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続・辰巳センセイの文学教室~ふたりが紡ぐ物語~  作者: 瀬川雅峰
Ⅲ 智恵子抄_辰巳祐司×咲耶
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6 手を引いてくれた君と


2022年 年末


 一年も残り僅かになっていた。


 年が明ければ2023年。

 初夏には結婚式と、続けて咲耶の教育実習がある。

 それまでにやることが沢山あった。


「……でも祐司さん、ここなら、今のところから遠くないから、近所のことはわかるでしょ」

「俺はいいけど、駅からちょっと歩くのがね。夜遅くなったとき心配かな」

「遅くならないように……頑張る、じゃだめ?」

「……この仕事、どうしてもってときもあるよ」


 新居を探そう、と咲耶とこの一ヶ月、週末に不動産屋めぐりをしている。隣で咲耶が笑う。

 形の良い、艶々した唇が、愛らしく動く。


 毎週、週末にはほぼ会えている。それでもつい目で追ってしまう。


「コンビニはすぐ近くにあるから、簡単なものはそこでいいとして……ん?」


 彼女の瞳がこちらを向く。

「祐司さん? 聞いてる?」


 あ、うん。ごめん。

 つい見とれていた、なんて言えない。


「今のところ、駅近くのスーパーも使いやすいし、駅前は結構いい感じだよ。ご飯食べられる店も、割とある」


 駅前にある不動産屋を三件ほどはしごして、これは、という部屋を見つけた。


 築年数はそれほど古くない。二階建ての二世帯住宅で、上階部分を丸ごと借りる物件。奥に寝室、手前に広めのリビング。二人で過ごす場所としては快適そうだ。


「本当は、息子夫婦のための二階だったんだけどね。海外赴任で出てっちゃって、何年かは帰ってこないのよ。だから、貸し出しにしようと思って」


 一階に住む初老の大家さん夫婦に挨拶した。ふくよかで人当たりの柔らかい奥さんにほっとする。

 玄関二つの二世帯住宅。昼間の時間も留守にすることはあまりない、とのことで防犯上もよさそうだ。


「奥さん……綺麗な方ね。ずっと大事にしなきゃね」


 結婚式と、咲耶の教育実習が終わるまでは、主に一人で住んで、住環境を少しずつ整備することにした。一人暮らしの自分の部屋から、使える家電などを車で移動させていく。距離はそれほどでもないが、一人で、毎週ちょっとずつ、無理せず。


 時間の許す週末は咲耶もやってきて、一緒に引っ越しの手伝いと掃除をする。そのまま食事をとって、部屋で過ごしたり、街を歩いたり。スーパーで買い物をするついでに、駅前のお店や通りをチェックして新生活に備える。

 電気屋さんで家電を揃えて、ディスカウントストアで日用雑貨を揃えて。


 二人で、自然なペースで一緒に歩いて生きていく……そんなテンポが心地よかった。



 ◇


 俺と、咲耶。

 二人にとっての始まりの日――2020年三月十一日。


 あれからもう三年。


 恵里の夢を見ることは減った。全く見なくなったわけじゃないが、少しずつ夢を見る間隔が開いている。


咲耶と初めて二人で眠った日のこと。

 日付が変わるまでには送っていく、と言ったけど、今日だけは特別……朝までいたいと咲耶が聞かなかった。


「すみません、アルコールが入ってしまって……朝必ずお送りしますから」


 咲耶のお父さんに、叱られる覚悟で電話をしたっけ。

 横から咲耶が電話を掴んで「大丈夫だから。酔い覚ましだから。大丈夫だからね!」と早口で言って、ぷちっと電話を切ってしまった。


 その後二人でしばらく沈黙のまま待ったけど、折り返しはかかってこなかった……察してくれたのだと思う。


 夢の中で、いつものように彼女――恵里が後ろ姿で現れた。ずっと、ずっと前、波間に消えてしまった背中。水を掻きながら波間を追っても彼女に手が届くことはない。気づけば彼女は消え、俺は一人海に取り残されている。彼女を探しながら、自分も冷たい水に引き込まれ、ゆっくり、ゆっくりと沈んでいく。


 荒い息を吐きながら、びっしょり汗をかいて飛び起きる。


 いつものこと……そう思って昏い部屋で目を覚ましたとき、そっと撫でてくれる手の感触があった。


 咲耶の小さな白い手が、髪をそっとなで「大丈夫」……繰り返し、そうささやいてくれていた。


 初めてその「大丈夫」が耳に届いた日、自分でもわからないまま涙が止まらなくなった。彼女の前で声を抑えて泣いて、涙まみれになった顔を、咲耶は胸に抱き留めてくれた。


 「大丈夫だから」


 そっと撫でてくれる手の感触とぬくもりを感じていると、息が落ち着く。意識がゆったりと闇に落ちていく。


 あの夜、初めて夢の後にもう一度眠ることができた。

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