないから再利用したのかしら?
少なくとも愛は感じないわね。
「リンジーのけちっ! いいじゃない、少しくらい夢を見たって」
「夢の内容は胸の内だけにしまっておいてください。妄想を語られても、私はちっとも面白くありませんから」
母は妹の子であるライナスを息子のように可愛がっている。私が公爵令嬢でありながら、22歳になっても婚約者がいない理由の一つがこれだ。母は、彼が私にプロポーズをする夢をいまだに見ているのだ。
もちろんもう一つの理由は、私にどろ甘の父である。
「綺麗になったな、リンジー。もうお前も22歳だものな……。いや違う。まだ22歳だ。まだまだ嫁になんていかなくていい。なのに……くそっ、ライナスの奴め……」
目を潤ませたかと思うとぶんぶんと首を横に振り、眉間に深いシワを入れて呪詛のようにブツブツとなにやら呟いている。
お父様、今日も感情がお忙しそうね。
動くたびにぽよぽよと揺れる父のお腹に、母が笑顔で手刀を入れた。我が家の通常運転である。
「リンジー、支度はもう済んだのか?」
「ええ、大丈夫よ」
ぐふっと呻き声をあげる父をいつものように放置して、ホールまでやって来たライナスの元に向かう。今日の彼はいつもの夜会とは違って、白い式典用の騎士服を身に着けていた。
うわ、めちゃくちゃ格好良い……
普段は無造作におろしている赤い前髪もきちんと後ろに撫でつけていて、凛々しい眉と形の良い額が露になっている。あまりに素敵で、一瞬クラっと眩暈がした。
一方のライナスは、私を見てわずかに目を見開いた後、渋い顔をして視線をそっと逸らしてしまった。嘘、どこかおかしいのかしら……。
不安になって後ろを振り返ったら、母が私たちを見てにやにやと笑っている。それを見て、スッと心が冷えた。
――――あのねえ、お母様。
ライナスは私のことなんて、なんとも思っていないのよ?
浮かれる母を見ていると、現実との落差をよりいっそう感じて辛くなる。
愛なんてありえない。夜会までのこの一月、私が彼からひしひしと感じたのは、私ではなくフェリシアへの強い感情だ。
論外事件の後、ライナスの落ち込みっぷりはすごかった。しばらく私まで避けられていたし、目も合わせてもらえなかった。
それに、決定的な現場だって見てしまったし……
説教部屋で見た光景を思い出してしまう。お母様は知らないのだ。あの時の、彼の容赦のない殺気と、震えあがるような威圧感を。
ありったけの力で他の男を牽制するほど、ライナスはフェリシアのことが好きで。私のことはただの従妹で、幼馴染でしかないの。
「では、行くぞ」
「ええ」
だって、ほら。
こんなに着飾ったのに、ライナスは一言だって私を褒めてくれなかった。
◆ ◇
窓の外を見ればどんよりとした重い空が広がっていた。今にも降り出しそうな空を憂鬱な気持ちで眺める。
形ばかりのエスコートを受けて馬車に乗り込んでから、ライナスはずっと黙ったままだった。
「ドレス、ありがとう」
沈黙が下りる馬車の中で、私は思い出したように口を開いた。お礼を言うタイミングが遅くなったのは、何も言われてないからだ。そう、ライナスは自分でドレスを贈っておきながら、未だにノーコメントなのである。
「ああ……。まあ、悪くないな」
こちらをチラリと見て、再びふいっと顔を逸らす。
なんなのよその態度は。
相手が私だからって、取り繕う必要がないと思っているのかしら。
「ちょっと。いくら酷い有り様でも、褒めるのがマナーというものでしょ。あなた、マナーの講師に教わらなかったの?」
「いや、酷いってことはない。今日のリンジーは、その…………。き、れいだと思う」
ぎこちなさすぎる彼の言葉にため息を漏らした。私は社交辞令すらまともに言ってもらえない。この現場を見れば、私たちの関係に愛はないと誰だってすぐに理解できるはずだ。
ライナスは顔を手で覆いながら、はぁと息をついている。
頬が赤い。
フェリシアのことを想っているのだろうか。
チラリと、彼が私に視線を向けた、
「……そのドレス、着てくれるとは思わなかった」
「え、もしかして着てはいけなかった?」
「いや、そうじゃない……」
金の瞳がうろうろと彷徨っている。一体、彼は何が言いたいのだろうか。強引にドレスを押しつけておいて、今更後悔しているのだろうか。
フェリシアとの扱いの差に、ちくりと胸に痛みが走った。私のために用意されたドレスじゃなかった。その事実が、今更のように私の心に突き刺さる。
ようやく何かを決意したのか、正面に座るライナスが居住まいを正した。
彷徨っていた金の瞳を真っ直ぐ私に向ける。
「リンジー。今日、夜会が終わったら話がある」
「話?」
「ああ。大事な話だ」
なんの話だろう。
ライナスが形のいい唇をぐっと引き結んでいる。なにか危険な任務でも言い渡されたのだろうか。
やけに真剣な顔をした彼に不穏なものを感じて、私の胸は騒めくのだった。