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『小説家になろう』公式企画

アレゴリーのある弁当

作者: 敷知遠江守
掲載日:2024/05/13

 昨晩、派手に妻と喧嘩をした。



 理由はいつもと同じ些細な事である。


 結婚して今年で何年になるか。

そのへんに転がった電源タップのようなごくありふれた妻の質問。


「三年、五年は覚えていたが、そこから先は数えるのを止めた」


 何かの歌の歌詞のような返しをした。


 妻は急に不機嫌になり、不貞腐れて寝室に行ってしまったのだった。

止せば良いのにそれを追いかけて、案の定口喧嘩になり、罵り合いになり、頬を叩かれた。


 妻の胸倉を掴み叩き返そうとしたところで警察を呼ぶと言われてしまった。

世の中不条理なもので、妻が俺を叩くのは良いが、俺が妻を叩いたら何とかバイオレンスとかになるらしい。

また頬を叩かれて寝室を追い出されてしまったのだった。



 結局、寝室は中から鍵をかけられ、仕方なくリビングのソファーで夜を明かす事になった。

そうは言っても布団も無く毛布も無い。

会社に行く時のコートに身を包んで眠った。




 妻との間に子は無く、そういう事も随分とご無沙汰である。

妻も別に子が欲しいなんて思ってもいないし、何なら愛猫がいればそれで充足と思っているフシがある。


 俺は子が欲しいと今でも思っている。

老後がどうのとかそういうことじゃない。

純粋に家族が欲しいのだ。


 だが妻はそうではないらしい。

苦しい思いをするのも、痛い思いをするのも私。

どうせあなたは私が望むような子育てをしてくれるわけない、だからそれで苦労するのも私。


 同じ稼いだ金を吸い取られるなら猫の方が良い。

可愛いし懐いてくれる。

子供はすぐに生意気な事を言ってどうせ懐いてなんてくれない。


「子供が欲しいなら別れてあげるから別の女と作ったら? きっと子供が出来たら一方的に離婚されて養育費とられるだけでしょうけど」


 ぐうの音も出なかった。




 妻の仕事は美術館のキュレータ。

いまいち何の仕事なのかは知らないが、簡単に言えば絵の保全だと本人は言っている。

美術館は土日も開館しているので、基本休みは平日である。


 俺は自動車の部品工場で働いている。

ライン工では無いから夜勤は無いのだが、土日も休みでは無い事が多い。

もう何年も二人でどこかに行ったという記憶がない。


 出会った頃はあれほど二人で出かけるのが楽しかったのに。



 妻とはとある美術館で知り合った。

たまたまその日、その美術館でミュシャとかいう画家の企画展をやっていた。

同僚から行こうと誘われ付いて行くことになった。


 何となくそのうちの一枚に惹かれぼうっと眺めていたら、美術館の係員が絵の説明をしてくれた。

それが妻である。


 それからというもの、何となくその美術館に足を運び、気が付いたら結婚する事になっていた。



 妻には絵の他にもう一つ才能がある。

それが料理。


 美大卒だけあって盛り付けに人一倍気を遣う。

キュレータになってからも、毎朝、お弁当を作って出勤していたらしい。

とにかく弁当の出来栄えは美しいのだ。

ある種芸術品と言っても良い。

同棲していた時も可愛い弁当を毎日持たされて、同僚たちに隠れてこっそりと食べたものだった。


 周りに比べたら私の弁当なんてまだまだ。

そう妻は謙遜する。

だが妻の弁当は会社でも非常に評価が高い。

弁当を褒められると、俺の中で恥ずかしいという気持ちが沸くには湧くが、それ以上に誇らしく感じる気持ちが勝るのだ。




 目が覚めるといつもの出勤時間であった。

どうやら妻は俺と顔を合わせたくないと思ったらしく、いつもより早く目を覚まし既に家を出たらしい。


 洗顔をし朝食を食べようと食卓へ行くと、いつもの弁当が置かれていた。

持ってみると重量がある。

左右に振ってみると内容物がちゃんと入っているのを感じる。


 なぜわざわざそんな確認をするかといえば、以前、同じように喧嘩をした時、ちゃんと布で包まていたのに弁当箱が空だった事があったのだ。

しかもご丁寧に重さで空だとわからないように、中に未開封のソースのボトルが二本テープで固定されていた。

一応の慈悲のつもりだろうか、蓋には五百円硬貨が貼り付けてあったのだ。




 この際、食べれるものが入っていれば作ってくれたというだけで御の字。

そう思いながら午前の仕事を淡々とこなしていた。



 いよいよ昼食の時間となった。

今回は何をされているのやら。

それがどうやら顔に出ていたらしく、同僚から何かあったのかと尋ねられてしまった。


 会社に社食はあるのだが、弁当組は事務所に居残って食事会である。

自然と集まるのは家庭のある男性と女性。

あまり話題として社内の話はせず、家庭の話になる事が多い。

犬がどうだ、息子がどうだ、学校の先生がどうだ、家庭菜園のスイカがどうだ。


 女性というのはどうしてこう家庭の不和のような話が好きなのか。

結局なんだかんだと言われて、全て話す事になってしまったのだった。

それなら、せめて俺の立場でものを言ってくれればよいものを。


「それは奥さんが可哀そうですよ。その質問は奥さんにとっては重要な意味があったんですよ」


 そうきたもんだ。

男性の同僚はそれでも俺に同情的なのだが、女性たちは俺が悪いの一点張り。

俺の方が頬を何発も叩かれたというに。


 恐る恐る。

まさにそんな感じで弁当箱を開ける。

俺がそんな態度なものだから、同僚たちも息を飲んでいる。


 何も変わったところの無いごく普通の弁当。

ちょっと中身が寄っているのは、恐らく朝俺が振ったからだろう。


 何だ普通の弁当ではないか。

ほっと胸を撫で下ろし、箸を取り出した時であった。

女性の同僚が俺の弁当を見てきゃっと小さな叫び声をあげた。


 何があったのかと小首を傾げ弁当を食べようとすると、先ほど叫び声を上げた女性から待ったがかかる。

弁当箱をよく見ろと言う。

ちょうどこちらからは弁当箱の縁で見えなかったが、何かカミソリのようなものが内側に貼り付いていたのだった。


 このまま食べていたらもしかしたら口を切ってしまったかもしれなかった。

背筋に何か冷たいものが走る。


 すると女性が少し青ざめた顔で言った。


「確か奥さんって美術関係の方ですよね。確か美術って『アレゴリー』っていうのがあるって聞きますよ。絵のモチーフの裏に意味(アレゴリー)があって、絵そのものがメッセージになっているって聞いた事があります」


 このカミソリの刃のようなものにも何かアレゴリーが込められているのかも。

そう女性の同僚は言ったのだった。


「カミソリの刃なんてさ、どう考えても、まともなアレゴリーじゃないよね……」


 俺の発言に、誰も言葉を返してはくれなかった。


 とりあえず帰ったら謝っておけ、それが男性の同僚の意見であった。

どっちが悪いとかじゃない、お前が謝れば多少は機嫌が直るだろう。


 だが女性の同僚は、ただ謝られても余計に苛つくだけかもと言って哀れみの顔で俺を見る。

その哀れみの顔の中の好奇の目を見るに、きっとこの事は明日には大勢の人に言いふらされているのだろう。

そういう意味でも、何でこんな事になったのだとため息が漏れる。


「今調べたんだけど、食べ物には死とか儚さみたいなアレゴリーがあるらしいな」


 男性の同僚が少し青ざめた顔で言うと、女性たちは全員俺から目を反らした。


 いやいや、死って。

カミソリの刃だってどうせろくなアレゴリーじゃないだろうし、いくらなんでも殺意が高すぎだろ。


 何となくそこからは食欲もわかず、弁当は半分を残し、蓋を閉めてしまったのだった。




 気晴らしに呑みにでもいかないか。

同僚が気を使って誘ってくれた。

だが、こういう時、帰りが遅くなると致命的な事になるというのは経験則で知っている。


 丁重に断ると、電車に乗り真っ直ぐ家路についた。


 かつて自宅に帰る足取りがこんなに重かった事があっただろうか。

もしかして妻は家を出て行ってしまったのではないだろうか。

そんな事まで考えをめぐらしてしまう。


 どうもいけない、悪い方悪い方へと考えがいってしまう。

あの弁当箱のカミソリの刃のせいだ。

何がアレゴリーだ。


 そうだ、もしかしたら妻はもう怒っていないかもしれないではないか。

……それはさすがに良い方に飛躍しすぎか。



 玄関の前までくると、中で妻が何か食材を炒めている音がする。

とりあえず家を出てはいないらしい。


「ただいま」


 一応声はかけるが当然のように返答は無い。


 真っ直ぐ台所へ行き、弁当箱を妻に返す。

中身が残っている事は妻も重さですぐにわかったと見える。

妻がふうと吐息を漏らした。


「あっ! こんなとこにあったんだ。朝ピーラーの刃がどこかに飛んじゃって、ずっと探してたんだよね」

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― 新着の感想 ―
最後の奥さんの台詞、ほのぼのエンドなのか?モヤモヤする、というかなんか引っ掛かるなぁ…と思っていたけどよく読んだら。 お弁当箱の重みを確認し、フタを開ける前に言っていて…気づいたときゾッとしたとともに…
奥さんが最後適当な言い訳のためにすっとぼけたのか、 本気でピーラーの刃を探していたのか気になりすぎて、夜しか眠れません。
[良い点] サクッと読めて面白かったです。 お弁当の意味を考えるのが楽しかったです。 [一言] お弁当にどんな意味があるのかと思いきや、まさかの刃が飛んだだけ(笑) 夫婦仲良く暮らして行けるように祈っ…
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