7 実習授業『智恵子抄』
2023年 初夏 辰巳咲耶
結婚式の後、すぐに教育実習が始まるスケジュールになってしまった。どうせならお日柄の良い日に、とか周りに言われると、そんなもんかな、と思ってしまうものだ。
「咲耶。できるだけ心配事は減らしておくの。困ったことが起きたとき、あのときのせいだったのかな、とか余計なことを考えずに済ませるためにもね」
お母さんのそんな言葉もあって、どうにか吉日を探したら、教育実習直前の週末……に式を入れることになってしまった。
おかげで、結婚式だけ済ませて、新生活はほぼなし、で実家から学校に通っている。式は挙げたし、籍も入れたのに、なんだかまだお父さんとお母さんの子供のまま、なのだ。
◇
「前回の授業では内容を詳しく取り上げたレモン哀歌ですが、今日は少し視点を広くとって『智恵子抄』の全体を眺めてみます」
教育実習の最終週。
研究授業で、教室の後ろに校長先生他、何人もの先生の顔が見える。
すう、と深く息を吸う。緊張に飲み込まれないように。昨日、祐司さんからもらったお守りのキスを……ちょっとだけ思い出した。
大丈夫。力が湧いてくる。
龍星閣版の『智恵子抄』を掲げながら話し始める。
「この『智恵子抄』は、高村光太郎が生涯愛した女性、智恵子についての詩を集めたものです。長年、雑誌に詩を発表していた光太郎ですが、多くはそのままで、詩集は若い頃に出した一冊『道程』だけでした。光太郎が五十七歳のとき、智恵子を描いた詩を一冊にまとめさせてほしい、と申し入れてきたのが、龍星閣の社長、澤田伊四郎氏でした」
智恵子との愛を詩で表現し続けた光太郎だったけど、妻でお金を儲けたくない、と『智恵子抄』の制作は頑なに断っていた。それでも澤田氏は、唯一無二の「愛の書物」になりますから、と出版の意義を説き、一年間に亘って光太郎を説得した。
「自分で詩を選んだ試作版『智恵子抄』を作って持参して何度も通って……澤田氏は熱心に光太郎に働きかけました。ようやく光太郎自身が出版を決心し、澤田氏の試作版を元に最終案を作り、この龍星閣版『智恵子抄』が生まれました」
プリントを生徒に配る。龍星閣版の収録作品を一覧にまとめたものを表面上に、下半分と裏面には、代表的な詩のダイジェストを載せた。
「その後、残念ながら『智恵子抄』は他の出版社によって作品の構成を変えられてしまい、本来の味わいから遠ざかっていきます。今、書店で入手できるものも、内容にばらつきがあります。このプリントに本来の構成を載せておきましたので、もし、『智恵子抄』を読んでみようという人がいたら、この構成、順番で読んでみると、より良さがわかると思います」
「へぇ……」と生徒がプリントの一覧を眺めている。「文学作品が、後から変えられたりとかするんだ」と漏らした生徒がいた。
――そうだよね。後から、人の思いをゆがめたりしちゃ、いけないよね。
「さて、智恵子抄は『人に』という一編から始まります。この詩は当初、雑誌に『N――女史に』というタイトルで掲載されました。智恵子の旧姓は長沼、つまりNは智恵子のことです」
――いやなんです
――あなたのいつてしまふのが
(人に)
「智恵子は画家志望で、詩や彫刻を手掛ける光太郎と芸術家同士、話をする関係でした。彼女は親の決めた相手との縁談を進めようとしていたのですが、途中で思いとどまらせたのがこの詩です。智恵子さんは雑誌でこの詩を読み、自分のことだと気付いて急にお見合いを断ったそうです。なんだか漫画かドラマのエピソードみたいですね」
生徒たち……主に女子の目がらんらんとしている。
いきなり雑誌で「君が結婚するなんていやだ!」と告白される恋。相手に気が無ければとんでもない迷惑だろうけど、智恵子と光太郎は幸い両思いだった。
「この後、智恵子は光太郎の旅行先に偶然を装って現れたそうです。そして間もなく恋人として交際を始め、長い同棲生活に入りました」
「二人とも、すごいなぁ……」「情熱的すぎる」と生徒が呆れ半分、でも憧れ半分の感想を言っている。
この後、光太郎にとって智恵子は創作の源泉になる。
――あなたが一番たしかに私の信を握り
――あなたこそ私の肉身の痛烈を奥底から分つのです
――私にはあなたがある
――あなたがある
(人類の泉)
「芸術家のお坊ちゃん光太郎と、お嬢様の智恵子が、結婚前から二人で旅行先で会って……世間的な形式を気にしない二人を、人々は好奇の目で見たそうです。光太郎は間もなく智恵子と結婚式を挙げますが、周囲の反対などもあって正式な婚姻届は出さないままでした」
光太郎の父親は、彫刻家の高村光雲。
国内屈指の大家で、上野の西郷像も彼の作品だ。しかし、父親のような写実的表現から離れ、自由な芸術を目指した光太郎の彫刻は世間から評価されず、貧しい生活が続いた。
「冬は暖房代に困って、着る物も少なくて智恵子はいつも同じトレーナーとジーンズで過ごしていたと……余裕のない日々だったそうです。でも光太郎と智恵子はひるまず、創作にエネルギーを注ぎ続けました」
――をんなが附属品をだんだん棄てると
――どうしてこんなにきれいになるのか。
(あなたはだんだんきれいになる)
「この詩は結婚生活を始めて十三年、智恵子が四十一歳のときに書かれたものです。四十を超え中年となった智恵子の美しさを、光太郎は絶賛します。彼女を見つめ続けた彼だからこそ描けた一編でしょうね」
この後、四十代半ばから智恵子は自分の芸術に行き詰まったこと、実家の経営が破綻したことから心労を深め、精神を病んでしまう。
――群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
――ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
――人間商売さらりとやめて、
――もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
――うしろ姿がぽつんと見える。
(千鳥と遊ぶ智恵子)
「光太郎のこともわからないほど智恵子の心は壊れてしまいます。それでも光太郎は哀しみと同時に、病の苦しみから解放された智恵子の軽やかさも交えて詩に書きました。『人間商売さらりとやめて――』この部分に込められた光太郎の思い……凄い覚悟を感じませんか」
そして五十代。
智恵子は心の病に加えて、肺結核を悪化させていった。
「最後の日の智恵子の光景が、教科書の『レモン哀歌』です」
――かういふ命の瀬戸ぎはに
――智恵子はもとの智恵子となり
――生涯の愛を一瞬にかたむけた
――それからひと時
――昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
――あなたの機関はそれなり止まつた
(レモン哀歌)
「最後の一瞬に『もとの智恵子』になった彼女――光太郎がそう書いたもの。彼が見た景色はどんなものだったのでしょう。レモン哀歌の後、本来の智恵子抄は三編の詩で締めくくられます。最後の一編は「梅酒」……智恵子が亡くなって一年後に書かれた詩です」
――ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
――これをあがつてくださいと、
――おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
――あはれな一個の生命を正視する時、
――世界はただこれを遠巻にする。
――夜風も絶えた。
(梅酒)
智恵子がいなくなってしまっても、光太郎は自分の周りに彼女を感じ続けた。
残していってくれた梅酒に一人で向き合う夜、ぽつりと残された己を描いて『智恵子抄』は終わる。
「一人であることの現実と、それでも智恵子を感じ続ける光太郎の心……二つが一つに――甘い梅酒に溶け込むような、あまりにも美しい幕切れです。愛する人が、ずっと愛していた人がいなくなった、それでも世界は自分を包んで巡り続ける――長い長い時間をかけた一つの愛。その歩みをひたすら刻んだ詩集が『智恵子抄』でした」
ため息をつく生徒が何人もいる。「濃いなぁ」と声がする。
でも、同時に彼らは、光太郎と智恵子の濃密な関わりに、憧れに近い感情も抱いたはずだ。
酔ったように、配ったプリントの詩を読み直している生徒がいる。
――よくわかる。
私もそうだから。濃密な愛に、心がもっていかれるよね。そして、自分もこうして愛せるのか、愛されるのかって。
手にもった、古い『智恵子抄』に視線を落とす。
戦前に刷られた龍星閣版――祐司さんのお父様から渡された一冊を掲げた。
「この『智恵子抄』は、今から約八〇年前に出版された、最も古い装丁のものです。初版の発行は昭和十六年八月。アジア太平洋戦争が始まる直前でした」
戦争中にかかわらず『智恵子抄』は当時の若者達によって圧倒的に支持された。定価二円五十銭は決して安くない、現代では三千円くらいの感覚と聞いた。それでも戦争が終わるまでに十三刷も版を重ねて、当時の大ベストセラーになった。
「戦争に行かなくてはならなくなった学生や、それを見送った女の子たちが、この詩集から愛することを学んだといいます」
恋をすることもなく、戦場や空襲で亡くなった人も沢山いた。
そんな明日の見えない時代、若い人たちに愛とはどういうものかを教えてくれた詩集『智恵子抄』。
「新婚家庭への贈り物とされたり、恋人へのプレゼントになったり。人を想うとはどういうことか。この一冊は愛を知る手がかりとして、多くの人に読まれてきました。私の授業はこれでおしまいですが、ぜひ、皆さんも自分で通して読んでみてほしいと思います」
そして――
私の大切な人の家族も、かつてそうして『智恵子抄』を贈った。