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続・辰巳センセイの文学教室~ふたりが紡ぐ物語~  作者: 瀬川雅峰
Ⅱ 源氏物語_宮本綾×黒沢黎
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14 教壇からの風景



 教壇に立つようになって半年が過ぎた。

 授業の準備をして、課題を見て、美術部の子たちと話をして。


 忙しかった。


「しっかりした先生になったよね。綾は……俺はいつまでもこんなだけどさ」


 黎は相変わらず写真屋のバイトを続けていた。バイト先の店長のつてで、小さな雑誌の仕事などを手掛けることもあるという。時間が自由になる立場だから、便利に使われてるんだよ、と黎は言っていた。


「便利には使われてるけど、イレギュラーなお手伝いみたいな話ばかりだからさ。家賃と自分の写真の費用だけでもかつかつだよ」


 写真屋だけじゃ割が良くないから、と夜のバイトを始めていた。



 ◇



 教師一年目の冬。


 午後に郵便局へ書類を持って行く必要があって、授業の隙間時間に校外へ出た日。


 近所の団地を通りがかかったとき、階段の手すりの陰に、授業を受け持っている生徒を見かけた。


 あまり目立たない生徒だった。彼は手すりの影で、周囲を気にしながら煙草を吸っていた。

 最近では煙草で指導される生徒もめっきり減ったが、この頃はまだ「反抗」のシンボルのように、枠から少し出てしまった生徒たちのお決まりのアイテムだった。


 ……見てしまった以上、教師として見て見ぬ振りはできない。


「2年の、小川君だね」


 すぐ近くに行くまで、彼はこちらに全く気付かなかった。声をかけると、彼は飛び上がりそうなほど驚いて、怯えた顔になった。


「……す、すみません」

「授業中なのに、抜けてきちゃってこれは……煙草とライター渡して。職員室まで一緒にいきます」


 彼はしぶしぶ煙草とライターを渡してきた。しかし、立ち上がろうとしない。

「今日だけなんで、親には言わないでもらえませんか」


 私を怖がっているのではない、と一目でわかる表情だった。


「先生、もう絶対吸わないんで、お願いなんで、親に言わないでいてもらえませんか。それ以外ならなんだっていいんで。親には……」


 最後は涙声だった。以前指導があったとき、学校にきた小川君の父親はとても厳格な……すぐに手の出るタイプだったと聞いた。一年生の頃、別件……万引きで彼の保護者を呼んだ。そのとき父親は校長の前で息子を怒鳴りつけ、横面を思い切り張り飛ばしたと。


「……お父さん、怖いの?」

「……一回怒ると、止まんなくなって、ずっと殴られるんです。去年学校に来た後も、家ですごい殴られて」


 喫煙を見逃すことはもちろん正しくない。


 でも、二回目の保護者呼び出し……生徒指導部の規定通りなら、5日間の停学もついてくる。学校としては彼に反省の期間を設けるのが規定を作った狙いであって、父親に彼を殴らせたいわけではない。


「この煙草と、ライターはもう二度と使わない、ね?ここでもう無くなってしまって、かまわないね?」


 思わず言ってしまった。ライターは高級品ではなさそうだが、それでも使い捨てではないオイル式だ。


「ライターも煙草も処分します。それでいい?」

「……はい」

 小川君が沈んだ声で返事をした。


「先生は今急ぎの用事があって……あなたを職員室まで連れて行くことができないので、指導は以上にします」

「……ありがとうございます!」

「もう、二度ともってこないこと、吸わないこと、約束できますね?」

「はい。もう絶対吸わないんで。もってこないです」


 ◇


 小川君の煙草の件から三週間。


 三年生の生徒が喫煙で教員に見つかった。

 職員室まで連れてこられ、生徒指導部の先生が聞き取りをし、規定通りに停学の話をした。


「ルールは君も知ってたはず……指導は、仕方ないね?」


 指導部の先生がそう言い聞かせたとき、彼が言った。


「でも、小川は没収だけで許されたんすよね。俺だって、反省してるんだから、同じじゃなきゃ不公平じゃないですか」


 生徒指導部、主任の大森先生にちょっと……と呼ばれ、私は小川君とのことを説明することになった。大森先生は、五十代のベテランだ。やんちゃな生徒から恐れられている反面、真面目な生徒やおとなしい生徒からの信頼は厚い。体格も気持ちもどっしり落ち着いた先生だった。


 強面のキャラクターだが、いつもは丁寧に、優しい敬語で誰とでも話す。それだけに、叱るときの迫力との格差が凄い。


「宮本先生、小川君のお父さんのこと、聞いてましたよね……だから、配慮したくなったんですよね」

「……はい」


 どんな顔を向ければいいのかわからない。でも、自分がやったことが軽率だったことは、先生の顔をまっすぐ見られない私自身、しっかり理解していた。


「生徒指導部やってると、どうしても嫌われ者になることは多いんだけどね。だからって、不公平をやると、生徒から信用されなくなっちゃうんです。好きとか嫌いは感情の問題だから、一度嫌われても、その後もこちらがしっかりやっていれば、生徒なりに理解してくれて、関係が回復していくことはある。でも、不信は道理を外れたとき、嘘や不公平に触れたときにもつものだから、それっきり話を聞けなくなったりするんです」


 結局、遡る形で小川君は父親同席の面談になってしまった。


 大森先生が「学校でしっかり指導をする」「ご家庭で追加の指導をするようなことは必要ない」……と父親に伝えたという。


 それでも指導室から出てくるときの小川君は顔を真っ赤にしていた。私と目が合って、無言でじっとこちらを睨んだ彼に、私は何も言えなかった。


 大森先生の言葉が頭の中で繰り返された。


「先生がやったことは、決して不正解ってわけじゃないと思います。そもそも喫煙したのは彼ですし、宮本先生との話を周りに漏らしたことも軽率でした……でも、その未熟さまで含めて高校生です。教師は嫌われ役を進んで担わなきゃいけないときがあります。本音を言えば誰だって生徒に厳しいことを言うのは辛いです。でも、覚悟をもって大人として振る舞わないと、今度は、宮本先生は甘いのに、他の先生は厳しい、と生徒が言い始めて、厳しいことを言っている先生が嫌われるようにもなってしまいます」


 何も言えなかった。

 どこかで、生徒のことを考えて最善の指導をできた、と慢心していた。


「先生方の間に不公平感が出てくると、マジメに指導する先生が減って……そうやって荒れていった学校を、多くのベテランは一度は体験してるもんです」


 大森先生は苦いものの味を思い出したような顔をした……こういう顔を、きっと沢山してきたのだろうと思った。


 恥ずかしくなった。テレビドラマのように、生徒を理解したつもりだったのに。結果を見れば二人の生徒を学校不信にしてしまった。


 一年目の自分。本当にわからないことだらけだった。


 ◇


 黎と会う週末まで、指導のことがぐるぐると頭を回っていた。


「親父は医者をやってる。経営者で酷いワンマンで……家庭でも、全部自分の思い通りにならないと駄目って人で。俺が写真を勉強したいって言ったときも、全く歓迎してくれなかった……まあ、どこの家庭でも、食えない道だし、反対はされるもんだろうと思うけど」


 大学時代からの友人、知人の多くは社会人一年目で、みんな忙しそうだった。そんな中で、学生時代の生活ペースを保っている黎は、どこか浮世離れして見えた。


「親父は学費をくれたけど、半分は厄介払いで、半分は罪滅ぼし……みたいなもんだったんだ。本音のところでは後を継いで医者の道に……って期待してたのはわかってた。でもさ、母親のこともあって、親父の思うような生き方には、ずっと反発する気持ちが強くて」


「写真を始めたの、反発だけじゃないでしょ?」


「それも、矛盾しててさ。親父は昔……俺が小学生だった頃、趣味で写真をやってたんだ。まだ小さい頃、カメラの使い方を俺にも教えてくれて。そのときにカメラを触って以来、ずっとカメラを触ってる俺は……なんていうか、ずっと割り切れてないというか」


 黎の才能はあると思っていた。彼の感受性は尊敬してもいた。

 でも、どこかで大人になれない……いや、なろうとしないように見える彼に苛立ちも感じていた。


「……どっか、黎も甘えてない? そのままでいいかな、って思ってるの、お父さんとの関係があるから、お父さんのせいだから、みたいに思ってない?」


 そんなことを言うつもりは全くなかったのに、それまで思っていたことと、喫煙指導のこと、仕事の諸々の苦労……いくつもの要素が繋がって、気がついたら、黎に嫌みっぽい言葉を投げてしまっていた。


「なんだかんだでさ、黎は恵まれてるよ。お金出してもらって、学校出た後も自由にさせてもらって」

「綾……どうしたの」

「私、上手くいかないこといっぱいだけど、責任あるから、自由なばかりじゃいられないよ。今日だって、学校で……失敗して迷惑かけて。それでもまた明日、元気に授業とか、しんどいなって思ったり……それでも責任あるし、逃げるわけにいかないし」


 もっと落ち着いて、何があったか話したらよかった。でもなんだかそんな余裕も出てこなくて。小川君の身勝手と、黎のマイペースががどこか重なって。


 黎は何もわからないまま、私にイライラをぶつけられて、さぞ嫌な気持ちだったろうと思う。


 せっかく、会える時間をもてたのに。こんなことを言うために会ってるんじゃないのに。


「ごめん……」


 黎は何も言い返してこなかった。

 余計にしんどくて、たまらなかった。

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