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続・辰巳センセイの文学教室~ふたりが紡ぐ物語~  作者: 瀬川雅峰
Ⅱ 源氏物語_宮本綾×黒沢黎
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21 リセットとリスタート


2022年春 円城咲耶


 宮本先生から預かった白い封筒をもって電車から降りた。


 ロータリーに出て、彼――辰巳センセイの車を探す。

 今日はこの後、センセイの家で、一緒にご飯をつくる約束だった。


 混み合う駅舎のすぐ前から少し離れた、ロータリーの端のあたりに、彼は車を停めていた。窓を開けて外の空気を入れながら、本を読んでいた。


「おまたせ」


 助手席のドアを開けて、いつものようにシートに座る。

 彼がエンジンをかけよう……とする前に、宮本先生からの封筒を渡した。


「宮本先生から、センセイにって」


 ほぅという顔をして、彼は封筒を受け取り、裏の封に貼られた金色のシールをはがす。封筒の一番手前に入っていた便せんを見て目を細めた。同封されていた厚紙のカード二枚も取り出して、さっと眺める。


 はい、と手紙とカードを私に差し出してきた。


 便せんには宮本先生の柔らかな筆跡が踊っていた。



辰巳先生

  昨年の教養講座、ありがとうございました。

  あのとき、先生とお話できて、本当によかったと思っています。


  その後のことは――同封したものをご覧頂ければ(笑)。

  咲耶さんと、お二人でいらしていただければ幸いです。


                 宮本綾



少し厚めの紙は――黒沢・宮本、両家の結婚パーティー案内状、二人分だった。



 ◇



「本日はお招きいただきありがとうございます」


 彼と二人で、宮本先生と、黒沢さんに挨拶した。

 宮本先生が幸せそうな笑顔で返してくれた。


 庭の付いたレストランを貸し切りで行っていた結婚披露パーティーは、とてもにぎやかだった。暑さが厳しくなる前で、気持ちのいい風が吹いている日だった。


 宮本先生は最初、こんな歳で恥ずかしいし、事実婚でいい。写真だけ撮るのでも十分だから……黒沢さんにそう言ったそうだ。


「それなのにね――俺は綾との結婚式ちゃんとやりたい。綾のドレスも見たいし、みんなに祝福してもらいたい――真顔でそう言ってくる四十過ぎの男って、凄いでしょ……いろいろ手遅れというか」


 宮本先生は苦笑しながらそんな内幕を教えてくれた。でも先生、そのとき苦笑の下に隠しきれない『嬉しい』がたっぷり詰まっていたのは、見え見えでしたよ?


 いざ披露パーティーを開催するとなったら、カメラマンの仕事関連でとにかく顔も広いし、義理でも呼ばなくては……というお客さんが膨れ上がって、すっかり大規模になってしまったという。


 時間が経ち、新郎新婦に挨拶する人の流れが落ち着いてきた頃、私とセンセイの側に宮本先生がやってきた。黒沢さんはお仕事の関係なのだろう……モデルさんらしい人や、取引相手らしい人にまだ囲まれている。


 相変わらずね、という顔でそちらをちらっと見た宮本先生が私に言った。


「あの人ね、カメラマンなのに、わたしの写真を撮ろうとしなかったの。ずっと。どうしてって謎が、去年の夏、やっと解けたの」


「去年の夏、ですか……ずいぶん、時間かかったんですね」


「……彼、ずっとお母さんが家を出たことを引きずってたって。自分が家族写真を撮ったすぐあとに家庭が壊れて、お別れの記念写真になっちゃった。だから、また明日も会いたい人の写真は、撮らない……自分にそんなジンクスを課すようになってたって。撮ったらその人と会えなくなる……呪いみたいで、バカバカしいでしょ。でも、少年時代の彼にそれは大真面目なことで、大学生になってもいざとなると撮れなくなっちゃってたって」


 誰にでもにこやかに接していそうな黒沢さんの、心の奥の幼くて、柔らかいところ……。


「……それだけ宮本先生を大切にしたかったってことですよね」


「まあ……ね。でも彼も今じゃ、ほんとに馬鹿馬鹿しい話だったって、当時の自分を呆れて笑ってるの」


「私もまだまだ子供だから……そのときの黒沢さんの気持ち、わかる気がします。きっと、本気だったんです」


「……せめて別れ話の前に、聞きたかったなぁって――それなら私が撮るね。上手じゃないけど、一緒に写ろう――そう言って、この前二十五年目にして初めて写真撮ったの。ほら、これ。よく撮れてるでしょ」


 スマートフォンに入った、二人がアップで写った普通のスナップだった。

 これが宮本先生と黒沢さんの、スタートの一枚。



――お二人に祝福がありますように。



 そして宮本先生が、少し声を低くして私に言った。


「私は自分の生きてきたことに後悔なんてしてないし、こうなるまで、時間が沢山かかったけど、でも、だからこそ今日がある……そこに嘘はないの。でも」


 優しい目になって、にこりと笑って。


「でも、時間が沢山流れたから、できなかったことや、諦めなきゃいけないことも、できちゃった。もういい歳だからね。二十歳若かったら……その時こうして一緒になれてたら……考えても仕方のないことだけど。若いときは二度とはなくて、そのときしかできないこともあって」


 ふう、と宮本先生はそこで一息おいて。


「後悔しないように、生きてほしいなって思うの。あなたにも。辰巳先生にも。若いみんなには」

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