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続・辰巳センセイの文学教室~ふたりが紡ぐ物語~  作者: 瀬川雅峰
Ⅰ 銀河鉄道の夜_辰巳祐司×岩嶺ハルミ
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4 教室の中



 10月4日(火) 実習2日目。


 朝は定時より三十分早く――8時には学校へ到着したが、その時間でも半分以上の先生方が出勤していた。


 今日の一日の流れを確認した。小柳先生とホームルームの様子を一緒に見て、授業時間中は小柳先生や、その他の先生方の授業を見学させてもらう手筈になっている。

 見学した授業については実習簿に記録を取り、自分の授業の参考にする。明日からは自分で授業をしなくてはならない。今日一日で吸収できることをできるだけ取り込んでください、と小柳先生に言われた。

 


 午前八時半、始業のチャイムが鳴る。


 職員室での手短な朝の打ち合わせを済ませると、小柳先生が足早に教室へ向かって歩き出す。

 俺も大学で渡された厚めの実習簿と、筆記用具を抱えて、急いで後を追う。学校の朝はこんなに慌ただしいのか、と思いながら早足で階段を上がる。


 二年B組の教室に入ると、生徒たちは朝から元気いっぱいだった。


 教室に入って早々、(おぎ)()たち女子グループから中学生らしい、高い声が聞こえてくる。

「辰巳先生、おはようございまーす!」


 担任の小柳先生を脇において挨拶してくるのはどうしたものか、と思うが、一応「おはよう」とそれぞれの生徒に返しつつ、教室に入った。


「先生、今日はまだ授業やらないんですか?」

「先生、また質問コーナーやってください!」

「先生、朝ご飯は何食べましたか?」


 やいのやいのとかかる声に、小柳先生がぱんぱん、と手をたたいて「静かに。日直、号令!」の一声で黙らせる。日直の男子生徒の声に、一斉に挨拶をして席に着くと、生徒はまたざわつき始めた。

 自分が動物園のちょっと珍しい動物にでもなった気がする。


「ああ、もう……」


 小柳先生はぼやきながら朝の連絡事項を済ませると、早足で隣のA組教室に移動。一時間目の授業を始めた。B組の浮ついた空気には自分も大いに影響してるわけで、小柳先生には申し訳なく思う。


 ◇


 昼休みも小柳先生と教室に行って、生徒と一緒に給食を食べつつクラスの様子を見た。給食の片づけが終わったら、すぐに午後の授業。六時間目まで忙しく時間が流れていった。


 帰りのホームルーム。


 来週は森林公園への遠足がある。

 バスに乗る席を決めるのは、基本的に生徒にまかせる、ということに学年の先生方で決めていた。


 ホームルームの終わりに、小柳先生が言った。

「バスの席決めが終わったら、この用紙に書いてもってきてください。黒板に貼っておきます」


 小柳先生の背中を追って職員室に降り、自席に戻ったところで教育実習の記録簿を教室に忘れたことに気づいた。


 実習簿をとりに、もう一度教室に上る。廊下を下校していく生徒、部活に向かって急ぐ生徒たちの流れとすれ違う。


 職員室に降りて三分ちょっと経過していた。

 まだみんなでバスの席決めをやっている……と思ったのだが。


 教室には、バスの席表に、鉛筆で清書をしている女生徒と、その近くにいる女生徒……二人だけだった。席表決めのあとは教室掃除を五班がやるはずなのに、その六人の姿も見当たらない。


 鉛筆をもつ生徒は席に座って、席表に着々と書き込んでいる。その手元をそばの生徒がじっと見つめている……と思ったら、こちらに気がついたのだろう。視線を向けてきた。


 岩嶺ハルミだった。


 ホームルームでも向けてきたまっすぐな瞳。見開いているのは、俺の存在が意外だったからだろう。何か言おうとしたように、軽く口を開き、そのまま閉じた。


 鉛筆をもつ生徒も、傍らの岩嶺の雰囲気に顔を上げ、こちらに気付く。露骨に表情を曇らせた。

 机の間を縫うように二人に近づき、机二つ分ほどの距離まで来た。


「君達は……えと、岩嶺さんと」


 岩嶺の名前は印象が強かったので覚えていた。しかし、もう一人は印象が薄い。隙間時間に生徒資料で顔と名前を覚えていたつもりだったが、すぐには出てこなかった。


「……この子は、秋山(あきやま)(かえで)です」


 困り顔の秋山を差し置き、岩嶺が名前を教えてくれる。


「バスの席決めは、みんな希望を言ってったんで。秋山さんがまとめて書いてるんです」


 俺の訊こうとしたことを先回りするように、岩嶺の声が被さる。


「あの……すぐできますから」

 秋山が小さい声で下を向いたまま言った。席表に名前を書く手は動いたまま。


「……そう。この後、掃除だったよね?」


 びくっ。


 秋山の肩が跳ねて、手が止まった。訊かれたくないことをこれから訊かれてしまう……追い詰められた空気が表情にそのまま出ている。


 机四十個を動かし、掃き掃除をするには、それなりの労力がかかる。二人でやろうと思ったら相当な重労働だ。この状態は……問題なし、とはいえない。


 秋山は答えに困った表情のまま、岩嶺をちらりと見上げた。姉に助けを求める妹のように見える。

 ……この子は、きっと、クラス内で良くない位置に立たされている。


「班のみんなはいないの? 帰っちゃった、のかな」

 努めて明るく、軽い問いかけにした。


 秋山は黙ったまま答えない。

 瞳に不安の影が揺れる。


「……みんな、急いでたんで。私がやっておくからって言ったんです。部活とかやってる子は忙しいので」

 岩嶺が立ったまま、こちらをしっかりと見て言った。


 姿勢も、秋山と俺の間に割り込もうとするような角度になっている。秋山の視線は岩嶺を見上げてから、正面に戻すと俺と合ってしまうからだろう。そのまま斜め下を見つめた。


 掃除当番は教室内の列で班分けしているから、窓際の岩嶺は六班のはずだ。

「岩嶺さん……窓際だから、掃除班は五班じゃなかったと思うけど。班員の子は誰もいないの?」

「先生、よく覚えてますね。昨日来たばかりなのに」


 遠くを見ている視線が気になったとはさすがに言えず、「ああ……カタカナの名前で印象に残ってたから」と咄嗟に言ってしまった。


「おかしいですか。カタカナ」

「いや、ごめん……そんなことは。名前を茶化すつもりはないんだ」

 無神経だったか、失言だったか、と焦るこちらに構う様子もない。


「私、特に用事がないんで。クラスの掃除当番の人を手伝っちゃいけないんですか?」

「そうじゃなくて。五班、本来のメンバーがもう少しいたように思ったんだけど」

「さっき言ったとおり、今日はいろいろ忙しい人もいたんで、やってあげるよ、って秋山さんと私が言ったんです……何か、問題ありますか」


「……いや」


 岩嶺の警戒心は強い。


「うん……二人じゃ大変だ。せめて俺も手伝うよ。秋山さんは、まず席表書いちゃおう」

 笑って見せた。


 席に座ったままの秋山がせっせと手を動かす。それを横目で見ながら、掃除用ロッカーに向かった。ホウキを三本とチリトリを取り出す。


 秋山が表を書き終えたところで、三人でクラス掃除をした。


 三人いればそれなりにはかどる。十分ほどで、机運びと掃き掃除が終わった。拭き掃除は独断で省略。焼却炉へのゴミ捨てを二人に頼んで、職員室に戻ることにした。


 すると、秋山が追って来て「ありがとうございました」と深々とお辞儀をされた。

 おずおず、という表現が似合う気の弱そうな生徒。にこっと見せた笑顔にも、いつも愛想笑いをしているだろうな、と思わせる慣れがある。


「お疲れ様」


 きっとこの子は誠実で、真面目な子なのだろう。


 職員室へ戻ろうと思って、階段をしばらく降りたところで、今度は後ろからゴミ袋を持った岩嶺が呼び止めてきた。

「なんだい」

 顔をぐっと近づけてくる。彼女の方が階段の上段にいるから、身長差が埋まっている。


「……先生、小柳先生に報告とかするんですか」

「どうして?」

「……わかりますよね?」

 岩嶺の瞳がすっと鋭くなる。


「気になることは、あるよ」

 彼女の目を見つめ返しながら言った。


「……先生は実習で、すぐいなくなりますよね。でも楓は、これからもずっと学校にいるんです」

 岩嶺の視線はぶれない……が、その緊張がふっと途切れた。


「だから……でも……なんでもないです」

 目線を逸らし、背中を向けて足早に階段を降りていった。


 ◇


 職員室に戻ると、小柳先生は会議に行って離席していた。今日見た授業の振り返りをまとめながら、小柳先生を待った。


 つらつらと手を動かしながら、大学時代の塾講師の経験を思い出していた。

 授業の進行そのものに関しては、塾の経験もあったから、正直それほどプレッシャーはない。バイト先は小さな地元の子供たち相手の塾で、どちらかというと、勉強の苦手な子たちが中心の、のんびりした塾だった。


 バイトを始めたばかりの最初は緊張したが、どうしたらわかりやすく伝えられるか、考えて授業を工夫するのは楽しかった。


 だからこそ、大学三年の終わりまでほとんど休まず続けられたのだ。半年前の件さえなければ、自分はきっと今でも講師を続けていたし、この実習にももっと前向きな気持ちで臨んでいたはずだ。

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