じゅう+さん
そもそも、婚約はその場の勢いで決まったようなものだった。
薔薇の花束を抱えて我が家にやって来た時も、跪いて私の手を取り正式にプロポーズはしてくれたものの、愛の言葉は何一つなかった。ただ、結婚して欲しいと言われただけだった。
ライナスは私のことをどう思っているのだろう。
あれから一晩中悩んでも、結局答えが出なかった。翌日、フェリシアに相談してみたら、けろっとした顔でこう言われてしまった。
「そんなの、リンジーから告白すれば済む話じゃない」
「え、そうなの!?」
「そうよ。リンジーが好きと言えば、向こうは大好きと返してくれるわ。めでたしめでたしね」
「ものすごく簡単に言うわね……」
口の端がひきつる。すんなり受け入れてもらえる前提で話をするの、止めて欲しい。
「要するに、好きと言われていないから不安なんでしょ。それって、ライナス様も同じだと思うわよ?」
フェリシアの言葉にぎくりとした。
確かに、彼から明確な言葉は貰っていない。けれど、私だって彼に自分の気持ちは何一つ伝えていなかった。
ライナスも不安に感じているのかしら……
そんな風には見えないけれど。
「言葉が欲しい気持ちは分かるけど、ライナス様は態度で示してくれてはいるわ。でもリンジー、あなたはどうなの?」
鋭い指摘に、ぐっと言葉に詰まる。
私は言葉どころか、態度すらもはっきりとした好意を示せていなかった。
「私から告白……か」
そんなこと今まで考えてもみなかった。だって、彼が好きなのは私じゃないと思っていたから。断られることが確定しているのに、好きだなんて言えない。
ただでさえ彼とは上司と部下の関係だ。告白してフラれてしまえば、お互い気まずくなって仕事がし辛くなる。だから私の想いは、誰にも見つからないよう隠しておくのが最善だと思っていた。
「はぁ。フェリシアくらい可愛ければ、愛されている自信が持てるのだけど……」
「もうっ、リンジーは私を買いかぶりすぎよ。私だって初恋は実らなかったわ」
「ええっ!? ……その男の子、もったいないことしたわね」
フェリシアですら失恋するのね……。
仮に私から告白したとして、果たして上手くいくのだろうか。
ドレスの意味を考えたら、想いは同じはずだけど……
それでも不安は尽きない。
「大丈夫、自信もって! リンジーはライナス様にちゃんと愛されているわ。告白だって、絶対に喜んで受け入れて貰えるわよ。だって、リンジーは私の自慢の友人だもの!」
フェリシアがぐっと親指を突き立てた。自信たっぷりに笑ってみせた彼女に、心がほぅっと温かくなる。
「そうね、頑張ってみる」
これ以上、いくら考えても答えなんて出ないもの。
ライナスに自分の気持ちを告げてみよう。
元々、望みなんて無かったのだ。駄目だったらその時は――ああやっぱりって、泣けばいいのよ。
その時はきっと、フェリシアが慰めてくれるわ。
ふふ、と笑みがこぼれた。決意してしまえば、それまでの不安が嘘のように晴れやかな気持ちとなった。
◆ ◇
コンコン、とノックの音がした。
時刻は夕方、定時が終わって少し経過したところである。
ライナスは来週に迫る警備計画の話し合いの為、不在にしていた。もうすぐ帰って来る頃合いなのだが、彼がノックをするわけがない。
誰だろう。腰を上げると同時に扉が開いて、見覚えのある青年が団長室に入って来た。
細身くんだ。
「ああ、リンジーさん。団長は留守です?」
「……あなたね。ノックをしたなら返事を待ちなさい」
「あ~、すみません。次から気をつけまっす! で、団長は?」
「反省ゼロね。はぁ……本棚の陰に隠れているわけないじゃない。今は不在よ。もう少し経てば戻ってくると思うわ」
「うーん、どうしようかなぁ……」
だからどうしてソファの後ろを見ようとするのか。
そんな狭いところに、ライナスの大きな身体が入るとでも思っているのかしら。
黙って見ていたら、細身くんがライナスの机まで回り込んできた。私の周囲までうろうろとされて、非常に落ち着かない。こちとら大事な計算をしている最中なのだ。頼むからじっとしていて欲しい。
「待つならソファに座れば? ハーブティで良ければ淹れるわよ」
「えっ!?」
仕方なく提案をすると、ぎょっとした顔をされてしまった。
「や、それはマズイんで辞退します!」
「失礼ね、こう見えてもお茶を淹れるのは上手なのよ」
「いやあオレ、まだまだ長生きしたいんで……」
「毒なんて入ってないから安心して飲みなさい」
「勘弁して下さいよ! 可愛い彼女が出来て、人生これからなんですよぉ!」
なんて大袈裟な。
どうあっても私のお茶は飲みたくないらしい。仕方ないのでソファに座るだけでもと思い、細身くんに近寄ると、ひぃっ!と情けない声が上がった。
「あんまり近寄っちゃ駄目ですよ。こんなとこライナス団長に見つかったら、オレ、殺されちゃいます!!」
何を言っているのだ。
「どうして団長が出てくるのよ」
「リンジーさんは知らないでしょうがね。二月……いや、三月前だったかな? ここの廊下で、リンジーさんと一緒にいたところを団長に見られたでしょ。オレね、あの後恐ろしい目にあったんですよ」
ああ、説教部屋での出来事ね。
「知ってるわ。実はね、あなたがどうなったのか気になって、こっそり後をつけて見ていたのよ。フェリシアに近寄るなと言われたんでしょう?」
「え? フェリシアちゃん?」
あの時のことは今でもはっきりと覚えている。フェリシアのことは諦めろと、ライナスが鬼のような形相で細身くんを威嚇していたのだ。
……うっ。
やっぱり、ライナスの本命はフェリシアの方じゃないの?
あの時の彼は怖かった。好きな人のために、あそこまでする人なんだと思った。そして、それだけフェリシアのことを想っているのだと、衝撃を受けたんだっけ……
そんなあらましだったはず、なのだけど――――なぜか細身くんはきょとんとしている。
「うーん? 確かにフェリシアちゃんのことも言われたけど……それ以上に、リンジーさんのことですんごい威嚇されたんですよねぇ」
「ぇえ?」
記憶を辿る。はて、私のことなんて触れていたかしら?
「ああ、そういえば私に迷惑をかけるなとも言っていたわね」
「そんな可愛いものじゃないですよ! それも言われましたけどね、その後がすごくて。え、聞いてたんじゃなかったんですか?」
「と、途中で帰ったのよね……」
「帰るなんて酷いです、助けて欲しかったのに!! リンジーさんに2度と近寄るな、次あいつに触れたら容赦しないって、胸ぐら掴まれて凄まれたんですよ!」
――――え?
ライナスが私のことで、そんなに怒っていたの……?
「触るって肩をちょっと掴んだくらいなのに、大袈裟ですよね? あの時の団長めちゃくちゃ殺る気満々だった……死ぬかと思った……」
え、待って。
あの件は、フェリシアに近付かないよう牽制しているのであって、私の方はオマケだと思っていたけれど……
本当は、逆だった?
思い出して余程怖かったのか、細身くんが私の肩をがしっと掴んで瞳を潤ませている。どうやら言っていることに嘘はなさそうだ。
しかし。
……こういう馴れ馴れしいところが駄目なんじゃないかしら?
「こらこら。同意なく女性に触れるのはマナー違反だから止めなさい」
「リンジーさん、次は頼みますよ。もう2度と見捨てないで下さいよ!!」
涙目でにじり寄られたその瞬間、団長室の扉がギィと開いた。
「……俺の婚約者に何をしている」
地獄の底を這うような、低くて重い声がする。
細身くんは私と目を合わせたまま、ぴしっと凍り付いた。
◆ ◇
「ななな、なんでもないです団長っ!」
ライナスにじろりと睨まれて、細身くんが私からパッと身を離した。ものすごい勢いで逃げ出して、すぐに身体が壁にぶつかっている。
馬鹿ね。どうせなら隣にある仮眠室にでも逃げ込めばよかったのに、どうして壁のある方に逃げるのよ……
「またお前か。次はないと言ったはずだが……これはどういうことだ?」
ライナスがゆっくりとした足取りで細身くんに距離を詰めていく。
表情は剣呑の一言に尽きる。傍観者の立場にいる私ですら、ぶるっと身震いがした。
壁に張り付く細身くんは、正に袋のネズミ状態だ。いえ、蛇に睨まれた蛙になるのかしら。哀れなことに、ガタガタと怯えて震えている。
「俺は警告したはずだ。2度とリンジーに触れるなと」
「ちょ、直接は触れてないっす! 服越しなんでセーフでは?」
「つまらない言い訳をするな。直接触れていたなら、その汚い手を切り刻んでいるところだ」
「ひぃっ!」
ライナスが腰に差している剣に手を掛けた。
まさか、本当に手を切り刻むつもりじゃないでしょうね!?
これは何としても彼を止めないと大変なことになりそうだ。
「ライナス、駄目よ!」
制止の声をあげるも、ライナスの足は止まらない。静かな怒りを発する彼の向こうから、細身くんが縋りつくような目で私を見てくる。
呼びかけても駄目ならば、物理的に止めるしかない。
ライナスにしがみつこうと、手を伸ばして彼らのところまで駆けつけた……つもりでいたけれど。
「っ、きゃあ!!」
「!!!リンジー!!」
……なぜか何もないところで足を滑らせて、その場で盛大にすっ転んでしまった。
頭にガツンと衝撃を感じて、私の意識はそこで途絶えた。