じゅう+ご
心臓がバクバクと大きな音を立てている。
口に出した途端に、一気に不安に襲われた。さっきまでの自信が根拠のないもののように思えて、瞳が揺れてしまう。
「私のこと、好きだと思ってくれている? それとも、今でも妹みたいなものだと思ってる?」
「は……?」
「ライナスが私に婚約を申し込んだのは……フェリシアに失恋した痛みを忘れるためだった……?」
「なっ!!」
ライナスが焦ったような声をあげた。
「ちょっと待ってくれ。リンジー、君は何か……思い違いをしていないか?」
「思い違い?」
「そうだ。俺がフェリシア嬢のことを好きだとか、どうしてそんなことになってる!?」
きょとんとする私に、ライナスが頭を抱えた。
「……違うの? だって、いつもフェリシアを見つめていたじゃない」
「見てない」
「嘘っ!」
「いや、偶然視界に入ったことならそりゃあるが……わざわざフェリシア嬢を見つめたことなど、一度もない」
きっぱりと言い切られて、むしろこちらの方が困惑してしまう。
ええ!? あんなに見ていたのに?
「本当だ! 俺はフェリシア嬢に特別な感情を抱いたことはない。誤解だ、リンジー。俺が見ていたのは、フェリシア嬢じゃない!」
必死で言い募るライナスを見て、ふっと、フェリシアの言葉を思い出した。
『目が合いそうになったら慌ててサッと逸らしたりして』
半信半疑で聞いていたけれど……もしかして。
「……ライナスが見ていたのは、私だったの?」
「…………」
私の問いかけに、ライナスが気まずそうに視線を横にずらした。
「私と目が合いそうになるたびに、そうやって逸らしていたの?」
「…………」
「そして、逸らした先にいたのが、私のすぐ近くにいたフェリシアだった……とか?」
「…………」
ライナスの頬がじわじわと赤く染まっていく。目の下まで真っ赤にした後、あー!と短く叫んで、髪をくしゃくしゃと掻き回した。
「……そうだよ。リンジーのこと、いつもコッソリ目で追っていた。くそっ、気持ち悪いと思われたくないから黙っていたかったのに……!」
そんな、単純なことだったんだ。
バツの悪そうな顔をする彼に、気の抜けたような声が出た。
「てっきりフェリシアが好きなのかと思っていたわよ……。仕事中とか、彼女がいない時は全然あなたからの視線を感じなかったし」
「当たり前だ。仕事中によそ見をしていたら、仕事にならないだろ」
……そういえば、オンオフの切り替えができる人だった。
「大体、どうして今更そんな話になるんだ? リンジーのことをどう思っているかなど、あのドレスを贈った時点で伝わっていると思っていたが……」
「全く伝わっていませんでしたけど?」
ライナスがぐっと喉を詰まらせる。
「いやいやいや。それにしたって、108本の薔薇を捧げてプロポーズした時点で、俺の気持ちなんて明白だろっ!」
「いえ、未だに分からないんですけど? ……なにも言われていないのに、分かるはずがないじゃない」
「…………。そうだな…………」
ライナスの表情がスッと真面目なものに変わった。
しばらく沈黙が降りて。やがて、彼がポツリと呟いた。
「……リンジーのことは、妹のようなものだと思っていた」
◆ ◇
彼の言葉に、そうだろうな、と思った。
ライナスとは母親同士が仲の良い姉妹だったこともあり、私たちは物心がつく前から出会っている。
彼が私のことを異性として意識出来なかったとしても、決して不思議なことではない。
私も子供の頃はもう一人の兄のように思っていた。その気持ちは、いつしか恋に変わっていたけれど。
「成長するにつれ、君はどんどん綺麗になっていった。それでもやはり、俺は君を妹のようなものだと思っていた。――君の16歳の、デビュタントの時までは」
急に焦がれるような目を向けられて、ドキリとした。
16歳のデビュタントーーーその時のことは今でもはっきりと覚えている。
ライナスのエスコートを受けることが決まり、私はものすごく浮かれていた。美しいドレスを身にまとい、とびきり綺麗にしてもらった私は、これでライナスに意識してもらえるかもしれないと期待に胸をときめかせながら、夜会に参加した。
そして、彼の本音を聞いて落胆したのだ。
「隣にいる君は驚くほど綺麗になっていて、ホールにいるたくさんの男たちの視線を集めていた。君にダンスを申し込もうとうずうずしている奴らを見て、いずれ俺じゃない他の男の手を取るのだと思うと、途端に胸が苦しくなった。その時になって、やっと俺は気付いたんだ。君を妹のようなものだと、思い込もうとしていただけなのだと。……好きだよ。俺もリンジーのことが、幼い頃からずっと好きだった。もちろん妹なんかじゃない。一人の女性として、君に好意を寄せている」
真っ直ぐに見つめられて、息が止まりそうになる。
――そんなに前から、私のことを?
「嘘……だって、そんな素振り全然なかったじゃない……」
「当たり前だ。あの時の君は、王太子殿下の婚約者候補だったろ? ただでさえこっちは格下の伯爵令息なんだ。君を困らせるだけだと分かっているのに、気持ちを告げるわけにいかないだろう」
「あっ……」
ムッと拗ねたような顔をされて、言葉に詰まった。
……そういえばデビュタントの少し前に、候補にされたんだっけ。本来なら卒業の時点で、私含めて3人の令嬢の中から未来の王妃に一番相応しい者を選ぶ手筈となっていた。
王家からの要請にさすがの父も断り切れなくて、しょんぼりと項垂れていたのを思い出す。結局、一月も経たずに殿下が伯爵令嬢に落ちたから、すぐに外れたんだけど……
正式なお披露目は卒業パーティと決まっていたから、ライナスは知らなかったのだ。
「すっかり諦めていたのに、君は殿下とは婚約せず俺と同じ騎士団で働き始めた。平静を装っていたけれど、ますます綺麗になった君にいろんな男が近づくのを見て、やはり他の男には奪われたくないと思ってしまった」
ライナスがギリッと唇を噛み締めた。想定よりも遥かに好かれていたことに、ふつふつと喜びが湧くのと同時に後ろめたい思いにも襲われる。それ、無駄な心配だと思う……。
「ちょ、ちょっと待ってライナス。私に、そういう意味で近寄る騎士なんていなかったわよ? みんなフェリシア目当てだったし……」
「……リンジーは分かってない。フェリシア嬢が好まれたのは手が届きそうだと思われたからだ。君は高嶺の花すぎたんだ。それでも、あわよくばと下心を抱えていた奴もいた」
じろっと睨まれて口を噤む。
私が高嶺の花?
にわかには信じがたいけれど……何を言っても否定をされそうな空気だ。
「で、でも……それからも特に何もなかったわよね?」
「いや、公爵に婚約の打診はしていた。蹴られたがな」
お……お父様、いつの間に!!
「しつこく食い下がったら、騎士団長になれたらリンジーに求婚しても良いと言われた」
「そんなの……待ってたら、いつになるか分からないじゃない」
「ああ。だから君に、下手なことは何も言えなかった。先の見通しが全く立たなかったからな」
あんなに悔しがっていたのに、父が婚約をあっさり許可した理由が、やっと分かった。
ライナスと約束をしていたのね。
どうりで、すんなり書類にサインしたはずだわ……
「隣国との戦が始まって、皆には申し訳ないがこれはチャンスだと密かに喜んでしまった。ここで頑張れば、今すぐでなくとも近いうちに騎士団長の座に就けるかもしれないと、そう思った」
「……私は心配したわよ。ライナスが無事に帰って来なかったら、どうしようかと思ったのに……」
何年かかるか分からない戦だと言われていた。
激戦が予想される中、最前線に出向くと彼から告げられた時、私がどれだけ不安に感じたか……
「生きて帰るつもりでいたさ。リンジーを、他の誰にも渡すつもりはなかったからな」
顔を曇らせた私に、ライナスが困ったように眉を下げる。
「実際、大した怪我もなく俺は帰って来たし、働きを認められて団長職も得られることになった。だから待っていたんだ、あの夜会の日を。正式に騎士団長に任命されたら、君に直接、求婚しようと思っていた」
騎士団長に任命されたら、求婚ですって?
ま、まさか。あの夜会の日にライナスが言っていた、大事な話って……
「それなのに君はウィルに興味を持つだろう? 俺には全く気がなさそうだし、さすがにもう諦めるしかないと思ったよ」
「え、ウィル様!?」
「あいつはいい奴だから……君も少しくらい、心が移ったんじゃないのか?」
捨てられた子猫のように哀しそうな目をされて、慌ててぶんぶんと頭を横に振った。
「いいえ、違うわ。ウィル様に興味はあったけれど、それはフェリシアの理想と一致していたからよ。彼女にどうしても会わせたくて……もしかして誤解させていた?」
「……そうか。そうだったのか……」
ライナスの声が震えている。
私が彼に対して、色々と誤解をしていたように。
彼も私に対して、誤解を重ねていたのかもしれない。
「俺の方こそ、もっときちんと言えば良かった。不安にさせて悪かった」
「……ううん、言葉が足りなかったのは、私もだわ」
もう2度と、すれ違うことのないように。
想いを全部伝えたい。
「植物園でも言ったけど、ライナスはとても素敵な人よ。婚約だって、びっくりしたけど嬉しかったわ。ライナスに触れられるのも……ものすごく恥ずかしくてドキドキするというだけで、全然嫌じゃないの。むしろ幸せだったし」
「そうか……」
ライナスがくしゃりと目を細めた。
私をそっと抱きしめ、肩に顔を乗せて、は、と短い息を吐く。
「夢じゃないんだな……」
背中に触れる彼の手が、微かに震えているのが分かる。私の存在を確かめるように、ライナスが首筋に顔を埋めてぐりぐりと擦り付けてきた。
くすぐったくて。でもそれ以上に幸せで。
嬉しくて、熱いものがぐっと胸に込み上げてくる。
「夢なんかじゃないわ。私はあなたが好きよ、ライナス」
「…………俺も好きだ。リンジーが好きだ……!」
勢いよく叫ぶと同時に、腕の力が強くなった。ぎゅうぎゅうと痛いほどきつく抱きしめられる。
私も、ライナスの背中に腕を回した。
「く、口づけだって……嫌だから逃げていたんじゃなくて、むしろライナスのことが好きだから逃げていただけで……」
本当のことを言うのって、とても恥ずかしい。
もごもごと言い淀みながら、すっかり熱を持った頬を彼の胸に押しつける。
そのまま気持ちを落ち着けようとしたのに、ぐいっと身体を離されて。あれ?と思う間もなく、彼の手が私の顎を掬い上げ、くいっと顔を引き上げられた。
熱を帯びた金の瞳が、真っ直ぐに私を捉えている。
「もう逃げるなよ、リンジー」
甘く囁かれた彼の声に、胸がキュンと甘い音を立てた。
もう逃げない。逃げたくない。
いつまでも覚めない現実だと、信じているから。
こくん、と真っ赤になりながら頷くと、ライナスが口の端に満ち足りた笑みを浮かべた。
どくんっ、と、ひときわ大きく私の心臓が音を立てて……
そのままゆっくりと、彼の顔が近づいてきた。
◆ ◇
「リンジーさん、大丈夫ですか?」
朝一番に、細身くんが団長室にやって来た。
昨日私が目の前で倒れてしまったので、彼も彼なりに気にしていたらしい。
「大丈夫よ。びっくりさせちゃってごめんなさいね」
「いや~……この衝撃に比べたら全然なんで……」
細身くんが口に手を当てながら、私たちを上から下までじろじろと眺めまわしている。理由は分かっている。あれからずっと、ライナスが私を抱きしめたまま離さないからだ。
仕事は?とおそるおそる尋ねたら、始業前だから構わないと蕩けた顔で返された。うう……。なにその甘い顔。胸がドキドキしすぎて、心臓に悪いんだけど!
「そっ、それより昨日はどうしたの? ほら、ライナスに何か用があったんでしょ」
ごほんと咳払いして話を逸らすと、細身くんが「ああ!」と明るい顔をした。
「貸していた植物図鑑を、返してもらおうと思ったんですよ」
「え、植物図鑑?」
「そう、オレのバイブルです! オレ、珍しい花とか木とか、子供の頃からだいっすきなんですよねえ。本当は植物園で働きたかったけど、親に反対されて仕方なくここに来たんですよ~」
意外な返答にぽかんとしていると、ライナスが目に見えて慌てだした。
そういえば植物園を回っていた時、ライナスはやたらと植物について詳しかったっけ。
あれは、もしかして――――
「ちょっ! リンジーの前では黙っている約束だろう!!」
「――――あ!」
ポンと手を打つ細身くんは、やはり危機感のない人である。
怒りで赤くなったライナスの頬に、すかさずチュッとキスをした。ぴしりと固まった彼を見て、私はくすりと笑った。
◆ ◇
「あれ? そのネックレス、いつもと違うわね」
「素敵でしょ。ウィル様にプレゼントして貰ったの」
ふふ、と幸せそうに微笑むフェリシアの胸元には、大粒のブラックダイヤが輝いていた。石言葉は「不滅の愛情」だ。
彼女は今日で騎士団を退職する。引継ぎがようやく一段落したので、明日辺境から迎えの馬車がやってくるのだ。
「ふぅん、幸せそうでなによりね。あのレトロなロケットペンダントも素敵だったけど、さすがにこれには敵わないわね」
「ふふっ、あれはもういらないわ。ウィル様に頂いたこのネックレスの方が、ずっと大事だもの」
「分かるわ、その気持ち。私も、ライナスに貰ったこれが一番の宝物よ」
金色のチェーンに指を絡めた。胸元できらりと光る赤い宝石。ライナスに初めて贈られたネックレスに勝てるものなど、何処にもない。
ふふっと笑みが零れた。
「何を笑っているんだ、リンジー」
「あ、ライナス」
現れたライナスに、フェリシアがぺこりとお辞儀をした。
「ライナス様、4年間お世話になりました」
「今までご苦労だった。ウィルにもよろしく頼む、式には参加すると伝えてくれ」
「ええ、お伝えしておきます。――じゃあそろそろ行くわね、さようなら!」
花が咲き誇るようにふわりと笑った彼女は、私が今まで見た中でもとびっきり綺麗で……
(フェリシア………)
彼女と共に過ごした、10年という長い時間に思いを馳せながら。
大好きな親友の後ろ姿を、私はじっと見つめ続けていた。
「……寂しくなるわ」
「俺がいるだろ」
「ええ、そうね」
「俺がずっと側にいるから――――そんな顔をするな。妬けるだろ」
ライナスが私の頬を伝う涙に、そっと口をつけた。
私はそんな彼に柔らかく笑って、大きな身体にぎゅっと抱き着いた。