表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
続・辰巳センセイの文学教室~ふたりが紡ぐ物語~  作者: 瀬川雅峰
Ⅲ 智恵子抄_辰巳祐司×咲耶
46/53

3 家族の風景


 実家の駐車場に車を止め、旅行カバンとスーツケースを下ろした。

 玄関のチャイムを鳴らす。


「はーい。祐司さんですね、おかえりなさい」


 インターホンから父の再婚相手、翠さんの声がした。

 鍵はもっている。そのまま解錠してドアを引いた。


 ずいぶんと久しぶりの……数えてみたら、6年ぶりの実家だった。心なしか空気に賑わいというか、明るさを感じる。


 玄関を入ってすぐのキッチンに翠さんがいた。

 咲耶が「初めまして」と挨拶する。


 翠さんの目がまん丸くなっている。

「……初めまして、咲耶さん……茜! 茜! 咲耶さん来たよ!」


 二階の階段に向けて、翠さんが大きな声を出した。

「はぁーい」と声が上から降ってきた。


 そのままキッチンの先、リビングを覗くとソファの奥側に父がいた。


「ただいま、父さん」


「おう……意外と早かったな」


「こんにちはー……って、祐司さん、この人が咲耶さん?」


 階段から降りてきたばかりの茜ちゃんの声が割り込んだ。翠さんの連れ子で、俺から見ると血の繋がりのない妹になる。ショートカットで、ほっそりしたシルエット。小学生の頃とイメージがあまり変わっていない。


 茜ちゃんと咲耶がお互いに挨拶を交わす。翠さんと茜ちゃんの母子に、初めて会ってからもう十年ちょっと。あの頃、俺は大学四年生で、茜ちゃんは小学四年生――まだ十歳だった。俺の部屋にアイスをもってきて、二人で食べながらおしゃべりした。


 茜ちゃんと咲耶は同い年なので、茜ちゃんも今大学生だ。この家から通える地元国立大学……俺の母校の後輩だったりする。

 出会った頃の、小学生時代の印象が強いだけに、その少女と同い年の婚約者を連れて帰ってきた――とあらためて考えると、なんだか不思議な感じがする。ちょっと気恥ずかしい。


「……ねえ祐司さん、こんな若くて……綺麗な人、本当に付き合ってるの? 結婚とか……するの?」


 茜ちゃんが興味津々、という顔で訊ねる。


「え……え、え、え……」


 突然結婚、という単語を浴びせられたからか、隣で咲耶が慌てている。


 父と二人でいた頃からは考えられないくらい、賑やかな家になったと思う。


 ◇

 

 ひとまず、リビングのソファの奥に座る父の前に並び、咲耶と二人で座った。


 まず還暦のお祝いを一言。その後、すぐ咲耶について「話しておきたいことがある」と切り出した。

 父も察していたようだった。


「……まあ、焦るな。お茶でも飲もう」


 脇にいた茜ちゃんにも父が座るように促し、さっきからキッチンにいる翠さんは、もう手早くお茶の用意を進めていた。


 翠さんが「すぐ淹れますからねー」と明るく言って、湯飲みを盆に載せている。茜ちゃんは一度立ち上がったと思うと籠にみかんとお菓子を用意して、テーブルに置いて座り直した。

 お茶を淹れ終わったところで、翠さんと茜ちゃんが示し合わせるようにして「ちょっと席、外しましょうね」と言ってきたが、父はまあまあまあ、と止めた。


「翠と茜も一緒で、いいな?」


 この言葉は、俺に向けられている。

 わずかに隙間を開けて、距離をとって横に二人も座った。


 緊張する……が。

 翠さんも茜ちゃんも家族だと父が示したのだ。

 大切な話なら一緒に聞くべきと。そういうことなら……俺もしっかり話をするしかない。


 沈黙の中に、そっと置くように言った。


「この円城咲耶さんと、結婚したいと思ってる」


 一呼吸分、沈黙があって、父は少しだけ表情を緩めて「そうか」と言った。

 そして、咲耶の方に向き直って、彼女の顔をまっすぐ見た。


「息子のこと、お願いできますか」

「……はい。こちら、こそ……」


 緊張した咲耶の声が、わずかに震えて詰まる。


 父がテーブルに両手を付いた。

「どうか、息子をよろしくお願いします」


 そのまま深々と頭を下げた。咲耶も驚きながら「……あの、こちらこそ……どうぞよろしくお願いします」と消え入りそうな声で返しながら俺と一緒に頭を下げた。


 翠さんと茜ちゃんは何も言わずに、やりとりを見ている。

 目尻に笑いじわをくっきりさせて父が言った。


「そんな話をしにくるんだろうと思ってた。こういうとき、親はどんな気持ちになるのかと思っていたが……嬉しいもんだな。しっかし咲耶さん、ほんとにこんな息子でいいのかい?」


 挨拶が終わったら、すぐ軽口を叩くところが父らしい。咲耶は「こちらこそ……あの、私なんかで」としどろもどろだ。


 ◇

 

 夕食はにぎやかになった。

 父親から「年の暮れくらいは帰ってこい」と何度も言われたていたが、なんやかやと理由を付けて足が遠のいていた。翠さんや茜ちゃんを新しい家族、と言われても、どんな顔をしていいかわからなかったし、父の邪魔になりそうな気がした。


 十年前、初めて翠さん、茜ちゃんにこの家で会ったときは、まだ事件のショックも大きかった頃で、前向きになることなんて考えられなかった。でも今はこんな風に、もっと早く一緒に食事をする機会を設けてもよかったかも……と感じている。我ながら現金だと思う。


 そう思えるのも、咲耶がこうして隣にいてくれるおかげ――彼女が俺をもう一度明るいところへに連れ出して、この食卓に繋ぎ直してくれた。


 食後、茜ちゃんと咲耶はすっかり打ち解けて、今はお茶の準備を一緒にしている。咲耶の持ちこんだカヌレを皿に並べ、二人で紅茶の缶とティーカップを用意して。


 そんな二人の様子を眺めながら、翠さんは父と俺のためにグラスとおつまみの用意をしてくれている。


 リビングに男二人。


 さっき、夕食の終わりに翠さんが淹れてくれた緑茶が湯飲みに残っている。すっかり冷めた緑茶を両手で包むようにしながら、父がぽつりと言った。


「本当に素敵なお嬢さんだな……おまえにはもったいない」

「俺もそう思ってるよ」

「大切にしろよ」


 言われるまでもない。


「……わかってる。これでもいい歳だよ。しっかりやる」

「老けるわけだ。還暦っていわれても、全くピンとこないがな。自分がまだ三十代くらいに感じる」

「若いままのほうが……息子としては嬉しいかな」


「……よく言う」


 父の目尻が少し下がって、こちらを見た。


 茜ちゃんがお盆に載せたカップとポットを、翠さんがウイスキーのグラスと、チョコレートを持ってきてくれた。

 

 そのまましばらく父とリビングで過ごした。

 ティータイムを済ませたところで翠さんは寝室へ、茜ちゃんは「大学の課題があるから……」と言って二階に上がっていった。気を遣ってくれたのだろう。咲耶も俺の自室に上がっている。


 父と水入らずでウイスキーをゆっくり呑んだ。言葉は少なかったが、やっとこういう時間の過ごし方ができるようになったと感じた。時折父のグラスにウイスキーを注ぎ足しながら、静かに――ボトルを三分の一ほど減らした。


 夜十時を回ったまわったあたりで、しばらく咲耶を一人にしてしまったので自室に戻ろうと思った。すると父に「咲耶さんならたぶん、読書してると思うぞ」と言われた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ