表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
続・辰巳センセイの文学教室~ふたりが紡ぐ物語~  作者: 瀬川雅峰
Ⅲ 智恵子抄_辰巳祐司×咲耶
45/53

2 君を見つめて


 咲耶の実家での挨拶が終わって、次はその報告を兼ねて俺の実家、という流れである。


 うちの父親が反対することがあるとも思えなかったので、ひとまず電話で話すだけでも、と提案したのだが、咲耶に「私もちゃんと挨拶したい」と押し切られた。それで、急遽週末の小旅行が決まった。


「咲耶」

「ん?」

「アメとか欲しかったら……出すよ。まだいい?」

「セン……祐司、さん、まだ、大丈夫。うん、ありがとう」


 会話がものすごくぎこちないのも仕方ない。つい先日、プロポーズをした日から咲耶は「センセイ」を「祐司さん」に変えたばかりだ。

 返事をする咲耶の頬がほんのり上気して、白い肌がピンクに染まっている。


 前を見て運転を続ける彼女をつい見つめてしまう。


――俺の人生に踏み込んできてくれてありがとう。君がいなかったら、こんな安らかな日はなかった。


 実家へと伸びる高速道路は快調に流れている。FM曲のDJもいつにも増して調子よく話しているように聞こえる。まっすぐな道を車が滑らかに加速していく。


 ◇


 高速道路に乗って順調に距離を稼いで、実家まで半分ほど来たところで、サービスエリアに寄った。


 名物、と書いてあったカツサンドを買って、にこにこと咲耶が戻ってきた。助手席に座って、カツサンドに一切れ齧り付いた。


「んー! 美味しい」


 唇にとんかつソースを付けながら、もしゃもしゃとほおばっている。


 運転席から一切れつまんで、口に放り込んだ。

二枚重ねた食パンに、大判のカツとキャベツを挟み、全体を9つの正方形に切り分けてある。なんとか一口で入れられる大きさなのが、さすがドライブ用、という感じだ。


 あっという間に三切れ食べた咲耶が、ふうふうとコーヒーを冷まして口を付ける。


「運転、緊張したぁ」


 ふにゃあ、と笑顔になった。 

 ここで運転を交代。


 咲耶は助手席におさまってリラックスしたのか、口が回るようになってきた。


「それでね、それでね」

「うん」


 つい一昨日、教育実習の打ち合わせで母校に行ったときの話になった。


「ちょっと気が早いけど……って来年の教材の話になったの。年間計画から見て、たぶん詩の単元になるよって」


 春から咲耶は大学四年。夏に教育実習がある。担当教官になる予定の国語科の先生と話して、教科書などの教材も渡された。


 咲耶が手元にかかえたトートバッグの中から教科書を一冊取り出した。高校から預かってきた、来年使う一冊だという。


 目次でページ数を確認してから、ぱらぱらとめくっていく。


「教科書に何編かあるんだけど、現代文に使う時間がそれほどあるわけじゃないから、題材を絞って授業をやってもらうことになるって。中心になる予定なのが――『レモン哀歌』だって」


「……定番の名作だね」


 レモン哀歌。高校教科書に多く収録されてきた高村光太郎の詩だ。彼の代表作となった詩集『智恵子抄』に収められている。

 最愛の妻、智恵子が亡くなったその日を描いたエピソード。『智恵子抄』の悲しみの頂点を成す一編。


――そんなにもあなたはレモンを待つてゐた

――かなしく白くあかるい死の床で


 死の数年前から精神を病み、ほぼ正気を失っていた光太郎の妻。「私もうすぐ駄目になる」と嘆く彼女を、光太郎は最後まで……亡くなってからも生涯愛し続けた。


 出会い、二人で暮らす喜び、質素ながらも芸術に打ち込む日々、病んでいく妻への苦悩……『智恵子抄』は二十年以上に亘る夫婦の歩みを丁寧に、二十九編の詩で追っていく。

 光太郎の体験を、ほぼ時系列で並べた詩集は、読み通すことでそのまま光太郎と智恵子の愛の追体験になる。


「咲耶は『智恵子抄』はもう読んだ?」

「ずっと前、図書室にあった文庫を高校時代に。ひたすら智恵子さんの詩が続いて、亡くなった後もずっと智恵子さんのことを描いてて……凄いけど、重いなぁって思っちゃった。また読み直さなきゃと思ったから、一冊自分で買って。ほら、これ」


 咲耶が手元のトートバッグから小さな文庫版『智恵子抄』をちらりとのぞかせる。


「……そっか。」


 なるほど。


 だとしたら実家にちょうど参考になる一冊があったはず。

 今夜にでも、父親に今もあるか訊いてみよう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ