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続・辰巳センセイの文学教室~ふたりが紡ぐ物語~  作者: 瀬川雅峰
Ⅰ 銀河鉄道の夜_辰巳祐司×岩嶺ハルミ
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3 父と息子と


「……じさん?祐司さん?」


 小さく女性の声が聞こえる。


 翠さんが、夕食ができたと呼びに来てくれた。ドアの向こうでノックして、声をかけてくれている。


「あ、はい……すみません、すぐいきます」


 ばたばたと階下に降りると、仕事から帰った父が既にリビングに座っていた。テーブルには翠さんが用意してくれた夕食が並んでいる。ハンバーグにサラダ、味噌汁とご飯。茜ちゃんもいそいそと母親の用意を手伝っていた。


「……祐司さん、座っちゃってください。もう運ぶものもありませんから」


 ついうとうとしてしまった。


 まだ少しぼんやりした頭でソファにかける。テーブルを挟んで、右手が父親、正面が翠さん、左側に茜ちゃんが座った。テーブルは四人で座るには少々大きい。


 座ろうとしたところで、部屋に置いてきた唐揚げを思い出した。皿に出しておかずの足しに、と温めて置いた。


 数年前、二人だけで生活していた頃、よくこのテーブルには洋酒のボトルと、父の愛用していたロックグラスが載っていた。母を亡くしてからひとりでグラスを揺らす父を遠巻きに眺めて、あえて目を合わせないように通り過ぎた。


 今の父は、翠さんに笑顔を向け、茜ちゃんに優しく接している。父子、というにはまだ堅いが、優しい親戚のおじさん、くらいにはなじんで見える。



 食卓を囲んで、和やかに時間が流れていく。

 おみやげの唐揚げでご飯をおかわりしていた茜ちゃんが、ごちそうさま、をするが早いか「宿題してくる」と言って廊下に出ていった。

 翠さんも一段落したところで席を外して台所へ行った。


 ひさしぶりの父と子に気を遣ってくれたらしい。



 ◇

 

 食後に軽く飲み直す……父はそのつもりらしく、白ワインのボトルをテーブルに置いた。

 高校時代、たまに父親に、「お前もいっぱいやらないか」と声をかけられるときがあった。できるだけ断って、避けていたのだが、父の顔がどうにも辛そうに見えた日は一杯だけ、付き合うようにしていた。


 父がコルクを開けて、自分のグラスと俺のグラスに半分ほどワインを注いだ。食卓で普段使いしているタンブラーだ。


「ちゃんとワイングラスがいいか?」

「いや……これで十分だよ。父さん、再婚おめでとう」

「……ああ」


 こんな最初の一言を今になって言っているのもおかしい。食事の間じゅう、翠さんや茜ちゃんのいる食卓で一緒にいたのに。


 父の再婚については、大学二年の秋、電話で知らされた。

 父が、という驚きと、やっとか、これで父も少しは楽に、という思いを半々で感じたことを覚えている。

 電話では、結婚するという報告だけを聞いた。どんななれそめだったのか、とか、詳しい事情は聞いていない。俺に連絡を入れてすぐ、式を挙げるでもなく、父と翠さんはひっそり籍を入れた。


「なんか……上手くいってそうで。安心した」

「……えらそうに」


 父の口元に、小さく笑みが浮かんでいる。母を亡くしてからの父がこんな顔を、柔らかな表情を見せることはなかったように思う。長い時間を経て、ようやく翠さんたちのおかげで、父はこんな顔をできるようになった。


 ワインの横に翠さんが置いていってくれたスモークチーズがある。父はそれを口に入れながら、何気なく、という風で訊いた。


「お前の方はどうだった。中学校」

「うん。あんまり変わってなかった……数年じゃ変わんないね」


 父親がこっちをちらっと見た。


「中学時代といえば……お前、隣の美幸さんと仲良くしてたな」


 胸がどきん、と打つ。


 不意打ち――でも、この話題になることは予測できた。どう話していいかわからなくて、話題が出なければいいなと思っていた。


 黙ったままの俺に、父が言葉を継ぐ。

「美幸さん、春から勤め先の近くで一人暮らし始めたそうだ」


 大学卒業まで、一歳上の幼なじみ、鷹取美幸はこの家の隣に住んでいた。大学のすぐ近くに一人暮らしをしていた俺と、同じゼミで毎日のように顔を合わせて。

 大学時代の思い出は美幸と一緒のものでいっぱいだ……でもこの半年、美幸の顔は見ていない。そしておそらく、もう彼女とあの頃のように――笑い合う関係には、戻れない。


 この半年程、彼女とは一切連絡も取っていなかった。


「……そう」

「大学で、一緒だったんだろ」

「うん」


 せっかく話題を振ってきた父に、ひどく素っ気ない、と感じさせただろう。大学に入る前、俺がこの家にいた頃に、美幸とどれだけ親しくしていたか父はずっと見ていた。


 その俺の態度を見て、父も察するところがあったようで、会話は途切れてしまった。

 俺は間をもたせたくて、父親のグラスにワインををつぎ足す。


 継ぎ足して、そしてまた間を持て余す。


「……母さんのこと、覚えてる?」

 つい口から出してしまった。


 母が亡くなって十年ちょっと経つ。父にとって、その存在は心の中でどうなっているのか。不意にそんなことが気になった。いや、不意というのはごまかしだ。俺自身が、大切な人を亡くした人間を知りたい、と思っている。


 父は不快そうな態度はとらず、考え込むように腕を組んで、しばらく黙った。

「そうだな」


 遠い目になる。翠さんには聞こえていないはずだが、それでも父はもう一段声を低めて話した。


「覚えてることもたくさんあるし、忘れたこともきっと、たくさんある。翠と茜を守らなきゃと思う。毎日の仕事も同じことを繰り返しているだけじゃない……人も仕事も、新しいことがいろいろ入ってくる」


「新しい……」


「ああ。それを認めて、受け入れられるようになるまで、ずいぶん時間がかかった。母さんが亡くなって……もう十年を超えたんだな」

 言葉は半分俺に、半分自分に向けられているようだった。父はワインをぐっと空けた。


 父が俺の顔をちらり、と見て言葉を継いだ。

「何があったか無理には聞かないが……なんかあったら帰ってこい。翠と茜もいるけど、おまえの部屋は元のままにしてある」


「……うん。ちょっと、いろいろあったんだ」


 そのまま黙ってグラスをあけて、チーズを一つ手に取って自室に上がった。

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