5 カバーの内側
「……中の雰囲気があんまり素敵だったんで、装丁も見たくなって、カバーを外してみたら」
咲耶の指が、巻末を開いて奥付を示す。
「智恵子抄」
昭和十八年十月二十日 十一刷
定価弐圓五拾銭
発行所 龍星閣
奥付。手書きのカバーはこのすぐ後に被さっていた。
しかし、咲耶の指が、奥付ページをめくると、そこにもう一枚、白紙のページが続いていた。見返しの「遊び」と呼ばれる、カバーに隠されていた白紙。
「ここに、こんな書き込みが」
白紙ページの左下に、角張った筆跡の小さな文字が並んでいた。
レモン哀歌五
郊外の人に一
智恵子の半生 廿六
梅酒六
深夜の雪七
愛の嘆美五
晩餐六
冬の朝のめざめ八
「……これ、暗号かな?」
◇
朝、リビングに降りると、翠さんが朝食の準備をしていた。父も既に起きて新聞を眺めている。
茜ちゃんはちょうど起きたところらしく、洗面所で髪を軽く整えていた。
咲耶は……すうすうと寝息を立てていたので、二階に置いてきた。昨晩、少々夜更かししてしまったし、緊張もしてたはずだ。
まだ眠いだろう。
「おはよう」と挨拶をして、父のいるテーブルに座る。
「昨日は『智恵子抄』を咲耶にありがとう。見せてほしい、って言うつもりだったのに、先に渡してくれてるとは思わなかった」
「……ああ。あれか。咲耶さん、学校で高村光太郎を教えるっていうんでな。ちょうどいいと思った」
父の本棚には、ずっと前からあの茶色の紙でカバーをかけた智恵子抄が刺さっていた。俺は高校の頃読んだけど、それより前からあって、何の気なしに表紙を眺めていた子供時代の記憶がある。背表紙に墨の手書きで「智恵子抄」と書いてあって、それが本棚の端にひっそり置いてあった。
「高校時代、文芸部で智恵子抄のことを調べたときに、実は勝手に借りて、読んだんだ。それであの本があったの覚えてた」
父の目が細くなる。昔のことを思い出すように遠くを見る目になって、少し笑う。
「……勝手に借りて、か」
「あの本、元々は父さんのじゃないよね?」
「凄く古かったろ?」
「……昨日改めて奥付見たけど、昭和十八年……父さんのにしては、さすがに古すぎる」
――あれは、もっともっと古い本。そして、父へと受け継がれた本。
「子供のころ。もう、五十年くらい前にな、あの本を勝手に持ち出して、母さん……お前の婆様から凄い剣幕で怒られたことがある。普段、本なんて読んでるところ見たことないのに、なんでこんなにってくらいガミガミやられた。で、そのときのことを覚えてたんだな。形見分けで受け取って、本棚に置いた」
父の思い出の中にある、ガミガミ叱った……祖母の思い。
記憶の中にある祖母の姿はきびきびとしていて、性格も男勝りでさっぱりしていた。自分が小学校低学年の頃に他界してしまったが、子供の頃は父もずいぶん厳しくしつけられたと聞いていた。
「……婆ちゃんにとって大切な本だったってのはよくわかったよ」
「とっくに婆さんいないから、今さら気にしなくていいけどな。でも、お前と咲耶さんにそう言ってもらえたら……婆様も喜んでる気がする」
一つだけ、確認しておく。
「父さんさ、あの本の奥付の後、最後の白紙ページに書き込みがあったの、知ってた?」
父の目が細くなった――笑ったのだ。
なるほど、と思った。
「ありがとう。咲耶を認めて……迎えてくれて」