私の好きな人には、他に好きな人がいる
フェリシア視点です
手すりの端に小さな鳥が止まっていた。
王都にもいた赤い鳥。オスとメスの一対が、仲睦まじげに寄り添っている。
「リンジーも、ライナス様と上手くいって良かったわ……」
ウィル様には、何もない田舎だと申し訳なさそうに言われたけれど、彼の治めるエインズワース辺境領はとても素敵な土地だった。
小鳥のさえずる音が耳に心地よい。城下町の周りに森や川などの自然が広がるこの地は、王都とは違って、ゆったりとした時間が流れている。
木々の匂いを嗅ぎながら清涼な森の中を散歩するのはとても気持ちがいいし、川で取れる新鮮な魚は実家の皆にも食べさせてあげたいと思うほど美味しい。
彼の両親は実の娘のように可愛がってくれるし、城の皆も私に良くしてくれる。辺境領での生活は予想以上に快適で、私はすぐに気に入った。
バルコニーで穏やかな風に当たりながら、こうして雄大な景色を眺めていると心が落ち着く。
不満があるとすれば、彼女に会えないことくらいだろうか。
ふぅ、と微かな吐息を漏らす。
初めてリンジーを知ったのは、入学式の朝だった。
新入生の代表として壇上に上がり、落ち着いた声ですらすらと答辞を述べる彼女の姿に、私は釘付けとなった。
神秘的な赤の瞳に、艶のある黒髪を腰まで垂らしていた少女。
凛としていて、とても綺麗な子だと思った。公爵令嬢という身分がありながらも奢ることはなく、私のような下位貴族にも気さくで優しい人だった。
彼女は私の憧れだった。
友達になれて、とても嬉しかった。
昔の私はほんとうに意気地無しで、令息たちに言い寄られてもどうすればいいか分からず、ひたすらおろおろしているだけだった。
断りたくても上手く断れない。
強引な彼らに困っていた私を、リンジーがいつも助けてくれていた。
私は公爵令嬢だから大丈夫、向こうも無茶なことはしないわ。
そう言って彼女は微笑んでいたけれど、それでも自分より体格の良い男子生徒を前にして、恐怖を感じないわけがない。いくら身分や立場があったって、カッとなったらなにをされるか分からないのだ。彼女の背中に隠れながら、私はいつもビクビクと震えていた。
そうして守られているうちに、少しずつ私も、私なりではあるけれど、言葉を返せるようになっていった。卒業パーティのパートナーになってくれと3人の令息から怖い顔で詰め寄られた時も、声は震えていたけれど、誰とも組むつもりはありませんと言い切ることが出来たのだ。
今では、もっとしっかり断れるようになったけど、それは全部リンジーがいたから。このままでは駄目だと思ったから、私は強くなれたの。
全部、リンジーのお陰よ。
リンジーが大好きだから、ライナス様は諦めようと思ったの。
困窮した子爵家の令嬢である私は、夜会の類はいつも不参加を決め込んでいた。ドレスを用意するお金が勿体ないからだ。けれど、デビュタントだけはさすがに別だった。私の親も、それだけは出てくれと言って譲らなかった。
そこで、会ったの。あの人に。
リンジーの隣にいた彼に、私は一瞬で目を奪われた。おそらく彼に惹かれた一番の理由は、彼女を見つめる目がとても優しかったから。私も、あんな風に愛されたいと思ってしまったの。
恋に落ちたと同時に、すぐに失恋したと私には分かった。
だって。私の目から見た2人は、どう見ても想い合っていたから。
彼女は彼の想いに全く気付いていない。
それどころか私に好意があると思っている節がある。そんなの全くの杞憂なのだけど。
「ふふっ。リンジーったら、すごく驚いていたわね」
ライナス様は論外――――それは私じゃなくて、向こうの方だったのよ?
彼女に言った言葉は全て本当のことだ。だからこそ上手く騙せたのだと思う。理想と現実は違った、ただそれだけのことである。
まあ、結果として理想に撃ち抜かれてしまったので、全く違うとも言い切れないけれど……。
「これはもう必要ないわね」
手のひらに視線を落とした。デビュタントの時に母から譲られたアンティーク調のロケットペンダント。中に小さな物が入るそれを私は特別気に入っていて、いつも身に着けていたけれど――――
爽やかな青空に向かって、ひゅっと、それを放り投げる。
「さようなら、――――私の初恋」
金色のチェーンが日に当たって、きらりと一瞬きらめく。
やがて大きな弧を描いたそれは、眼下にある大きな川に飲み込まれていった。
「フェリシア! こんなところにいたのか」
バルコニーから部屋に戻ろうとすると、ウィル様が私を見つけて駆け寄ってきた。
「ここは王都と違って気温が低いんだ。何もはおらず外に出ると、風邪をひくぞ」
心配そうに言って、桃色の柔らかなショールを私の肩にふわりと被せてくれる。
そんな彼の優しさに、心が温かくなった。
「ふふっ、大丈夫よ。こう見えても私、頑丈だもの」
「あなたが見た目通りのか弱い女性でないことなど分かっている。それでも心配なんだ。なにせ明日は待ちに待ったシアとの結婚式だからな。風邪をひいても、きっとシアはそれを隠して無理をするだろう? 俺や、来てくれた皆に悪いからという理由で。だから俺があなたのことを心配しすぎるくらいで、丁度いいんだ」
「あら、ばれちゃってるの?」
ぺろっと舌を出したら、困ったように笑われた。
「もちろんだ。これでもシアのことならなんだって分かっているつもりだ。……ライナスのこともな」
「…………本当に何でもお見通しなのね」
ぼそっと付け足された一言に、軽く肩を竦めた。
ウィル様は武骨な見た目をしている割に、意外とよく気が回る。それだけ周りを――――私のことを、よく見てくれているのだろう。
何もかも暴かれているのに、いっそ心地良ささえ感じてしまうのは、私に向けられる彼の目がとても優しいから。この人になら、安心して私の全てを委ねられる。
ただ、不安にさせていたなら申し訳ないと思う。
バルコニーの段差に足を掛けると、ウィル様が私の腰に手を添えた。そのまま逞しい腕でひょいっと軽く抱えあげ、ソファの上にそっと降ろされる。
まるでお姫様のような扱いに、ふふっと笑みが漏れた。
「か弱い女性じゃないから、ここまでしなくていいのよ?」
「俺がしたくてやっていることだ」
「心配しなくても、今、私が好きなのはあなたの方よ」
「そちらの心配はしていない。シアの気持ちが何処にあるのかなど、シアを見ていれば分かる。ただ……少し妬けるだけだ」
ウィル様が膝を床につけた。体格の良い彼がそうしても、ソファに座った私よりもずっと目線が上になる。
ウィル様が身を乗り出して、私の身体に覆い被さってきた。まるで熊のように大きな身体をした人に、ぎゅうっと甘えるように抱きしめられる。
私を探して走り回っていたのだろうか。彼の身体からは汗の匂いがした。
不思議だわ……。
私より2つ年上のウィル様は、御年24歳の、立派な成人男性だ。分厚い筋肉に包まれた大きな身体は頼り甲斐を感じるし、先程までの紳士的な彼はとても格好よく見えた。
それなのに、こうして触れられると途端に可愛く思えてしまうのよね。
これが愛しいということなのかしら。
ライナス様には感じたことのなかった感情だわ。
今思えば彼のことは、憧れの気持ちの方が強かったのかも知れない。
ウィル様に初めて会った時、私は稲妻に打たれたような衝撃を受けた。
もちろんウィル様の見た目が好みだったというのもある。でもそれ以上に、彼から滲み出る優しさと全てを包み込むような温かさに、私はものすごく惹かれてしまったのだ。
彼も同じ気持ちだったのだと思う。私たちはリンジー達がいることも忘れて、しばらく見つめ合っていた。
あれはもう笑うしかない。
ライナス様に抱えていた想いが、ウィル様に出会えたことで綺麗に吹っ飛んだのだから。
――本当、運命の出会いってあるのね。
ウィル様の頭にそっと手を伸ばす。普段は身長差のせいで、触りたくても触れない領域である。短い黒の髪を何度も撫でてみて、手のひらに当たるチクチクとした感触を楽しんでいたら、大きな身体がブルブルと震え出した。
ぱっと、身体を離される。
「あら? どうされたの?」
「……今日はここまでにしておこう」
「もしかして、撫でるのは駄目だったかしら?」
「駄目ではない! もっとしてもらいたいくらいだ!」
それなら逃げなくてもよいのでは?
こてりと首を傾げていると、ウィル様がすっかり赤くなった顔を右手で覆った。
「申し訳ないが、これ以上撫でられると歯止めが効かなくなりそうで、本当に困るんだ。続きは……結婚式が終わった後に頼む」
「ふふっ、分かったわ」
にこりと微笑んでソファから立ち上がった。ウィル様の両手を掴んで、驚いて無抵抗の彼をぐいっと自分に引き寄せる。前かがみになったウィル様の、厚い唇に軽く口づけると、彼から声にならない声が漏れた。
――――もう書類上は夫婦なのにね。
式を終えるまでは清い関係でいるつもりらしい。
変なところ真面目なんだから。
まあ、そういうところも、もちろん大好きなのだけど。
真っ赤になったウィル様の正面に立ち、スカートの裾をほんの少し持ち上げた。
ちょっぴり澄ました顔をして、カーテシーを彼に披露する。
「これからもずっとよろしくね、私の素敵な旦那さま」
ウィル様が、何かに気が付いたようにはっと目を見開き、すぐさま表情を引き締めた。
片膝をついて私の手を取り、甲に誓いの口づけをする。
「生涯あなたのそばにいると誓おう、我が愛しの妻よ」
私の胸でキラキラと輝きを放っているのは、彼が贈ってくれた黒のダイヤ。
それは私にとって、永遠の宝物となるのだった。
完結です。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。




